サイクリング

Fifth Stage ひがし北海道 ホタテフライ夢ロード編

7日目 紋別脱出と温根湯温泉


早朝に紋別を脱出し、湧別のセイコーマートへ寄る。キャンプ場からは、実は紋別の街よりも、このセイコーマートの方が近い。ここは立地的にサロマ湖周辺やオホーツク海沿岸を通って旅するライダーやサイクリストがよく立ち寄るセイコーマートである。何組か自転車旅の人も見かけた。

再び遠軽の街に戻った頃には天候が回復し、太陽が出てきた。濡れた衣服やテント、寝袋などを河原で乾かす。傍目には浮浪者にしか見えないだろうが、ここは地元であって、今のところ人生で一番長く過ごした街だから、仮に何かあっても大丈夫。

今日この街を出たら今後しばらくは来れないな、と思い、大通りの肉屋で旨いフライドチキンを買う。一平の時にも悪気はないのだが「ここのラーメンは麺が旨いですよね」という微妙な褒め方をしてしまったが、この肉屋でも「都会のフライドチキンより旨い」と微妙な褒め方をする。実際、ケンタッキーとかのフライドチキンよりずっと旨い。一平のラーメンも実際、麺とスープのバランスが絶妙なのだ。

時間は午前11時頃だった。街を出ようと思ったが、あと30分待てば蕎麦屋の藤月庵が開店する。もう滅多に来れないことを考えると、藤月庵に行きたいと思った。渡ってしまった橋を戻り、藤月庵前で開店を待つ。

こんな田舎では開店前から並んで待つという光景を見ることは珍しいが、街を代表する蕎麦屋のため、1組の家族が先に待っていた。

リーズナブルで美味しい卵とじ蕎麦。私は10年くらいの間、沖縄そばを除けば、蕎麦屋というのは藤月庵と、関東にある「ゆで太郎」という激安蕎麦屋チェーンにしか行ったことがない。

蕎麦湯なんかも付けてもらう。

食べ終わり、もうやり残したことはないな、と思いながら北見方面に向かう。

遠軽から北見方面への国道には、素敵な名前の付いた橋がいくつもある。この無名橋も私の好きな橋だ。一見すると無名橋は橋には見えないが、下に小川がある。

ここは、ちゃちゃワールド。生田原地区にある木材のおもちゃなどを展示している施設だ。地元ではかなり知られた存在だが、実は行くのは初めて。イメージとしては無料かぜいぜい200円くらいだろうと思えたが、大人600円と入館料が結構高い・・・。入館を断念する。

売店や休憩室は入館せずに利用できるので、どうしても金がない人は休憩室だけでも利用させて貰おう。WIFIも使えて空調も効いていて、住んでもいいくらい快適である。

生田原駅前にあるホテルノースキング。ここは日帰り温泉が500円。地元ではよく知られた場所だが、同じく行くのは初めて。この森しかないような地域にあって、とても都会的な建物だ。結婚式や会合など、この地域全体のイベントを受け持っていると思われる。ちゃちゃワールドと同じ会社が運営している。

生田原駅は全国でも珍しい、特急が停車する無人駅。よく考えたら、遠軽町には特急の停車駅が4つもある。たぶん、こっちの方が珍しいだろう。

北見では留辺蘂地区にある温根湯温泉のキャンプ場に向かう。温根湯温泉もよく知られた観光地だが、鉄道でアクセスできないので足がないと行きにくい。

北見周辺は全国的に有名な玉ねぎの産地。下にある黄土色っぽいのは全部玉ねぎで、後ろのボックスみたいなやつに玉ねぎを入れて出荷する。

温泉街。営業していない店が多いようだけど、営業してたとしたら、この人口過疎なオホーツク地域にあって、越後湯沢とかに匹敵するくらいの規模ではないだろうか。

大きな温泉ホテル。ノースキングで温泉に入ったばかりなので利用しなかったが、日帰り入浴もできる。

こちらは私が泊まった北見つつじヶ丘パークホテル。無料なので長期滞在っぽい人が屋根のある遊具の下にテントを建てていた。北見市街地に近いためか、この閑散期にあっても10組くらいはキャンパーがいて、今までのキャンプ場の中では一番にぎわっていた。

Fifth Stage ひがし北海道 ホタテフライ夢ロード編

6日目 雨の紋別

丘の上ホテルから眺める遠軽の朝焼け。

コーヒーの作成を試みる。

このころは経験不足により固形燃料で熱い湯を沸かすことができず、ぬるいコーヒーしか作ることができなかった。

最近、道東地区でよく見かけるようになったのが空き地に設置されたソーラーパネル。寒い北海道で太陽光発電なんて効率よくできるんだろうか。本州の業者に唆されたのでは、と心配になる。

湧別方面に向かう。道の駅に温泉施設があるので風呂に入りたかったからだ。しかし、そのチューリップの湯は10時オープンで、少し早い。湧別の街まで行って、博物館などを見学する。

この地域は松前藩宗谷場所、根室県などを経て現在に至る。北海道も昔は3つの県に別れていたが、今で言う道東、ひがし北海道は根室県に相当する。湧別は昔から住みやすいところだったらしく、6000年くらい前から人が住んでいたそうだ。

かみゆうべつ温泉、チューリップの湯。500円。ボディソープやシャンプーなども備え付けで、サウナや、きれいな花壇などが設置された露天風呂まである。休憩施設もあり、東京近郊なら1000円くらいしそうな内容だ。

ミックスフライ定食。760円だったかな。湧別はオホーツク海やサロマ湖があって、漁業の街だ。ホタテの本場で、まずいわけがなかった。こんなうまいホタテフライを食べたのは初めてで、ぷりっぷりとした柔らかい貝柱と、化学調味料などではない自然が生み出すまろやかな風味が忘れられなかった。

その後、紋別市を目指す。

もともと消耗していた後輪側のブレーキシューが北見峠の下りで擦り切れてしまったので、新しいものを紋別のイオンで購入できればと思った。紋別の市街地は遠く、その手前のコムケ湖というところにキャンプ場がある。先にテントを設営してから、街に向かおうと思った。

コムケレイクサイドホテル。国道に看板が出てたり、キャンプ情報の本に紹介されたりしているわりに、利用者は誰もいなかった。テントを設置して街に向かおうとしたところ、雨がパラついてきた。この旅、はじまって以来の雨だ。すぐに雨具を装着する。

なるほど。500円の安物の作業用雨ガッパは、完全防水だが汗つまり水蒸気を全く通さないため、雨を防いでも汗で衣服が濡れる。ゴアテックスなどのハイテク素材とは違うのだ。ただ、あとで熊本のキャンパーのおじさんに教えて貰ったが、自転車だとどんな上等なレインスーツでも蒸れるのは仕方ないという。ホームセンターの2000円くらいのやつで十分なんだそうだ。

キャンプ場から市街地は遠い。アップダウンもある。片道2時間近くかかったように思う。どうにか街に着くも、雨も止まないし、はて、イオンってどこにあるんだろう・・・とうろつく。小さいときにまだサティだった時代に来たことはあるが、20年近く前の記憶だから思い出せない。去年、紋別に来たときに発見できなかったから、湧別~道の駅の間にはないだろう、ということしかわからなかった。

イオンは坂の道を上がったところにあった。幸い、紋別の市街地はそれほど広くはないので15分くらいで見つかった。

紋別のイオンに駐輪。雨をしのげる場所は、この数十センチの軒下しかなかった。

この紋別のイオンに限らないが、イオンの自転車売り場は時間帯や日によって、整備士がいたりいなかったりする。レジの女性はいても、自転車のことがなにもわからないので、買い物しかできない。私の自転車は一般的なロードバイクなどと同じキャリパーブレーキ。だが、苦労してきたわりに、ここにはVブレーキ用のブレーキシューしか置いていなかった。これが使えるのかどうか知りたかったが、整備士がいないのでわからない。一応、整備士の出勤日を教えて貰うが、それまで紋別に滞在するわけにもいかない。

これから雨の夜道を2時間かけてキャンプ場まで戻ることを考えると、荷物になるマトモな食料は買う気が起きなかった。イオンと道の駅のスーパーで食事を調達したが、ビスケットやスナック菓子のようなもの数点を買った。去年も行ったカマボコ屋に行って、天ぷらを買ったが「どこまで行きますか?」と何度も聞かれた。質問の真意はいつ食べるか判断することで、レンジアップするかを決めるのだが、私は温めなくて結構とだけ答えた。しかし、どこまで行くかという質問をしつこくされる。

大雨の中、誰もいないキャンプ場へ2時間かけて自転車でビショ濡れになりながら帰り、狭いテント内でビショ濡れの体をタオルでピチピチと拭きながら、すべてが嫌になった状態で震えて食べるのだ・・・という、アホ&バカ丸出しの数時間後の自分の境遇を想像しつつ、それを口に出して伝えるのがとても億劫だった。そんな境遇が待っているのだから、その私の所有物となった天ぷらは、温めないで、ただそのままお渡し頂ければ結構だと思った。

2時間かけてキャンプ場に戻ると、入り口付近にキャンピングカーが2台停まっていた。雨は少し弱まっていたが、岡山ナンバーのキャンピングカーの老夫婦がチーズケーキを食べている。

「あんた、あのテントの人? 車がないのにテントだけあるから、おかしいと思ったら、自転車だったんだね(笑)」
「キャンピングカーで周っているんですか?」
「うん、友達と周っているよ」
「羨ましいですねー」

年金暮らしと思われる年代だが、冷静に考えたら、ちっとも羨ましいと思わない。人生の終盤の頃になって、キャンピングカーで金に物を言わせて寂れた北海道のこんな田舎を周って、自転車旅の人間を半笑いにする人を羨ましいなんて思うわけがないが、社交辞令が口走ってしまう。

このキャンプ場は街から遠いだけでなく、蚊が異様に多かった。蚊は大雨だろうと活動に影響しないようだ。

私は今までの自転車旅の経験から、衣服をレイヤードシステムにしている。いわゆる重ね着で体温調節できるわけだ。ビショ濡れで一晩過ごすのはリスクが高いので、ビニール袋に入れて濡れないようにしたユニクロのヒートテックに着替える。暖かい。このヒートテックのおかけで、風邪をひかずにすんだ。帰ったら、ユニクロに感謝状を贈ろうと思った。

よくキャンプ本などではフリースを推奨してたりするが、ヒートテックの方が軽くて嵩張らずに、しかも暖かい。

深夜になっても雨は強まるばかりで、テントに浸水しないか気が気ではなくて、よく眠れなかった。ただただ、早く朝になって欲しかった。

Fifth Stage ひがし北海道 ホタテフライ夢ロード編

5日目 そしてヒッピー状態へ

昨晩宿泊した、丸瀬布リラクゼーションホテル。

このホテルの特徴はテント持込用の区画、キャンプ場用語で言うところのフリーサイトが砂や小石でゴツゴツしていることだろう。私は荷物を減らすために銀マットを省いているので、今までの芝生が床面だったホテルに比べて、ゴツゴツして寝づらかった。水環境が良いからか蚊は心配していたほどはいなかったが、小石の上で眠る覚悟は必要だろう。

よくキャンプの入門書では『銀マット必須』『あるとないでは天と地獄の差』みたいなことが書かれている。

しかし、実体験としては、そんなのは机上の空想レベルで、少なくとも北海道の夏場のキャンプ場においては、銀マットなど必須ではない。ここのような小石の上で眠るようなケースを除いては、銀マットがなくても寝袋だけで問題ない。快適さを求めればエアコンの効いた建物内で、高級ベッド+高級ふとんの方が銀マット+寝袋より快適なのだから、荷物を減らしたい場合は銀マットなんかなくていいと思う。

それでも銀マットを積んでいるツーリングライダーをよく見かける。銀マットを積んでいない方が珍しい。彼らはツーリングというワイルドなものをやっているのに、案外おぼっちゃんなんだなぁ、などと思ってしまう。

実際、そんなこと私にはどうでも良くて、テントを片付けて遠軽市街地へ向かう。

朝もやでいい感じのダム周辺。少し中国っぽい。

その前に、丸瀬布のセイコーマートで食事をする。朝6時オープンで、店の前に到着した時がちょうど6時だった。環境面などから『コンビニ24時間営業』の賛否が道外で問われているが、北海道の方が先進的で、セイコーマートは昔から都市部を除いて大半の店舗が深夜帯は営業していない。

このセイコーマートでは少し嫌な思いをした。イートインスペースのようなものがないので、写真のような店舗脇で食事をするのだが、駐車場が沢山空いているにもかかわらず、すぐ前にバックで駐車され、排気ガスを浴びせられるという嫌がらせを受けた。埼玉県や千葉県などではアイドリングが条例で禁止されているが、ここ北海道はコンビニ程度の買い物でエンジンを切る人はむしろ少ない。車どころか、バイクさえもエンジンかけっぱなしで買い物をする人がいる。

適当なイラストだが、こんな感じ。自転車で旅してるふうな人を歓迎しない人がいるというのも理解できるが、どんな思考をしたら食事している人間に発ガン物質も含まれる排気ガスを浴びせる行為ができるのだろう。

もし、貴兄が北海道のコンビニ前で食事をするなら、こんな不快で不健康な行為を受ける可能性があるので、自衛として駐車スペース1台分の中心部分に自転車を停めることをおすすめする。さすがの嫌がらせ好きな北海道人でも、自転車を破壊してまで排気ガスを浴びせようとはしまい。

このころよく飲んだのが缶コーヒー。甘さは茨城などのMAXコーヒーに近い。食事を終えたら遠軽に向かった。天候に恵まれているし、山から海に向けて走っているようなものなので、下りベース。2時間くらいで遠軽に着いた。

遠軽の街のシンボル、瞰望岩。もともとアイヌ民族の時代から戦争の見張り台として利用されていただけあって、街の全体が見渡せる。東京とかだったら、わざわざ高い金出してタワーなどを作らないとならないが、自然環境としてこのような展望台がある田舎街は珍しいだろう。

上は太陽の丘と呼ばれる丘状の公園になっていて、無料のキャンプ場があり、日本最大級とされるコスモス園もある。

洗濯物を干したりしてゴロゴロしていると、この街で教頭先生をしているという方が通りかかる。

「おはようございます」

声を掛けられる。旅の趣旨などを話し、時間があったら学校に遊びに来て下さい、というありがたい誘いを受ける。が、私はその学校の卒業生ではなかったので、遊びに行ってもどう振舞っていいか思いつかず、結局学校には足を運ばなかった。

私はこの街で生まれ育った。駅の近くに味の一平という小さなラーメン屋がある。ここ数年で遠軽にも味の時計台やさんぱちと言った、札幌に本社がある大手ラーメンチェーンが進出してきた。しかし、人口2万人前後の街としては遠軽はラーメン屋が少ない。

そんな中で、昔から続いている伝統あるラーメン屋が味の一平だろう。

いつもは典型的な職人肌の店主とは何も喋らないが、自転車旅をしている人には店主はよく話しかけるという。「故郷はどうだ」などと言われるが、「帰って来たって仕事がないだろう」と私が言う前に、この地で自営業をして37年目の店主が自分で言い当てる。

まぁ、北海道ではよくあることだが・・・「内地は台風も来るし、大地震も起きるし、内地は本当、人が住む所じゃないよね」的なことを仰る店主。

「いやいや、それが・・・関東では雪が10センチ弱積もっただけで大パニックなんですよ。スーパーとかも臨時休業して、去年は大変でした。一晩でアホみたいに1mも雪が積もるこのへんには、関東の人は絶対住めないですよ!」ということを言って応戦しようと思ったものの、無駄な戦いだと思って辞めた。

店主は最近進出してきた他のラーメン屋のことを全く意識していないというが、近々、山岡屋が進出することを把握するなどしっかりアンテナを張っていた。

どっかに行こうかとも思ったけど、面倒くさくて例の丘にテントを張ることにした。もちろん貸し切りだ。1人だけ、犬を連れた若い奥さんが散歩に来た。

遠軽の街では100円ショップで固形燃料と鍋を買い、キャンプ場でジンギスカンの調理を試みた。きちんとしたガスのストーブを買うか迷ったが、遠軽のホームセンターではガスカートリッジは売っているものの、ストーブ本体は売っていなかった。蚊取り線香も買った。

完璧に焼けていると思ったが、後で写真を見ると肉がかなり赤い。でも、ものすごく旨かった。野外調理はキャンプの醍醐味かもしれない。それに火を使うことで少し文明人になった気がする。

肉が旨くて酒も旨い。酔っ払ってテントの中でこういう状態になる。不満もなければ、望みもない。これまで経験したことがないような幸せな時間だった。