PS3「AQUANAUT’S HOLIDAY~隠された記録~」のゲームレビュー。個人の感想、ネタバレあり。
AQUANAUT’S HOLIDAYというと響きがカッコいいけど、単にPS初期の迷作「アクアノートの休日」を英語にしただけのような気もする。
当時としては最新グラフィック性能を誇ったPS3で登場(それもPS3初期)したが、PS1時代に登場した3作品のリメイク復活というわけではなくて、その中身は・・・。
全然ホリデーじゃないガチ探索、謎解きアドベンチャー
PS1時代のアクアノートの休日というと、同じアートディンクの作品「A列車で行こう」シリーズよりも、これと言った目的もクリア条件などもない海中探索ゲームだった。
本当に目的が何もないので、もはやゲームと言えるか疑わしかったが、マイナーチェンジも含めて3作品も発売されているということは、当時としてはカクカクのポリゴンだとしても、海の中を3Dグラフィックで自由に探索できるのは価値があると考える人がそれなりに多かったということだろう。
やがて時は流れ、2008年になって思い出したかのようにPS3で発売されたのが本作である。
PS1時代のアクアノートの休日しか知らないと、この作品が全然ホリデーじゃないことに驚くはずだ。
何しろ、プレイヤーの分身たる主人公は、海洋で謎の失踪をした人物の行方を追う本職のジャーナリストなのである。もうバリバリ仕事じゃん。作中でも「仕事ですから」って言っちゃってるし。
ストーリー的にも話が強引過ぎてジャーナリストである必要性は感じないし、海洋系の学部の大学生の夏休みとか、世間から逃げ出すように何となくやってきた人物とかの設定の方が感情移入できたのではと思う。
また、どこの馬の骨かもわからない海洋ド素人の主人公であるが、現状、研究所にたった1つしかない感情が芽生えるほどの高性能AIが搭載されたドルフィン2号という潜水艦が使い放題というのも不可思議な設定である。
この研究所には40人も研究者がいるらしいが、そんな貴重な潜水艇をどこぞのジャーナリストに無制限に使わせるのはどうかしている。他の研究員たちは一体何をやっているのか疑問。
ストーリーを攻略しないと自由に探索できない
PS1時代のアクアノートはストーリーなんてないので、自由気ままに海中を探索できた。
ところが、本作AQUANAUT’S HOLIDAYはストーリーを手順通りに攻略していかないと、探索出来る範囲は永久にアクアヘブンと呼ばれる基地周辺の狭い範囲のみになってしまう。
攻略のパターンは残念なことに非常に似通っている。
各地にあるソノブイというセンサーのようなもののバッテリーを交換するのだが、序盤は1つしかバッテリーを所持することができないため、ソノブイを発見するたびに拠点に戻ってバッテリーを購入しないとならない。
バッテリーを購入するのにも金がかかり、海洋ド素人のジャーナリストが魚を発見すると、なぜだか金が支給されるルールとなっている。主人公が厄介になっているのは、この地域の海域を調査している国立の海洋研究所なので、ド素人が発見できる魚などすでに調査済みだと思うのだが・・・。
ソノブイのバッテリーを交換したら交換したで、各エリアにいるシンガーと呼ばれる魚と劣化リズムゲームをして勝利しないとならない。
魚が発する4つの記号(音)を順番通りに入力しないとならず、序盤は5個くらいなので余裕だとしても、中盤以降は普通の人間では覚えられないほど数が増えるので難易度が高く、モチベーションを維持するのが難しいだろう。
人間が覚えられる桁数は7つまでというから、10個以上になると覚えられないのが普通の人間である。
ゲームオーバーとかはないのて、ひたすら頑張って紙に書いたり、攻略サイトを参考にすれば何とかなるかもしれないが、このへんの常軌を逸した鬼畜な難易度はPS1の迷作「moom」とかにも近いものがある。
ストーリーは哲学や宗教、SFがミックスしていて難解
過去作は自由気ままに海洋探索できるのが魅力だったが、攻略面だけでなく、今作のストーリーはかなりウザい。
2008年の発売当時に流行っていたのかどうか知らないが、ストーリーの根幹はスピリチュアル。
ニューエイジ思想というらしいが、そもそもオープニングあたりに出てくる「サンゴはそれぞれが別の生命体だが、全体としての感覚を共有している」というようなメッセージがネタバレである。
つまり、失踪したビルという人物は「個」を捨てて「全体」になってしまったわけである。
登場人物たちは日本人ではないが、平均的な日本人が理解しづらい宗教や海外のスピリチュアル思想がテーマなために、クリアした人でもストーリーがよくわからなかったとか、普段よりモヤモヤした状態に陥ることが多いようである。
アクアノートにストーリーを付ける構想は昔からあったような
拙者の記憶だと、1990年代後半の何かのゲーム雑誌にアクアノートの休日をテーマにした読み切り小説が掲載されていたことがある。
メーカー公式のものだったか、読書投稿のようなものだったか覚えていないが、海洋研究所を舞台にしていて、まさ本作作の地上部分でのやりとりのような小説であったと記憶している。
ストーリーがないアクアノートの休日にストーリーを付けるというのは、かなり昔から構想としてはあったのでないかと思う。
そして登場したのが本作なのかもしれない。
図鑑機能は優秀、なぜ半端なストーリーを付けてしまったのか
現時点ではアクアノートの休日シリーズの最新作で最終作となってしまっている本作。
登場する魚(魚介類)は何百種類もいて、図鑑機能で確認できる魚の3Dグラフィックも今の時代からしても綺麗。
さすがに潜水中はオープンワールド的な処理のために、PS3では読み込みで画面が時々止まったり、魚の大群で大きく処理落ちしたりするのは残念。
このゲームをやる人は、拙者みたいに海なし県に住んでいるのに他県の水族館の年間パスポートを持っていたり、泳げないけど海に潜ってみたい人とか、とにかく魚が好きな人がほとんどだと思う。
宗教とかスピリチュアルとか、リズムゲーム的なものを求めて、アクアノートをプレイする人はほぼいないと思う。
PS4やPS5も出てハードの進化でグラフィックを向上できる地盤はあるものの、15年以上も新作が出ないのは本作の路線が間違っていたことを想像させる。
もし新作が発売された場合は、多少のストーリーがあったとしてもミニゲーム的なものに留めて、プレイヤーの自由な潜水を拒むようなシステムであってはならないと思う。
A列車シリーズなんかも、ストーリーが設定されているやつもあるけど、アクアノートもA列車も自由に遊べてナンボだと思うしね。