Sixth Stage 沖縄やんばる Special Touring Style

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5日目 ここは天国? 私は死んだ? 伊江島旅行記

午前1時。ネットカフェにもホテルにも行く気がせず、名護の海岸で休んだ。人間の心には嵐がある。気持ちが高まってしまい、やはり本部港の近くまで進むことにした。朝一番の船で伊江島に行く。

夜間だし、昨日の疲れが回復しているわけがないので、ゆっくり慎重に進む。6年位前にも、この場所を夜間、自転車で走ったことがある。星がとても綺麗なことが印象に残っていて、死ぬまでにあと1度はあの星空をまた見たいと思っていた。

いい機会だ。街から少し離れたところの海岸に自転車を停めた。夜釣りのおじさんが遠くにいる。私は堤防の冷たいコンクリートに仰向けで寝転がってみた。星が綺麗だ。コンタクトからメガネに変えているので、あまりはっきりとは見えないが、アホなくらいの数え切れないほどの星が見える。

流れ星に願いごとをすると願いが叶うと言うが、5秒に1回は流れ星が見えるこの場所では、願いごとをするタイミングをとるのが難しいだろう。

沖縄といっても10月下旬ともなると、風が吹いたりすると夜はそこそこ寒い。

せっかくテントやシュラフを持ってきているし、まぁテントを建てるまでするのは面倒だけど、とりあえずシュラフを広げて星を見ながら眠ってみた。天然のプラネタリウムだ。一種のゲリラキャンプだな。なんて素敵な夜空だろう。

しばらく星を眺めていたが、いつのまにか眠りに落ちていった。

顔にピチピチなにかが降って来る。雨だ! これは緊急事態だ!

30年以上、ほとんど毎日眠っているが、雨が顔に当たって目が覚めるという経験は初めてだった。シュラフがびしょびしょになると、今後の行程に支障を来たす。抜き差しならない状況に陥るだろう。眠たいが、一生懸命頑張ってシュラフ等を片付ける。

なんとか雨対策が完了すると、ちょうど雨が止んだ。少しは眠れた気がする。時刻は午前4時。釣りのおじさんも帰るっぽいので、私も本部港に向けて出発することにした。まだ日の出は少し遠い。

名護方面から本部港への道は、街灯があったりなかったりで、夜間だと真っ暗で結構心細い。以前来た時と道が変わっているように思えて不安になったりもする。

途中、右足のかかと付近に激痛を感じる。調べると、イオンで買った1980円のスニーカーがおかしなことになっている。このスニーカーは、変な硬いプラスチックの型みたいなものが内部に入っていて、それが変形して踵に突き刺さっているのだ。なんだこのクソスニーカーは!

自転車修理用に持ち歩いていたラジオペンチで、プラスチックを取り除こうとする。かなりしっかりした作りで簡単には取り除けない。しかし、痛くて痛くてとても履けないので、両足分とも頑張って取り除いだ。クソスニーカーにもほどがある。東京靴流通センターの980円のスニーカーの方が100倍マシだ。

クソスニーカーの改良に苦戦してた時、脱いだ軍手が両方とも強風でどこかに飛ばされた。軍手がないと走りにくいので、ぜひとも発見したいと思い、自転車用の小さなライトを使って真っ暗な海岸を探した。軍手は柵を乗り超えたコンクリートの斜面に転がっていた。最悪、海に落ちる可能性があって、ちょっと危ないけど、一かバチか、柵を乗り越えて拾った。

クソスニーカーと軍手探しに時間を費やしたおかげで、本部港の周辺についたころには午前7時近くになっていた。なにか食べ物を買いたいと思ったが、見た感じ付近にはローソンしかない。ローソンに入ってみたが、食べたいと思うものが見つからず。

このあたりではガチの自転車旅の人を3人くらい見かけた。1.5Lのペットボトルを自転車に2本装着していて、羨ましいと思った。伊江島行きのフェリーには乗っていなかったので、鹿児島や大阪など本土方面に帰る人達だろう。

北海道で見かける自転車旅の人に比べると、沖縄はガチな人が多い。たぶん、まず北海道一周というカテゴリーがあって、その次に日本一周というカテゴリーがある。沖縄は日本一周コースに組み込まれている。北海道から、本州、四国、九州と日本各地を旅してきて、最後に辿り着く場所が沖縄なのだ。

大変な道のりだから、途中で脱落する人も沢山いる。沖縄まで辿りつけるのは限られた人間だけだ。沖縄には濃厚な雰囲気を漂わせているサイクリストが多い。

8時まで待てばイオン系列のBigというスーパーが開くが、船の出港まで時間がなくて忙しなくなってしまう。Bigの先に何か店がないかなと思うと、またローソンがあった。ローソンに行っても食べたいものがないので途方に暮れてもう少しだけ走ると、作業服を来た人達が群がっている弁当屋があった。

この『ふくふく弁当』の弁当は今回の沖縄旅で食べたものの中で1番旨かった。沖縄といえば安くてボリュームのある定食屋のことは観光客にも良く知られているが、弁当屋も負けてはいない。ほっともっとなど足元にも及ばないくらい、沖縄には旨くて安い弁当屋が溢れかえっている。

船の出港が近づき乗船する。佐渡のフェリーと同じで、特に乗船名簿などは必要ないが、自転車を預ける場合だけ名前を書いたりする。

このフェリーが島に渡る唯一の方法なので、工事の車とか、牛乳の車とか、宅配便の荷物とかも全部乗り込む。

フェリーにどんな人達が乗っているかというと、話には聞いていたが、遠足の小学生が凄まじく多くて賑やかだ。伊江島は本島から日帰りできるし、戦争遺産などがあるので遠足や修学旅行の子供に人気がある。

しっかし、沖縄の子供はマナーがないな。公共交通機関を利用することが滅多にないからだろうが、私がデッキの角で物思いにふけて景色を見ていると、あたり構わずぶつかってきたり、接触して来たりする。昨日のクソセミ共を彷彿とさせるほどウザったい。遠足や修学旅行は教育の一環なのだから、公共交通でのマナーくらい教えないとアカンでしょ、クソ教師は。

そもそも、教師も一緒になって騒いでいるし、フリーダムと言えば聞こえはいいが、根本的に沖縄の大人は子供に注意というものをしない。タバコを吸っていようが、女の子が立小便をしていようが、沖縄の大人は子供に注意というものをしないのだ。

そんな子供らと一緒に、船は伊江島へ向けて出航した。

伊江島は人口4千人程度の島で、全体的に平坦だが、中心部には城山(ぐすくやま、と読む。なぜか変換できない)という特徴的な山が聳え立っている。

城山には色々な別称がある。パンフレットや案内板には『城山(タッチュー)』と書かれていることが多いが、他にも『鍋の蓋』『オ○パイ』『チン○コ山』などがある。以下、紛らわしいので、便宜上、チン○コ山と記載させて貰うが、同じものを指している。

チン○コ山は美ら海水族館(なぜか変換できない)のあたりからよく見えるので、美ら海水族館に行ったことのある人なら、名前を知らずともチン○コ山を見た経験はきっとあるはずだ。

伊江島行きの村営フェリーは上等な船で、30分の乗船時間にも関わらず、売店やテレビ等のエンターテインメントがある。

少しすると、チン○コ山がだんだん間近に迫ってくる。

伊江島に上陸。伊江島の港には観光案内所があり、地図の付いたパンフレットを貰う。案内所の小柄な男性に「自転車で来たが、滅多に来れない場所だから丹念に見て回るつもりでいる。2~3日滞在する用意があるが、どのくらいの日数が必要か?」と尋ねると意外な答えが。

「2~3時間もあれば十分ですよ」

なぬを! 72時間程度を見積もっていたので、正直、そう返って来るとは思わなかった。

パンフレットを貰い損ねても、こういった観光地図の看板がそこらじゅうにある。

こりゃ何か裏がありそうだ、と思えるくらいに観光客に親切な島だ。『いめんしょり』は伊江島の方言で『めんそーれ(ようこそ)』という意味。こんな小さな島にも独自の言葉があったりと、沖縄には多様な文化がある。沖縄の37倍もの面積がある我が北海道は、多様な文化などないし、方言は『なまら(とても)』以外はほとんど廃れてしまった。

とりあえず、キャンプ場を偵察しに行く。この島にある青少年旅行村という施設は、Wikipediaによれば『青少年の健全な旅行の推進をはかり、あわせて過疎地域の振興に資する観光レクリエーション施設。 旧運輸省の補助制度により、昭和45年度から50年度にかけて全国80ヶ所で各市町村によって整備された。』そうだ。

なるほど。それで沖縄の離島のいくつかにはこの青少年旅行村というものがあるのだろう。

伊江島の旅行村は港から2キロのところにあった。ちょうど島の南東部なので、よほどの地理オンチでない限り、迷わないはずだ。

午前10時前だし受付して貰えるかな? と思ったが、きちんと受付の人がいて、施設の説明などをして貰う。清掃なんとか料が100円と、1泊あたり300円、2泊分で計700円を払う。広いキャンプ場にはツーリング用のテントが2つ張られていた。

沖縄に旅立って5日目、やっとテントを張れた。ここはビーチもあって、島一番のロケーションだろう。ビーチには売店があったりシャワールームがあったりして、とっても上等だ。ここは天国か。

眠りたかったが、シャワーを浴びてテントでお菓子を食べてから、島の散策に出かけようと思った。

しかし、沖縄ではテントの中でお菓子を食べてはいけないことを知る。お菓子のカスに反応して、テントの中はたちまちアリだらけになってしまった。

このアリは本土のアリより小さいし、特に攻撃してきたりはしないが、数が多いのでうざったいし、一旦テントに入り込むと排除するのに苦労する。このままではチクチクして眠れないので、シュラフを外で叩いたりして、できる限りアリを排除した。

お菓子で栄養補給した後、自転車で出かけた。

この島に訪れる修学旅行生などは自転車を借りることが多い。自転車島と言っても良いだろう。サイクリストが乗ったロードバイクやクロスバイクなら1時間程度、一般のママチャリでも2~3時間で島を一周できる。厳密には北西部は米軍施設で立ち入りできないので、海岸線をずっと走ることはできないが、農家の軽トラックくらいしか車が走っていないので、比較的、自転車にとって走りやすい。

島を一周し、食料を調達する。港の近くにファミリーマートとcoco!、全日食チェーンのスーパーがあった。これはありがたい。スーパーは惣菜はなぜかなかったが、酒やお菓子を買った。惣菜類はcoco!で調達した。

キャンプ場に戻り、炊事場で洗濯をしていると、宿泊客と思われるロンゲにサングラスのお兄さんに『こんにちは』と挨拶される。色々と旅の情報交換でもしようかと思ったが、いま人と話すと絶対に愚痴っぽくなってしまいそうだったし、疲れていたし、早く酒を飲みたかったので、挨拶だけしかしなかった。

テントの近くに戻り、上等な東屋のようなところで宴会を開催。

ここは島一番のビーチがあるので、修学旅行の高校生とかがよくキャンプ場近くの通路を通る。この日は長野県の高校生らが島に滞在しているようだった。

女子高生が通るたび、伊江島の白い砂浜と青い海を見て『ヤバイ!』『ヤバイ!』『ヤバイ!』と言っていた。今時の女子高生は感性が乏しいのか語彙が少ないのかわからないが、なにを見ても絶対に『ヤバイ!』しか言わない。

綺麗! 美しい! 素敵! ビューティフル! どうしてそういう言葉ではなくて『ヤバイ!』としか言えないのか。ここに滞在中、100人の女子高生が通ったが、揃いも揃って100人全員が『ヤバイ!』と言っていた。この万能調味料みたいな言葉、日本の原子力関係の偉い人が言う『想定外』と似た匂いがするけれど。

今日はとにかく眠って、島の本格的な散策は明日しようと思った。

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6日目 伊江島観光、チン○コ山に登る

穏やかな波のせせらぎを感じ、静かに眠りから覚める。

今日は伊江島の観光名所を回る。早起きして洗面を済まし、軽装でキャンプ場を出発した。

まずは島の代名詞とも言えるチン○コ山の山頂を目指す。島の中心部分にあり、島のどこにいてもチン○コ山が見えるので、適当に走っていても辿り着ける。登山口が何箇所かあり、キャンプ場から一番近いところから登った。自転車を入り口付近に停めて、土産物屋を無視して山頂を目指す。

入り口には昨日の長野県の高校生らが何人かいた。伊江島は民泊と言って、一般の民家を宿代わりとして観光客らを受け入れているらしい。ホテルや民宿が少ないのと、観光客誘致の戦略だろう。一つの家あたり3~4人くらいを泊めているようで、宿だけではなく、家のワゴン車で観光案内までしているようだ。宿代+タクシー代+観光ガイド料で、結構な収入になるのだろう。

ちなみに、出来心で民泊の料金を後で調べたら、一泊あたり税別9,500円だった。東京都心のシティホテル並みだな。女子高生4人泊めて1晩で4万円か・・・。こりゃ、なかなかの商売だ。

家族や人との繋がりが希薄な世の中のせいか、その家の人達を第2の家族みたいに思い込んでしまって、卒業してからも毎年のように民泊しに来るような人もいるらしい。

おめでたい!

やぁ、なんつーか、本物の家族の方をさ、もっともっと大事にした方がいいと思うぞ? たった2泊泊まったくらいで別れ際に涙してるようじゃ、本物の家族の立場がないぞ~、と。

さてさてと、民泊の家の人に連れられて登山をしている女子高生らを抜いて、山頂を目指す。登山道は階段状になっていて、結構きついところもあるが、10~15分くらいで山頂に辿りついた。

チン○コ山の山頂には男子高校生のグループがいた。案の定、スマホを渡されて写真撮影を頼まれる。「沖縄では色々な所に行ったけど、伊江島こそ最高の思い出です」というようなことを言っていた。内地の子供は沖縄の子供と違って礼儀正しく、撮影後に全員から「ありがとうございます!」とお礼を言われた。まだ内地も捨てたものじゃないな。

山頂から降りようとすると、入り口付近で追い抜いた女子高生らが登ってきた。「ヤバーイ! きっつーい! もうだめー! 無理ー!」「297、298、299・・・」などと言っていた。チン○コ山には階段が300くらいあるらしい。

山を降りた後は再び港の方に行き、時計回りで見て回る。

しかし、どこに行っても必ず民泊の車に連れられて来た人達がいて、なんとなく分が悪い。「民泊じゃないお前はいったいどこに寝泊りしているのだ?」と思われている気がした。

民泊の人達をできる限り刺激しないように、観光地を見て回る。持ち上げると子宝がどうのこうのという石がある洞窟、崖になっていて日本海の荒波みたいな所、花は咲いていないが時期によっては花畑になる場所、ビニールハウスのハイビスカス園などを見て回った。

ハイビスカス園は無人だったが、受付票みたいなのがあり、年齢や性別、どこから来たか、どこに泊まっているか、などのスペックを書く。そこを見ると、圧倒的に県外から来た民泊泊まりの高校生が多かった。

伊江島で個人的に一番好きだったのは、このミンカザント。雨水を貯めて使う。水不足に陥りがちな島の生活の知恵なのだ。

沖縄本島と違って、伊江島の観光地は無料の所がほとんどだ。本島だったら入場料がかかりそうな所も伊江島では無料だった。本島からアクセスするフェリーが村営だから、伊江島に観光客を呼び寄せただけでも村としては儲かっているからだろう。

観光地を巡る以外にやることがないこの島では、有料にしても施設を観光したい人は沢山いるだろう。だけどあえて無料なのは良心的だ。伊江島の偉い人は人道的な選択をしていると思う。

『伊江島には核模擬爆弾の演習基地がある』

それは伊江島の戦後の歴史のせいだ。伊江島の人達は戦後、アメリカに理不尽に土地を没収されて生活できないような状況に陥った。しかし、本島の行政に相談してもロクに力になってくれなかったという。だから、今でも本島のセコイ観光行政のやり方には従わないのだろう。伊江島は今でも島の面積の35%は米軍施設である。

民泊の観光タクシーを利用している人以外にも、この島ではママチャリに乗った観光客集団が多い。長野の人達かわからないが、この日も高校生か大学生くらいの人達がママチャリで自転車イベントのごとく集団走行しているのを見かけた。キャンプ場近くの民宿に「神奈川○○大学めんそ~れ」みたいな表示があったので、神奈川の大学生だろうか。沖縄本島ではママチャリの集団を見ることはないので、内地みたいな光景だった。

午後2時頃、島のほとんどの観光地を見たので、港近くへ買出しに行く。

昨日は気づかなかったが、なんと伊江島には上等なAコープがあるではないか。全日食のスーパーは『酒激安!』みたいな文言がでかでかと壁に書かれていたので、島で一番安いと思って泡盛の小ビンを買ってしまったが、泡盛もAコープの方が安かった。

惣菜も充実しているし、およそ食べたいものが何でも揃っている。

これで日帰り温泉とACコンセントがあれば、伊江島に住んでもいいと思った。そう、あのキャンプ場はアリが多いのを我慢すれば上等そのものだが、ACコンセントだけはどこにもなかった。売店に頭を下げてお願いすれば、デジカメの充電くらいさせて貰えるかもしれないが、キャンプ場に長期滞在するにはACコンセントをどうにかしないとやりにくい。

キャンプ場に戻り、他にやることがないので、少し早いが今日も東屋で宴会をする。

昨日挨拶したロンゲのお兄さんを乗馬体験コーナーで見かけたが、すでにテントを撤収していた。もう一つのテントのロンゲお兄さんのお友達も、今日はもういなかった。

代わりにアメリカ人家族のでかいテントが1つ張られていた。今日のメンツは、このアメリカ人家族と私だけだ。アメリカ人家族は炊事場にスーツケースやクーラーボックス、ベビーカーを一晩中置いたままで、やりたい放題だった。

この島は居心地がいい。このまま本島に戻らず、帰りの飛行機までの数日間をここで過ごしてもいいと思った。静かで、快適で、傷付けるものは誰もいない。だが、そんな人生に何の意味がある・・・?

何時間も自問自答したが、明日の朝、本島に戻ることにした。

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7日目 乙羽岳、場末のキャンプ場! 涙の帰還

伊江島のキャンプ場を出る日の朝、テントを片付けて荷造りすると、自転車が酷いことになっていた。

自転車があのクソアリ共でぎっしりだ! 自転車に食べ物はないはずだが、積載してる衣類とかの匂いに反応するのか、自転車がアリだらけになっていた。

どうやってクソアリ共を排除しようかと思った。そういう殺虫剤みたいのは持っていないので、残酷だけどライターの火で炙り殺すのがてっとり早い。船は朝8時きっかりに出るので、あまり時間はない。ライターの火を近づけると、アリは自転車からポロポロと落ちていった。

港に行って船に乗り込む。デッキは小学生どもが沢山いたが、帰りは船室で過ごした。もうとっくに海なんて見飽きていたので、海なんて見たくもない。それは何も私だけではない。デッキで海を見ているのは伊江島に初めて来た観光客くらいなものだ。伊江島の住民やビジネスで行き来しているような人達の大半は船内で過ごしているようだった。

最新型の東海道新幹線みたいに、船室の壁際にはノートPC用のコンセントがあったので、軽くスマホやデジカメの充電をする。

前面にはデカいテレビがあり、フジテレビの朝の情報番組が流されていた。テレビの近くの席が人気ある。この便は県外の観光客よりも、沖縄県内の人がほとんどのように思えた。沖縄の人間なのか県外の観光客なのかは、顔つきと肌の色、髪型、体格と服装と持ち物で簡単に見分けられる。間違うことはない。

テレビでは仮装したアナウンサーが東京お台場で行われるハロウィンイベントの紹介をしていた。限りなくどうでもいい・・・。

不思議なのは、東京から1,500キロも離れたこんな田舎でも、東京のイベントを紹介したテレビ番組を面白がって見ている人達が結構いるということだ。沖縄の女子高生がテレビに映る生放送の女性アナウンサーとジャンケン大会をしている。

私は東京から1,000キロ離れた北海道の田舎で育ったからわかるが、こうした『東京』『東京』『東京』『東京』『たまに大阪』『東京』というようなテレビ放送によって、頭の中が東京だらけに洗脳されていく。大人になった頃には、東京が夢の王国みたいなイメージにまで膨れ上がっていて、日本全国、すっかり洗脳人間の出来上がり。実は、テレビというのは日本の隅々にまで東京を宣伝するために存在するメディアなのだ。恐ろしい。

本部港に到着。これからどうしようかと思ったが、とりあえず『ふくふく弁当』で弁当を買って食べる。

猫を見ながら食事。猫は快適な場所を見つける名人だが、ベスポジにもほどがある。弁当を食べ終わり、近くにある瀬底島の散策に向かうことにした。島までは橋で繋がっている。

沖縄のキャンプ場調査をしている時に知ったが、かつて瀬底島には上等なキャンプ場があったらしい。瀬底ビーチだ。今は残念ながら閉鎖されているらしいが・・・。

橋を渡ってそのまま道なりに進んでいくと、営業終了した瀬底ビーチがあった。ビーチ近くには、建設途中で放置された大きな建物があった。かつて、東京の会社がここにリゾートホテルを建設していたが、従業員の採用までしたものの会社が倒産。建物は骨組み剥き出しで何年も放置プレイされている。

建設中のビルが放置プレイされているのは、何も北朝鮮だけではない。日本の、それも東京の会社が沖縄で同じことをやっているのだ。こんな立派な建物を放置プレイするのは勿体ない。せめて、とりあえずどっかの金持ちとかがある程度まで完成させて、公共施設とかに転用したりとかすればいいのだが。

瀬底島というか、母国・日本の現実を目の当たりにして、暗い気持ちで本島へと戻る。

事前調査によれば、本部半島北部の今帰仁村に1泊500円のキャンプ場がある。どうにもならなくなった時に保険というか、最後の砦にしようと思っていたが、7日目にしてお世話になる状況に陥るとは、出発する時には思いもしなかった。

そのキャンプ場は乙羽岳森林公園というところにある。乙羽岳は『おとはだけ』と読むが、地元では『おっぱだけ』と読むことが多い。しかし、どちらもWindows7の標準IMEでは変換できない。地図に載っているような日本の地名はIMEで変換できて当たり前と思っていたが、沖縄の地名は変換できないことが多い。

とりあえず、キャンプ場は置いておいて、今帰仁村方面にサイクリングする。今帰仁は美人が多いところとされているので『なきじん、美人多し わき見注意!』という警察が立てた看板があった。今帰仁に限らないけど、この種の『○○(地名)+美人多し』という看板は、沖縄では色々な所にある。珍しい看板ではない。

ここで少し解説。どういう女性を美人と思うかは、基本的にその人の主観によるが、今までの人生で合計180日間くらい沖縄で過ごした経験によれば、沖縄の女性は次の3タイプに分かれるように思う。

1、ギャル系
芸能人で言えば安室奈○恵さんのような外見。小顔で色黒、茶髪や金髪でタトゥーにピアスでヤンキー、派手な格好。ドレスアップした軽自動車に乗っていて、20代前半でも子供が2人くらいいる。沖縄女性の3割くらい。

2、琉球美人系
比較的色白で体格が良く、性格は元気で明るくてビールと泡盛が好き。オリオンビールのキャンペーンガールや、泡盛の女王とかに選ばれるのは大体このタイプ。沖縄の男に『美人を紹介して』と言うと、大体このタイプの女性を紹介されるので、沖縄の男に美人と思われているのはこのタイプだと思う。沖縄女性の2割くらい。

3、その他、内地系
内地の地方都市にいる女性と変らない外見。ユニクロ等の内地企業の店か、サンエーの衣料館などの服を着ている。沖縄女性の5割くらい。

個人的な経験で申し訳ないが、沖縄で『美人多し』という看板を見かけた時は、2番のタイプが多い地域だと思えば良い。

ところで、今帰仁には今帰仁城跡という有名な観光地がある。世界遺産だから金を払っても見たいという連中が沢山いるので、まぁどうせ有料だろうと思ったが、行ってみたら案の定、有料だったので引き返した。

世界遺産、世界遺産、世界遺産に登録を!と最近は色々な地域でよく言っているけど、商売のための世界遺産なのだ。

今帰仁城跡から引き返し、キャンプ場の案内板も確認したので、沖縄本島から橋で繋がっている離島のいくつかを訪問しに行く。

ワルミ大橋を渡って屋我地島、さらにその先の古宇利島まで渡った。

このへんは一見するとアクセスが悪いから本土のマニア級の観光客しか来ないのでは? と思っていたが、意外と普通の観光客というか、中南部とか名護あたりに住んでいる沖縄の人とかが多い。

私はもう海を見るのは正直、相当飽きてウンザリしており、自宅の部屋の無機質な壁紙を見ているのと大した変わらない程度の感動・・・つまり、沖縄の青くて綺麗な海を見た程度では何とも思わないのだが、せっかくだからと、少し写真を撮ったりして過ごした。

古宇利島はアダムとイヴの伝説があるらしく、説明して貰わないと全くわからないが、沖縄では『恋の島』と呼ばれているらしい。カップルとか家族連れが多いが、至って健全な島に思える。

島の入り口近くの公園で休憩していると、内地からの観光客である50歳くらいの夫婦に写真撮影を頼まれる。好意で引き受けたまでは良かったが、最初、周りの景色が広く写るように構図を横で撮影したら、女に『縦でも撮ってよ!』と怒られる。

というか、そもそも何で私が、このJTBの3泊4日のパックツアーとかで羽田から全日空の飛行機に乗り、恩名村のリゾートホテルに泊まり、レンタカーオプションでノホホンとここまでやって来たような奴らの写真を撮ってあげないとならないのか・・・。

全くもって理解できん。ふざけるな。全日空かJTBの奴にでも撮って貰えよ。こっちは自転車自走で成田からジェットスターで来ているんだぞ。

頭に来たので、今後一切、写真撮影は有料にしようと思った。

古宇利島と屋我地島を後にし、今帰仁村へ戻る。「わ」ナンバーのレンタカーに乗った観光客どもも帰るらしくて、橋はちょっとした渋滞になっていた。橋の中央部分に車を停めて、海をバックに記念写真を撮る連中が多いからだ。

今帰仁村では地域のお祭りのようなものをやっていた。小学1年生くらいの女の子が一人で綿菓子屋をやっていた。

午後3時。キャンプ場の受付時間は5時までなので、キャンプ場を偵察に行く。しかし、2千円くらいが相場の沖縄本島にあって、あそこは500円のキャンプ場だ。安かろう悪かろうで嫌な予感はしていた。

それでも街から遠いので、1泊過ごせるくらいの簡単な飲食物だけは買った。なにしろ、乙羽岳森林公園は乙羽岳の頂上にあるので、テントを建ててから街まで食料を買いに行くのは面倒だからだ。

キャンプ場への道を進む。完全なヒルクライムだ。最初はマシなレベルだったが、案内に従って脇道に入ると、だんだんと細い道になっていった。登り坂は尋常ではなく、軽自動車がすごいエンジン音で登って行ったが、とても自転車では走行不能だった。しかたなく、押して登る。ところが、坂の角度が尋常ではないので、自転車を押しても辛くて汗だくになる。

このキャンプ場はツーリングライダーの方がブログで『沖縄本島唯一の格安キャンプ場でベースキャンプに最適』という風に紹介していた。でも、残念! こんな登り坂があったら、サイクリストがここをベースキャンプにするのはとてもじゃないけれど無理。強力なエンジンを積んだバイクじゃないと、ここは快適には登れないだろう。

ボロボロの状態で坂を登りきると、よくわからない建物とアンテナみたいな塔があった。公園の案内板みたいなものがあったが、想像以上に寂れていて、太陽の光があまり届かず、薄気味悪い。錆付いた看板を見ると、管理棟みたいな建物があるらしいが、どこにあるのかよくわからない。うーん、この目の前にある生活臭があって、民家とも管理棟とも判断できないような建物のことか?

窓とかもないし、扉も閉ざされていて、近寄りがたい・・・。北海道のキャンプ場みたいな開放的な雰囲気とは全く違う。

帰る気満々だったが、記念に奥のほうにあるキャンプサイトを見に行った。キャンプサイトはさらに太陽の光が届かず、薄気味悪い。芝生のようなところだったが、月極駐車場のように区間割りされていた。バイクの人のテントが3つくらいあったが、いくら私でもこんな薄気味悪いところではキャンプしたくないと思った。やっぱ、やんばるは素敵な所だなぁ。

アホみたいな坂を転ばないようにゆっくり下った。残念だが、私はこの場所にはクソみたいな思い出しかない。まぁ、とりあえず名護に戻ろう。

名護へ向かう山道を走っていると、橋の上で唐突に3匹の黒い子猫と出会った。

私が通りかかると、そのうちの1匹が「お願いだから、ボクたちを助けてください・・・」と言わんばかりに寄ってきた。貧乏ツーリング中の私にはどうすることもできなかったが、沖縄では犬や猫は捨てるために飼うみたいなもので、特に那覇など都市部の人がわざわざ北部の田舎に捨てに来るらしい。

このあと、あろうことか軽自動車がすごい速度で走ってきて、横断中の猫などお構いなしに走り去っていった。猫がどうなったか・・・酷すぎる現実で、さすがにこれは思い出したくもない・・・。

名護への最短経路を通り、午後6時頃に名護に到着。名護では選挙の候補者の演説大会というか、三線ライブが行われていた。名護のネットカフェは中南部より高いので、まだ余力があるから夜間だけど北谷方面まで帰ろうと思った。

この名護~那覇の国道58号線は、今回の旅で何度も通った気がする。すっかり道の雰囲気を覚えてしまった。恩納村のビーチリゾート周辺にはバイパスが出来たので、海は見えないが移動するだけなら以前よりも快適に走行することができる。

午後10時頃だろうか、北谷に到着。惣菜を買ったりして、夜の北谷公園のビーチなどで過ごす。

ここは深夜でも夜釣りの人とか、海で泳いでいるアメリカ人とかがいるが、公式には午後10時で閉鎖される。実際に12時近くになったらビーチを管理している人が車で見回りして、ビーチから出てくださいと言われた。パトカーのような車だったので、職務質問の警官かと思ったが、ビーチの管理人だった。沖縄と言えど、中南部のビーチはてーげーではない。

ビーチを追い出されて少し経つと冷たい雨が降ってきた。180円の安物雨ガッパを着る。こういう雰囲気はそんなに嫌いじゃないが、一般的には惨めな状況だろう。

この時考えていたのは、やっぱ沖縄本島はキャンプに向かないということだった。離島に行くしかない。伊江島に戻ることも真剣に考えたが、低予算で行けて、安いキャンプ場がある離島は他には渡嘉敷島がある。

渡嘉敷島は那覇の泊港から船が出ている。明日の朝一の船で渡嘉敷島に渡ろうと思った。