北谷

Sixth Stage 沖縄やんばる Special Touring Style

9日目 ターニングポイント

渡嘉敷島に行くかどうかは直前まで悩んだ。

昨日、港のとまりんで渡嘉敷島を紹介する冊子を貰ってきて、ホテルの部屋で眺めていた。冊子にはダイビング、ホエールウォッチング、海水浴・・・マリンレジャーを楽しむ色黒の人達が沢山写っていた。那覇から近いこともあって、日帰りでそういったものを楽しむ人達が多いのだろう。

曲がりなりにも遠足や修学旅行生が多くて、勉強目的でやってくる人が多い伊江島とは、だいぶ雰囲気が違うのかもしれない。いや、きっとそうに違いない。渡嘉敷島はイケイケでハッピーな人達が集まる島なのだろう。

とても今のボロボロな精神状態では、行っても惨めな気持ちになるだけだろうという結論に達した。船代も自転車代込みで往復5千円近くかかるし、キャンプ場は1泊500円だから、2泊したとすれば1泊あたり3千円か・・・。

それだけ払えば、那覇のホテルに泊まれる。那覇のホテルで湯船に浸かってベッドで寝たとしても、お釣りが貰えるほどの大金だ。

予約済みの埼玉に帰る飛行機は30日に那覇を経つ。沖縄で過ごすのは、あと3泊だけだ。渡嘉敷島に行っても元が取れるように思わなかった。やっぱ、渡嘉敷島に行くのは辞めよう・・・。

ホテルの部屋のWifiを使ってスマホで情報収集すると、ほったらかしにしていた自分のメールボックスに北中城のあやかりの杜さんからメールが届いていた。

あやかりの杜は公立図書館を核とした生涯学習施設のような所だが、沖縄本島で稀少なキャンプ場もある。ただし、サイトの雰囲気を見る限りでは、小学生とかの野外学習みたいな目的じゃないと使えないような感じがした。

それでも、駄目元で『私はアマチュアの沖縄研究家だ』というよくわからん触れ込みで、出発前にメールでしばらく宿泊させて貰えないかと問い合わせていたのだ。

1週間経っても返信を貰えなかったので、やっぱりな、アマチュアじゃ相手されるわけないか、という気持ちで諦めていた。しかし、あやかりさんのメールには休館日以外は連泊して頂くことも可能というような趣旨のことが書かれていた。

あやかりの杜さんは1泊100円。他に行くアテがない私は当然あやかりさんにあやかることにした。ただ、この日はちょうど休館日だったので、今夜だけは北谷のネットカフェで過ごし、明日以降に利用することにした。

うーん。

しかし、そうなると、帰りの飛行機の都合があるので、たった2泊しかできない。まだ沖縄に来てからテントを張ったのは伊江島の2泊だけで、かなりの不完全燃焼だ。『沖縄=自転車ツーリングキャンプ不能な地』というイメージで、彩の国さいたまへ戻るのは、どうかなと思った。

もっと、色々な可能性を探ってみたくなった。

この日の日中、中部地方の東部まで行き、映画のロケなどでもよく使われる海中道路を通って、いくつかの島を渡り、伊計ビーチという所まで走った。

途中、通った平安座島という島は、石油基地の島だ。

車社会、沖縄にとって、すごく重要な島である。ああ、あれだな、東京にとっての福島みたいなものだなと思った。東京の人たちは電気がないと通勤電車も走らせられなくて会社にも行けないけれど、その大事な電気を作る原子力発電所は、万一事故が起こると大変危険。

東京の人間は危険は欲しくないけど、都合よく電気だけが欲しいわけ。こんな都合のいいことがまかり通ってはおかしいが、金と権力で大抵のことは解決できる。

きっと、これの沖縄版だな。ガソリンは大事だけど、事故が起こると危険だから、那覇から遠い所に石油基地を作ったのだろう。知らないけど。

次に通った宮城島はサトウキビ畑ばかりで、静かな島だった。沖縄には沢山の離島があるが、このへんは観光とは無縁のような所なのだろう。

伊計ビーチは、このある意味で楽園のような沖縄にあって、楽園中の楽園のようなイメージだった。

可愛いギャルが裸で寝そべり、愛に満ち溢れている。というほどではないだろうが、少なくとも、そこには素敵な民間キャンプ場があり、1500円と高いのを我慢すれば、サーファー風のスタッフがようこそと暖かく迎えてくれる。そう、ほんわりと希望が見え隠れしていたのだ。

本島と橋で繋がっているとは言っても離島だし、どっかの県営キャンプ場と違って門番払いなんてあるわけがない。うっすらとだが希望を抱いていた。

全力で漕がなければ、2秒で5mは押し戻されてしまうくらいの強い向かい風だった。私は苦労して向かい風に立ち向かった。そして、向かい風に勝った。

だが、現場で私が見たものは想像とは大きく違うものだった。キャンプ場はビーチもろとも閉鎖されていたのだ。レンタカーが3台停まっており、近くに韓国人のイケてない感じのグループがいた。

連中もビーチが閉鎖されているとは知らずに来たようで、付近の水溜りみたいなところで寂しく遊んでいた。

彼らのレンタカー3台を見送ってから、私も来た道をひたすら戻った。日が沈み、あたりは薄暗くなった。今にも消え入りそうな自分の影を見て、うっすらと涙が滲んだ。

本島側へ戻り、お腹が空いたため食事をしようと思った。

うるま市内でタコライス発祥とされる店(諸説あり)、キングタコスに初めて行った。タコライスは沖縄に昔からある料理と思っていたが、意外に歴史は浅く、まだ30年くらいしか歴史がないという。30年も、と言った方がいいのかもしれないが。

ある書籍によると、沖縄の人が沖縄をしばらく離れて沖縄に帰ってきた時、食べたいものと言えばまずは沖縄そば、次にタコライス、3番目が島豆腐らしい。私はむしろ沖縄そばよりもタコライスの方が沖縄料理では好きなくらいで、スーパーの惣菜としてよく購入する。しかし、こういった専門店的なところで本場のタコライスを食べるのは初めてなので、注文してから出てくるまでが楽しみだった。

しかし、本場では、私がこれまで食べてきたタコライスとは違うということを知る。タコライスというのは、ライス、挽肉、野菜、チーズが揃った状態が当たり前と思っていたが、本場では野菜やチーズはオプション(?)扱い。400円の最もベーシックなタコライスはライスに挽肉が乗っただけ。500円だとチーズが、600円払うとやっと私が思い描いていたタコライスになる。

スーパーではタコライスはフルスペックで300円程度なので、600円とは割高な感じがした。ライスに挽肉だけではイメージ的に美味しそうではないので、せめてチーズだけでもオプション(?)をつけた。本当に個人の感想だし、地元の人は600円のフルスペックのものしか食べないのかもしれないけど、はっきり言うと、美味しくなかった。1/3食べるだけでも苦労した。スーパーのタコライスの方がずっと美味しいと思ったのである。

複数のことに同時期に失望し、この日は北谷のネットカフェに行った。

飛行機は変更できないだろうか。そもそも、来た時の飛行機も台風の影響で1週間ずらしたのだし、本来の計画よりも旅行自体が1週間短くなっている。帰りの飛行機も1週間くらいずらして、本来の旅行期間にしようと思った。

ジェットスターのサイトで変更する料金を調べると、ちょうど1週間後に変更した場合、追加料金が8千円弱かかるが変更できそうだった。不完全燃焼なまま埼玉に戻り、また最初からやり直して沖縄に再訪することを考えると、8千円払ってでも延長したほうが、全体としては安上がりな気がした。

もうどうにでもなれ、という気持ちで延長した。これでやっと、沖縄本島で私にとって史上初のまともなキャンプができるだろう。

Sixth Stage 沖縄やんばる Special Touring Style

7日目 乙羽岳、場末のキャンプ場! 涙の帰還

伊江島のキャンプ場を出る日の朝、テントを片付けて荷造りすると、自転車が酷いことになっていた。

自転車があのクソアリ共でぎっしりだ! 自転車に食べ物はないはずだが、積載してる衣類とかの匂いに反応するのか、自転車がアリだらけになっていた。

どうやってクソアリ共を排除しようかと思った。そういう殺虫剤みたいのは持っていないので、残酷だけどライターの火で炙り殺すのがてっとり早い。船は朝8時きっかりに出るので、あまり時間はない。ライターの火を近づけると、アリは自転車からポロポロと落ちていった。

港に行って船に乗り込む。デッキは小学生どもが沢山いたが、帰りは船室で過ごした。もうとっくに海なんて見飽きていたので、海なんて見たくもない。それは何も私だけではない。デッキで海を見ているのは伊江島に初めて来た観光客くらいなものだ。伊江島の住民やビジネスで行き来しているような人達の大半は船内で過ごしているようだった。

最新型の東海道新幹線みたいに、船室の壁際にはノートPC用のコンセントがあったので、軽くスマホやデジカメの充電をする。

前面にはデカいテレビがあり、フジテレビの朝の情報番組が流されていた。テレビの近くの席が人気ある。この便は県外の観光客よりも、沖縄県内の人がほとんどのように思えた。沖縄の人間なのか県外の観光客なのかは、顔つきと肌の色、髪型、体格と服装と持ち物で簡単に見分けられる。間違うことはない。

テレビでは仮装したアナウンサーが東京お台場で行われるハロウィンイベントの紹介をしていた。限りなくどうでもいい・・・。

不思議なのは、東京から1,500キロも離れたこんな田舎でも、東京のイベントを紹介したテレビ番組を面白がって見ている人達が結構いるということだ。沖縄の女子高生がテレビに映る生放送の女性アナウンサーとジャンケン大会をしている。

私は東京から1,000キロ離れた北海道の田舎で育ったからわかるが、こうした『東京』『東京』『東京』『東京』『たまに大阪』『東京』というようなテレビ放送によって、頭の中が東京だらけに洗脳されていく。大人になった頃には、東京が夢の王国みたいなイメージにまで膨れ上がっていて、日本全国、すっかり洗脳人間の出来上がり。実は、テレビというのは日本の隅々にまで東京を宣伝するために存在するメディアなのだ。恐ろしい。

本部港に到着。これからどうしようかと思ったが、とりあえず『ふくふく弁当』で弁当を買って食べる。

猫を見ながら食事。猫は快適な場所を見つける名人だが、ベスポジにもほどがある。弁当を食べ終わり、近くにある瀬底島の散策に向かうことにした。島までは橋で繋がっている。

沖縄のキャンプ場調査をしている時に知ったが、かつて瀬底島には上等なキャンプ場があったらしい。瀬底ビーチだ。今は残念ながら閉鎖されているらしいが・・・。

橋を渡ってそのまま道なりに進んでいくと、営業終了した瀬底ビーチがあった。ビーチ近くには、建設途中で放置された大きな建物があった。かつて、東京の会社がここにリゾートホテルを建設していたが、従業員の採用までしたものの会社が倒産。建物は骨組み剥き出しで何年も放置プレイされている。

建設中のビルが放置プレイされているのは、何も北朝鮮だけではない。日本の、それも東京の会社が沖縄で同じことをやっているのだ。こんな立派な建物を放置プレイするのは勿体ない。せめて、とりあえずどっかの金持ちとかがある程度まで完成させて、公共施設とかに転用したりとかすればいいのだが。

瀬底島というか、母国・日本の現実を目の当たりにして、暗い気持ちで本島へと戻る。

事前調査によれば、本部半島北部の今帰仁村に1泊500円のキャンプ場がある。どうにもならなくなった時に保険というか、最後の砦にしようと思っていたが、7日目にしてお世話になる状況に陥るとは、出発する時には思いもしなかった。

そのキャンプ場は乙羽岳森林公園というところにある。乙羽岳は『おとはだけ』と読むが、地元では『おっぱだけ』と読むことが多い。しかし、どちらもWindows7の標準IMEでは変換できない。地図に載っているような日本の地名はIMEで変換できて当たり前と思っていたが、沖縄の地名は変換できないことが多い。

とりあえず、キャンプ場は置いておいて、今帰仁村方面にサイクリングする。今帰仁は美人が多いところとされているので『なきじん、美人多し わき見注意!』という警察が立てた看板があった。今帰仁に限らないけど、この種の『○○(地名)+美人多し』という看板は、沖縄では色々な所にある。珍しい看板ではない。

ここで少し解説。どういう女性を美人と思うかは、基本的にその人の主観によるが、今までの人生で合計180日間くらい沖縄で過ごした経験によれば、沖縄の女性は次の3タイプに分かれるように思う。

1、ギャル系
芸能人で言えば安室奈○恵さんのような外見。小顔で色黒、茶髪や金髪でタトゥーにピアスでヤンキー、派手な格好。ドレスアップした軽自動車に乗っていて、20代前半でも子供が2人くらいいる。沖縄女性の3割くらい。

2、琉球美人系
比較的色白で体格が良く、性格は元気で明るくてビールと泡盛が好き。オリオンビールのキャンペーンガールや、泡盛の女王とかに選ばれるのは大体このタイプ。沖縄の男に『美人を紹介して』と言うと、大体このタイプの女性を紹介されるので、沖縄の男に美人と思われているのはこのタイプだと思う。沖縄女性の2割くらい。

3、その他、内地系
内地の地方都市にいる女性と変らない外見。ユニクロ等の内地企業の店か、サンエーの衣料館などの服を着ている。沖縄女性の5割くらい。

個人的な経験で申し訳ないが、沖縄で『美人多し』という看板を見かけた時は、2番のタイプが多い地域だと思えば良い。

ところで、今帰仁には今帰仁城跡という有名な観光地がある。世界遺産だから金を払っても見たいという連中が沢山いるので、まぁどうせ有料だろうと思ったが、行ってみたら案の定、有料だったので引き返した。

世界遺産、世界遺産、世界遺産に登録を!と最近は色々な地域でよく言っているけど、商売のための世界遺産なのだ。

今帰仁城跡から引き返し、キャンプ場の案内板も確認したので、沖縄本島から橋で繋がっている離島のいくつかを訪問しに行く。

ワルミ大橋を渡って屋我地島、さらにその先の古宇利島まで渡った。

このへんは一見するとアクセスが悪いから本土のマニア級の観光客しか来ないのでは? と思っていたが、意外と普通の観光客というか、中南部とか名護あたりに住んでいる沖縄の人とかが多い。

私はもう海を見るのは正直、相当飽きてウンザリしており、自宅の部屋の無機質な壁紙を見ているのと大した変わらない程度の感動・・・つまり、沖縄の青くて綺麗な海を見た程度では何とも思わないのだが、せっかくだからと、少し写真を撮ったりして過ごした。

古宇利島はアダムとイヴの伝説があるらしく、説明して貰わないと全くわからないが、沖縄では『恋の島』と呼ばれているらしい。カップルとか家族連れが多いが、至って健全な島に思える。

島の入り口近くの公園で休憩していると、内地からの観光客である50歳くらいの夫婦に写真撮影を頼まれる。好意で引き受けたまでは良かったが、最初、周りの景色が広く写るように構図を横で撮影したら、女に『縦でも撮ってよ!』と怒られる。

というか、そもそも何で私が、このJTBの3泊4日のパックツアーとかで羽田から全日空の飛行機に乗り、恩名村のリゾートホテルに泊まり、レンタカーオプションでノホホンとここまでやって来たような奴らの写真を撮ってあげないとならないのか・・・。

全くもって理解できん。ふざけるな。全日空かJTBの奴にでも撮って貰えよ。こっちは自転車自走で成田からジェットスターで来ているんだぞ。

頭に来たので、今後一切、写真撮影は有料にしようと思った。

古宇利島と屋我地島を後にし、今帰仁村へ戻る。「わ」ナンバーのレンタカーに乗った観光客どもも帰るらしくて、橋はちょっとした渋滞になっていた。橋の中央部分に車を停めて、海をバックに記念写真を撮る連中が多いからだ。

今帰仁村では地域のお祭りのようなものをやっていた。小学1年生くらいの女の子が一人で綿菓子屋をやっていた。

午後3時。キャンプ場の受付時間は5時までなので、キャンプ場を偵察に行く。しかし、2千円くらいが相場の沖縄本島にあって、あそこは500円のキャンプ場だ。安かろう悪かろうで嫌な予感はしていた。

それでも街から遠いので、1泊過ごせるくらいの簡単な飲食物だけは買った。なにしろ、乙羽岳森林公園は乙羽岳の頂上にあるので、テントを建ててから街まで食料を買いに行くのは面倒だからだ。

キャンプ場への道を進む。完全なヒルクライムだ。最初はマシなレベルだったが、案内に従って脇道に入ると、だんだんと細い道になっていった。登り坂は尋常ではなく、軽自動車がすごいエンジン音で登って行ったが、とても自転車では走行不能だった。しかたなく、押して登る。ところが、坂の角度が尋常ではないので、自転車を押しても辛くて汗だくになる。

このキャンプ場はツーリングライダーの方がブログで『沖縄本島唯一の格安キャンプ場でベースキャンプに最適』という風に紹介していた。でも、残念! こんな登り坂があったら、サイクリストがここをベースキャンプにするのはとてもじゃないけれど無理。強力なエンジンを積んだバイクじゃないと、ここは快適には登れないだろう。

ボロボロの状態で坂を登りきると、よくわからない建物とアンテナみたいな塔があった。公園の案内板みたいなものがあったが、想像以上に寂れていて、太陽の光があまり届かず、薄気味悪い。錆付いた看板を見ると、管理棟みたいな建物があるらしいが、どこにあるのかよくわからない。うーん、この目の前にある生活臭があって、民家とも管理棟とも判断できないような建物のことか?

窓とかもないし、扉も閉ざされていて、近寄りがたい・・・。北海道のキャンプ場みたいな開放的な雰囲気とは全く違う。

帰る気満々だったが、記念に奥のほうにあるキャンプサイトを見に行った。キャンプサイトはさらに太陽の光が届かず、薄気味悪い。芝生のようなところだったが、月極駐車場のように区間割りされていた。バイクの人のテントが3つくらいあったが、いくら私でもこんな薄気味悪いところではキャンプしたくないと思った。やっぱ、やんばるは素敵な所だなぁ。

アホみたいな坂を転ばないようにゆっくり下った。残念だが、私はこの場所にはクソみたいな思い出しかない。まぁ、とりあえず名護に戻ろう。

名護へ向かう山道を走っていると、橋の上で唐突に3匹の黒い子猫と出会った。

私が通りかかると、そのうちの1匹が「お願いだから、ボクたちを助けてください・・・」と言わんばかりに寄ってきた。貧乏ツーリング中の私にはどうすることもできなかったが、沖縄では犬や猫は捨てるために飼うみたいなもので、特に那覇など都市部の人がわざわざ北部の田舎に捨てに来るらしい。

このあと、あろうことか軽自動車がすごい速度で走ってきて、横断中の猫などお構いなしに走り去っていった。猫がどうなったか・・・酷すぎる現実で、さすがにこれは思い出したくもない・・・。

名護への最短経路を通り、午後6時頃に名護に到着。名護では選挙の候補者の演説大会というか、三線ライブが行われていた。名護のネットカフェは中南部より高いので、まだ余力があるから夜間だけど北谷方面まで帰ろうと思った。

この名護~那覇の国道58号線は、今回の旅で何度も通った気がする。すっかり道の雰囲気を覚えてしまった。恩納村のビーチリゾート周辺にはバイパスが出来たので、海は見えないが移動するだけなら以前よりも快適に走行することができる。

午後10時頃だろうか、北谷に到着。惣菜を買ったりして、夜の北谷公園のビーチなどで過ごす。

ここは深夜でも夜釣りの人とか、海で泳いでいるアメリカ人とかがいるが、公式には午後10時で閉鎖される。実際に12時近くになったらビーチを管理している人が車で見回りして、ビーチから出てくださいと言われた。パトカーのような車だったので、職務質問の警官かと思ったが、ビーチの管理人だった。沖縄と言えど、中南部のビーチはてーげーではない。

ビーチを追い出されて少し経つと冷たい雨が降ってきた。180円の安物雨ガッパを着る。こういう雰囲気はそんなに嫌いじゃないが、一般的には惨めな状況だろう。

この時考えていたのは、やっぱ沖縄本島はキャンプに向かないということだった。離島に行くしかない。伊江島に戻ることも真剣に考えたが、低予算で行けて、安いキャンプ場がある離島は他には渡嘉敷島がある。

渡嘉敷島は那覇の泊港から船が出ている。明日の朝一の船で渡嘉敷島に渡ろうと思った。

Fourth Stage 沖縄本島編

2日目 その1 とりあえず、北谷かどっかまで

午前9時半頃、沖縄・那覇空港に到着する。沖縄を訪れるのは約2年ぶりだ。10何回目かの沖縄アイランド。ピーク時には年に3回も沖縄に来ていたことを考えると、空白の2年間だったと言える。意識して沖縄から遠ざかっていたのだ。今回の旅の目的の一つは、格好よく言えば、過去の自分との再会だ。

自転車を受け取り、空港を出て組み立てる。外国だとスーツケースとかと一緒に『グルグル回転するやつ』に載せられて出てきたり、ぶん投げられたりするらしい(?)が、ジェットスターの国内線では、北海道でも沖縄でも、大抵ガタイのいいお兄さんが直接運んできてくれる。

那覇空港からは沖縄県唯一の軌道系交通として「ゆいレール」という名称のモノレールが出ている。観光客集まる「国際通り」近くを経由して、やはり観光客集まる首里までを結んでいる。

首里は元々は首里市という独立した街で、琉球王国時代に偉い人が住んでいた所だ。関西地方で言えば、那覇は大阪、首里は京都だ。住んでいる人の気質も異なると言われる。

首里の人は、無理して北海道に例えれば、東京にいる札幌出身の人だ。札幌の人は「どこ出身?」と言っても「北海道」とは言わないで、なぜか「札幌出身です」と言う。首里の人も那覇じゃなくて「首里」と言う。

沖縄県内のスーパーや、ほっともっとなどの弁当屋は24時間営業しているところも多いが、ゆいレールは24時間営業ではないので注意。ちなみに戦前は沖縄にも多くの鉄道路線があったが、戦争でなくなってしまった。自分が鉄道関係の偉い人だったら、北海道の赤字路線をやめてでも、沖縄に鉄道を作りたい。北海道新幹線も函館まで開業して本州と行き来しやすくなれば、それで十分な気がする。どうせ札幌まででは道北や道東の人は恩恵を受けにくいし、「うちなータイム」ならぬ「道民タイム」が壊されてしまう。

写真は日本最南端の鉄道駅、赤嶺駅。近くには沖縄ローカルのスーパー「ユニオン」がある。沖縄にはサンエー、かねひで、りうぼうなどのローカルスーパーがある。他に内地資本のイオン、マックスバリューもある。内地色が強いと受け入れられないからか、内地資本の企業は「イオン琉球株式会社」「株式会社ローソン沖縄」などと沖縄を意識した社名で子会社として営業していることが多い。サンエーではローソンのPB商品のレトルト食品などを扱っている。沖縄の吉野家にはタコライスがある。

那覇空港の近くにはレンタカー屋が沢山ある。3泊4日くらいのパック旅行で沖縄に来た家族連れとかは、大抵レンタカーを使う。空港からレンタカー屋のマイクロバスで店舗に移動する形式が多い。那覇市内に宿泊する人はゆいレールで、北谷や恩納、コザ、名護方面に向かう人はバスを使う。那覇市内中心部(国際通りあたり)までは歩いても1時間くらいなので、荷物が少ない人は歩いても楽しいと思う。ほとんど歩いていく人はいないが・・・。ゆいレール沿いに歩いてもいいが、空港北側の道路を歩いた方が街には近い。

今回は自転車があるので、当然自転車を使う。沖縄の人は自転車に乗る習慣があまりないので、いわゆるママチャリに乗っている人はほとんどいない。県内で自転車やトライアスロンなどの大会があるので、スポーツ自転車に乗ってる人をたまに見かける程度。よって、街中の自転車屋はとても少ない。那覇や名護などにスポーツ自転車メインの自転車が数店舗あるが、ママチャリをメインとして自転車屋はほとんど見ない。

イオンやホームセンターの自転車コーナーをあてにしてもいいが、本土でさえ、そういう店には整備士がいない場合があるので、どこまでに頼りにしていいかわからない。沖縄のイオンの自転車コーナーを回ったが、700サイズの仏式バルブという、スポーツ車では極めて一般的なチューブを扱っていなかった。沖縄に行く場合は本土で多めに買っていった方がいい。

文化とか気候とか人間とか色々な面で、東京と北海道は実はそれほど違いがないが、東京と沖縄の違いは大きいように思う。

かねひでで買い物して朝ごはん。タコライス、ちんすこう、ドラム(フライドチキン)、ルートビア。

ルートビアは沖縄独自の飲み物と誤解している人がたまにいるが、別に沖縄の飲み物というわけではない。欧米やアジアなどの大抵の国でコーラと同じくらいどこの店にも売っている、全人類的な飲み物である。映画のタイタニックにも「ルートビアでも飲まないか?」という台詞があった気がする。海外だと1.5Lのペットボトルとかも売っている。日本では沖縄以外では輸入食料品店くらいでしか買えない。ドクターペッパーに似ていると言う人もいるが、私はドクターペッパーとはかなり別物だと思う。

北海道にもガラナというブラジルのコーラ風の飲み物がある。昔、北海道にはコーラがなかったので、先回りしてガラナが普及したらしい。コーラが北海道に入ってきたのはガラナから遅れること3年。私はガラナにはそれほど思い入れがない。

なんみんビーチ。ガイドブックには波の上ビーチと書いてあるビーチのこと。海に囲まれた沖縄も、那覇市内では唯一のビーチがここ。東京とか横浜みたいに、海岸は橋だらけで、これがビーチと言えるかよ、という状態に。誰もいないのは冬だからで、夏だと多少は人がいる。

なんみんのすぐ近くはラブホテル街で、40軒くらいソープランドもある。自動車学校もあって、本当か知らないが、沖縄出身の人が言うには路上試験のコースがそのラブホテル街なのだとか。ちゃんぷるー(ごちゃまぜという意味)文化らしく、小学校低学年の子供がラブホテル街でボール遊びをしていた。

写真中央付近にあるのがホテル「きまぐれポニーテール」。ここ2年くらいの間に看板が変わってしまった。昔のポニーテールの女の子の看板の方がよかった。「きまぐれポニーテールの角を右に曲がって」などと教習をやるのだろうか。

私は札幌で自動車免許を取ったが、雪国で免許を取るんだったら、絶対に雪のある季節に通った方がいい。雪のない季節に免許を取ったので、怖くて雪道なんて運転できそうもない。沖縄の人も、信号がほとんどないような離島で免許をノホホンと取ってしまうと、本島に来て運転する時に大変らしいが。

市街地を避けて、橋の上を通って北に向かっていく。自転車人口の少ない沖縄にもサイクリングロードがあるが、都市間移動に適したものではない。那覇市街を抜けたら沖縄の大動脈・国道58号線に入る予定だ。なんかやっぱり、自転車を漕ぐと右膝が痛む。昨日の痛みは気のせいではなかったようだ。不安だ。膝に負担がかからないようにギアを調整しながら走る。サイクリストにとって膝は命だ。

国道58号線の立派な交差点。今いる所が那覇市で、向こう側が浦添市。東京と埼玉、いや札幌と小樽、または札幌と江別と言ったところだ。このあたりの通勤時間帯の交通量は、東京、大阪など本土の大都市と同じレベルだという。ぜんぶ電車交通がないせいだ。

58号線沿いにある沖縄の某理髪店チェーンは、平日大人700円。本土で700円の理髪店はそうはないなー。あっても怖くて行きたくないけど。沖縄の最低賃金は現在、時給664円だ。以前は北海道の最低賃金も630円くらいだったが、今は734円にまでアップしている。この金額、北関東3県や、福岡県、広島県などよりも高い。エラい人が最低賃金をどうやって決めているのかは知らないが、北海道は冬は暖房費がかかるし、隣町まで何十キロも離れていて他県より交通費がかかるから、そのあたりを考慮しているんだろうか。

北海道の物価はイメージほど安くない。ジンギスカンの肉は本州よりかなり安いが・・・。北海道は正社員でも15万円前後の給与の会社が多いのに、なぜか北海道民の平均給与が割と高いのは、自衛官など国家公務員が押し上げているためだ。北海道は日本最北端のうえ、国土の4分の1もの面接があるため、自衛隊の駐屯地が沢山ある・・・。

58号線の宜野湾バイパス。市街地の混雑を避けつつ、海を見ながら走りたいなら、迷わずバイパスだ。快適な沖縄サイクリングのツボは、ずばりバイパスにある。那覇、浦添、宜野湾くらいまでは街が連続的に続いている。意識していないと、違う街になったことがわからないくらい。

国道58号線は米軍の軍用道路として作られたが、このエリアの旧道に相当するのは、東側を走る県道251号線、パイプライン通りである。その名の通り、かつては米軍基地へのジェット燃料輸送のためにパイプラインが通っていた。元々、車などの走行を想定していない道路なので、歴史めぐりをするなら徒歩で行くのがよい。

浦添は那覇のベッドタウンという雰囲気だが、しっかり“基地の街”でもある。沖縄に何度も通っていても余所者には掴みどころがわかりにくい街だが、屋冨祖交差点のあたりが繁華街である。

宜野湾くらいまで来ると、釣りスポットやジョギングコースなどが満載。海っぽい雰囲気になってくる。そんなことを思う平日の昼間。沖縄に住むんだったら、こういう所まで散歩して来れるような場所がいいな。

ユニオンで買ってランチ。沖縄のカツ丼は、本土のものより具が豪華。店によるが、人参、ピーマン、玉ねぎなど野菜が沢山入っている。奥にあるアイスティーは、実際に那覇にある食堂をモデルとしているらしい。私の行きつけの食堂もそうだが、沖縄の食堂ではアイスティーが飲み放題になっていることが多い。

沖縄の食堂は本土の食堂とは色々な面で異なる。大抵、Aランチ、Bランチ、Cランチというメニューがあるが、Aが一番豪華。ランチとあるが実際はいつでも注文できる。なんとかチャンプルーとか、沖縄そばなど沖縄系の食事は大抵扱っているが、個人的には食堂ではラーメンは頼まない方がいいと思う。・・・インスタントラーメンの場合があるので。

アラハビーチ。米軍基地がすぐそばにあるので、アメリカ人も多く、金髪の女性がランニングしていたりする。那覇の国際通りなんかより、ずっと国際的だ。米ドルで買い物ができる店もある。遠くに見える観覧車や高層ホテルなどは、北谷町の美浜タウンリゾート・アメリカンビレッジ。地元の人と観光客で半々くらい。いつも賑わっていて、明るい雰囲気。

外人が多いエリアであることは触れたが、外人専用のバーや飲食店も多い。「ここは日本なんだから、日本人お断りなんて有り得ない、俺様が絶対許さん!」などと粋がっても、ホントにガタイのいい外人ばかりで、雰囲気的に絶対入れないような店もある。噂では、金髪ダンサーが躍るストリップ劇場もあるとかないとか。

昨日100Km走って、空港からここまで20Kmくらい。疲れたので、自転車を降りて少し休憩する。物思いにふける。

右膝の痛みが気になる。膝を伸ばしたり曲げたりすると、激痛というほどではないが、にぶい痛みが走る。靭帯を損傷すると自転車なんてまともに乗れなくなる。自転車どころか、歩行すらままならなくなり、日常生活にも支障が出る。

同じ場所を5年くらい前にも損傷したことがある。寒い冬の日の朝方だった。栃木県宇都宮市からの帰りで、はじめは小さな痛みだったが、気にせず走り続けていたら激痛となった。自転車を放棄して電車で帰ればよかったのだが、無理して乗ってしまった。そして、階段の上り下りがまともにできない状態が1か月も続いた。

新潟や東北、北海道を走って、今は沖縄にいる。自転車を辞めるべきか。自転車を辞めて、人間も辞める・・・が正解だ。

私は普段、煙草を吸わない。吸わないどころか、かなりの嫌煙家だ。自宅近くのコンビニに灰皿が設置されているせいで、自宅近くまで煙草の煙が漂ってくるから、なんとかしろ! と軽く苦情を入れたこともある。体に悪いことを承知で、高い金を出して煙草を吸っている人を理解できない。煙草を吸っている人を「ダメな人」と決めつけてしまう時すらある。

そんな私が、なぜか煙草を吸いたくなった。「ダメな人」になってしまおうと思ったからだ。近くのイオンで煙草とライターを買う。20歳くらいの頃に煙草を吸っていた時期が少しある。その頃は1箱250円くらいだったと思うが、今は410円もする。自販機ではタスポというカードがないと買えない。ライターはCR、チャイルドロックという子供のいたずらを防ぐ構造になっていて、相当な力を加えないと着火できないようになっている。最初、このライター固くておかしいんじゃないの? と思った。煙草のパッケージには「ガンになりますよ」的な警告文が昔よりデカデカと書かれている。

煙草を数本吸ってみる。美味しいとも何とも思わないが、舌先がヒリヒリする。喉が痛い。そして、激しい頭痛が襲う・・・。体がダルい。やはり、煙草は人体に有害だったのだ。ふんだりけったり。

その2に続く