自給自足生活

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【茶番】コロナの緊急事態宣言wで何かを自粛しても後悔するだけ。迷っている君へのメッセージ

人間は得体の知れないものを極度に怖がる性質があるらしく、「緊急事態宣言」という得体の知れないものにビビって旅行や外出を自粛してしまった人が多いことだろう。悲しいことだ。

旅行業界関係の倒産や業績悪化というわかりやすいデータから、多くの人が自粛してしまったと判断する。

そもそも緊急でもなんでもない

巨大台風や大地震での原発放射能漏れとかの方が、実害も原因もはっきりしているから、よっぽど緊急事態宣言だった。

記憶の限りだと「緊急事態宣言」という謎ワードが出てきたのは、生まれてこの方はじめてだった。コンビニやスーパーにビニールやアクリルの仕切りができたのも初めて。

国にしても何だかよくわからんウイルスで打つ手がないからと、どっかのコンサルティング会社(国や政府には某コンサルティング会社が裏に付いている)から「緊急事態宣言」という謎ワードを使うことを提案されたのかもしれない。

コンサルティング会社の助言?

コンサルティング会社は民間企業の経営コンサルをメイン業務としているから、日本人の習性や生活習慣みたいのはデータとして大量に持っている。

つまり、「右向け右」「赤信号、みんなで渡れば怖くない」「出る杭打つ」という、日本人の国民性を利用したのが「緊急事態宣言」という謎ワードだと考察できる。

何がどう緊急なのか、自分にはさっぱりわけわかめなのだが、それでも集団心理の圧力で旅行や外出の自粛をした人が多かったというわけだ。

飛行機が運休する実害を受けた

旅行関係の業界からしたら、「緊急事態宣言」という謎ワードによって、圧倒的に客が減ったという実害があっただろう。すでに倒産したり、旅行業界から去らざるを得なくなった人もいることだろう。

ANAの乗務員が全然関係ない業界に派遣されているとか聞いたが、そこまでして会社にしがみつくものなのか。

個人的には「緊急事態宣言」という謎ワードは言葉のセンスも悪いと思う。

全く心にも響かないというのもあって、構わず旅行しようと思って飛行機を予約していたのに、LCCなんかだと予約を集めるのが困難で採算が採れないと判断してか、緊急事態宣言の発令で割と直前に運休が決定されてしまうという実害があった。

航空会社都合なので全額返金されるが、一度しかない人生のその時その瞬間の旅行がキャンセルされてしまうのは痛かった。

200席くらいある飛行機で20人くらいしか乗っていなかった時もあったが、これだけ客がいないと、どう考えても燃料代や乗務員の人件費で赤字だろうから仕方がない。

つまるところ、「緊急事態宣言」という実態のない謎ワードによって、なんだかわからん恐怖や圧力に負けて、多くの人は旅行をキャンセルするのである。

普通は旅行でコロナに感染などしない

自分で実験した結果からそう言える。お家時間? 巣ごもり需要? どっちもクソ喰らえだ。

緊急事態宣言中だろうと、コロナ禍になってからも沖縄や北海道に毎月のように旅行していた。なにしろ、旅行がライフスタイルであり、最大の生きがいなのだから仕方がない。普通の人が仕事に精を出したり、色々な趣味にハマったりするのと同じように、旅行が大好きな人もいる。

そもそも、「緊急事態宣言」という実態のない謎ワードで旅行に行かなくなる人は、そんなに旅行が好きでない人だ。事実、緊急事態宣言中だろうと旅行の好きな人にホテルや飛行機に何人も見かけている。

どうみても仕事の出張とかではなくて、観光旅行の風貌だから旅行だと判断する。まぁ、一種の集団心理だけど、自分と似たような本当の旅行好きも割といるもんだと思ったりもする。

ちなみに、GoToトラベルの時は実際はそんなに安くもないのに滅多に旅行に行かないであろう人たちが大量に飛行機に乗ってたりして、搭乗に手間取っている様子なんかを何度も見た。あれはあれでどうかと思う。

残念ながらコロナは人類を滅ぼさない

そんな自分も、実は緊急事態宣言にビビって一度だけ旅行をキャンセルしたことがあった。今思うと、全くの杞憂だったのだが・・・。

というのも、最初の頃はコロナが数ヶ月で人類を滅ぼすくらいの威力があるかもしれないとビビってしまったから。

ところが、実際はコロナは交通事故の死亡者数より死ぬ人は少ないし、重症化したり死亡するのは80代や90代のすでに平均寿命を超えたような、放っておいても数年以内に寿命で死ぬような老人が中心だという。

若い人で重症化したり死ぬ場合も稀にあるが、そんなの20代や30代でガンになって死ぬ人もいるし、色々間違っている。

とりあえず、コロナ程度の威力で人類は滅亡するわけないな、と悟った。

まとめ やりたいことは好きにやった方がいい

飲食店なんかだと自粛に協力すると多額の協力金が貰えたりするらしいが、一般個人だと自粛に協力しても何も出ない。

自熟するだけ、やりたいことができずに損する。失われた時間やチャンスを国は補償などしない。

大体、自粛しろとかいう一方で何もコロナが解決していないのにオリンピックは絶対にやるだとか、国の茶番もいい加減にしてくれと言いたくもなる。アホか。

まとめとしては、少なくとも一般個人の場合は、自粛しても何もいいことはないから、やりたいことは好きにやった方がいい。

国もそうだが、TVとかWebとかメディアは、センセーショナルなメッセージで煽るのが仕事というのもあって、見るだけ無駄というのもあるから、旅行に行きたきゃ、さらっと旅行に出かけてくれという話。

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「働いたら負け」とはどのようなことかの科学的根拠

人間が生きる意味など存在するのか?

昔の偉い人は言った。「働いたら負け」であると・・・。

勝つや負けるというのは人間社会が作った概念なので、生きるのに勝つも負けるもないのだが、日本社会的に言えば、むしろ「働かないと負け」に分類されてしまいがち。

ただ「働いたら負け」というのも、個人的には科学的を見出せるので、一例を示してみる。

100万年後に何の意味もなくなる

今あなたが取り組んでいる全てのことは、残念ながら100万年後には何の意味も成さなくなる。

あなたがサラリーマンや個人事業主や経営者だとしよう。そのいずれであっても、おそらくは色々な苦労やしがらみ、努力をしないと続けていけない。

だが、100万年後の未来においては、そんな努力とかは何の意味もなさないという真実がある。

あなたが学生や失業者であっても同様だ。苦労して何らかの仕事に就いたとしても、同様の未来が待っている。

人間にとって100万年は途方もなく長い時間に思えるが、地球が出来たのは46億年前とされているし、惑星や宇宙にとっては100万年など大した長い時間ではない。

まして、一人の日本人が生きられるは平均的には80年かそこらである。少子高齢化の日本社会で運良く子孫を残せたとしても、100万年後に人類やあなたの子孫は生き残れるだろうか?

人間が生きる時間など、惑星か宇宙からしたら、瞬きかクシャミをしたくらいの一瞬の出来事なのだ。そんな一瞬の出来事の中で喜怒哀楽をして生きているのが惑星や宇宙からみた貴方の姿に他ならない。

会社にコキ使われるのは特に馬鹿げている

私は中小零細ブラック企業で、東京の千代田区に会社があるというのに30歳手前まで年収250万円で、残業代も組み込まれているという戯言に付き合わされてコキ使われていた。

それ以前は派遣などの非正規労働で働いていて、ハローワークで紹介された正社員の求人がそれだった。

今思うと完全に足元を見られていた気もするが、周りの先輩社員も40手前になって、年収が低すぎて結婚できない男性社員ばかりだった。しょうもない会社に使われている、しょうもない人たちと仕事をしていた気もする。

いくら100万年後に何の意味もなくなるとは言え、こんなしょうもない会社にコキ使われるのだけは避けたいと思った。

ちなみに、この会社は今は港区に移転していて、BtoBの会社なので一般には知られていないものの、セミナーなどの映像配信をしている。

働かなくても暮らせるのが勝ち組

働いたら負けとはどのような意味だろうか。

こんな下らないことを考えるよりも、ニートではない普通の人は生活のためにつべこべ言わずに働かないとならない。

その呪縛から逃れるためには、働かなくても暮らせるような道を探すことではないだろうか。年金制度は破綻しかけているし、70歳くらいの老人になって残り10年くらいの期間を過ごせても仕方がない。

専業主婦や専業主夫を勝ち組だとは思わないけど、会社や社会にコキ使われているのだけは勝ち組とは思えないのである。

おすすめの書籍

今回の話で述べた「100万年後には何の意味もない」というのは、昔読んだ『コウモリであるとはどのようなことか』という哲学書からである。

難解な本だけど、しょうもないことを考える人にはおすすめの本だ。

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個人ブログで学歴自慢している人は気持ち悪いを通り越して寒いだけという理由

人は知らず知らずに自慢をしてしまうことも時と場合によってはあるかも知れない。

しかし、それが個人ブログなんかで書かなくてもよいのに一般に高学歴とされる学歴(東大卒、京大卒、大学院卒など)をサラって書いていたりすると、気持ちを悪いを通り越して寒気がしてしまう。日々、ネット検索なんかしていると、似たような経験があるのではないだろうか?

ギリギリ個人のFacebookなら許容される

ネット上において学歴自慢が許容されるのは、個人名のFacebookなど基本的にそいつのリアル知り合いだけの閉鎖的なコミュニティである場合くらいだ。

広く一般に公開されるオープンな個人ブログで学歴を書く意味はない。駅前や街中で「僕は東大卒です!」「私は京大卒です!」などと無差別に通行人に言いふらしているようなものなのだ。

あるとすれば、医者が医学の専門的な話を書く時に知識のバッググラウンドを示したり信憑性を高めたいために出身学校を書くようなケースだろう。何らかの専門分野で出身学校が話の流れ的に重要になる場合は学歴を書く意味がある。

専門的な話でもなく、ゲームや日々の戯言を書くようなブログにおいては高学歴であることをアピールする意味はないのだ。

高学歴なのはそいつの努力のせいではない

あくまで一般論だが、高学歴なのはそいこの努力も1割くらいはあるにせよ、生まれ育った家庭の経済力や親が教育熱心であったかどうかである。高学歴なのはまずもって、100%純粋にそいつの努力によるものとは言えないのだ。むしろ9割は外部要因で決まる。

学歴自慢全般に言えるが、9割が外部要因によるものなのに、それをさも100%自分の手柄であるかのように語るものだから学歴自慢の人は寒気がするほど気持ち悪いのだ。外部要因を全て自分の手柄にする思考回路なので、もちろん寒気を振りまいていることも気づいてはいまい。

言えることは、個人ブログで学歴自慢するのは寒いだけということである。