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コネタ

大人の都合で踊らされる子供たち ~ダンススクール、地域イベント、教育行政…すべては大人の都合~

画像はダンスイベントのイメージ

子供たちが踊っている。いや、踊らされている。それは教育の成果でも芸術の発露でもない。

日本全国、大都市圏はもちろん、人口数万人程度の小都会や田舎街まで、どこの街に行ってもイベントにはキッズダンスが組み込まれている。拍手とスマホの前で、子供たちは“演じること”を求められている。

この現象は教育行政の愚策、ダンススクールのビジネス構造、自治体や地域イベントの集客装置、そして親の承認欲求が絡み合った大人都合の産物だ。

イベントにキッズダンスが“必ずある”という異常

夏祭りやショッピングモールのイベント、自治体の文化フェス。

そこに登場するキッズダンサーたちは、地域の“盛り上げ役”として扱われる。子供が踊れば人が集まる。かわいいから写真や動画映えする。保護者は自動的に観客にもなってくれるから、イベント主催者としては一石二鳥。そんな理由で、子供たちは無償で動員される。

ある街の自治体イベントでは、地元のダンススクールに通う小中学生たちが真夏の炎天下の中、30分以上も踊らされた。イトーヨーカドーが中核施設の某ショッピングモールでは、10月中旬の屋外で冷たい雨が降り仕切る中、ずぶ濡れになりながら子供たちは踊らされた。

保護者はテントの下でスマホを構え、主催者は「地域が一体になった」「集客できた」と満足げだった。だが、子供たちは疲弊し、報酬も休憩もなかった。

これは流行ではない。子供が見せ物として扱われる構造が日本全国で常態化しているということだ。

教育行政が仕掛けた“踊る子供”の量産装置

文部科学省は「表現力の育成」「身体を使ったコミュニケーション能力の向上」といった耳障りの良い言葉を並べて、体育の授業にダンスを組み込んだ。そして、教育現場でダンスが必修になったことで、ダンススクールは正当な習い事として市民権を得た。

「学校でもやってるから」「将来、役に立つから」そんな理由で親は子供をスクールに通わせる。だが、スクールの目的は教育ではない。イベント映えする子供を量産する演出業である。振付は見せるために作られ、レッスンは出演のために組まれる。教育の皮をかぶった商業的な装置にすぎない。

親の怠慢と承認欲求が構造を支えている

「うちの子、ダンス頑張ってるんです」「人前で堂々と踊れて偉い」そんな言葉を並べる親の多くは、自分が何もしていないことへの免罪符として子供を使っている。自分はステージに立たない。地域に貢献しない。

しかし、子供が踊ることで「参加している風」を演出する。SNSにはイベント出演の写真が並び、タグには「#地域貢献」「#頑張ったね」が並ぶ。だが、その実態は親の承認欲求を満たすための演出にすぎない。

子供の“晴れ舞台”を餌にした集金装置

ダンススクールの収益構造は、親の承認欲求を巧みに刺激することで成立している。「うちの子がステージに立つ」「ステージ衣装を着て輝いている」など、その瞬間を見たいがために親はレッスン料を払い、振り付け料を払い、衣装代を払い、出演費を払い続ける。子供が踊ることで、親は“頑張る我が子”を演出できる。そして、スクールはその欲望を商品化する。

イベント前になると、追加レッスン、特別衣装、DVD制作、写真販売といった“オプション”が次々に提示される。「思い出になりますよ」「一生の記念です」と言われれば、財布は自然と開く。

あるスクールではイベント出演にあたり衣装代1万5千円、出演費5千円、DVD代3千円が請求された。それでも親は「いい経験になるから」と納得する。その納得は子供のためではなく、自分の満足のための消費行動にすぎない。

子供は踊っているのではなく踊らされている

キッズダンスは子供が自発的に始めたものではない。多くは親が習わせ、イベントに出させ、SNSで発信する。つまり、子供は踊っているのではなく踊らされている。自分の意思ではない。自分の報酬もない。でも、笑顔で踊っているから問題ないとされる。

すべては大人の都合でできている。教育行政の愚策。演出を売るスクール。集客に利用する商業施設や自治体、町内会などだ。そして、承認欲求を満たす親。その構造の中で、子供は大人の道具にされている。

最近、各地のイベントで必ずあるとも言っていいキッズダンスをみて、そんな風に考えてしまうのであった。