沖縄

Sixth Stage 沖縄やんばる Special Touring Style

5日目 ここは天国? 私は死んだ? 伊江島旅行記

午前1時。ネットカフェにもホテルにも行く気がせず、名護の海岸で休んだ。人間の心には嵐がある。気持ちが高まってしまい、やはり本部港の近くまで進むことにした。朝一番の船で伊江島に行く。

夜間だし、昨日の疲れが回復しているわけがないので、ゆっくり慎重に進む。6年位前にも、この場所を夜間、自転車で走ったことがある。星がとても綺麗なことが印象に残っていて、死ぬまでにあと1度はあの星空をまた見たいと思っていた。

いい機会だ。街から少し離れたところの海岸に自転車を停めた。夜釣りのおじさんが遠くにいる。私は堤防の冷たいコンクリートに仰向けで寝転がってみた。星が綺麗だ。コンタクトからメガネに変えているので、あまりはっきりとは見えないが、アホなくらいの数え切れないほどの星が見える。

流れ星に願いごとをすると願いが叶うと言うが、5秒に1回は流れ星が見えるこの場所では、願いごとをするタイミングをとるのが難しいだろう。

沖縄といっても10月下旬ともなると、風が吹いたりすると夜はそこそこ寒い。

せっかくテントやシュラフを持ってきているし、まぁテントを建てるまでするのは面倒だけど、とりあえずシュラフを広げて星を見ながら眠ってみた。天然のプラネタリウムだ。一種のゲリラキャンプだな。なんて素敵な夜空だろう。

しばらく星を眺めていたが、いつのまにか眠りに落ちていった。

顔にピチピチなにかが降って来る。雨だ! これは緊急事態だ!

30年以上、ほとんど毎日眠っているが、雨が顔に当たって目が覚めるという経験は初めてだった。シュラフがびしょびしょになると、今後の行程に支障を来たす。抜き差しならない状況に陥るだろう。眠たいが、一生懸命頑張ってシュラフ等を片付ける。

なんとか雨対策が完了すると、ちょうど雨が止んだ。少しは眠れた気がする。時刻は午前4時。釣りのおじさんも帰るっぽいので、私も本部港に向けて出発することにした。まだ日の出は少し遠い。

名護方面から本部港への道は、街灯があったりなかったりで、夜間だと真っ暗で結構心細い。以前来た時と道が変わっているように思えて不安になったりもする。

途中、右足のかかと付近に激痛を感じる。調べると、イオンで買った1980円のスニーカーがおかしなことになっている。このスニーカーは、変な硬いプラスチックの型みたいなものが内部に入っていて、それが変形して踵に突き刺さっているのだ。なんだこのクソスニーカーは!

自転車修理用に持ち歩いていたラジオペンチで、プラスチックを取り除こうとする。かなりしっかりした作りで簡単には取り除けない。しかし、痛くて痛くてとても履けないので、両足分とも頑張って取り除いだ。クソスニーカーにもほどがある。東京靴流通センターの980円のスニーカーの方が100倍マシだ。

クソスニーカーの改良に苦戦してた時、脱いだ軍手が両方とも強風でどこかに飛ばされた。軍手がないと走りにくいので、ぜひとも発見したいと思い、自転車用の小さなライトを使って真っ暗な海岸を探した。軍手は柵を乗り超えたコンクリートの斜面に転がっていた。最悪、海に落ちる可能性があって、ちょっと危ないけど、一かバチか、柵を乗り越えて拾った。

クソスニーカーと軍手探しに時間を費やしたおかげで、本部港の周辺についたころには午前7時近くになっていた。なにか食べ物を買いたいと思ったが、見た感じ付近にはローソンしかない。ローソンに入ってみたが、食べたいと思うものが見つからず。

このあたりではガチの自転車旅の人を3人くらい見かけた。1.5Lのペットボトルを自転車に2本装着していて、羨ましいと思った。伊江島行きのフェリーには乗っていなかったので、鹿児島や大阪など本土方面に帰る人達だろう。

北海道で見かける自転車旅の人に比べると、沖縄はガチな人が多い。たぶん、まず北海道一周というカテゴリーがあって、その次に日本一周というカテゴリーがある。沖縄は日本一周コースに組み込まれている。北海道から、本州、四国、九州と日本各地を旅してきて、最後に辿り着く場所が沖縄なのだ。

大変な道のりだから、途中で脱落する人も沢山いる。沖縄まで辿りつけるのは限られた人間だけだ。沖縄には濃厚な雰囲気を漂わせているサイクリストが多い。

8時まで待てばイオン系列のBigというスーパーが開くが、船の出港まで時間がなくて忙しなくなってしまう。Bigの先に何か店がないかなと思うと、またローソンがあった。ローソンに行っても食べたいものがないので途方に暮れてもう少しだけ走ると、作業服を来た人達が群がっている弁当屋があった。

この『ふくふく弁当』の弁当は今回の沖縄旅で食べたものの中で1番旨かった。沖縄といえば安くてボリュームのある定食屋のことは観光客にも良く知られているが、弁当屋も負けてはいない。ほっともっとなど足元にも及ばないくらい、沖縄には旨くて安い弁当屋が溢れかえっている。

船の出港が近づき乗船する。佐渡のフェリーと同じで、特に乗船名簿などは必要ないが、自転車を預ける場合だけ名前を書いたりする。

このフェリーが島に渡る唯一の方法なので、工事の車とか、牛乳の車とか、宅配便の荷物とかも全部乗り込む。

フェリーにどんな人達が乗っているかというと、話には聞いていたが、遠足の小学生が凄まじく多くて賑やかだ。伊江島は本島から日帰りできるし、戦争遺産などがあるので遠足や修学旅行の子供に人気がある。

しっかし、沖縄の子供はマナーがないな。公共交通機関を利用することが滅多にないからだろうが、私がデッキの角で物思いにふけて景色を見ていると、あたり構わずぶつかってきたり、接触して来たりする。昨日のクソセミ共を彷彿とさせるほどウザったい。遠足や修学旅行は教育の一環なのだから、公共交通でのマナーくらい教えないとアカンでしょ、クソ教師は。

そもそも、教師も一緒になって騒いでいるし、フリーダムと言えば聞こえはいいが、根本的に沖縄の大人は子供に注意というものをしない。タバコを吸っていようが、女の子が立小便をしていようが、沖縄の大人は子供に注意というものをしないのだ。

そんな子供らと一緒に、船は伊江島へ向けて出航した。

伊江島は人口4千人程度の島で、全体的に平坦だが、中心部には城山(ぐすくやま、と読む。なぜか変換できない)という特徴的な山が聳え立っている。

城山には色々な別称がある。パンフレットや案内板には『城山(タッチュー)』と書かれていることが多いが、他にも『鍋の蓋』『オ○パイ』『チン○コ山』などがある。以下、紛らわしいので、便宜上、チン○コ山と記載させて貰うが、同じものを指している。

チン○コ山は美ら海水族館(なぜか変換できない)のあたりからよく見えるので、美ら海水族館に行ったことのある人なら、名前を知らずともチン○コ山を見た経験はきっとあるはずだ。

伊江島行きの村営フェリーは上等な船で、30分の乗船時間にも関わらず、売店やテレビ等のエンターテインメントがある。

少しすると、チン○コ山がだんだん間近に迫ってくる。

伊江島に上陸。伊江島の港には観光案内所があり、地図の付いたパンフレットを貰う。案内所の小柄な男性に「自転車で来たが、滅多に来れない場所だから丹念に見て回るつもりでいる。2~3日滞在する用意があるが、どのくらいの日数が必要か?」と尋ねると意外な答えが。

「2~3時間もあれば十分ですよ」

なぬを! 72時間程度を見積もっていたので、正直、そう返って来るとは思わなかった。

パンフレットを貰い損ねても、こういった観光地図の看板がそこらじゅうにある。

こりゃ何か裏がありそうだ、と思えるくらいに観光客に親切な島だ。『いめんしょり』は伊江島の方言で『めんそーれ(ようこそ)』という意味。こんな小さな島にも独自の言葉があったりと、沖縄には多様な文化がある。沖縄の37倍もの面積がある我が北海道は、多様な文化などないし、方言は『なまら(とても)』以外はほとんど廃れてしまった。

とりあえず、キャンプ場を偵察しに行く。この島にある青少年旅行村という施設は、Wikipediaによれば『青少年の健全な旅行の推進をはかり、あわせて過疎地域の振興に資する観光レクリエーション施設。 旧運輸省の補助制度により、昭和45年度から50年度にかけて全国80ヶ所で各市町村によって整備された。』そうだ。

なるほど。それで沖縄の離島のいくつかにはこの青少年旅行村というものがあるのだろう。

伊江島の旅行村は港から2キロのところにあった。ちょうど島の南東部なので、よほどの地理オンチでない限り、迷わないはずだ。

午前10時前だし受付して貰えるかな? と思ったが、きちんと受付の人がいて、施設の説明などをして貰う。清掃なんとか料が100円と、1泊あたり300円、2泊分で計700円を払う。広いキャンプ場にはツーリング用のテントが2つ張られていた。

沖縄に旅立って5日目、やっとテントを張れた。ここはビーチもあって、島一番のロケーションだろう。ビーチには売店があったりシャワールームがあったりして、とっても上等だ。ここは天国か。

眠りたかったが、シャワーを浴びてテントでお菓子を食べてから、島の散策に出かけようと思った。

しかし、沖縄ではテントの中でお菓子を食べてはいけないことを知る。お菓子のカスに反応して、テントの中はたちまちアリだらけになってしまった。

このアリは本土のアリより小さいし、特に攻撃してきたりはしないが、数が多いのでうざったいし、一旦テントに入り込むと排除するのに苦労する。このままではチクチクして眠れないので、シュラフを外で叩いたりして、できる限りアリを排除した。

お菓子で栄養補給した後、自転車で出かけた。

この島に訪れる修学旅行生などは自転車を借りることが多い。自転車島と言っても良いだろう。サイクリストが乗ったロードバイクやクロスバイクなら1時間程度、一般のママチャリでも2~3時間で島を一周できる。厳密には北西部は米軍施設で立ち入りできないので、海岸線をずっと走ることはできないが、農家の軽トラックくらいしか車が走っていないので、比較的、自転車にとって走りやすい。

島を一周し、食料を調達する。港の近くにファミリーマートとcoco!、全日食チェーンのスーパーがあった。これはありがたい。スーパーは惣菜はなぜかなかったが、酒やお菓子を買った。惣菜類はcoco!で調達した。

キャンプ場に戻り、炊事場で洗濯をしていると、宿泊客と思われるロンゲにサングラスのお兄さんに『こんにちは』と挨拶される。色々と旅の情報交換でもしようかと思ったが、いま人と話すと絶対に愚痴っぽくなってしまいそうだったし、疲れていたし、早く酒を飲みたかったので、挨拶だけしかしなかった。

テントの近くに戻り、上等な東屋のようなところで宴会を開催。

ここは島一番のビーチがあるので、修学旅行の高校生とかがよくキャンプ場近くの通路を通る。この日は長野県の高校生らが島に滞在しているようだった。

女子高生が通るたび、伊江島の白い砂浜と青い海を見て『ヤバイ!』『ヤバイ!』『ヤバイ!』と言っていた。今時の女子高生は感性が乏しいのか語彙が少ないのかわからないが、なにを見ても絶対に『ヤバイ!』しか言わない。

綺麗! 美しい! 素敵! ビューティフル! どうしてそういう言葉ではなくて『ヤバイ!』としか言えないのか。ここに滞在中、100人の女子高生が通ったが、揃いも揃って100人全員が『ヤバイ!』と言っていた。この万能調味料みたいな言葉、日本の原子力関係の偉い人が言う『想定外』と似た匂いがするけれど。

今日はとにかく眠って、島の本格的な散策は明日しようと思った。

Sixth Stage 沖縄やんばる Special Touring Style

4日目 地図にはない載らない、やんばるの峠

午前4時、名護のネットカフェを出発する。

夜型社会の沖縄では違和感はあまりないが、20歳くらいの若い女の子数名も、同じタイミングでネットカフェを後にしていた。24時間営業のスーパーの明かりが暖かい。

物陰で着替えたり荷造りをしていると、軽く雨が降ってくる。沖縄では天気予報は当てにならず、快晴でも雨が降る。

少ししたら雨は止み、前回は走れなかったやんばる北部へと進んでいく。まずは国道58号線を北上し、沖縄本島最北端を目指すことにする。

この時期、沖縄の日の出はちょうど午前6時頃だった。日が沈むのは午後6時で、太陽が出ているのは12時間。あまりのんびりしていられないのだ。

ちなみに、夏場だと日本で最も日中時間(太陽が出ている時間)が長いのは北海道。冬場の沖縄は日の出が遅くて、朝7時とかでも暗い。

名護市は広いが、名護を出ると大宜味村に入る。左手には海が広がり、道路も快適で、走っている感じは恩名村あたりとあまり変わらない。このあたりは10数回沖縄に来ている私でも初めての場所だ。大宜味村ではファミリーマートで弁当を買って、海を見ながら朝食を食べた。

沖縄のファミリーマートは以前からそうだが、なかなかやる。惣菜が沖縄ローカル店と見間違うほど、地元を意識した沖縄っぽいメニューばかりを揃えている。長いものに巻かれろで東京べったりの姿勢を崩さない、北海道のファミリーマートも見習って欲しいものだ。

沖縄のコンビニは正確なデータを参照したわけではないが、見た感じ、ファミリーマートが一番多い。そのあとにローソン、coco!が続くように思う。coco!は郊外に多い。セブンイレブンやイトーヨーカドーは沖縄にはない。

こうして自転車の写真を見ると、我ながらだが、ものすごい勇ましい乗り物のように思える。実際、この自転車だけでどこでも寝泊りできる即席キャンピング仕様車なのだ。

あまり代わり映えしない風景をずっと走っていると、やがて国頭村に入る。国頭村からは左手が海ではなくて、少し陸地側を走る。村っぽい雰囲気になってくる。

国頭村に限ったことではないが、沖縄の田舎では朝の6時とか7時くらいの早朝に、バカでかい音量で『村民のみなさんへ』みたいなお知らせが役所とかのスピーカーから流れる。健康診断とか町内会のイベントの告知とか、単に『今日も一日がんばって働きましょう』みたいなメッセージのこともある。

北海道の田舎にも街頭放送(※)というものがあるから、私があまり言えたものではないが、沖縄の田舎に住むと規則正しい生活を強いられるだろう。

※実は札幌中心部にも、牛がいっぱいいるような田舎街と同じような街頭放送があることは、都会人気質でプライドの高い札幌人には内緒

国頭村は那覇から遠い。自動車専用道路もないから、それほどメジャーではないけれど、パンフレットなどによればビーチ周辺などはリゾート地ということになっている。国道58号線を走っている限りは、それほどリゾートっぽい雰囲気はしなかったが。

国頭村には沖縄本島で稀少なキャンプ場が2つもある。比地大滝という、沖縄では珍しい滝がある観光地に設置されているキャンプ場は2千円とかで、森林公園というところにあるキャンプ場は千円くらいだ。テント張るだけで2千円とか、最低賃金が時給600円台の沖縄で、きっとどうかしている。

もし力尽きたとかで、このへんで仕方なくキャンプをする場合は、どちらかというマシな森林公園に行こうと思っていた。一応、リゾート地だから東京資本の高級リゾートホテルはあるものの、ビジネスホテル的なものは多分ない。よくわからん民宿とかペンションくらいしか、このあたりに安い宿泊施設は存在しないだろう。

森林公園の看板を国道で見つけたが、無視して先へと進む。

このあたりは沖縄本島の中南部ではあまり見ないような、山がちな沖縄となる。トンネルなどもあって、だんだんと見慣れた沖縄ではなくなってくる。山に生えている木々は植物に詳しくない私でもはっきりわかるくらい、本土とは違う木ばっかり。やんばるは亜熱帯のジャングルだ。

順調に走っていると、歩道に内臓が飛び出した状態で死んでいる蛇が。これはハブだろう。でかいな。たぶん、道路を横断中に車に轢かれて、最後の力で歩道まで移動したのだろう。

左手に海、右手にジャングルという風景の中を比較的長い間、ずっと北へと向かう。道は至って快適だ。時々、海を見るための駐車場みたいのがあって、レンタカーの観光客が写真を撮ったりしていた。沖縄本島の最北端まで向かうという、酔狂な観光客だ。

まだかまだかと思いながら、2時間ほど走っただろうか。いよいよ最北端の辺戸岬に近づいている雰囲気を感じる。ここまで来ると中南部の車ぎっしりな国道58号線と同じ道路とは思えなくなってくる。交通量は少なく、工事関係の車と、酔狂な観光客のレンタカーしか通らない。

やがて辺戸岬に辿り着くと、売店とトイレ、石碑があった。若いカップルのレンタカーが停まっていたが、車でここに来ても達成感みたいなものはないだろう。あとで思うと小さなことなのだが、私は自転車で来たので、そこそこの達成感があった。

石碑は達筆過ぎて何が書いてあるのかよくわからなかった。沖縄県民の本土への恨みとかそういったものが書かれているというが、残念だが私には読めなかった。

辺戸岬の近くには大石林山という岩山のような観光地がある。当然、有料施設だ。中部以北の色々なところに大石林山の宣伝看板があった。パワースポットらしいが、どうでもいい。

国道58号線は辺戸岬で終わりではなくて、南東に少し進んだところにある奥集落まで続いている。国道に戻り、奥集落を目指す。

一般の観光客は辺戸岬を見て、大石林山のパワースポットに行ったら、このあたりの観光は終わり。そのため、戻るための道が標識で強調されていた。私には、なんとなく『引き返した方がいいですよ!』というメッセージを伝えているかのように感じた。

引き返せというメッセージを無視して先へ進むと、山道を通ってやがて奥集落へと辿りつく。ここは沖縄本島の北東部にあたる。

北東部は沖縄本島の中でも秘境みたいな所だ。一般の観光客は滅多に来ない。米軍の演習場などもあって、一般人が立ち入れない場所も多いし、観光地らしい観光地もない。

一番来るのはダムマニアだろう。このあたりはダムが沢山あり、公園などの設備も併設している。事前申請が必要だが、キャンプすることもできる。こんなところにはホテルやネットカフェは探せそうにないので、万一キャンプする事態に陥った場合のために、予め申請書をWebサイトから印刷していた。本来は郵送対応だが、現地でも手続きできるようだったからだ。

奥集落に辿りつく。国道58号線の沖縄本島での起点だ。近くの共同売店でここに辿りついた証明書を100円で売ってくれるらしい。お金の大切さを知っているまともな社会人だったらそんなものに100円も払わないだろうが、私は当然買わなかった。

共同売店というのは、沖縄に昔からある地域住民による地域住民のための売店だ。その歴史は100年以上で、かつては金融機関や運送会社、倉庫業的なサービスもしていたそうで、今時のコンビニも顔負けである。

奥集落の共同売店で買い物をしようと立ち寄ったが、雰囲気がよくなかったので何も買わなかった。場所が場所だから仕方ないが、飲食物は都市部のコンビニよりも高い。

公園で少し休憩し、先へと進む。珍鳥ヤンバルクイナに関する看板は沢山あるが、飛べない鳥で普段は山の中で暮らしているそうだ。

橋を渡ると国道58号線から県道70号線へとバトンタッチする。この橋を渡るかどうかは結構重要な事で、国道から県道になるだけなのだが、道のランクが3段階くらいダウンする。道幅は狭く、路肩は荒れており、草木が茂り、そしてなによりアップダウンやカーブが多い。

県道70号線は、自転車にとってかなりの苦痛を強いられる道だ。地図の上では沖縄に峠はないことになっているが、短い距離で相当な登りと下りを繰り返す。下りはノーブレーキだと漕がなくても時速50Km以上に達するくらいで、これまでの自転車旅行史上で最速の時速57Kmというスピードを弾き出したほどだ。

そして、時期が良くなかったのか、セミがミンミン、ミンミン、ミンミン、ミンミン、ミンミン、ミンミン、ミンミン、ミンミン、ミンミン、ミンミン、ミンミン、ミンミン、ミンミン、ミンミン、ミンミン、ミンミン、ミンミン、ミンミン、ミンミン、ミンミン、ミンミン、ミンミン、ミンミン、ミンミン、ミンミン、ミンミンと滅茶苦茶うるせー。

最初は鳥だと思ったが、ある時、音の発生元を辿って行ったら木にとまっているセミだった。


yanbaru_semi.mp3

※雰囲気を疑似体験できるようにMP3のオーディオファイルを用意しました。ダウンロードして各自ループ再生しながらお読みください。

多分、この地方のセミだと思うが、ブザーみたいな感じで大音響が響き渡って眩暈がしてくる。開けた場所を走っているのに、トンネルとか土管の中にいるみたいだ。あまりにもうるせーので、火炎放射器で森ごとセミ共を焼き払うことができたら、どんなに快感だろうと不謹慎なことさえ想像した。

途中、急に大雨になったので慌てて雨具を装着する。カメラなどもしまう。

県道70号線を走ると、数キロ置きくらいに集落がある。集落にはそれぞれ例の共同売店が1店舗ずつある。ツーリングマップルによると、共同売店はそれぞれの店舗に違った味があるらしい。共同売店があるということは、すなわち他に店がないということを意味するので、次に立ち寄る集落では雰囲気の良い共同売店であることを願いたい。

車はほとんど通らないが、たまに工事関係の車が通る。北見峠よりはだいぶ交通量がある。商魂逞しい沖縄だけあって、自動販売機は割とポツンポツンと見かける。

雨はなんとか上がってくれた。しかし、同時にまたあのクソうるさいセミ共がミンミン鳴き出すので、また眩暈がしてくる。

アホみたいな登り下りを何度も何度も繰り返した。やがて、安波集落へと辿りつく。安波は『あは』と読むが、日本の地名なのにWindows7標準のIMEで変換できない。ちょうど昼時だったので、食事を何とかしたいと思った。

案の定、食べ物を買えるような所は共同売店しかなかった。店の敷地に大きな東屋があったが、昼時だったので工事関係の先客が昼寝中。店内に入ると、こんにちは、いらっしゃいませと挨拶される。共同売店では挨拶されないものだと思っていたので意外だった。

店内では惣菜類は買えなかったが、比較的良心的な値段でカップ麺とアルフォートが買えた。ジュースは外の自販機の方が安かったので外で買う。カップ麺に湯を入れさせて貰って外に出たが、3分以内に辿りつける場所に公園はないようだった。しかたなく、敷地の塀に腰掛けてラーメンを食べていると小雨が降ってくる。

店のおばさんに中のゆんたく場で食べたら? と声を掛けられる。ありがたかったが、すぐに止みそうだったので辞退する。共同売店はゆんたく場という、おしゃべりするためのテーブルが用意されている。地域住民のコミュニケーションの場でもあるのだ。どこも悪くないのに話し相手が欲しいがために、健康保険を使って医者にかかる老人が全国には多いので、ゆんたく場のシステムは他の地域も見習った方がいいだろう。

安波集落の近くには安波ダムがあるので偵察に向かう。また例のアップダウンの道を走ることになったが、食料はその気になれば集落の共同売店で入手できる。ダムでキャンプの許可が取れれば、今日一日の仕事が終わると思った。

ダムサイトに到着する。でかいダムとトイレと事務所らしき建物があるが、特にキャンプ場という案内はない。それもそのはず。敷地内の芝生とか空きスペースにテントを張る許可を出すよ、というだけであって、いわゆるキャンプ場ではないからだ。

想像するに、国土交通省のイメージアップ作戦みたいなものだろう。ダムを作ると自然破壊になったり立ち退きを迫られたりする住民もいるわけで、ダム肯定派を増やすためにキャンプ場所を提供したり、ちょっとした公園みたいなものを作っているのだろう。

イメージアップ作戦の最たるものがダムカードだ。ダムカードとは、ダムに訪れた記念に貰える無料のカードで、そのダムのスペックなどが書かれている。

キャンプしている人はもちろん、見学しているような人も誰一人いないのだが、しばらく考えた後に事務所に行ってみることにした。どういう雰囲気で事務所に行こうか迷ったが、『ダムカードを貰いに来たダムマニア』という感じで行くことにした。

入り口にはダムのパンフレットなどが置かれていた。しばらくすると、職員と思われる40歳くらいの小柄な男性が現れる。ダムカードのこととキャンプのことを聞く。しかし、男性が言うには、ダムカードはここで管理している3ダム分を渡すことができるが、いまは所長がいないのでキャンプの許可は出せない、とのこと。

ダムカードを3枚受け取り、ドヤ顔でダムサイトを後にする。ダムカードさえ貰えれば十分ってもんだ(嘘)。

もはや安波集落に戻っても仕方がないので、南を目指す。もうダムは頼りに出来ないと思った。他にもキャンプ可能なダムがいくつかあるが、所長がいるかどうかなど全然わからんので行くだけ無駄だと思った。しかし、少し遠いが道なりに走って東村というところまで行けば、2000円とクソ高いが村営キャンプ場がある。最悪、そこで寝床を確保しよう。

またまたアホみたいな、フタのない側溝のアップダウンの道をしばらく進む。ダウンだけ自転車に乗り、アップはトホダースタイルでやり過ごした。なんどかそれを繰り返すと、だんだんマシな道になってきた。県道70号線を走りきると東村だ。

17時頃、東村に到着。

東村はパイナップルが有名らしい。とってもとっても疲れ切っていたので、ここはぜひ、うまいラーメンと炒飯と餃子を腹いっぱいに食べたいと思った。

しかし、現実は厳しい。菓子パンくらいしか売っていない、しょぼい道の駅みたいな施設しか食べ物を買える所は見つけられなかった。せめて、コンビニの一軒でもあればと思ったが、コンビニは見つけられなかった。

初めはこの村のキャンプ場に行こうとしたが、この村にいるのがストレスで、とにかく名護に戻ろうと思った。名護まで戻ればネットカフェもあるし、どうにでもなる。

東のビーチ。沖縄本島は西海岸は、なだらかな地形でビーチが多いが、東海岸は崖のようになっている所が多い。

平良の交差点から国道58号線側に戻り、名護へと走ることにした。途中、日が沈んで暗くなってしまった。それよりも風が異様に強くて、前に進むのが大変だった。こっちの都合おかまいなしに、風は体力と気力をじりじり奪う。

2~3時間くらい格闘しただろうか、なんとか名護に戻ると、風は穏やかになった。海辺で休憩する。ふと思ったが、なぜ名護にはキャンプ場がないのだろう? 比較的土地に余裕があり、北部を代表する都市なのだからキャンプ場くらいあっても良さそうだが。

海辺のスタジアムのようなところの自販機脇に、堂々とゲリラキャンプしている自転車旅の人を見かけた。やっぱそうだよな。名護でキャンプしたいという人は自分以外にもいるはずだろうと思った。

夜は天気がよかったので、浜辺で星を見たりしていた。今までのことや、今後の予定を考える。

まず、ダムサイトは許可を取るのが難しいというか面倒。北部のキャンプ場は、やっぱ高くて泊まる気がしない。というか、県道70号線はもう走りたくない。しかし、ずっとネットカフェやホテル泊では予算オーバーしてしまうし、沖縄でキャンプツーリングするという趣旨が変わってしまう。

色々考えた結果、明日のフェリーで伊江島に渡ろうと思った。

伊江島は本部半島の近くにある島で、フェリーで30分程度で行けるらしい。自転車代込みで往復3000円しないくらいリーズナブルで、なにより、1泊300円のキャンプ場がある。こんなアホみたいにバカ高いキャンプ場ばかりの本島にいるより、ずっと幸せに思えた。

Sixth Stage 沖縄やんばる Special Touring Style

3日目 南部一回り、そして名護へ

翌朝、昨日の遅れを取り戻すために、まずは南部を回る。

那覇から豊見城、糸満方面へと南下する。

通常、島を走る時は時計回りの方が海を見やすいのだが、あえて反時計周りで走る。途中、豊見城へと向かうバイパスの橋を走っている時、対向車のサイクリストが手を挙げて挨拶した。北海道流の挨拶が沖縄にも伝染しているのだろうか。

昨日の夜、この時期にしては予想以上に日差しが強かったため、新都心のダイソーで子供用の日焼け止めと、サングラスを買った。ダイソーには子供用と記載された日焼け止めは売っていたが、大人用のものはなかった。大人用となにが違うかというと、紫外線を防ぐ能力が低い。能力の高いものはコスト的に100円では売れないのだろう。

新都心にはサンエー那覇メインプレイスと、りうぼうの建物にダイソーがあるが、りうぼうの方が品揃えが良い。メインプレイスのダイソーでは丸くて大きいギャルがするようなサングラスが最良に思えて買ったが、帰路でりうぼうに寄ったらサイクリストがよくしているようなスポーツっぽいサングラスが売られていて後悔した。

糸満に入る。戦争遺産である『ひめゆりの塔』は南部を代表する『観光地』。戦争を知らない修学旅行の中高生が多く立ち寄るので、マーケティング的に彼らが好むような『ほっとけ俺の人生だ』みたいな格言が書かれたTシャツなどが売られている。周囲には土産屋や飲食店が多い。沖縄の『戦争遺産』は商魂逞しい。

さらに進み、天ぷらで有名な奥武島の付近へ差し掛かる。本島とは橋でつながっており、島に渡って入り口近くの公園で一休み。先に進みたかったので、島内の散策はしなかった。

本島に戻り、南部の東側へと進む。

知念村へ。このへんは那覇からそう遠くないが、観光客は少ない。ビーチや海洋レジャーセンターという施設があるが、場末の雰囲気があって割りと居心地がよい。北海道のラーメン屋チェーンのさんぱちもあったが、店はすでに閉鎖されているようだった。昨日買った辻スーパーの惣菜などを食べる。

食事を済ませ、知念村を通り過ぎてから那覇方面に東側から戻る。

ツーリングマップルの情報によれば、このへんの道路には沖縄屈指の景観を誇る椰子の木並木があるそうだ。確かにそれらしいものはあったが、言うほどではなかった。

那覇からは国道58号線経由で北上、どこまで行こうか迷ったが、体力的に問題なさそうだったので名護まで行く。

途中、名護の手前の恩名村に1泊千円くらいと沖縄では比較的安い、県営のキャンプ場があるので寄ってみた。しかし、かなり場末の雰囲気で、受付時間の17時を20分オーバーしていたため、帰り支度をしている警備員みたいな人に『もう職員が帰っちゃったので、すみません』と追い返された。夜は鉄の門で閉められるようだった。キャンプ場に泊まっている人は誰もいなかった。

こんなのは想定内なので、へこんだりもせず、名護市内へ向かう。

名護の南側にある、かねひでで食事を買う。真っ暗な海岸で食べていたら、猫ちゃんが数匹寄ってくる。海岸では真っ暗闇の中、ビーチバレーか何かをしている若い女性達がいる。かねひでのチキンドラムは大好物で、肉付きが良くて味が良い。私はフライドチキンのちょっとしたマニアだが、一度だけKFCで食べた時、味も肉付きも本当にがっかりしたものだ。海岸で休んでから、名護市内のネットカフェで夜を明かした。