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【中止すべき】北海道に宿泊税が導入されたが地元の人間として一人で反対してみる

大雪の日から数日後の北見駅周辺

都合のいいときだけ「来てくれ」は通用しない。

コロナ禍の時期、北海道の自治体は補助金まで使って観光客を呼び込んでいた。国のGoToトラベルなどは別に、札幌市などは独自の制度で宿泊費などの旅費を補助していた。来てくれ、泊まってくれ、金を落としてくれと、税金を使ってお願いしていたわけだ。

それがどうだ。2026年4月1日から北海道に宿泊税が導入されたのだ。状況が落ち着き、観光客が戻り始めた瞬間に「はい、これからは宿泊税です!」と手のひらを返す。この振る舞いには一貫性がない。需要が落ちたら補助金で呼び込み、戻ったら課税する。

この場当たり的な対応に「納得してくれ」と言われても、それは無理がある。

観光は短期の数字合わせではなく、長期的な信頼の上に成り立つものだが、その前提を軽視しているように見える。

北海道の宿泊税がいかに恐ろしいものかを整理する

北海道の宿泊税は一律ではなく、宿泊する自治体や宿泊料金に応じて変動する。

そして、北海道の宿泊税がおかしいのは、多くの世の中の税金と違って、貧乏人ほど税率が大きいという点に尽きる。

安ホテルに泊まる人ほど税率が高いゴミ設計

まず北海道の「道」からの徴収としては、1泊あたり2万円未満の場合は100円が課税される。

そして、札幌、旭川、北見、網走、釧路、帯広など、北海道の主要な自治体が別途、1泊あたり2万円未満であれば200円を課税する。道が徴収するものと合わせて、合計300円という大金だ。

実例を出すと、1泊3000円(内税)の安ホテルに泊まったとしても、宿泊税と合わせて3300円かかることになる。つまり、宿泊税は10%だ。消費税を含めると20%近くが税金となる。これは恐ろしい税率だ。

高級ホテルほど税率が低い謎設計

一方、札幌を例にすると、1泊5万円以上の高級ホテルの場合、1泊あたり1000円が宿泊税として徴収される。税率は5万円のホテルだとして2%である。

計算すると明らかだが、安ホテルほど宿泊税が高く、富裕層よりも、貧乏人から大量に税金を徴収する仕組みとなっている。

宿泊税は貧乏人がメインターゲットになっているように思え、そこには「貧乏人は旅行中に金を落とさないから、そのぶん宿泊税をたっぷりとる」という構造になっているのが透けて見える。

東京や大阪、金沢などでは低価格帯は非課税

北海道以外でも、東京、大阪、京都、金沢、福岡などが宿泊税を以前から導入しているが、「定額制(100〜500円など)」と「定率制(2〜3%など)」の2タイプがある。

東京では1泊1万円未満、大阪や金沢では5千円未満の場合は課税対象外となっていて、東京では今後、課税を免除する価格を1万円未満から1万3000円未満に引き上げ、定率制に移行する予定が公表されている。

低価格帯を非課税にしていたり、高級層との不公平感を減らすために定率制にしている自治体もある一方、北海道の場合は新設された割に、道外の事例を無視した雑な設計だと言える。

宿泊税の対象者、対象施設

対象となるのはあくまで宿泊施設であり、ホテル、旅館、簡易宿所などが含まれる。一方で、キャンプや車中泊、ネットカフェは(今のところ)対象外となっている。

また観光客や地元客、帰省客かを区別しないため、上記に該当する宿泊施設を使えば課税対象になる。

税収は観光振興や受け入れ環境の整備に充てるとされているが、その効果や透明性は運用次第という曖昧さを残している。

すでに負担している旅コストを無視した課税

北海道は地理的に本州から離れている以上、訪れる時点で交通費という大きなコストが発生している。

さらに、現地では飲食や買い物で消費税も支払っている。つまり、旅行者は既に複数の形で地域経済に貢献している。

それにもかかわらず、宿泊という必然的に起きる行為に対して追加で税金を上乗せするのは、二重三重に負担を課している構造だ。課税の正当性を語るのであれば、既存の負担とのバランスを説明する必要があるが、その説明はほとんど見えてこない。

帰省客まで巻き込む雑すぎる設計

インバウンド観光客や、純粋な観光やレジャー目的の旅行者に対して課税するという理屈は、まだ理解の余地がある。生活に必須ではない道楽と判断できるからだ。

しかし、身内の都合などで訪れる帰省客まで同列に扱っている点だ。

地元に戻る行為は観光とは性質が異なる。家族や親族に会うための宿泊に対してまで、観光客と一律で課税するのは、制度設計として粗い。地元に縁のある人間に対してまで「泊まるなら税金」というメッセージを出すことが、地元出身者との関係性にどう影響するのかを考えているとは思えない。

採算性を無視した北海道新幹線と似たようなもん

北海道ではインフラ整備でも似たような問題が起きている。

北海道新幹線の札幌延伸は採算性に疑問が投げかけられ、ついさっき北海道新聞社のwebサイトで見たニュースでは、「札幌延伸は今からでも中止すべき水準」という指摘がある。それにもかかわらず計画は進んでいく。

今回の宿泊税導入の決定も構図は近い。必要性や合理性を詰め切らないまま、とりあえず導入してしまう。そして、一度始めたものは止められない。この惰性が繰り返されているのが俺が生まれ育った北海道の実際の姿だ。

結論としての違和感

観光振興の名目で課税するのであれば、その使途や効果が明確でなければならない。

しかし、現状は「取れるところから取る」という発想が先に立っているように見える。しかも、富裕層よりも、安い宿泊施設に泊まる層に高い漸近がかかるという雑な仕組みだ。

コロナの時は補助金を出し、回復すれば課税という流れになり、そこに一貫した理念は感じられない。帰省客まで含めた雑な対象設定、既存負担を無視した上乗せ課税。これらを踏まえると、北海道の宿泊税は雑な政策にしか見えない。

結論は単純で、このレベルの制度であれば、普通に今からでも中止すべきだ。どう考えても最低でも見直しは必要だろう。

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【磐越西線】新潟~会津若松~郡山~宇都宮の駅前限定プチ旅行記録

関東地方から新潟に在来線乗り継ぎで行き来するには主に2ルートある。

一つは上越新幹線をなぞるようなルートで片道6時間くらい。もう一つは滅多に使わないが福島県の郡山乗り換えで、磐越西線を使って行き来するルート。遠回りだから、もう少し時間がかかるものの、会津若松という観光地的な場所を通る。

磐越西線は遥か昔に乗ったことがあるが、かなり遥か昔なので、今回は新潟からの帰りのルートで変化球的に乗ってみた。

磐越西線の新津~会津若松の車窓

新潟駅からの場合は新津で磐越西線に乗り換える。平日昼間だと静かなもんだが、ここは土日などにSLが走っているような観光路線。そのSLは指定席券がいるものの、都市部に近い手軽な観光列車という雰囲気。

土日以外は普通に普通列車が走っているが、川沿いを走るので時々ダムなどが視界に入る。新津からの場合、どっちかというと右側の方が景色が良い気がする。

サムライ推しになった会津若松

地下歩道もあって少し城っぽい雰囲気の会津若松駅

俺は北海道に生まれ育ったというのもあるが、歴史や伝統に興味や重さを感じないものの、会津若松は歴史が好きな人には興味深い街なのだろう。

俺は遥か昔に近隣の喜多方に「喜多方ラーメン」を食べに行った記憶があるが、残念ながら、その記憶は曖昧だ。どこの店で食べたとか、味を含めて、ほとんど記憶がない。いや、食べに行ったかどうかも曖昧だが、喜多方の街には行ったことがあるような気がする。

そして、会津若松には以外にも来たことがないような気がする。東北~北海道新幹線の速達タイプは栃木県や福島県の駅は一つも停まらないし、近いようで遠い場所なのである。

「会津大学に行こう」というフリーゲームの思い出

駅近くにホームセンターがあって生活感漂う観光地

もっと昔の記憶を引っぱり出せば、中2の頃に購読していた学研のPCingというCD-ROM付き雑誌で出会った「会津大学に行こう」というフリーゲームが俺にとっての会津若松の全てだ。歴史とか観光名所とかは、潔く言えば、全く知らん!(笑)

「会津大学に行こう」というゲームはフリーソフトだったと思うが、今のインターネットでは探せず。PCing自体も昭和レトロだからディスクも持っていないし、昔のものというのは時が経つと価値が出てくるものだと思った。

ちなみに、90年代の昭和レトロなPC雑誌には、CD=ROMが付録というか、むしろ商品本体として存在していたが、成人向けなどと表記されていなくても、普通に成人向けの映像や画像が収録されていることも少なくなかったのは内緒。寛容だった時代を感じさせる気もするが、今の方がスマホで子供が成人向けコンテンツに簡単に触れられるのだろうけど。

そんなことを脳裏に浮かべつつ、会津若松駅の近隣を歩いてみたが、目に入る場所に城とか遺跡の類は見当たらなかった。たぶん、駅から離れた場所にあるのだろう。京都とか北海道の押し寄せてくる感じではないが、少数の欧米系の外国人観光客や、平均年齢60歳以上の日本人の高齢観光客が何組かいた。

会津若松で特筆すべきは、スーパーの「リオン・ドール」だ。全国各地のローカルスーパーを渡り歩いている俺としても、オシャレな響き過ぎて、最初はスーパーだとは思わなかった。地元のマダムご用達の美容室かブティック、カフェかと思ったが、総菜がパンが安い、普通のローカルスーパーだった。

久しぶりに降り立った郡山駅

駅前のビッグアイという無料の展望施設から眺める

2時間くらい会津若松の駅前にいたが、時間も時間なので郡山に移動する。快速列車だと確か5駅くらいで郡山に出れる。

福島県というと、どうしても原発事故の影響が脳裏に浮かぶし、当時は安全になるまで250年かかるというようなことを聞いた気がするが、普通に観光キャンペーンをやっているのはどうしてなんだろうと思ったり、コロナも原発事故の傷跡も、マスコミと経済優先の流れで風化していくのだろうかと思いながら、郡山駅前にあるビッグアイという高層ビル施設に向かった。

ここも遥か大昔に来たことがあるが、ネーミングライツだか、時代の流れだかで、上層部には科学館のようなものが入居しつつ、22階(だったかな)の展望室は無料で利用できる。

積極的に無料展望室のアピールをしていないから、どこから上がるのかだいぶ迷ったが、なんてことはなく、駅側から近い場所にあるエレベーターを使えばよいだけだった。

郡山には乗り換えや旅の途中としてしか立ち寄ったことはないが、俺の知らない良さがどこかにあるのだろうか。

微妙に変わった宇都宮の餃子勢力図

餃子5つと半ライスで500円しなかったのは優秀

宇都宮は餃子の街として知られるが、その勢力図は結構変わっていた。

かつて少しだけ働いた職場に宇都宮出身の人がいて、宇都宮の餃子は「みんみんか正嗣(まさし)」と聞いていた。

宇都宮の駅ビルや駅近辺にも観光客や、むしろ地元民向けの餃子屋があるが、宇都宮で儀容座を食べたのは15年ぶりくらいだろうか。駅にあって、適当に空いていたから入った「宇味家(うまいや)」という店だったが、確かに餃子としては、札幌の餃子専門店の「みよしの」とかより旨い。

みよしのは札幌の人間には好まれるが、札幌以外の北海道出身者としては、特に贔屓する理由もなかったりする。やはり餃子店同士が味を競い合っている土地の方が味が良くなるのだろう。

遠回りが生む旅の味わい

今回のルートは、いわゆる最短や最速とは違う遠回りだったが、移動そのものに意味を持たせるという点では十分に価値があった。

新津から会津若松にかけての車窓、駅前に広がる生活感、そして郡山という中継都市の曖昧な立ち位置まで含めて、一本の線として繋がっている実感がある。

特に、磐越西線は単なるローカル線ではなく、「観光」と「生活」の中間にある路線として機能していることが分かる。派手さはないが、SL運行や会津エリアへの導線として、一定の役割を維持し続けているのは興味深い点だ。

また、終盤に立ち寄った宇都宮市では、餃子の勢力図が大きく崩れたわけではないものの、宇味家のような中堅どころが自然に選択肢として入り込んでくるあたりに、街全体の層の厚みを感じた。かつての「みんみんか正嗣か」という単純な構図から、もう少し広がりを持った選び方ができる段階に入っている。

移動距離だけ見れば非効率だが、こうした変化や空気感は最短ルートでは見えてこない。時間をかけて迂回することで、断片的だった記憶やイメージが少しずつ更新されていく。その積み重ねこそが、このルートを選ぶ理由としては十分だったように思う。

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【千葉・房総半島】太海駅に降りて辿る『ねじ式』の風景への旅

太海駅前の壁画は「考えるな、感じろ」という無言のメッセージを突き付ける

1968年に発表された『ねじ式』は、つげ義春による代表作のひとつであり、日本の漫画表現の枠組みを大きく揺さぶった作品として位置づけられている。

夢と現実の境界が曖昧なまま進行する断片的な構造と、その不条理性は現在に至るまで強い印象を残し続けている。

そして、1998年には『網走番外地』で有名な石井輝男によって映画化され、主演を務めた浅野忠信の存在感とともに、原作の空気が映像として再構築された。

その舞台のイメージとして語られることの多い千葉県の太海という土地は、作品の感覚とどのように接続しているのか。本記事では、『ねじ式』という作品と映画版の表現、そして太海という場所の関係性を整理しながら、実際に歩くことで見えた体験を綴っていく。

新宿から乗り継いで約4時間の旅路

近代的な無人駅にリニューアルされた太海駅

東京都心部から見て、太海は房総半島の一番遠い側にある。普通列車を乗り継ぐと新宿からだと約4時間の旅路だ。青春18きっぷや北東パスの日帰り旅行としても、十分に元が取れる運賃だ。

太海駅に降りた時点で、すでに日常の連続から少し外れた感覚が生まれる。ホームは簡素で、人の気配も多くはない。

無人駅で明確な改札はない。駅舎は近年リニューアルされたらしく、地方の寂れた無人駅というよりも、近代アートを思わせる未来的な造形のものとなっている。

駅前を抜けても大きな観光名所を目に入らず、視界に入るのは海へと続く狭い路地と空気の流れ。斜面に貼り付くように並ぶ家々だけである。ここでは目的地を指し示す強い導線はなく、自分の感覚で進むことになる。

駅前から海へ向かう道は離島を思わせる

東京と陸続きだが、太海という世界観を感じる路地

ここは完全に東京と陸続きの場所ではあるが、これまで旅したことがある沖縄の離島、もしくは長崎の坂の街を思わせるような景色だ。

道を進むと、緩やかに海の気配が濃くなる。舗装された道でありながら、観光地的な整備の均一さは感じられず、生活道路としての質感がそのまま残っているのが印象的だった。

視界の抜ける方向に歩くだけで海へ出られる構造は単純だが、その途中で見える家屋や小さな空き地が妙に断片的な印象を残す。『ねじ式』のように、場面が連続しているのに意味がつながらない感覚がここで立ち上がる。

海岸に出たときの視界

海岸に出ると、風景は一気に単純化される。

水平線と波、そして岩場だけが視界を占め、余計な情報が削ぎ落とされる。

この単純は現実感を薄める。作品の具体的なシーンをなぞるわけではないが、記憶の中のイメージと目の前の風景が曖昧に重なり、どちらが先に存在していたのか判別がつかなくなる。

路地から機関車が飛び出す“あの場所”

海岸から少し離れ、集落の中へ入り込んだ先に、その場所はある。

『ねじ式』の中でも強い印象を残す、民家から機関車が飛び出すという場面を想起させる地点だが、現地には朽ちかけた小さな案内板が貼り付けられており、風雨に晒されて色褪せたその姿だけが、かろうじてここが何かと結びついていることを示していた。

周囲はごく普通の民家で、特別な構造があるわけでもない。その平凡さが、かえって異様なイメージを際立たせる。現実の空間としては何も起きていないはずなのに、視界のどこからでも機関車が飛び出してきそうな錯覚が生まれる。

看板が取り外される直前に撮影された奇跡の1枚

さらに奇妙だったのは、この案内板を写真に収めてからおよそ30分後、改修業者が現れてそれを取り外していたという出来事である。

偶然としか言いようがないが、その瞬間に立ち会ったことで、この場所の不確かさは一層強まった。記録しようとした対象が直後に消えるという体験は、『ねじ式』の持つ掴みどころのなさと重なり、現実の出来事でありながら、どこか作品の延長に引き込まれたような感覚を残した。

仁右衛門島という伝承と実在が重なる島

太海の沖合に浮かぶ仁右衛門島は、伝承を内包した場所である。

現地の案内板によれば、この島は千葉県指定の名勝であり、およそ三万平方メートルほどの規模を持つ。古くから一戸の所有者が住み続けてきたという特異な成り立ちが「仁右衛門島」という名称の由来になっている。

また、源頼朝や日蓮聖人にまつわる伝説が残され、松尾芭蕉などの句碑や歌碑も存在するなど、歴史と文化の層が折り重なっている。島へ渡るには渡し船を利用することになり、太海側の船着場から短時間で到着する距離にあるものの、天候や海況によって運航が左右されるため事前確認が必要になる。

『ねじ式』のように現実と非現実が混ざり合う感覚は、この島の場合、海に隔てられた物理的距離と、渡船という行為、そして長い歴史の層が重なり合うことで、仁右衛門島は現実の中にありながら別の領域に触れているような感覚を生む場所となっている。

干物屋と民宿に滲む現実の輪郭

駅へ戻る道すがら、通りに並ぶ干物屋などの海産物屋の存在が視界に入り続ける。強い潮の匂いとともに、この土地が確かに生活の場であることを突きつけてくる。

海沿いに連なる民宿の外観は、『ねじ式』に登場する例の民宿を嫌でも連想させる。現実でありながら、どこか現実から外れた空間の連なりとも思える。視界は現実に引き戻されながらも、どこか解釈の余地を残したまま固定されない。

太海という場所で体験したものは、特定の名所ではなく、こうした断片の重なりによって形作られている。ここで見た風景は現実の記憶として残るはずなのに、どこか作品の一場面のようにも感じられ、その境界は最後まで曖昧なまま保たれていた。

太海駅に戻っても、到着時の感覚には戻らない。むしろ、短い滞在の中で風景の輪郭が曖昧になり、記憶の中で再構成され始めている。ここを起点に歩いたはずなのに、起点そのものの位置づけが揺らいでいる。

『ねじ式』という作品の説明不能な感覚は、この駅を起点にした往復の中で、現実の体験として静かに固定されていた。