
世の中には「肩書きと実態が一致しない」という現象がある。
料理ができない料理人や泳げない水泳コーチは有り得ないが、Web業界にはディレクションできないWebディレクターという珍獣が普通に存在している。
本来ならディレクターはプロジェクトの舵を取り、要件を整理し、依頼者とデザイナーやコーダーなどの制作担当者を繋げるはずの存在。
だが、なぜかデザイナーやコーダーが舵を取り、要件を整理し、依頼者に確認し、ついでにディレクター本人のケアまでしなければならない。肩書きとは一体何なのか。もはや哲学である。
目次
ディレクターが「要件を知らない」という衝撃
通常、ディレクターは発注書を読み、資料を確認し、依頼者に質問し、要件を整理して制作に渡す。
しかし現場が崩壊すると、この流れが見事に逆転する。発注書は読まれず、SharePointの添付資料は一度も開かれず、過去事例は存在しないものとして扱われ、依頼者への確認は「なんか怖いから」という理由で避けられる。
そのくせ「たぶん◯◯なんじゃないですかね」と根拠ゼロの想像で断定しようとする。制作側としては「一回死んでこい」と言いたくなるが、ディレクターは資料を読まないし、確認も取らない。とにかく資料を読まない。読んだらディレクターとしての責任が発生するから読まないのだ。
結果、制作側が要件を整理し、依頼者に確認し、ディレクターに「ここを確認してください」と指示するという、肩書きの逆転現象が日常化する。
口頭でぐちゃぐちゃ話すのに資料は読まない謎
こういうタイプのディレクターは、なぜか口頭で話すときだけは元気だ。張り付くように話しかけてきて、勢いよく言葉を並べるが、その内容は曖昧で、根拠はなく、資料にも基づいていない。
「SharePointに書いてありますよ」と伝えると「あ、そうなんですね」と返ってくるが、翌日にはまた同じ質問をしてくる。彼らにとって自分で確認するという行為は、責任が発生する危険な行為であり、避けるべきものなのだ。
だから確認しない。確認しないから理解しない。理解しないからまた聞く。この永久機関のようなループが、制作の精神を静かに削っていく。
ディレクターをディレクションするという矛盾
本来の構造は、ディレクターが制作担当者をディレクションするというものだ。
しかし、現場の構造が壊れていると、制作担当者がディレクターをディレクションするという逆転現象が起きる。制作が要件を整理し、依頼者に確認し、タスクを明文化し、判断の枠組みを作り、ディレクターに「ここを明確にしてください」とディレクションするのだ。
肩書きと実態が完全に逆転し、制作がプロジェクトの実質的な舵取りを担うことになる。もはや「Webディレクター」という肩書きは名札に書かれた飾りでしかなく、実態は「口頭でぐちゃぐちゃ言う」だけの人という事実だけが残る。
では、どうやって業務を進めるのか
ディレクターを教育する必要はないし、プライドを折る必要もない。むしろ構造でコントロールする方が圧倒的に効率的だ。
プロジェクト管理ツールで明文化させることで口頭のごちゃごちゃした曖昧さを排除し、責任の所在を明確にできる。資料を確認してから質問するよう促すことで、ディレクター本来の仕事を少しはするように流れを変えることができる。
Webディレクターをディレクションするという仕事は、皮肉なようでいて、制作側の能力の高さを証明する現象でもある。要件を理解し、判断し、整理し、リスクを読み、プロジェクトを俯瞰できる人だけが、この逆転構造を成立させられる。
肩書きではなく実力が現場を動かしているということだ。奇妙な仕事ではあるが、そこには確かな価値がある。そして何より、こうした現場を生き抜く制作は強い。ディレクターをディレクションできる制作は、もはや制作ではなく、実質的なプロジェクトマネージャーなのだ。







