ジンギスカン

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ジンギスカンのタレ頂上決戦!! ベルの秘奥義『濃厚甘撃』vs ソラチの妙技『切味閃光』

ジンギスカンのタレといえば、北海道ではベルとソラチが二大巨頭として知られている。

どちらも長年愛されてきた名タレだが、実際に食べ比べてみると、その違いは想像以上に大きかった。今回はベルの秘奥義『濃厚甘撃』とソラチの妙技『切味閃光』をテーマに、味の方向性や成分の特徴、そして実際に食べ比べてみた個人的な感想をまとめてみた。

キャラプロフィール(発売年・背景)

まずはそれぞれのプロフィールについて簡単に紹介しよう。

ベル食品『成吉思汗たれ』(1956年誕生)

1956年から北海道の食卓を支えてきたロングセラー。道外でも比較的手に入りやすく、ジンギスカン文化を広めた立役者。

ベルのタレは醤油をベースにてん菜糖蜜、砂糖、玉ねぎ、ハチミツ、にんにく、生姜などを組みた構成となっている。濃厚でありながらも甘味とフルーティーさを感じさせる絶妙なバランスで、誰にとっても食べやすい味に寄せているのが特徴だ。いわゆる「ジンギスカンのタレ」と聞いて多くの人が想像する味は、ほぼベルの方向性と言っていい。

ソラチ『ジンギスカンのたれ』(1980年代誕生)

北海道芦別市のタレメーカーが作る、全国的には知る人ぞ知る個性派タレ。道外ではほぼ見かけず、物産店や北海道旅行でようやく手に入るレアキャラ。鋭いキレと刺激が特徴。

ベルと同じく醤油ベースではあるものの、リンゴ加工品の比率が高く、これが独特のキレと刺激につながっているように感じた。唐辛子のような辛さではないのに、口に入れた瞬間に“ガツン”と来る鋭さがある。ベルのような甘さの丸みはなく、味の輪郭が際立っている。全体として“尖った個性”を持つタレだ。

俺のジンギスカン事情とタレ選びの背景

北海道の漬け込み式のジンギスカン

そもそも、俺の中ではジンギスカンは“漬け込み式”が本流だった。肉にタレが染み込ませてあるタイプだ。あの独特の香りと甘みが好きで、後付け式のタレにはそこまで興味がなかった。

ただ、道外に住んでいると、最近はジンギスカンそのものがどんどん姿を消していく。スーパーからはジンギスカンが排除され、生ラム肉だけはなんとか手に入るものの、漬け込み式タレ文化はイオンを除けば壊滅状態。そこで「タレでなんとかするしかない」という流れになった。

ベルは道外でも普通に売っているが、ソラチは本当に見つからない。結局、北海道物産店を巡り、最後は「北海道に買いに行った方が早い」という結論に至った。ソラチは完全にレアドロップ扱いだ。

実際に食べ比べてみた結果

ベルは一口目から「ああ、これこれ」という安心感がある。甘みとフルーティーさがあって、まさにジンギスカンの味そのもの。クセがなく、王道の強さを感じる。

ソラチは一口目から明らかに違う。唐辛子ではないのに、ガツンと来る刺激がある。成分を見るとリンゴ加工品が多いので、これが辛味の正体なのかもしれない。とにかくキレが鋭く、ベルとは別方向に振り切れている。

ベルは万人向け、ソラチは尖った個性派

ベルとソラチは、同じ“ジンギスカンのタレ”というジャンルに属しながら、味の方向性も成分の組み立て方もまったく違う。

王道のベルか、鋭いソラチか。どちらを選ぶかは好み次第だが、食べ比べてみると北海道のジンギスカン文化の奥深さを改めて感じる。道外ではジンギスカン自体がレアキャラ扱いで手に入りにくい状況が続くけれど、そんな状況だからこそ、この二つのタレを手に入れて食べ比べる価値は十分にあると思う。

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信州新町のジンギスカンは「観光客向け演出」と「イベント料理」であるという考察

観光客がわんさか来る道の駅で売られているラムとマトン

以前、信州新町ジンギスカン街道という場所で売られているジンギスカンを取り寄せて試食した。

ジンギスカンといえば、北海道を思い浮かべる人が多いだろう。週に一度は家庭で食べられ、農村部などでは保存食として冷凍備蓄されるなど、生活文化に深く根付いている。しかし、信州新町ジンギスカン街道におけるジンギスカンはどうか。

当地のジンギスカンも北海道と同じような存在なのかを観光協会へ問い合わせたのである。得られた回答を科学的に独自考察すると、そこから見えてくるのは「日常食」ではなく、「観光客向け演出」と「イベント料理」という構造であった。

地域限定性から見える局所的演出

北海道におけるジンギスカンは、道都の札幌はもちろん、道南、道東、道北に至るまで、全道的に食べられている。家庭の食卓に並び、スーパーには常時パック肉が置かれ、冷凍保存する習慣もある。つまり「ジンギスカン=北海道の生活文化」という図式は、地理的にも社会的にも揺るぎない。

一方、信州新町ジンギスカン街道はどうか。観光協会によれば、長野県内でジンギスカンを食べられる地域は「信州新町と飯田市程度」に限られる。つまり、長野県全体に広がる食文化ではなく、国道19号線沿いのわずか9店舗程度を表現したものにすぎない。北海道のように「道民の誰もが食べている日常食」ではなく、「特定の道路の特定の場所だけ」という違いがある。

科学的に言えば、食文化と言えるレベルになるには「地理的広がり」が不可欠だ。しかし、信州新町の場合では広がりは狭い範囲に限定される。北海道のジンギスカンが「全道的文化」であるなら、信州新町のジンギスカンは「特定の道路の特定の場所だけ」。その差は、食文化と観光演出の違いとして線引きできる。

イベント依存の非日常食

北海道におけるジンギスカンは、季節やイベントに左右されない。週に一度は家庭で食べる人も多く、平日の夕食にも登場する。つまり「ジンギスカンを食べる」という行為は、道民にとって日常生活に組み込まれている。科学的に言えば、食文化の定義には「日常的摂取頻度」が不可欠であり、北海道のジンギスカンはその条件を満たしている。

これに対して、信州新町においては限定的だ。正月や田植え、花火大会や運動会など、イベント時のメニューである。日常的に食卓に並ぶというより、イベント時のみ消費される。

科学的に整理すれば、食文化は「日常食」と「イベント食」に分類できる。日常食は生活の基盤を支えるものであり、イベント食は非日常を演出するための象徴的料理である。北海道のジンギスカンは前者に属し、信州新町のジンギスカンは後者に属する。つまり両者は同じ「ジンギスカン」という名前を持ちながら、文化的機能が根本的に異なる。

家庭には根付いていない料理

北海道におけるジンギスカンは、家庭の食卓に自然に並ぶ。週末には家族でホットプレートを囲み、平日の夕食にも登場する。匂いがつくことなど気にせず、むしろ「家の匂い=ジンギスカン」というアイデンティティが形成されている。科学的に言えば、食文化の成立には「家庭での再現性」が不可欠であり、北海道のジンギスカンはその条件を満たしている。

これに対して、信州新町では匂いを避けるため、店や野外で食べることが多いという。つまり、家庭料理としては根付いておらず、家庭で食べられない料理を生活文化と呼ぶのは難しい。

言い換えれば、信州新町のジンギスカンは「家庭に拒絶された料理」だ。家庭の食卓に居場所を持たず、外食や野外バーベキューという非日常の場でしか成立しない料理と言える。

生活必需性の欠如

北海道のジンギスカンは、単なる「ご馳走」ではなく生活に組み込まれた保存食でもある。農村部では冬場の交通不便に備え、冷凍保存してストックするのが当たり前だ。雪に閉ざされる季節でも、家族がジンギスカンを囲めるように備蓄する。つまり、ジンギスカンは「日常食」であると同時に「生活必需食」として機能している。科学的に言えば、保存食文化は環境適応の証拠であり、食文化の持続性を保証する重要な要素だ。

これに対して、信州新町ではスーパーでいつでも買えるため、保存食としての必然性も習慣も存在しないというカジュアルな捉え方。

言い換えれば、信州新町のジンギスカンは「冷凍庫に居場所を持たない肉」だ。北海道の農村部での事例のように生活を支える保存食ではなく、スーパーでいつでも買える程度の食材という位置づけである。

総合考察 演出料理としての分析

ここまでの分析を総合すると、信州新町ジンギスカン街道のジンギスカンは「生活文化」としての条件をほぼ満たしていない。科学的に食文化を定義する際に必要とされる要素「地理的広がり」「日常的摂取頻度」「家庭での再現性」「保存食としての必需性」を一つずつ検証すると、その欠落が明確になる。

地理的広がり

北海道では全道的にジンギスカンが食べられるが、信州新町の場合はジンギスカン街道沿いの9店舗と飯田市程度に限定される。

日常的摂取頻度

北海道では日常食として定着しているが、信州新町ではイベント時のみ。

家庭での再現性

北海道では家庭の食卓に自然に並ぶが、信州新町では家庭では食べない料理。

保存食としての必需性

北海道では冬の交通不便に備えて冷凍保存する習慣があるが、信州新町では保存食という考え方はない。

イベント料理としての立ち位置

北海道のジンギスカンが「生活必需食」であるのに対し、信州新町のジンギスカンは「観光客向け演習」や「イベント用の料理」という色合いが強い。

観光客にとっては「ご当地体験」として魅力的に映るが、科学的には別物であると線引きできよう。

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ジンギスカンであるかどうかは肉の種類ではなくタレで決まる驚愕の事実

画像はジンギスカンのイメージ(岩手県遠野市にて)

ジンギスカンといえば羊肉、そう思い込んでいた。しかし先日、驚くべき発見をした。

肉の種類ではなく、タレこそがジンギスカンをジンギスカンたらしめる本質だったのだ。豚肉であっても、ジンギスカンのタレをまとえば、その味わいは“ほぼジンギスカン”になる。

北海道では当たり前のように豚ジンギスカンが商品化され、メニューとして定着している。つまり、ジンギスカンのアイデンティティは肉ではなくタレに宿っている。

羊肉がジンギスカンである条件だと思っていた

一般的にはジンギスカンといえば羊肉を使う料理だと考えられている。

私自身も長らくそう信じていた。しかし実際に試してみると、豚肉であってもジンギスカンのタレを使えば、味わいは驚くほどジンギスカンに近づく。肉の種類よりもタレの存在が決定的な役割を果たしていることに気づいた瞬間だった。

北海道に根付く“豚ジンギスカン”文化

北海道では豚ジンギスカンという商品やメニューが普通に存在している。

スーパーのジンギスカン売り場でも目にすることができ、地元の人々にとっては特別な違和感もない。ジンギスカン用の羊肉が手に入りやすい地域でも、豚肉を使うジンギスカンが根付いているのだ。

某知恵袋に見る旅行者の不安

某知恵袋などを眺めると、北海道旅行でジンギスカンを食べてみたいものの「羊肉のクセが心配だ」という声を見かける。確かに羊肉特有の香りは慣れていない人にとってハードルになることがある。

しかし、本質を見誤ってはいけない。ジンギスカンかどうかを決めるのは肉ではなくタレである。北海道では豚ジンギスカンが普通に受け入れられているように、タレさえジンギスカンであれば羊肉でなくてもジンギスカンは成立する。

旅行者に覚えておいてほしいのは「羊肉が食べられるかどうか」ではなく「ジンギスカンのタレを楽しめるかどうか」という視点だ。タレの力を信じれば、羊肉のクセを恐れる必要はない。

キャラメルでは代替できないがタレこそ本質

北海道の土産品売り場にはジンギスカン味のキャラメルまで並んでいる。もちろん、キャラメルがジンギスカンの代わりになることはないが、ここでもタレの存在が象徴的に扱われている。

つまり、ジンギスカンの本質は肉ではなく、タレにあるということを示している。

豚肉で挑戦した理由は入手性と価格

私が豚肉でジンギスカンを試したのは、近隣のスーパーで羊肉が手に入りにくく、また価格が高かったからだ。毎日ジンギスカンを食べたいと思っても、羊肉では現実的に難しい。そこでリーズナブルな豚肉を使ってみたところ、タレの力によって十分にジンギスカンらしさを味わうことができた。

豚肉でもジンギスカンが成立するという事実は、人類にとっては小さな発見かもしれない。しかし、私にとっては大きな発見であり、日常を少し豊かにする喜びでもあった。タレがあれば肉の種類を問わずジンギスカンは成立する。料理の本質は素材だけではなく、味付けに宿るということを改めて実感した。

羊肉でなくても豚肉でジンギスカンを楽しめるという事実は、食文化の柔軟さを示している。タレこそがジンギスカンの本質であり、肉の種類は二次的な要素にすぎない。キャラメルでは代替できないが、タレの存在が料理のアイデンティティを決めるという気づきは、日常の食卓を新鮮にしてくれる。私にとっては大きな発見であり、ジンギスカンをもっと身近にしてくれる希望でもあった。