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老舗Web系求人サイト「FINDJOB!」がサービス終了した理由は求人企業の“質”にあった

画像は洋食のオムレツとかのセット(記事と関係ありません)

かつて代表的なWeb系求人サイトだったのが「FINDJOB!」である。最近聞かないな~と思って何気なく調べたら、2023年9月29日をもってサービスを終了し、運営会社のMIXI RECRUITMENTも解散していた。

表向きは「26年の歴史に幕を下ろす」という柔らかい表現だが、実態はもっと生々しい。直近の決算では最終損失4,900万円、前期は1億5,000万円の損失を計上しているというから、事業として完全に立ち行かなくなったという見方ができるだろう。

求人市場の変化や競合サービスの台頭といった外部要因はもちろんあるが、“実際に利用したことのある側”から見れば、そんな綺麗な話ではない。FINDJOB!は終わるべくして終わったのである。自分に言わせると、むしろ、あの状態で2023年まで生き延びていたことのほうが奇跡だ。

手取り18万円の零細求人が象徴していた“事業モデルの限界”

かつてWebデザインの職業訓練を受けていた時、Web業界経験者の講師が教えてくれた「オススメ求人サイト」がFINDJOB!だった。

だが、FINDJOB!経由で応募した東京の青山だったか麻布だったかの意識高い系の住所マウント企業は、正社員で手取り18万円という、今となっては信じられないレベルの低賃金、重労働の零細Web系企業だった。

デザイン、コーディング、運用、雑務まで全部やらされる“なんでも屋”ポジション。給与は安く、業務は重く、企業文化は昭和のまま。こうした企業がFINDJOB!の主要顧客だったと記憶している。つまり、FINDJOB!の収益源の多くが低賃金命の零細企業に依存していたということになる。

求人の質が低い→求職者が離れる→掲載企業が減る→売上が落ちる→赤字が膨らむ、という負のスパイラルが起きていたことは、決算の数字が物語っている。

面接で「あなたの弱みは?」と聞く昭和文化の企業

俺の弱みはセロリとシソであり、この2つだけで誰もが俺を血を見ることなく瞬殺できるのだが、それを面接で聞きだそうとする企業が存在した。

面接の中盤で「あなたの弱みは何ですか?」と聞かれたとき、その企業の価値観が一瞬で分かった。応募者を対等なパートナーとして扱う気はなく、弱みを握って従わせるべき対象として見ている昭和的な採用文化だ。FINDJOB!に掲載されていた企業の多くがこのレベルだったのだから、利用者が離れていくのは当然だ。

FINDJOB!は“零細制作会社の吹き溜まり”として限界を迎えた

FINDJOB!の顧客層は長年ほぼ変わらず、Web制作会社、小規模デザイン事務所、零細IT企業が中心だった。これらの企業は給与が低く、労働環境が悪く、採用文化も古い。

俺の目からすると、FINDJOB!の求人は低賃金、重労働、昭和文化、離職率高めというブラック求人の見本市になっていた。

求人サイトは使い勝手やブランドというよりも、実際のところ、掲載企業の質で決まる。掲載企業から金を貰っている以上、FINDJOB!はブラックだろうと掲載企業の味方をするし、結局そこを改善できず、掲載企業の質の低さが赤字の原因になっていく構造が固定化されたのだろう。

2期連続の大幅赤字は「事業として成立していない」ことを意味する。この状態でサービスを継続するのは不可能で、FINDJOB!は事業破綻という流れとなった。

FINDJOB!はオワコンというより普通に倒産

かつてWeb系求人の本命求人サイトだったFINDJOB!は、単なるサービス終了というより、累積損失による運営会社の解散、つまり実質的な倒産である。

東京都心で手取り18万円の零細求人が中心で、弱みを言わせる昭和面接が定番。昭和生まれの俺ですら離れるのだから、Z世代だかX世代だかの若い求職者が離れるのは当然の流れ。売上は減少し、最終損失は4,900万円となり、そして解散した。

FINDJOB!のサービス終了は、元々構造的に詰んでいたサービスが、赤字に押し潰されて沈んだだけであった。

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他人の私有地で犬を散歩させる人たちの思考ルーチン -なぜ起きるのか、そしてどう防ぐのか-

画像はフレンチトースト(記事とは関係ありません)

都市部のアパートやマンションでは、「部外者が犬を連れて敷地内を散歩する」という現象が時折り観察される。

これは単なるマナー違反ではなく、衛生、防犯、安全、健康のすべてに影響する問題行動だ。本記事では、なぜこの行動が起きるのか、どんなリスクが生じるのか、そしてどうすれば止められるのかを、行動心理と都市構造の観点から整理する。

なぜ他人の敷地で犬を散歩させるのか

他人の私有地で犬を散歩させる行為は、悪意というより、無自覚、自己都合、境界意識の欠如が重なって発生する。

まず、散歩者は「ここを通ってもいいだろう」と自己判断しがちだ。私有地と公道の境界が曖昧に見えると、短時間の通過なら問題ないと勝手に解釈してしまう。また、1回通っても誰にも注意されないと、「ここは通っていい場所だ」と脳内で確定され、犬もルートを覚えるため習慣化しやすい。

さらに、「犬は可愛いから許される」という免罪符的な心理も働く。犬を連れていると、自分の行動が社会的に正当化されると錯覚する飼い主は少なくない。そして、都市部では散歩者が最短で安全かつ静かなルートを求めるため、アパートやマンションの敷地が便利な抜け道として選ばれやすい。こうした複数の要因が重なり、私有地が散歩ルートとして固定化されてしまう。

私有地で犬を散歩させると何が起きるのか

私有地での犬の散歩は、住民にとって単なる迷惑ではなく、明確な実害を生む。

まず、犬のマーキングによる衛生被害がある。マーキング尿は濃度が高く、コンクリートに臭いが残りやすい。一度付着すると雨でも完全には消えず、夏場には臭気が再発することもある。

また、犬アレルギーの問題も無視できない。世界人口の10〜20%が犬アレルギーを持つとされ、毛、フケ、唾液、尿が原因で住民の健康被害につながる可能性がある。さらに、防犯リスクも高まる。部外者が敷地を通り道として使い始めると、不審者の侵入やプライバシーの低下につながり、監視の死角も増える。

そして、事故のリスクもある。犬が住民に飛びついたり噛んだりした場合、世界中どの国でも飼い主が100%責任を負う仕組みになっていて、もちろん日本も同様である。

世界的に見ても「完全にアウト」な行為

日本では曖昧に扱われがちだが、他人の私有地で犬を散歩させる行為は、世界基準では完全にアウトだ。

アメリカでは不法侵入(Trespassing)として扱われ、州によっては犬が敷地に入った時点で飼い主が違法となる。イギリスでは、犬が脅威と見なされるだけで違法となり、罰金や犬の没収が行われることもある。ドイツでは犬税が徴収され犬の管理義務が法律で細かく定められており、私有地侵入は罰金対象だ。オーストラリアでも犬の管理は非常に厳格で、敷地侵入は危険行為として扱われる。

つまり、他人の敷地で犬を散歩させる行為は、日本が例外的に曖昧なだけで、国際的には明確に禁止される行動である。

どうすれば止められるのか

この問題を解決する最も効果的な方法は、散歩者を注意することではなく、環境を変えて散歩ルートから除外することだ。

まず、管理会社に動いてもらうのが最も強力だ。散歩者は面倒な場所を避けるため、管理側が掲示を追加したり、散歩ルートにチェーンやポールを設置したり、防犯カメラの存在を強調したりするだけで、ほぼ来なくなる。

また、住民の気配を見せることも効果的だ。散歩者は見られる場所を避けるため、玄関前に立つ、洗濯物を干すなど、日常的な行動だけでルートが変わる。そして、管理会社には衛生、防犯、安全、健康の4点を淡々と報告することで、動かざるを得ない状況を作れる。

他人の私有地で犬を散歩させる問題は、飼い主の境界意識の欠如が原因であり、対策は環境を変えて散歩ルートから除外することに尽きる。

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現代日本では自給自足が個人の努力では突破できない構造になっている

自給自足という言葉に惹かれ、生活の一部を自分の手で賄おうと試みてきた。気づけば20年が過ぎ、試行錯誤の積み重ねは、確かに生活の質を変えてきた。

しかし、同時にどうしても越えられない壁があることもはっきりしてきた。それは個人の努力や工夫ではどうにもならない、大きな構造的な問題だ。

現代日本は外部エネルギーを前提にした設計

現代日本の生活は、電気、ガス、水道、インターネットなどの通信環境といった巨大なインフラに依存して成立している。

これらを自前で賄うのは困難だ、個人でどうにかできる範囲を遥かに超える。20年もの間、LEDでリーフレタスを栽培したりと、自給自足に向けて試行錯誤を重ねてきたが、生活の全てを自給自足する道筋が見えてこない。

生活の基本設計そのものが外部から供給されることを前提にしているため、自給自足にシフトするのが困難な状況にある。

主食を生産するためのリソースが大きく不足

葉物やハーブ、ミニトマトのような補助的な食料はベランダなどの家庭菜園でも育つ。

しかし、生命活動を支えるカロリー源となる主食は別物だ。米や小麦、トウモロコシや芋を安定的に育てるには、広い土地と水、そして季節ごとの管理が必要になる。20年の間、小規模なリーフレタス栽培を繰り返しても、主食の自給には一度も届かなかった。

人間が1日に必要とするカロリーはおよそ2,000〜2,500 kcalとされる。じゃがいもは100gあたり約76kcal、米は茶碗一杯で約230kcalだが、栽培、脱穀、精米まで含めると個人で回すには負荷が大きすぎる。

年間で換算すると1人分のカロリーを安定供給するには最低でも数十〜百数十平方メートルの農地が必要で、天候リスク、害獣、保存設備など、自分一人ではコントロールできない要素が多すぎる。必要カロリーを全て自力で何とかするというのは、現代日本では個人の努力では成立しない構造になっている。

LED栽培も夢で終わる理由

LEDでの室内栽培も自給自足になりそうに見える。しかし、LED栽培は電力、初期設備、温度管理、肥料、水の供給など、結局は社会インフラに依存している。

また、LED栽培は主食の生産には向かず、リーフレタスやハーブのような軽い作物は育つが、人間の生命維持に必要な高カロリー作物は効率が悪すぎる。LEDでじゃがいもや米を安定的に大量に育てるのは無理がある。

つまり、LED栽培は自給自足の救世主のように見えて、実際には社会インフラへの依存を浮き彫りにするだけである。

自給自足の技術体系を現代人は持っていない

自給自足は土壌管理、保存食作り、採集、修繕、害虫対策など、複数の技術が組み合わさった生活の総合技術だ。

日本では義務教育はもちろん、高校や大学でも自給自足を前提とした教育を行っていない。つまり、現代の教育や生活環境では、これらの技術を身に着けるのが難しく、技術の欠落は、努力では埋まらない壁として残り続ける。

自給自足は共同体で成立する構造

自給自足という言葉は、しばしば「不便な生活」や「昔ながらの暮らし」を連想させる。

しかし、世界には今も自給自足を続けている人々がいる。たとえばアフリカのハザベ族やサンブル族のような少数民族だ。彼らは水や食料、住まい、道具を自らの手で確保し、自然の中で生活を組み立てている。必要なものを必要な分だけ得て、自然環境との関係を循環として捉える。その暮らしは効率や利便性とは別の軸で成立している。

アフリカなどの少数民族の暮らしは、自然と共に生きるという意味で自給自足生活の見本でもある。しかし、その生活は土地、気候、文化、社会制度のすべてが関係している。現代日本で同じ生活を再現することは難しいというのが現実だ。