コネタ

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沖縄で“外国人のような姿”のどこの国の子かよくわからない子供をよく見かける理由

沖縄を歩いているとアメリカ人にもアジア人のようにも見える、外国人のような姿の子供をよく見かける。各地にあるインターナショナルスクールと呼ばれる施設の周辺では特に多く、「沖縄って世界中から留学生が来るような教育の進んだ場所なのかな?」などと疑問を持っていた。

アメラジアンはアメリカ人とアジア人のハーフ

調べてみると彼らは沖縄に学びに来ている留学生の類ではなく、アメラジアン(Amerasian)と呼ばれる子供たちのようであった。アメラジアンはアメリカ人とアジア人の親を持つ子供のことで、特に米軍の駐留を背景に生まれた人々を指す。ベトナム戦争期に使われ始めた呼称で、米軍のアジア展開の中で生まれた子供たちがアメラジアンだ。

沖縄にアメラジアンの子供が多いのは、もちろん偶然ではない。日本では、在日米軍基地の約7割が沖縄に集中していることから、沖縄はアメリカと日本が最も濃密に接触する場所であった。

その結果として、沖縄では今でも年間300人弱のアメラジアンが新たに生まれているという。

アメラジアンが抱える“ダブル“の課題

アメラジアンの子供たちは、日本語と英語の両方が中途半端になりやすく、外見によって“外国人扱い”されることが多い。

文化的にも言語的にも、どちらの側にも完全には属せないという感覚を抱えながら育ち、さらに親の帰国や家庭環境の不安定さといった事情を背負いやすいという課題もある。沖縄には、こうした子どもたちの受け皿としてアメラジアン向けのスクールやインターナショナルスクールが各地に存在しており、言語や文化の両面で支援を行っている。

とはいえ、成人後も課題は続く。就職活動では日本語の癖を指摘されることがあり、米軍基地関連の仕事に進む人もいるが、それが“最も受け入れられやすい選択肢”として固定化されてしまうこともある。さらに、アメリカに渡った場合には今度は“アジア人”として扱われ、また別の境界線に立たされることになる。彼らは常に、文化的な境界の上を歩かされていると言える。

これからは日本全国が“沖縄化”していく

沖縄のアメラジアンは、「米軍基地が多いゆえの特殊な例」と思われがち。しかし、そんな時代はもう終わっている。

なぜなら、日本全国で外国人住民が急増しているからだ。技能実習生、特定技能、留学生アルバイト。あなたの身近にも、そんな名目で日本に住んでいる外国人がいるのではないだろうか。特に、地方の工場、介護施設、農業関連、コンビニ、外食チェーンなど、もはや外国人なしでは成立しない産業も多くなっている。

沖縄で見た光景は“未来の日本の予告編”

沖縄は日本の未来の縮図であり、アメラジアンはその先行サンプルだ。

沖縄のアメラジアンは“基地による現象”だったが、外国人住民が増え続ける日本では、やがて多文化風景が全国において当たり前になる。都市部でも農村部でも日本企業が外国人を大量に受け入れ、低賃金労働を支えるために依存し続ける限り、アメラジアンのような多文化の子供たちが全国で増えていくのは当然の流れである。

北海道の農業地域の例

技能実習生の子供が増え、学校で日本語支援が必要なケースが急増。

愛知・岐阜の工場地帯の例

ブラジル系、フィリピン系の子供が多く、学校が多言語対応を迫られている。

関東の介護施設周辺の例

ベトナム、ネパール系の家族が増え、地域のコミュニティ構造が変化。

これらの例は、沖縄のアメラジアンと同じような“多文化構造”が全国に広がっている証拠だ。

日本中が“チャンプルー文化”へと変わりつつある

沖縄に何十回と通い続けてきた筆者自身、アメラジアンという存在を詳しく知る機会がなかった。むしろ、関心を寄せたことすらなかったとも言える。

しかし、アメラジアンを知らなかったのは筆者だけではないだろう。多くの日本人は、沖縄のような“チャンプルー文化”はすでに全国で当たり前のことになっていて、文化が混ざり合った子供たちが各地で生まれている現実を直視していないはず。

戦後、沖縄を“特殊な場所”として片付けてきた日本社会。実は自分たちの足元でも沖縄と同じような変化が進んでいることに気づいていない。アメラジアンは沖縄だけの問題ではなく、日本全体の未来の姿であり、チャンプルー文化はすでに日本全国に広がっている。

旅モノ

【沖縄市】憧れだった「デイゴホテル」に宿泊して有名なフレンチトーストを食べてきたぞ

沖縄通の人が書いている書籍に出てきたり、コアな沖縄旅行者に好まれている沖縄市(コザ)の「デイゴホテル」に朝食付きで宿泊してきたぞ。

語弊がないように言うと「憧れ“だった”」というのは、すべての憧れというのは、経験した瞬間に憧れでも何でもなくなるというだけの一般的な意味である。

デイゴホテルの雰囲気

フロントの雰囲気はちょっとした観光ホテル風

デイゴホテル、デイゴホテルと名前だけはよく知ってるのだけど、どんなホテルか概要を改めて調べてみた。

と言っても、チェックアウト時にフロントに置いてあったホテル紹介のリーフレットを貰ってきて、後でじっくり見ようかなと思っていたのだけど、「観光に、ビジネスに、そしてご家族で」というキャッチコピーがあるという程度で、さらっとした設備紹介くらいしか載っていない。ディープなコザの街と同様に、このホテルも表面だけではわからないディープさが漂っているようだ。

ネットで調べた方がわかるようで、創業は1966年らしく、俺が誕生してからの歴史よりだいぶ長いことディープなコザに鎮座しているようだ。

那覇の街から歩いて4時間、ホテルに到着してまず思ったのは、ちゃんとしたフロントがあるということ。安いビジネスホテルとかだと「フロントってなんですか?」みたいな立ち飲みカウンターなのしかない場合もあるけれど、ちゃんとしたフロントという空間が設けられている。観光ホテルという趣に近い。

部屋の雰囲気

暖色系の間接照明がナイスな室内

部屋のタイプは何タイプかあるけれど、たぶん一番安い普通のシングルだったと思う。

上の写真はレンズの画角(35mm換算で28mm程度)の関係で窮屈に思えるかもしれないけど、クソみたいな安ビジネスホテルと違って、実際にはヨガかなんかできそうな程度のスペースがある。

ベッドサイドからだとこんな感じの景色

北谷のほうの海沿いにありがちな、こじゃれた系のホテルに近い感じ。安ビジネスホテルだとデスクと人間一人分の細い通路とベッドという3段構えのレイアウトが定番だけど、部屋の中にちゃんとした空間がある。

ユニットバスじゃないバスルームは今の時代は珍しい

デイゴホテルには宿泊者は無料の大浴場もあるが、部屋にもちゃんとしたバスルームがある。

日帰りで外来者も利用できるそうで、この大浴場もデイゴホテルの人気の理由の一つらしいけど、朝方にちょろっと入りに行ったら、北海道とか本州とかの温泉街にあるような大きな温泉ホテルとかに比べると、そこはまあ街中にあるホテルの大浴場だよね、っていうのが正直な印象だった。

それでも昔行ったことのあるルートインとかスーパーホテルとかの、3人も入ったらぎゅうぎゅう詰め状態になる“なんちゃって大浴場”よりは、ずっと広々としていた。

窓の外は妙に沖縄っぽい風景

案内されたのはフロントと同じ2Fにある部屋。

回廊構造みたいになっていて、中庭ってわけではないけど、中庭的な方角に窓がある部屋だった。都会の安ビジネスホテルだったら、窓の外は隣のビルの壁ってことも多いから、これはこれで悪くはない。

朝食は有名なフレンチトースト

洋食のオムレツとかのセット

フレンチトースト一択なのかと思うくらいフレンチトーストが有名な印象だったけど、実際には朝食は和食と洋食が選べて、その種類や卵の焼き方すらも、スクランブルエッグやオムレツ、忘れたけどもう一種類選べたりと、組み合わせやバリエーションが豊か。

朝食のメニュー表は受付のレジカウンターみたいな所にしかなくて写真は撮れなかったが、朝食単品だと1,200円くらいするみたい。ドリンクはセルフだけど、安ビジネスホテルと違ってバイキングではなく、個別に調理して席まで持って来てくれる。

安ビジネスホテルの感覚だと、そんなんじゃ、朝は込み合って30分くらい待つのでは? と思っていたが、チェックイン時に朝食時間の目安を個別に希望を聞いて割り振っているからか、安ビジネスホテルだったら一番混む時間帯である7時にしたものの、他の客は2組いるだけで、むしろ空いていた。

那覇のホテルと違ってキャビキャビしたグループとかファミリーは目に入らず、しっとりした熟年夫婦や、こなれた旅人風が主な客層のようであった。

フレンチトーストは薄いタイプで3カット分

俺がフレンチトーストを食べるのは、新潟の万代シルバーホテルに泊まった時だけではあるものの、フレンチトーストほど、メタボと糖尿病が心配になる料理はこの世にないと思う。

万代シルバーホテルのフレンチトーストは厚切りもっちりタイプだけど、沖縄のフレンチトーストというか、デイゴホテルのフレンチトーストは薄切りタイプのパンを使っているのが特徴。

フレンチってくらいだからフランス発祥の料理かと思ったがそうではなく、やっぱりというかアメリカ発祥の料理であって、諸説あるものの、アメリカの「ジョーゼフ・フレンチ」さんっていう人が名付けたという説が有力だという。

朝からフレンチトーストを3カット分食べると、満腹感や満足感というよりは、個人的には“やっちまった感”の方が勝る。

場所はディープなコザの中心あたり

夜にぶらつくのは抵抗を感じるほどのディープさ

ディープなコザとか言ってるわりに、そんなにはコザに詳しくないのだが、“趣がある”というのとはちょっと違うような、ディープな雰囲気が漂う場所にある。

立派なアーケード街はあるものの、沖縄県内で2番目の規模の街の割には那覇のアーケード街のような人混みはないし、そもそも営業している店が昼でも夜でもあまりない。

自分の時は朝食付きで1泊5,200円くらいだったが、北谷のような解放感やリゾート感はないものの、コロナが緩和されて北谷のホテルよりコザの方が安く泊まれたりするから、選択肢としてはいいんじゃないかしらん。

旅モノ

旅人と観賞魚の共存は難しいのか? 静かな喪失が語る自動給餌機の欠陥

旅に出るとき、人は自分の生活をそっと置いていく。部屋の空気も、水槽の光も、帰るまで変わらずそこにあると信じて。

しかし、その信頼はときに小さな装置の脆さによって裏切られる。旅人と観賞魚は本当に共存できるのか。その問いに答えたのは、旅の余韻を奪う“静かな喪失”だった。

旅に出る前の期待と、託された小さな命

旅好きにとって観賞魚は、帰宅したときに最初に迎えてくれる穏やかな存在だ。

不在のあいだの命を預ける自動給餌機には、ただの機械以上の役割が求められる。旅の間も水槽の世界が変わらず続いているように、という願いを込めて装置をセットする。しかし、その期待は“正常に動くこと”だけでは守れない。構造のわずかな欠陥が、命を外へ押し出すことがある。

帰宅した部屋の空気が変わる瞬間

旅から戻ったとき、部屋の空気がどこか違うと感じる。水槽がある景色はいつも通りなのに、そこにあるはずの影が揺れていない。

水槽の横で乾いた小さな形を見つけたとき、旅の余韻は一瞬で消え、静かな喪失だけが残る。原因は給餌のために開けられた数cmほどの開口部。魚のジャンプ力を知らない設計者の無関心が、旅人の信頼をあっさり裏切った。

旅と水槽のあいだにある“見えない矛盾”

旅人は自由を求め、観賞魚は環境に依存する。本来なら矛盾しないはずの二つの世界は、命を預ける装置が脆いとき、途端にすれ違い始める。

旅好きが観賞魚を飼う難しさは、旅に出るからではない。装置が命の重さに耐えられないからだ。自動給餌機は不在の不安を埋めるための存在であるはずなのに、その脆さがむしろ不在の危険を増幅させてしまう。

DIYを前提にした設計が抱える根本的な問題

市販されている自動給餌機の多くは、設置に数センチほどの開口部が必要な設計となっている。

「開口部が大きいなら塞げばいい」そんな声が聞こえてきそうだ。しかし、命を扱う装置がユーザーの工夫を前提にしている時点で、すでに何かが壊れている。観賞魚は人間にはどうってことでもない環境のわずかな変化でも死に直結する生き物だ。そこに“メーカーの怠慢”というノイズが入り込んだ瞬間、旅人の生活は静かに崩れる。

命を預かる道具が命の重さを理解していないという事実が露わになる。

16日間を生き延び、5日間で失われた命の矛盾

不在が長ければ危険が増す、そんな単純な理屈は水槽の世界には通用しない。16日間という長い旅には耐えたのに、たった5日の不在で命が途切れるという現実は、あまりにもやるせない。

長い旅のあいだは、装置も魚も静かに役割を果たしていた。水槽の世界は揺らぎながらも保たれ、帰宅したときには「ただいま」を受け取る余裕すらあった。それなのに短い不在のあいだに起きたのは、魚の気まぐれなジャンプと、装置の隙間が生んだ小さな悲劇。

長い旅を乗り越えたという事実が、むしろ喪失感を深くする。守れたはずの命が守れなかったという矛盾。旅の長さではなく、装置の構造と偶然の一瞬が命運を分けたという事実が、静かに胸に沈む。