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なぜ他人の咳や咳払いは死ぬほどウザいと感じるのか無駄に考察してみる

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日常生活でウザいものの代表格と言えば、隣人、つまり物理的に周囲に存在する他人の咳や咳払いである。

他人の咳がウザいのは職場や学校、何らかのコミュニティはもちろんのこと、壁の薄いアパートやマンションやホテルなどの隣室など、他人が周囲にいる状況ではどんな場合でも起こり得ることだ。

しかし、なぜ他人の咳や咳払いは、どうしてこうも何も手に付かないほどにウザいのか、その原因を無駄に考察してみようと思う。

仮説1 他人にマナーがない非常識人間に思えるから

人間というのは、大なり小なり他人に配慮しながら生きるのが地球上のどんなコミュニティであっても常識である。

しかし、咳や咳払いというのは60dB以上の騒音であり、多くの人間が不快感を覚えるものである。

何らかの病気を抱えていて昼夜問わず咳が出るという人もいるのだろうが、アカの他人にとっては何の利益も生まない。

冷たいわけではなく、自分の幸福を追求する権利が保障されているだけに、そんな事情は全く知ったことではないのだ。

マナー違反を平気でする人間には不快感を覚えるのは当たり前のことだ。

マナー教育すらロクに受けられなかった人間という哀れみも感じるし、不快感は増大するわけである。

仮説2 その人物がそもそも嫌いなタイプの人間だから

人間というのは見た目が8割から9割程度。

アカの他人であれば全く喋ったこともないことが多いわけで、視覚からの情報で好き嫌いを判断することになる。

あんなもっさい奴は嫌いやねん、何となく好かん、という視覚情報からの判断も手伝って、ただでさえマナー違反の咳を連発されるものだから、余計にウザく感じるわけである。

仮説3 咳は他人の領空や領海を侵略する行為だから

毎日毎日、昼夜問わず咳を連発する側の人間にはその意識はないだろうが、咳というのは他人のプライベートスペースを侵害する行為なのである。

他人が何かをしている、もしくは意図的に何もしていないその人だけの時間や空間を「ゴホッ! ゴホッ!」というウザい60dB越えの騒音で侵略するのである。

これは国と国だったら戦争になるかもれしない危険な行為だ。

侵略行為なのだからウザいと感じて当然だろう。

仮説4 ヤバい病気を移されるかもという恐怖心を感じるから

コロナ禍以降では当然のことだし、一般の風邪やインフルエンザなどでも他人に移す可能性があるから不快感や恐怖心を覚えるから、結果的にウザさがMAXになるという説。

アカの他人だし、どんな病気持ちから知ったことではないが、コロナも風邪もインフルエンザも咳という意味では全くだし、何らかの病気を移されるのではという恐怖心が芽生える。

近寄りたくないし、半径1Kmくらいは離れたいというのが本音というものだ。

それが出来ない状況にあるから強烈な不快感を覚えるわけである。

他人への侵略行為は言語道断だが、他人が周囲にいる状況ではマスクをしたり、手で口を押えるなどは配慮は絶対に必要だ。