コネタ

旅モノ

スーツケースを持ち歩く旅人たちへ ~俺がスーツケースを持たない理由~

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旅先でスーツケースを引きずる人間を見かけるたび、俺は思う。

「それ、本当に必要か?」と。

2泊3日程度の旅行でも巨大なスーツケースを転がす姿は、まるで運び屋のようである。

俺はこれまで、1ヶ月程の国内旅行でも海外旅行でも、スーツケースを使ったことがない。だからこそ、あの荷物量には違和感しかない。いつもバックパックひとつで十分だった。

理由は単純だ。安心感なんて幻想だし、旅は現実から抜け出すための行為だからだ。

スーツケースの中身とは何か

一般的な旅行者は、衣類、洗面用品、電子機器、薬など、あれもこれもと荷物を詰め込む。

寒いかもしれない、壊れるかもしれない、足りないかもしれない、万が一に備えて・・・。“万が一教”に入信してる人たちは、そんな妄想に振り回されて、荷物を増やす。

だが、俺からすれば「使わないかもしれないもの」を大量に持ち歩いてるだけ。

つまり、不安が生み出したもの、不安が実体化したものが荷物の正体なのだ。

俺の旅スタイルはミニマリズムの実践

俺はLCC(格安航空会社)を好んで使う。

機内持ち込み7kgまで無料という制限の中で、荷物を最小限にするのは当然の戦略である。

追加料金を払ってまでスーツケースを預けるのは、合理性を欠いた行為だ。せっかくの格安航空が台無しになる。

・荷物はバックパック1つ
・衣類は厳選し、必要なら現地調達
・電子機器は最小限
・移動もスムーズ、階段も怖くない

このスタイルに慣れると、スーツケースを持つ人間が「戦略ミス」に思えてくる。

LCCでスーツケースを預ける心理

もちろん、スーツケースを持つ人間にも事情はあるだろう。

安心感、快適さ、整理整頓のしやすさ、お土産スペースなど、理由は様々だと思う。

だが、LCCを使うにも関わらず、追加料金を払って荷物を増やすのは、旅の設計として破綻している。

LCCを使うなら、機内持ち込みだけで完結させるのが基本。なのに、追加料金を払ってスーツケースを預ける人がいる。

・荷物を減らせば料金も減る
・機動力も上がる
・旅の自由度も増す

それなのに、わざわざ金を払って不自由を買ってるように思う。

結論 旅は身軽が最強

荷物が少ないほど、旅は自由になる。

荷物が少ない=自由度が高い=旅が深くなる。

スーツケースを持つこと自体が悪いとは言わない。だが、それが安心感のためであり、思考停止の結果なら、旅の本質を見失っている。

俺は荷物を減らすことで、旅の自由を手に入れてきた。そして、「いつか死ぬ」ことを前提に、今を軽やかに生きることを選んでいる。

俺にとって旅は、日常から抜け出すための手段だ。だからこそ、荷物に縛られるなんて本末転倒。安心感を求めて荷物を増やすくらいなら、旅なんか行かずに家で布団にくるまっていた方がよいとも思う。

もっと自分を解放するべきだ。スーツケースを引きずる前に、自分の旅のスタイルを見直せ。

スーツケース派の人は、次の旅ではスーツケースを家に置いて行くことを勧めたい。きっと新しい発見があるはずだ。

グルメ

弁当の漬物と梅干よ、そこにいる必要性あるのか? 作る側の都合にしか思えない理由

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コンビニ弁当、駅弁、スーパーの総菜。

どれにも高確率で入ってる“漬物”と“梅干”。ちょこんと乗ってるだけなのに、存在感だけは一丁前の色付きノイズ。

俺は思う。

「それ、誰が喜んでるんだ?」と。

漬物=彩り要員?

ただの“見た目だけの添え物”だろう。

「彩りが欲しいから」
「味にアクセントを」
「箸休めに最適」

そんな言い訳を並べるが、実際はどうだろう?

・味が濃すぎて主菜と喧嘩する
・酸味が浮いててご飯と合わない
・しかも、弁当の中で異臭を放つ

食べない人が多数派なのに、なぜ入れ続ける?

漬物を残す人、実はかなり多い。なのに、なぜか弁当業界は入れ続ける。それ、思考停止の惰性じゃないか?

梅干に至っては、苦手な人にとっては迷惑な存在でしかない。周囲の赤く染まった米をえぐり取って捨てないとならない。

「昔からそうだから」
「見た目が寂しいから」
「コストが安いから」

その理由、全部“作る側の都合”でしかない。食べる側の声を無視して、ただ習慣で入れてるだけ。

思考停止と言わず、なんと言えばいいだろう。

結論 弁当の漬物と梅干は“自己満足の象徴”である

俺は言いたい。

漬物や梅干を入れる前に、その弁当の構成を見直してくれ。

本当に必要なのか?
味のバランスは?
食べる人の好みは?

それすら考えずに漬物や梅干を突っ込むのは、ただの思考停止。自己批判すべきだ。

「漬物や梅干を入れることで、弁当を買う人を喜ばせているか?」と。

答えが「NO」なら、その漬物と梅干に存在する必要性はない。俺には無意味な酸味と色に付き合う義理はないのだ。

コネタ

イオンゴールドカードが空港ラウンジ年2回に改悪された悲しさ

かつては無制限だったイオンゴールドカードの空港ラウンジ利用。

それが2025年9月から年2回に制限された。

俺は思った。

「は? それ、ゴールドって名乗る資格ある?」

ゴールドカードのくせにラウンジ年2回?

イオンゴールドカードは、年間50万円使えば無料で発行される。その手軽さが魅力だった。だが、ラウンジ無制限という“実利”があったからこそ価値があった。

それが年2回までに制限されたのである。これまで100回でも200回でも無制限に使えたのが、たった2回までになった。

「ゴールドです(ドヤ)」→ 実際は空港ラウンジ2回のみ
「旅行保険も付いてます(ドヤ)」→ 補償額も減額されてる
「特典いっぱいです(ドヤ)」→ 映画割引くらい

ラウンジ利用にありがたみを感じていた人間としては、この悲しさは計り知れない。。

利用者の声よりコスト優先の改定?

もちろん、イオン側にも事情はあるだろう。イオンゴールドカードの所持者が増えすぎて、コストがかさんだのかもしれない。だが、その調整を“年2回”という極端な制限で済ませるのは、ちょっと乱暴に思える。

利用頻度の高いユーザーほど落胆

改定の告知も唐突で不親切(空港ラウンジで初めて2回制限を知らされたレベル)

「使えないゴールド」に価値を感じなくなる

これがユーザー目線でのシナリオである。

結論 イオンゴールドカードは“ゴールド風の自己満足”に成り下がった

俺は思う。空港ラウンジ無制限という“自由”を奪った時点で、俺にとってのイオンゴールドカードの価値は確実に下がった。

イオンゴールドカードは、庶民的でありながら“ちょっと特別”な存在だったから、今回の改定は残念でならない。ラウンジ利用の制限は単なるサービス変更ではなく、イオンゴールドカード自体のブランド価値にも関わる。

ゴールドの名にふさわしいサービスを、もう一度考えてほしいものである。