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【磐越西線】新潟~会津若松~郡山~宇都宮の駅前限定プチ旅行記録

関東地方から新潟に在来線乗り継ぎで行き来するには主に2ルートある。

一つは上越新幹線をなぞるようなルートで片道6時間くらい。もう一つは滅多に使わないが福島県の郡山乗り換えで、磐越西線を使って行き来するルート。遠回りだから、もう少し時間がかかるものの、会津若松という観光地的な場所を通る。

磐越西線は遥か昔に乗ったことがあるが、かなり遥か昔なので、今回は新潟からの帰りのルートで変化球的に乗ってみた。

磐越西線の新津~会津若松の車窓

新潟駅からの場合は新津で磐越西線に乗り換える。平日昼間だと静かなもんだが、ここは土日などにSLが走っているような観光路線。そのSLは指定席券がいるものの、都市部に近い手軽な観光列車という雰囲気。

土日以外は普通に普通列車が走っているが、川沿いを走るので時々ダムなどが視界に入る。新津からの場合、どっちかというと右側の方が景色が良い気がする。

サムライ推しになった会津若松

地下歩道もあって少し城っぽい雰囲気の会津若松駅

俺は北海道に生まれ育ったというのもあるが、歴史や伝統に興味や重さを感じないものの、会津若松は歴史が好きな人には興味深い街なのだろう。

俺は遥か昔に近隣の喜多方に「喜多方ラーメン」を食べに行った記憶があるが、残念ながら、その記憶は曖昧だ。どこの店で食べたとか、味を含めて、ほとんど記憶がない。いや、食べに行ったかどうかも曖昧だが、喜多方の街には行ったことがあるような気がする。

そして、会津若松には以外にも来たことがないような気がする。東北~北海道新幹線の速達タイプは栃木県や福島県の駅は一つも停まらないし、近いようで遠い場所なのである。

「会津大学に行こう」というフリーゲームの思い出

駅近くにホームセンターがあって生活感漂う観光地

もっと昔の記憶を引っぱり出せば、中2の頃に購読していた学研のPCingというCD-ROM付き雑誌で出会った「会津大学に行こう」というフリーゲームが俺にとっての会津若松の全てだ。歴史とか観光名所とかは、潔く言えば、全く知らん!(笑)

「会津大学に行こう」というゲームはフリーソフトだったと思うが、今のインターネットでは探せず。PCing自体も昭和レトロだからディスクも持っていないし、昔のものというのは時が経つと価値が出てくるものだと思った。

ちなみに、90年代の昭和レトロなPC雑誌には、CD=ROMが付録というか、むしろ商品本体として存在していたが、成人向けなどと表記されていなくても、普通に成人向けの映像や画像が収録されていることも少なくなかったのは内緒。寛容だった時代を感じさせる気もするが、今の方がスマホで子供が成人向けコンテンツに簡単に触れられるのだろうけど。

そんなことを脳裏に浮かべつつ、会津若松駅の近隣を歩いてみたが、目に入る場所に城とか遺跡の類は見当たらなかった。たぶん、駅から離れた場所にあるのだろう。京都とか北海道の押し寄せてくる感じではないが、少数の欧米系の外国人観光客や、平均年齢60歳以上の日本人の高齢観光客が何組かいた。

会津若松で特筆すべきは、スーパーの「リオン・ドール」だ。全国各地のローカルスーパーを渡り歩いている俺としても、オシャレな響き過ぎて、最初はスーパーだとは思わなかった。地元のマダムご用達の美容室かブティック、カフェかと思ったが、総菜がパンが安い、普通のローカルスーパーだった。

久しぶりに降り立った郡山駅

駅前のビッグアイという無料の展望施設から眺める

2時間くらい会津若松の駅前にいたが、時間も時間なので郡山に移動する。快速列車だと確か5駅くらいで郡山に出れる。

福島県というと、どうしても原発事故の影響が脳裏に浮かぶし、当時は安全になるまで250年かかるというようなことを聞いた気がするが、普通に観光キャンペーンをやっているのはどうしてなんだろうと思ったり、コロナも原発事故の傷跡も、マスコミと経済優先の流れで風化していくのだろうかと思いながら、郡山駅前にあるビッグアイという高層ビル施設に向かった。

ここも遥か大昔に来たことがあるが、ネーミングライツだか、時代の流れだかで、上層部には科学館のようなものが入居しつつ、22階(だったかな)の展望室は無料で利用できる。

積極的に無料展望室のアピールをしていないから、どこから上がるのかだいぶ迷ったが、なんてことはなく、駅側から近い場所にあるエレベーターを使えばよいだけだった。

郡山には乗り換えや旅の途中としてしか立ち寄ったことはないが、俺の知らない良さがどこかにあるのだろうか。

微妙に変わった宇都宮の餃子勢力図

餃子5つと半ライスで500円しなかったのは優秀

宇都宮は餃子の街として知られるが、その勢力図は結構変わっていた。

かつて少しだけ働いた職場に宇都宮出身の人がいて、宇都宮の餃子は「みんみんか正嗣(まさし)」と聞いていた。

宇都宮の駅ビルや駅近辺にも観光客や、むしろ地元民向けの餃子屋があるが、宇都宮で儀容座を食べたのは15年ぶりくらいだろうか。駅にあって、適当に空いていたから入った「宇味家(うまいや)」という店だったが、確かに餃子としては、札幌の餃子専門店の「みよしの」とかより旨い。

みよしのは札幌の人間には好まれるが、札幌以外の北海道出身者としては、特に贔屓する理由もなかったりする。やはり餃子店同士が味を競い合っている土地の方が味が良くなるのだろう。

遠回りが生む旅の味わい

今回のルートは、いわゆる最短や最速とは違う遠回りだったが、移動そのものに意味を持たせるという点では十分に価値があった。

新津から会津若松にかけての車窓、駅前に広がる生活感、そして郡山という中継都市の曖昧な立ち位置まで含めて、一本の線として繋がっている実感がある。

特に、磐越西線は単なるローカル線ではなく、「観光」と「生活」の中間にある路線として機能していることが分かる。派手さはないが、SL運行や会津エリアへの導線として、一定の役割を維持し続けているのは興味深い点だ。

また、終盤に立ち寄った宇都宮市では、餃子の勢力図が大きく崩れたわけではないものの、宇味家のような中堅どころが自然に選択肢として入り込んでくるあたりに、街全体の層の厚みを感じた。かつての「みんみんか正嗣か」という単純な構図から、もう少し広がりを持った選び方ができる段階に入っている。

移動距離だけ見れば非効率だが、こうした変化や空気感は最短ルートでは見えてこない。時間をかけて迂回することで、断片的だった記憶やイメージが少しずつ更新されていく。その積み重ねこそが、このルートを選ぶ理由としては十分だったように思う。

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【千葉・房総半島】太海駅に降りて辿る『ねじ式』の風景への旅

太海駅前の壁画は「考えるな、感じろ」という無言のメッセージを突き付ける

1968年に発表された『ねじ式』は、つげ義春による代表作のひとつであり、日本の漫画表現の枠組みを大きく揺さぶった作品として位置づけられている。

夢と現実の境界が曖昧なまま進行する断片的な構造と、その不条理性は現在に至るまで強い印象を残し続けている。

そして、1998年には『網走番外地』で有名な石井輝男によって映画化され、主演を務めた浅野忠信の存在感とともに、原作の空気が映像として再構築された。

その舞台のイメージとして語られることの多い千葉県の太海という土地は、作品の感覚とどのように接続しているのか。本記事では、『ねじ式』という作品と映画版の表現、そして太海という場所の関係性を整理しながら、実際に歩くことで見えた体験を綴っていく。

新宿から乗り継いで約4時間の旅路

近代的な無人駅にリニューアルされた太海駅

東京都心部から見て、太海は房総半島の一番遠い側にある。普通列車を乗り継ぐと新宿からだと約4時間の旅路だ。青春18きっぷや北東パスの日帰り旅行としても、十分に元が取れる運賃だ。

太海駅に降りた時点で、すでに日常の連続から少し外れた感覚が生まれる。ホームは簡素で、人の気配も多くはない。

無人駅で明確な改札はない。駅舎は近年リニューアルされたらしく、地方の寂れた無人駅というよりも、近代アートを思わせる未来的な造形のものとなっている。

駅前を抜けても大きな観光名所を目に入らず、視界に入るのは海へと続く狭い路地と空気の流れ。斜面に貼り付くように並ぶ家々だけである。ここでは目的地を指し示す強い導線はなく、自分の感覚で進むことになる。

駅前から海へ向かう道は離島を思わせる

東京と陸続きだが、太海という世界観を感じる路地

ここは完全に東京と陸続きの場所ではあるが、これまで旅したことがある沖縄の離島、もしくは長崎の坂の街を思わせるような景色だ。

道を進むと、緩やかに海の気配が濃くなる。舗装された道でありながら、観光地的な整備の均一さは感じられず、生活道路としての質感がそのまま残っているのが印象的だった。

視界の抜ける方向に歩くだけで海へ出られる構造は単純だが、その途中で見える家屋や小さな空き地が妙に断片的な印象を残す。『ねじ式』のように、場面が連続しているのに意味がつながらない感覚がここで立ち上がる。

海岸に出たときの視界

海岸に出ると、風景は一気に単純化される。

水平線と波、そして岩場だけが視界を占め、余計な情報が削ぎ落とされる。

この単純は現実感を薄める。作品の具体的なシーンをなぞるわけではないが、記憶の中のイメージと目の前の風景が曖昧に重なり、どちらが先に存在していたのか判別がつかなくなる。

路地から機関車が飛び出す“あの場所”

海岸から少し離れ、集落の中へ入り込んだ先に、その場所はある。

『ねじ式』の中でも強い印象を残す、民家から機関車が飛び出すという場面を想起させる地点だが、現地には朽ちかけた小さな案内板が貼り付けられており、風雨に晒されて色褪せたその姿だけが、かろうじてここが何かと結びついていることを示していた。

周囲はごく普通の民家で、特別な構造があるわけでもない。その平凡さが、かえって異様なイメージを際立たせる。現実の空間としては何も起きていないはずなのに、視界のどこからでも機関車が飛び出してきそうな錯覚が生まれる。

看板が取り外される直前に撮影された奇跡の1枚

さらに奇妙だったのは、この案内板を写真に収めてからおよそ30分後、改修業者が現れてそれを取り外していたという出来事である。

偶然としか言いようがないが、その瞬間に立ち会ったことで、この場所の不確かさは一層強まった。記録しようとした対象が直後に消えるという体験は、『ねじ式』の持つ掴みどころのなさと重なり、現実の出来事でありながら、どこか作品の延長に引き込まれたような感覚を残した。

仁右衛門島という伝承と実在が重なる島

太海の沖合に浮かぶ仁右衛門島は、伝承を内包した場所である。

現地の案内板によれば、この島は千葉県指定の名勝であり、およそ三万平方メートルほどの規模を持つ。古くから一戸の所有者が住み続けてきたという特異な成り立ちが「仁右衛門島」という名称の由来になっている。

また、源頼朝や日蓮聖人にまつわる伝説が残され、松尾芭蕉などの句碑や歌碑も存在するなど、歴史と文化の層が折り重なっている。島へ渡るには渡し船を利用することになり、太海側の船着場から短時間で到着する距離にあるものの、天候や海況によって運航が左右されるため事前確認が必要になる。

『ねじ式』のように現実と非現実が混ざり合う感覚は、この島の場合、海に隔てられた物理的距離と、渡船という行為、そして長い歴史の層が重なり合うことで、仁右衛門島は現実の中にありながら別の領域に触れているような感覚を生む場所となっている。

干物屋と民宿に滲む現実の輪郭

駅へ戻る道すがら、通りに並ぶ干物屋などの海産物屋の存在が視界に入り続ける。強い潮の匂いとともに、この土地が確かに生活の場であることを突きつけてくる。

海沿いに連なる民宿の外観は、『ねじ式』に登場する例の民宿を嫌でも連想させる。現実でありながら、どこか現実から外れた空間の連なりとも思える。視界は現実に引き戻されながらも、どこか解釈の余地を残したまま固定されない。

太海という場所で体験したものは、特定の名所ではなく、こうした断片の重なりによって形作られている。ここで見た風景は現実の記憶として残るはずなのに、どこか作品の一場面のようにも感じられ、その境界は最後まで曖昧なまま保たれていた。

太海駅に戻っても、到着時の感覚には戻らない。むしろ、短い滞在の中で風景の輪郭が曖昧になり、記憶の中で再構成され始めている。ここを起点に歩いたはずなのに、起点そのものの位置づけが揺らいでいる。

『ねじ式』という作品の説明不能な感覚は、この駅を起点にした往復の中で、現実の体験として静かに固定されていた。

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新潟で有名すぎる神パック酒「白鳥蔵」の酒蔵見学と瓢湖と憧れの福島潟を巡る旅

若干じゃまな気がする新津駅のオコジロウ&オコミのオブジェ

この新潟駅から始まる日帰りの旅は、計画的に組み立てたものではなかった。

読み方も知らないまま向かった「瓢湖」という湖。同じく「水原」という読み方がわからない最寄り駅。そして、水原駅で目に入った越後桜の酒蔵見学へと誘う看板。

さらに、瓢湖で繰り返し耳にした「福島潟」という言葉が、次の行き先を自然に決めていった。

読み方も知らない瓢湖へと向かう

読めるけど書けない漢字というのは沢山あるが、今回は読むことすらできない瓢湖へと向かう。

瓢湖は冬になると大量の白鳥がやってきて、エサやりの名物おじさんの写真を新潟では見かけることが多い。世界で初めて野生の白鳥の餌付けに成功したのが、そのおじさんなのだという。

瓢湖に行ってみたいと思ったのは、ただそれだけの理由だった。だが、季節は桜がほぼ咲き終わった少し暑い4月下旬。名物の大量の白鳥たちはいるのだろうか・・・。

最寄り駅は水原という駅

水原は「すいばら」と読むらしい。だが、受験生が英単語を覚える時のように、3回ほど口に出してもすんなりとは読み方が覚えられなかった。

羽越本線の駅である。新潟駅からはそんなに遠くはないが、信越本線の長岡方面行きの列車に乗って、新津駅で乗り換える。正直、少し面倒くさい。しかも、羽越本線の新津~新発田の列車は1~2時間の一本くらいと少なく、新津で時間調整をした。新津は鉄道の街であり鉄道博物館という施設もあるが、駅からはだいぶ遠く、そこ行くまでの時間と気力はなかった。

新潟駅から新津で乗り換えるルートは、決して複雑ではないのに、少し不便に感じる。だが、実際に水原駅に着いてみると、そのひと手間が逆に旅らしさを強くしていた。

白鳥ではなく「白鳥蔵」へと吸い寄せられた


水原駅で改札を出てすぐだった。越後桜酒造の見学を案内する看板が目に入った。

越後桜酒造は「白鳥蔵」という、新潟では誰もが知るレベルで有名な神(紙)パック酒のメーカーである。

スーパーで普通に100円弱で売られている本格的な新潟酒なので、新潟に来たら毎日買うレベルで頻繁に買って飲んでいた。その紙パック酒を造る酒造所が駅から徒歩15分のところにあるらしい。これは行くしかない。

俺は湖の白鳥を見に来たはずだが、特に意識していたわけでもないのに、なぜか「白鳥蔵」の方に自然と引き寄せられていった。

図々しくも全種類を試飲だけしてきた

白鳥がいるという瓢湖とは反対側に、踏切を渡って徒歩15分くらいの所に酒造所があった。建物は機能性を重視したシンプルな造り。観光地的な酒造所と違って、大型観光バスが寄ることもなく、見学者は自分一人だった。

見慣れた顔ぶれの白鳥蔵3姉妹たち

建物に入ると係の人が1人だけいた。

見学は事前予約が必要で不可だったが、試飲ができるという。せっかくだから試飲させて貰うことにした。

左から右に向かって高級品になるそうで、左から順番に飲むように勧められた。財布と鞄に余裕がないので買うつもりは全くないが、飲みなれた紙パックの白鳥蔵と共通した風味が確かにある。

そんでもって、ここに並ぶのは地球上でここでしか買えない門外不出の酒たちであるらしい。マンツーマンなのでわかったようなわからないような一言コメントをしつつ、試飲だけさせて貰ったが、旭川の男山のように国内展開よりも海外展開に力を入れているように思えるメーカーもある一方、県内限定や酒造所限定とするメーカーがあったりと、メーカーによって様々なものだ。

なにげに湖のことを聞くと瓢湖(ひょうこ)と読むらしく、そもそも紙パックの酒にも「水原瓢湖」と書いてあることに今さら気づいた。

時期的に今はカモの季節で、白鳥はほとんどいないというようなことを聞き、ほろ酔い気分で越後酒造を後にした。

本来の白鳥を見に瓢湖へと向かう

ほろ酔い気分で駅に戻り、瓢湖に向かって歩いた。

水原は今さらだけど「すいばら」と読むのだが、ここ阿賀野市の街並みは、日本海側によくあるような街と同じような景色だった。派手さはなくて、雪景色が似合うような、どこかしんみりした街並みである。

瓢湖の向かい側にある土産物屋っぽい施設

水原駅から瓢湖はそれなりに歩く距離で、のんびり30分くらいは歩いた気がする。

瓢湖は東京23区が全部収まりそうな北海道の網走湖やサロマ湖、屈斜路湖、阿寒湖などのイメージからすると、だいぶ小さな湖である。のんびり歩いて20分くらいで一周できるようなタイプの湖で、よくある住宅街の公園にある湖というイメージに近い。

前評判の通り、2羽ほど目に入るが白鳥はほとんどいなくて、カモにエサやりしている人がいて、今の時期はカモが主役のようだった。

瓢湖の近くには土産物屋のような施設はあるが、飲食物は渋い感じなので、酒やツマミを求めるには付近のマツモトキヨシが使える。

阿寒湖などに比べるとかなり小さな瓢湖を一周すると、シベリアに帰るタイミングを失った白鳥たちが集まる一角があった。全部で10羽ほどだろうか。

近くで見ると、やっぱり白鳥は可愛い。

後で調べると無料の白鳥資料館である白鳥の里という施設が園内にあるらしくて、行かなかったからそんなもんあったかな~と残念に思ったところ、もっと調べると財政難等で閉鎖していたらしい。

瓢湖は冬に来ると、本当に白鳥に埋め尽くされるくらいらしいから、わざわざ来るんだった冬なのかもしれない。

瓢湖で頻繁に耳にした福島潟に向かう

瓢湖を散策していると、目当てだった白鳥よりも「福島潟」という言葉がやけに耳に残った。行き交う人の会話の中で何度も出てくる「福島潟」という名前が耳に残る。

新潟自体が「潟」だし、潟に何かしら関わる人間なら、福島潟は押さえておくのがマストということだろう。

ちなみに、潟とは英語で言うところのラグーン(笑)だ。

元は海だった場所が砂などの陸地で遮られた場所のことで、世界中に沢山存在していて、新潟における代表的なラグーンが鳥屋野潟であり、福島潟である。

俺の感覚からすると釧路湿原もラグーンのような気がするが、釧路湿原は湿地であってラグーンではないとされているようだ。

その明確な違いとして、これも俺の感覚的なものだが、ラグーンは水深が浅くて周囲の地面が固まっているものの、釧路湿原は地面があるように思えても、すっぽり地面が抜け落ちて2mくらい水没することがあるから、不用意に周囲を歩けないというのがある。

羽越本線の月岡駅から福島潟へ向かう

羽越本線を走る2両編成のキハ110系気動車

瓢湖から福島潟へ向かうには、車社会の新潟では一般的に車で向かうだけだと思うが、鉄道の場合はいったん水原駅に戻って、1~2時間に一本程度の羽越本線で2つ先の月岡駅で降りる。

そうすると、福島潟の南東からアプローチして福島潟を堪能し、帰りは本数が多いような気がする白新線に乗車して、豊栄駅から新潟駅に快適に戻ることができるという、パーフェクトプランな旅ができる。

そして月岡駅に到着。電車も走る路線だから電化はされているものの、感覚的には北海道の田舎の方を旅しているイメージがデジャヴ(?)する。少し厚岸とか根室との花咲線とかの感じ。雪がある季節だったら、ほぼ北海道ではないだろうか。あと、月岡ってくらいだから、月が綺麗なんじゃないだろうか。

30分か1時間くらい歩けば憧れの福島潟に着くイメージだけど、周囲はとんでもない田舎の風景で、歩いて来たらマズイ場所のような気もするものの、実際には駅や街からそんなに遠いわけではない。普通の人は車でしか行かない場所に歩いて行くというだけの話だ。

福島潟というワードは夢に出るほど何度も聞いた

しばらくすると、憧れの福島潟が見えてきた。

瓢湖は水原駅にあった説明版によると、寛永年間、つまり1624年から1644年に作られた用水池で合ったのに対して、福島潟は自然が作り出した本物の自然。こっちの方が断然、自然の風景なのである。

拠点となる施設もあって、鳥屋野潟の中心市街地から見て反対側にある空間にちょっと似ている。土日は普通に観光客の家族連れが多くて、新参者の地ビール施設とか、宿泊施設とかもある。マニアには溜まらない潟カードも配布している。

特筆すべきは1泊200円弱のキャンプ場もあるということ。実際に少し寒い季節だが、キャンパーも何組かいた。

ただ、普通は車前提の地域だから、周りにスーパーやコンビニがなく、日帰り入浴施設やシャワーがあるのかは不明。トイレは24時間使えるらしいが、徒歩でここに来るのと北海道にキャンプに行くなら北海道の方が上かな。

帰りは予定通り、今度は豊栄(とよさか)という、このあたりの中心になるような駅から新潟駅に戻って、この日帰り旅行の話は終わり。

ちなみに、このあたりの地域は新潟市北区で実は新潟市内。瓢湖は阿賀野市という別の自治体になる。新潟市はとんでもなく広いなとびっくりしたが、新潟市は約726km²なのに対して、北見市は約1,427km²の方が2倍くらい広かった。そりゃ、広すぎて財政破綻寸前になるわな。