Sixth Stage 沖縄やんばる Special Touring Style

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8日目 雨の夜道にご用心

午前0時過ぎ。そこそこの勢いで雨が降っていたが、自転車を押したりしながら、ゆっくりと那覇方面に向かった。北谷から那覇までは歩いたって3時間くらいで行ける。

沖縄の道路は雨が降ると、とても滑りやすい。道路に使われている沖縄由来の成分のせいらしい。自転車で転倒すると最悪命に関わるので、用心するに越したことない。

歩くばっかりじゃ何なので、たまに自転車にまたがり時速10Km前後でゆっくり走ったりもした。午前1時頃、宜野湾あたりのユニオンでカップラーメンを購入。ユニオンは24時間やっているし、沖縄ではもっとも心強い。どこにでもあるわけじゃないのと、惣菜に当たり外れがあるのが難点だが。

空腹も満たされて少しエネルギーが回復。宜野湾バイパスから58号線の本線に戻る。

雨も小降りになって、雨合羽を着ているせいで蒸し暑くなってしまった。ゆっくりと自転車に乗っていると、ほんの数秒だろうか、ついウトウトして居眠りをしてしまった。自転車が転倒するガシャーンという音と、膝を地面にぶつけた衝撃と手のひらが地面に接触した感触で目が覚める。

幸い、歩くくらいの速度だったので大きな怪我も自転車の故障もなかった。真夜中で周囲に誰もいなかったので、ただ自分が転んだだけで済んだのは不幸中の幸いだろう。居眠り運転というと、4輪自動車の話に思えるが、自転車でも心地よいと居眠りする。良い子は徹夜で自転車を運転してはいけない。

午前4時頃、那覇市内に入る。安謝の交差点を左折し、新都心方面へ向かう。途中、ベンチで1時間くらい休憩した。

さらに進み、ローソンで冷やかしてから自転車に戻ると、前輪がパンクしていた。6年くらい前にもこの道を通っている時にパンクしたことがあるが、なぜだか、この日もこの道を通ってパンクした。それもこの自転車を買って初めて前輪がパンク。

新都心の公園でパンク修理することにした。今日は天気が良いので、濡れた衣服を乾かしながらパンク修理をする。パンクとの関連性はわからないが、タイヤをよく見ると前輪も後輪も、こういう小さな亀裂や砂のようなものが食い込んだ跡が多い。沖縄に来る前は気にならなかったが・・・。

すると、妙に視線を感じる。ホームレスの方がじっと私を見ている。キャンプ道具や着替えなど、荷物を車体にくくりつけた自転車を見て『新参者が来た』と値踏みしているのだろう。縄張りを主張しているのかもしれない。そんなに大きな違いはないのかもしれないが、私は沖縄見物に来ただけの、年間600万人もいる平凡な旅行者のうちの一人に過ぎない。頼むから、そんなに熱い視線を送らないでくれ・・・。

パンク修理が完了。しかし、雨のせいかクソスニーカーの靴底が剥がれてビローンとなってしまっているのと、安物雨合羽が早くも破れてしまったので、これらも修理しないとならない。100円ショップでボンドを買って早速修理した。

もう渡嘉敷島はどうでもよかった。辻町の某ホテルが2500円で予約できたので、今日はホテルに泊まることにした。チェックイン時間まで首里城公園で野良猫と遊んだりして過ごした。この公園にいる野良猫は色々な人から餌を貰っているので栄養状態が良く、どの猫もぽっちゃりしてて毛並みが良い。

私はと言えば、もう沖縄なんてこりごり。早く埼玉に帰りたい。

ホテルでは半額祭りを開催。ホテル近くのかねひでで半額惣菜を大量に入手できたからだ。最近は台湾人にサンエーが大人気で、サンエー巡りのツアーがあるくらいなのだが、私は基本的にかねひで派だ。

沖縄の人に「半額の惣菜をよく買う」と言ったら、「沖縄の人みたいだね」と言われた。このご時勢、半額マニアみたいな人は埼玉にも沢山いるし、たぶん全国に沢山いると思う。

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9日目 ターニングポイント

渡嘉敷島に行くかどうかは直前まで悩んだ。

昨日、港のとまりんで渡嘉敷島を紹介する冊子を貰ってきて、ホテルの部屋で眺めていた。冊子にはダイビング、ホエールウォッチング、海水浴・・・マリンレジャーを楽しむ色黒の人達が沢山写っていた。那覇から近いこともあって、日帰りでそういったものを楽しむ人達が多いのだろう。

曲がりなりにも遠足や修学旅行生が多くて、勉強目的でやってくる人が多い伊江島とは、だいぶ雰囲気が違うのかもしれない。いや、きっとそうに違いない。渡嘉敷島はイケイケでハッピーな人達が集まる島なのだろう。

とても今のボロボロな精神状態では、行っても惨めな気持ちになるだけだろうという結論に達した。船代も自転車代込みで往復5千円近くかかるし、キャンプ場は1泊500円だから、2泊したとすれば1泊あたり3千円か・・・。

それだけ払えば、那覇のホテルに泊まれる。那覇のホテルで湯船に浸かってベッドで寝たとしても、お釣りが貰えるほどの大金だ。

予約済みの埼玉に帰る飛行機は30日に那覇を経つ。沖縄で過ごすのは、あと3泊だけだ。渡嘉敷島に行っても元が取れるように思わなかった。やっぱ、渡嘉敷島に行くのは辞めよう・・・。

ホテルの部屋のWifiを使ってスマホで情報収集すると、ほったらかしにしていた自分のメールボックスに北中城のあやかりの杜さんからメールが届いていた。

あやかりの杜は公立図書館を核とした生涯学習施設のような所だが、沖縄本島で稀少なキャンプ場もある。ただし、サイトの雰囲気を見る限りでは、小学生とかの野外学習みたいな目的じゃないと使えないような感じがした。

それでも、駄目元で『私はアマチュアの沖縄研究家だ』というよくわからん触れ込みで、出発前にメールでしばらく宿泊させて貰えないかと問い合わせていたのだ。

1週間経っても返信を貰えなかったので、やっぱりな、アマチュアじゃ相手されるわけないか、という気持ちで諦めていた。しかし、あやかりさんのメールには休館日以外は連泊して頂くことも可能というような趣旨のことが書かれていた。

あやかりの杜さんは1泊100円。他に行くアテがない私は当然あやかりさんにあやかることにした。ただ、この日はちょうど休館日だったので、今夜だけは北谷のネットカフェで過ごし、明日以降に利用することにした。

うーん。

しかし、そうなると、帰りの飛行機の都合があるので、たった2泊しかできない。まだ沖縄に来てからテントを張ったのは伊江島の2泊だけで、かなりの不完全燃焼だ。『沖縄=自転車ツーリングキャンプ不能な地』というイメージで、彩の国さいたまへ戻るのは、どうかなと思った。

もっと、色々な可能性を探ってみたくなった。

この日の日中、中部地方の東部まで行き、映画のロケなどでもよく使われる海中道路を通って、いくつかの島を渡り、伊計ビーチという所まで走った。

途中、通った平安座島という島は、石油基地の島だ。

車社会、沖縄にとって、すごく重要な島である。ああ、あれだな、東京にとっての福島みたいなものだなと思った。東京の人たちは電気がないと通勤電車も走らせられなくて会社にも行けないけれど、その大事な電気を作る原子力発電所は、万一事故が起こると大変危険。

東京の人間は危険は欲しくないけど、都合よく電気だけが欲しいわけ。こんな都合のいいことがまかり通ってはおかしいが、金と権力で大抵のことは解決できる。

きっと、これの沖縄版だな。ガソリンは大事だけど、事故が起こると危険だから、那覇から遠い所に石油基地を作ったのだろう。知らないけど。

次に通った宮城島はサトウキビ畑ばかりで、静かな島だった。沖縄には沢山の離島があるが、このへんは観光とは無縁のような所なのだろう。

伊計ビーチは、このある意味で楽園のような沖縄にあって、楽園中の楽園のようなイメージだった。

可愛いギャルが裸で寝そべり、愛に満ち溢れている。というほどではないだろうが、少なくとも、そこには素敵な民間キャンプ場があり、1500円と高いのを我慢すれば、サーファー風のスタッフがようこそと暖かく迎えてくれる。そう、ほんわりと希望が見え隠れしていたのだ。

本島と橋で繋がっているとは言っても離島だし、どっかの県営キャンプ場と違って門番払いなんてあるわけがない。うっすらとだが希望を抱いていた。

全力で漕がなければ、2秒で5mは押し戻されてしまうくらいの強い向かい風だった。私は苦労して向かい風に立ち向かった。そして、向かい風に勝った。

だが、現場で私が見たものは想像とは大きく違うものだった。キャンプ場はビーチもろとも閉鎖されていたのだ。レンタカーが3台停まっており、近くに韓国人のイケてない感じのグループがいた。

連中もビーチが閉鎖されているとは知らずに来たようで、付近の水溜りみたいなところで寂しく遊んでいた。

彼らのレンタカー3台を見送ってから、私も来た道をひたすら戻った。日が沈み、あたりは薄暗くなった。今にも消え入りそうな自分の影を見て、うっすらと涙が滲んだ。

本島側へ戻り、お腹が空いたため食事をしようと思った。

うるま市内でタコライス発祥とされる店(諸説あり)、キングタコスに初めて行った。タコライスは沖縄に昔からある料理と思っていたが、意外に歴史は浅く、まだ30年くらいしか歴史がないという。30年も、と言った方がいいのかもしれないが。

ある書籍によると、沖縄の人が沖縄をしばらく離れて沖縄に帰ってきた時、食べたいものと言えばまずは沖縄そば、次にタコライス、3番目が島豆腐らしい。私はむしろ沖縄そばよりもタコライスの方が沖縄料理では好きなくらいで、スーパーの惣菜としてよく購入する。しかし、こういった専門店的なところで本場のタコライスを食べるのは初めてなので、注文してから出てくるまでが楽しみだった。

しかし、本場では、私がこれまで食べてきたタコライスとは違うということを知る。タコライスというのは、ライス、挽肉、野菜、チーズが揃った状態が当たり前と思っていたが、本場では野菜やチーズはオプション(?)扱い。400円の最もベーシックなタコライスはライスに挽肉が乗っただけ。500円だとチーズが、600円払うとやっと私が思い描いていたタコライスになる。

スーパーではタコライスはフルスペックで300円程度なので、600円とは割高な感じがした。ライスに挽肉だけではイメージ的に美味しそうではないので、せめてチーズだけでもオプション(?)をつけた。本当に個人の感想だし、地元の人は600円のフルスペックのものしか食べないのかもしれないけど、はっきり言うと、美味しくなかった。1/3食べるだけでも苦労した。スーパーのタコライスの方がずっと美味しいと思ったのである。

複数のことに同時期に失望し、この日は北谷のネットカフェに行った。

飛行機は変更できないだろうか。そもそも、来た時の飛行機も台風の影響で1週間ずらしたのだし、本来の計画よりも旅行自体が1週間短くなっている。帰りの飛行機も1週間くらいずらして、本来の旅行期間にしようと思った。

ジェットスターのサイトで変更する料金を調べると、ちょうど1週間後に変更した場合、追加料金が8千円弱かかるが変更できそうだった。不完全燃焼なまま埼玉に戻り、また最初からやり直して沖縄に再訪することを考えると、8千円払ってでも延長したほうが、全体としては安上がりな気がした。

もうどうにでもなれ、という気持ちで延長した。これでやっと、沖縄本島で私にとって史上初のまともなキャンプができるだろう。

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10日目 新しいベースキャンプ

午前6時、ネットカフェを出て北谷公園に行く。午前7時にちゅらー湯の朝風呂がオープンするので風呂に入って、そのあとにあやかりの杜に行こう。

ちゅらー湯は以前の旅行記にも書いたが、朝の時間帯だけは500円で利用することができる。沖縄本島で稀少な天然温泉だ。といっても、近くにあるデカいリゾートホテルの関連施設なので、内地の会社が観光客向けに作ったものと思われる。そのホテルに泊まっている人は無料でちゅらー湯が利用できるので、『外来』よりも、そこの連中の方が多い。

「沖縄には温泉がない」と思っている人もいるが、そんなことはない。基本的に沖縄の人は温泉に入る習慣はない。だが、年間600万人もの観光客の何人かは温泉に入りたがる。今でこそビーチリゾートとして有名な恩納村も、最初は温泉がウリだったとか。那覇空港近くで、歓楽街の辻町近くにあるリゾートホテルは現役で温泉がウリ。

「意志あるところに道は開ける(リンカーンほか)」とはよく言ったものだ。

温泉を探す人には沖縄にも温泉があるのだ。銭湯も探せばあるし、スーパー銭湯や健康ランド的なものも探せばある。だが、内地の住宅街みたいにブラブラしてるだけで見つかったりはしないし、北海道みたいに国道沿いにどかーんと温泉街が現れたりはしないだけだ。

午前10時頃、あやかりの杜の受付でキャンプしたい旨を伝える。あまり利用者がいないのか、「○○さんですね?」と名前を言わずとも話が通っているようだった。所定の用紙に記入し、5泊分で500円の利用料を払う。

顔パスで話が通るのは案外気持ちがいい。

キャンプ場の設備はとても上等だった。1泊2千円のキャンプ場を使用したことはないが、同等以上ではないだろうか?

しかも、ここは那覇から20Kmくらいの所で、坂を西側に下りていけば北谷やハンビーリゾート、東に進めば沖縄市という絶好のロケーションだ。Wifiが利用でき、沖縄関係の資料が揃った上等な図書館もあって情報収集も便利。他に利用者がいないのが不思議なくらいだった。

テントを建てて、不要な荷物を外して身軽になった自転車で、再び街へと出かける。

食事がまだだったので宜野湾のジミーのバイキングでたらふく食べた。6年くらい前は沖縄=バイキング天国というくらい色々な店がバイキングをやってたように思うが、値上げしたり、バイキングを終了したりしてて、今ではバイキング=ジミーだ。ジミーは観光客は皆無で、地元の家族などで賑わっている。ジミーに行けば間違いない。

この日は改めて那覇方面をゆっくり見て歩いたりして過ごした。