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川端康成の小説『雪国』を難解に感じる現代日本人が多い理由

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トンネルを抜ける前に当たる群馬県側の水上駅(2025年3月撮影)

“国境の長いトンネルを抜けると雪国であった”

という冒頭が有名な川端康成の『雪国』は、新潟の温泉街「越後湯沢」を舞台にした小説である。

文学的な評価の高さや国内外での知名度とは裏腹に、普通の現代日本人が読むと、難解に感じてしまうことが多いとも言う。

基本的な事項として、戦前の古い小説である。

仮名遣いや言い回し、各所の表現が古かったりすることはあるものの、そこまで難しい文章ではないのに、いまいち、すーっとは話が頭の中に入ってこないような、ムズ痒い感じを覚える人は多いかもしれない。

自分もそんな一人だったので、その理由を簡潔に自分なりにまとめてみたのが本記事である。

ちなみに、有名な冒頭文の国境の読み方は、「こっきょう」じゃなくて、当時の一般的な読み方である「くにざかい」が正しいとする説がある。

複数の短編小説を合体させた長編小説

いま文庫本などで一冊の長編小説として読める『雪国』は、元々は複数の雑誌でバラバラに発表されていた短編小説である。

長編として発表する構想はなかったというから、長編を前提としてストーリーが書かれていたわけではないのである。

今どきのゲームとかでいう分割商法や完全版商法と同じというわけではないけれど、短編小説は話がサラッとしているのが多いから、元々が短編小説だけに、短編小説的なサラッとした感じを受けるのは、このせいなのかもしれない

ちなみに、例の有名な冒頭の一文は、長編小説として完全版で発売する時に後付けで出来た一文なのだという。

現代日本には存在しない芸者の制度が話の中心

なにしろ戦前の軍国主義の大日本帝国が舞台である。

ヒロインの駒子は芸者であるが、小説で描かれているような、そこいらの普通の温泉宿に泊まりにきた男性客と、同じ部屋で一晩泊まって夜の相手をする売春婦としての芸者は、現代日本では(おそらく)存在していない。

現代日本では通用しない児童労働や売春がストーリーに深く関わる一方で、現代では考えられないような仕組みや文化、社会構造での話だから、現代日本しか知らない人間の想像力では、理解に限界があるのは仕方がないことであろう。

直接的な売春行為に関する描写がない

上記に関連するが、作者の文学的な表現か、直接的な表現が時代的によくなかったのかは不明だけど、売春行為に関する直接的な表現はなくて、比較的わかりやすい描写でも「あんなこと」などの表現でしかない。

直接的で過激な表現が多い今どきのライトノベルとかの各種メディアに慣れていると、想像力を相当に働かせないと言わんとしていることがわかりにくい。

いや、想像したところで、どうやってもわからないかもしれない。

ナウな現代日本人には理解がしにくいかも

現代日本を生きている現代日本人にとっては、現在しない制度などを理解、経験していないと難解に感じてしまうと思う。

短編小説として最初に発表されたのは、1935年と90年も昔である。

その時代に芸者を利用したことがある人は、今はほとんど生きていないであろう。

ストーリーを追うだけでも当時の芸者のことを知っていないとならないし、戦前の大日本帝国を研究する本として読むくらいのつもりでないと、描写の背景などは理解が難しいように思ったのが正直なところ。

芸者は海外の人にも「Geisha」として有名だと思うけど、昭和後期生まれの自分でさえも、芸者って何ですか? って感じだわ(笑)。聞いたことはあっても、現代の芸者も、戦前の芸者も全然よく知らん。

現代の一般日本人より、日本マニアの外人とか方が芸者に詳しかったりするかも知しれんね。

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