
網走の観光船「おーろら」のデッキに展示されていた流氷(記事とは関係ありません)
先日、仕事関係でくだらないランチ会に誘われた時のこと。
あまりにもクソみたいなランチ会だったので、幹事的なポジションの名古屋生まれのしょうもない女に個人で金を払わないとならないのか聞いたら、開口一番に「ありがとうございます!」とか言われて、はぁ? と思ったのである。
感謝される覚えはなく、金を払うのかどうか知りたいというだけなのに「ありがとうございます!」とは、会話の構成としておかしくないか? という話だ。
自己肯定感の欠如からくるという説も
これが名古屋の言い回しなのか、何とか世代と言われる人たちの言い回しなのかはわからない。
ただ、最近かどうかわからないが、自己肯定感の欠如から自分に質問される=注目されているという図式ができて、感謝してしまうという説がある。
こっちからすると、別にお前になんか注目していなくて、金を払う場面なのかどうか知りたいだけなのだけど、自己肯定感が欠如している人には、なぜか自分が注目されているように感じてしまうのだという。
面接じゃねえんだし
世の中にはクソみたいな面接というものがあるが、応募者側が面接官に質問されるたびに常に「ありがとうございます」と前置きするケースもあるという。
俺が面接官だったら間違いなくウザいと思って5秒で落とすけれど、残念ながら俺は面接官をやったことはないし、人間全般にそんなに興味がないから面接官をやる予定は今のところないと思うので、就職活動中の学生とかは安心してほしい(笑)
接客業とか、なんか雰囲気でそこそこ高額なモノを売っている商売とかだったら、いちいち質問するたびに「ありがとうございます」もわかる気もするけれど、いちいち「ありがとうございます」と言われる種類の面倒くさいモノを買ったことが未だないからなぁ。
「ありがとうございます」は年に5回しか言わないから価値がある
極論、暴論だけど、「ありがとうございます」は言えば言うほど価値が落ちる気がする。
接客とかレジ係とかだったらマニュアルで「ありがとうございます」と言うことになっているだろうから、1日に何百回も言うかもしれないけれど、1年に5回しか「ありがとうございます」と言わないクソみたいな人間が言う「ありがとうございます」の方が、おそらく1回あたりの「ありがとうございます」の価値が高いような気がする。
単純に言葉の経済という意味でも、不要な言葉は省いた方がいいと思う。クッション言葉ってわけでもないし、単純に枕詞的に「ありがとうございます」はウザいと思ったよ、俺は。







