Sixth Stage 沖縄やんばる Special Touring Style

7日目 乙羽岳、場末のキャンプ場! 涙の帰還

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伊江島のキャンプ場を出る日の朝、テントを片付けて荷造りすると、自転車が酷いことになっていた。

自転車があのクソアリ共でぎっしりだ! 自転車に食べ物はないはずだが、積載してる衣類とかの匂いに反応するのか、自転車がアリだらけになっていた。

どうやってクソアリ共を排除しようかと思った。そういう殺虫剤みたいのは持っていないので、残酷だけどライターの火で炙り殺すのがてっとり早い。船は朝8時きっかりに出るので、あまり時間はない。ライターの火を近づけると、アリは自転車からポロポロと落ちていった。

港に行って船に乗り込む。デッキは小学生どもが沢山いたが、帰りは船室で過ごした。もうとっくに海なんて見飽きていたので、海なんて見たくもない。それは何も私だけではない。デッキで海を見ているのは伊江島に初めて来た観光客くらいなものだ。伊江島の住民やビジネスで行き来しているような人達の大半は船内で過ごしているようだった。

最新型の東海道新幹線みたいに、船室の壁際にはノートPC用のコンセントがあったので、軽くスマホやデジカメの充電をする。

前面にはデカいテレビがあり、フジテレビの朝の情報番組が流されていた。テレビの近くの席が人気ある。この便は県外の観光客よりも、沖縄県内の人がほとんどのように思えた。沖縄の人間なのか県外の観光客なのかは、顔つきと肌の色、髪型、体格と服装と持ち物で簡単に見分けられる。間違うことはない。

テレビでは仮装したアナウンサーが東京お台場で行われるハロウィンイベントの紹介をしていた。限りなくどうでもいい・・・。

不思議なのは、東京から1,500キロも離れたこんな田舎でも、東京のイベントを紹介したテレビ番組を面白がって見ている人達が結構いるということだ。沖縄の女子高生がテレビに映る生放送の女性アナウンサーとジャンケン大会をしている。

私は東京から1,000キロ離れた北海道の田舎で育ったからわかるが、こうした『東京』『東京』『東京』『東京』『たまに大阪』『東京』というようなテレビ放送によって、頭の中が東京だらけに洗脳されていく。大人になった頃には、東京が夢の王国みたいなイメージにまで膨れ上がっていて、日本全国、すっかり洗脳人間の出来上がり。実は、テレビというのは日本の隅々にまで東京を宣伝するために存在するメディアなのだ。恐ろしい。

本部港に到着。これからどうしようかと思ったが、とりあえず『ふくふく弁当』で弁当を買って食べる。

猫を見ながら食事。猫は快適な場所を見つける名人だが、ベスポジにもほどがある。弁当を食べ終わり、近くにある瀬底島の散策に向かうことにした。島までは橋で繋がっている。

沖縄のキャンプ場調査をしている時に知ったが、かつて瀬底島には上等なキャンプ場があったらしい。瀬底ビーチだ。今は残念ながら閉鎖されているらしいが・・・。

橋を渡ってそのまま道なりに進んでいくと、営業終了した瀬底ビーチがあった。ビーチ近くには、建設途中で放置された大きな建物があった。かつて、東京の会社がここにリゾートホテルを建設していたが、従業員の採用までしたものの会社が倒産。建物は骨組み剥き出しで何年も放置プレイされている。

建設中のビルが放置プレイされているのは、何も北朝鮮だけではない。日本の、それも東京の会社が沖縄で同じことをやっているのだ。こんな立派な建物を放置プレイするのは勿体ない。せめて、とりあえずどっかの金持ちとかがある程度まで完成させて、公共施設とかに転用したりとかすればいいのだが。

瀬底島というか、母国・日本の現実を目の当たりにして、暗い気持ちで本島へと戻る。

事前調査によれば、本部半島北部の今帰仁村に1泊500円のキャンプ場がある。どうにもならなくなった時に保険というか、最後の砦にしようと思っていたが、7日目にしてお世話になる状況に陥るとは、出発する時には思いもしなかった。

そのキャンプ場は乙羽岳森林公園というところにある。乙羽岳は『おとはだけ』と読むが、地元では『おっぱだけ』と読むことが多い。しかし、どちらもWindows7の標準IMEでは変換できない。地図に載っているような日本の地名はIMEで変換できて当たり前と思っていたが、沖縄の地名は変換できないことが多い。

とりあえず、キャンプ場は置いておいて、今帰仁村方面にサイクリングする。今帰仁は美人が多いところとされているので『なきじん、美人多し わき見注意!』という警察が立てた看板があった。今帰仁に限らないけど、この種の『○○(地名)+美人多し』という看板は、沖縄では色々な所にある。珍しい看板ではない。

ここで少し解説。どういう女性を美人と思うかは、基本的にその人の主観によるが、今までの人生で合計180日間くらい沖縄で過ごした経験によれば、沖縄の女性は次の3タイプに分かれるように思う。

1、ギャル系
芸能人で言えば安室奈○恵さんのような外見。小顔で色黒、茶髪や金髪でタトゥーにピアスでヤンキー、派手な格好。ドレスアップした軽自動車に乗っていて、20代前半でも子供が2人くらいいる。沖縄女性の3割くらい。

2、琉球美人系
比較的色白で体格が良く、性格は元気で明るくてビールと泡盛が好き。オリオンビールのキャンペーンガールや、泡盛の女王とかに選ばれるのは大体このタイプ。沖縄の男に『美人を紹介して』と言うと、大体このタイプの女性を紹介されるので、沖縄の男に美人と思われているのはこのタイプだと思う。沖縄女性の2割くらい。

3、その他、内地系
内地の地方都市にいる女性と変らない外見。ユニクロ等の内地企業の店か、サンエーの衣料館などの服を着ている。沖縄女性の5割くらい。

個人的な経験で申し訳ないが、沖縄で『美人多し』という看板を見かけた時は、2番のタイプが多い地域だと思えば良い。

ところで、今帰仁には今帰仁城跡という有名な観光地がある。世界遺産だから金を払っても見たいという連中が沢山いるので、まぁどうせ有料だろうと思ったが、行ってみたら案の定、有料だったので引き返した。

世界遺産、世界遺産、世界遺産に登録を!と最近は色々な地域でよく言っているけど、商売のための世界遺産なのだ。

今帰仁城跡から引き返し、キャンプ場の案内板も確認したので、沖縄本島から橋で繋がっている離島のいくつかを訪問しに行く。

ワルミ大橋を渡って屋我地島、さらにその先の古宇利島まで渡った。

このへんは一見するとアクセスが悪いから本土のマニア級の観光客しか来ないのでは? と思っていたが、意外と普通の観光客というか、中南部とか名護あたりに住んでいる沖縄の人とかが多い。

私はもう海を見るのは正直、相当飽きてウンザリしており、自宅の部屋の無機質な壁紙を見ているのと大した変わらない程度の感動・・・つまり、沖縄の青くて綺麗な海を見た程度では何とも思わないのだが、せっかくだからと、少し写真を撮ったりして過ごした。

古宇利島はアダムとイヴの伝説があるらしく、説明して貰わないと全くわからないが、沖縄では『恋の島』と呼ばれているらしい。カップルとか家族連れが多いが、至って健全な島に思える。

島の入り口近くの公園で休憩していると、内地からの観光客である50歳くらいの夫婦に写真撮影を頼まれる。好意で引き受けたまでは良かったが、最初、周りの景色が広く写るように構図を横で撮影したら、女に『縦でも撮ってよ!』と怒られる。

というか、そもそも何で私が、このJTBの3泊4日のパックツアーとかで羽田から全日空の飛行機に乗り、恩名村のリゾートホテルに泊まり、レンタカーオプションでノホホンとここまでやって来たような奴らの写真を撮ってあげないとならないのか・・・。

全くもって理解できん。ふざけるな。全日空かJTBの奴にでも撮って貰えよ。こっちは自転車自走で成田からジェットスターで来ているんだぞ。

頭に来たので、今後一切、写真撮影は有料にしようと思った。

古宇利島と屋我地島を後にし、今帰仁村へ戻る。「わ」ナンバーのレンタカーに乗った観光客どもも帰るらしくて、橋はちょっとした渋滞になっていた。橋の中央部分に車を停めて、海をバックに記念写真を撮る連中が多いからだ。

今帰仁村では地域のお祭りのようなものをやっていた。小学1年生くらいの女の子が一人で綿菓子屋をやっていた。

午後3時。キャンプ場の受付時間は5時までなので、キャンプ場を偵察に行く。しかし、2千円くらいが相場の沖縄本島にあって、あそこは500円のキャンプ場だ。安かろう悪かろうで嫌な予感はしていた。

それでも街から遠いので、1泊過ごせるくらいの簡単な飲食物だけは買った。なにしろ、乙羽岳森林公園は乙羽岳の頂上にあるので、テントを建ててから街まで食料を買いに行くのは面倒だからだ。

キャンプ場への道を進む。完全なヒルクライムだ。最初はマシなレベルだったが、案内に従って脇道に入ると、だんだんと細い道になっていった。登り坂は尋常ではなく、軽自動車がすごいエンジン音で登って行ったが、とても自転車では走行不能だった。しかたなく、押して登る。ところが、坂の角度が尋常ではないので、自転車を押しても辛くて汗だくになる。

このキャンプ場はツーリングライダーの方がブログで『沖縄本島唯一の格安キャンプ場でベースキャンプに最適』という風に紹介していた。でも、残念! こんな登り坂があったら、サイクリストがここをベースキャンプにするのはとてもじゃないけれど無理。強力なエンジンを積んだバイクじゃないと、ここは快適には登れないだろう。

ボロボロの状態で坂を登りきると、よくわからない建物とアンテナみたいな塔があった。公園の案内板みたいなものがあったが、想像以上に寂れていて、太陽の光があまり届かず、薄気味悪い。錆付いた看板を見ると、管理棟みたいな建物があるらしいが、どこにあるのかよくわからない。うーん、この目の前にある生活臭があって、民家とも管理棟とも判断できないような建物のことか?

窓とかもないし、扉も閉ざされていて、近寄りがたい・・・。北海道のキャンプ場みたいな開放的な雰囲気とは全く違う。

帰る気満々だったが、記念に奥のほうにあるキャンプサイトを見に行った。キャンプサイトはさらに太陽の光が届かず、薄気味悪い。芝生のようなところだったが、月極駐車場のように区間割りされていた。バイクの人のテントが3つくらいあったが、いくら私でもこんな薄気味悪いところではキャンプしたくないと思った。やっぱ、やんばるは素敵な所だなぁ。

アホみたいな坂を転ばないようにゆっくり下った。残念だが、私はこの場所にはクソみたいな思い出しかない。まぁ、とりあえず名護に戻ろう。

名護へ向かう山道を走っていると、橋の上で唐突に3匹の黒い子猫と出会った。

私が通りかかると、そのうちの1匹が「お願いだから、ボクたちを助けてください・・・」と言わんばかりに寄ってきた。貧乏ツーリング中の私にはどうすることもできなかったが、沖縄では犬や猫は捨てるために飼うみたいなもので、特に那覇など都市部の人がわざわざ北部の田舎に捨てに来るらしい。

このあと、あろうことか軽自動車がすごい速度で走ってきて、横断中の猫などお構いなしに走り去っていった。猫がどうなったか・・・酷すぎる現実で、さすがにこれは思い出したくもない・・・。

名護への最短経路を通り、午後6時頃に名護に到着。名護では選挙の候補者の演説大会というか、三線ライブが行われていた。名護のネットカフェは中南部より高いので、まだ余力があるから夜間だけど北谷方面まで帰ろうと思った。

この名護~那覇の国道58号線は、今回の旅で何度も通った気がする。すっかり道の雰囲気を覚えてしまった。恩納村のビーチリゾート周辺にはバイパスが出来たので、海は見えないが移動するだけなら以前よりも快適に走行することができる。

午後10時頃だろうか、北谷に到着。惣菜を買ったりして、夜の北谷公園のビーチなどで過ごす。

ここは深夜でも夜釣りの人とか、海で泳いでいるアメリカ人とかがいるが、公式には午後10時で閉鎖される。実際に12時近くになったらビーチを管理している人が車で見回りして、ビーチから出てくださいと言われた。パトカーのような車だったので、職務質問の警官かと思ったが、ビーチの管理人だった。沖縄と言えど、中南部のビーチはてーげーではない。

ビーチを追い出されて少し経つと冷たい雨が降ってきた。180円の安物雨ガッパを着る。こういう雰囲気はそんなに嫌いじゃないが、一般的には惨めな状況だろう。

この時考えていたのは、やっぱ沖縄本島はキャンプに向かないということだった。離島に行くしかない。伊江島に戻ることも真剣に考えたが、低予算で行けて、安いキャンプ場がある離島は他には渡嘉敷島がある。

渡嘉敷島は那覇の泊港から船が出ている。明日の朝一の船で渡嘉敷島に渡ろうと思った。

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