
午前1時。目覚ましが鳴る前に目が覚めた。
俺は今日、長崎県の佐世保に行く。目的は、はっきりしている。村上龍の小説および映画『69 sixty nine』の舞台を歩くためだ。
午前3時、俺は佐世保に向かった

長崎空港行きのジェットスター早朝便に乗るため、俺は午前3時に家を出て、成田空港へと向かった。
眠気はなかった。むしろ、あの街“佐世保”に残っているかもしれない“熱”を拾いに行くという使命感が、俺を起こした。目的は観光じゃない。グルメでもない。
『69 sixty nine』──あの映画に漂っていたロックと反抗とくだらなさと熱量を、現地で嗅ぎ取るための旅だ。
俺は、そういう空気を嗅ぎ分ける嗅覚を持っている。そしてそれを、写真と文章で記録する。この旅は“映え”のためじゃない。
時間通りにジェットスターに乗る。成田空港の第3ターミナルの早朝は騒がしい。安いLCCの中でも、最も安い早朝時間帯の便に乗るために、安さこそが全てだと考える愚かな乗客たちが集まる。俺もそんな一人だが、ド平日の早朝にも関わらず、ゴミのように殺到するのだ。
だが、俺は知っている。この旅は、観光じゃない。記録だ。佐世保には、映画『69 sixty nine』の中で燃えていた熱が、まだどこかに残っているはずだ。俺はその残火を拾い、写真に焼き付ける。
聖地巡礼『69 sixty nine』の残火を拾う

日本最西端のJR駅である佐世保駅
佐世保駅に降り立った瞬間、俺は軽く絶望した。
駅のコンコースは整っていて、清潔だった。ロータリーは無駄に広く、観光案内所は親切すぎるほど親切で、ベンチは新品のようにピカピカだった。だが、その整い方が、あの映画にあった“熱”を完璧に殺していた。
『69 sixty nine』の中で描かれていた佐世保は、もっと雑だった。もっと無秩序で、もっとくだらなくて、もっと生々しかった。あの映画の空気は、整備された都市空間ではなく、壊れかけの校舎や、意味もなく集まる若者たちの中にあった。
俺は、観光案内所の地図を無視して歩き出す。目的地は、映画のロケ地。俺にとって“聖地巡礼”という言葉が指すのは、地図をなぞることじゃない。かつて燃えていた熱の残骸を、風景の隙間から拾い集める行為だ。
校舎 熱の発火点

最初に向かったのは『69 sixty nine』という物語の中心的な舞台となった校舎。
ここはケンたちがバリ封計画を立て、実行し、爆発させた場所だ。
反抗と創造が同居していた空間。かすかにその“熱”の残像があった。俺はその空気を、写真に焼き付けた。
峰坂 松永先生がケンの家へ向かった坂

この坂を、松永先生が歩いた。岸部一徳が演じた、あの不器用で誠実な担任が、ケンの家へ向かうシーン。
峰坂は、ただの坂ではない。かつて平戸藩の殿様が往来したという往還道。歴史と映画が、ここで静かに交差している。
構造は独特だ。両脇に緩やかなスロープ、中央に石段。歩く者の選択を試すような造りだ。俺は石段を選んだ。坂の途中で立ち止まり、振り返る。 住宅街の静けさと、石の段差のリズム。ここには、映画の残像と、土地の記憶が折り重なっている。
SSKバイパス 逃走の残響

爆竹の音が鳴り響いたあと、ケンたちはこの道を走った。映画『69 sixty nine』の中でも、最も“疾走”が似合う場所だ。
車道には車が絶え間なく行き交う。逃げるという行為の残響は、まだこの道の下に眠っている。歩道の幅、風の抜け方。それらは逃走の緊張感を正確に記憶している。舗装は新しくなっても、風景の骨格は変わらない。
俺はこの道を走らない。かつて誰かが全力で走り抜けた場所を、静かに踏みしめる。それは、反抗の痕跡を拾う行為だ。疾走の記憶を、写真に焼き付ける。
立神音楽堂 残された壁画と空間の記憶

自衛隊敷地内のため、それっぽい建物を公道から撮影
このレンガ造りの建物は、普段は地元ミュージシャンたちの練習場所として利用されているという。
『69 sixty nine』では、反抗と演出が交差する空間として登場した。
セットの完成度に、地元のミュージシャンたちは驚いたという。どうかこのまま残してほしい──そんな声が上がり、ステージの壁画部分だけが今もそのまま残されている。映画の残像が、空間の一部として定着した稀有な例だ。
シューズセンター通り 疾走の記憶

ケンが走り抜けるシーンが撮られたのが、このシューズセンター通りだ。映画では1969年の空気が再現されていた。
日本一長いアーケード街の裏手にあるこの路地は、戦後、シューズ店が次々と出店し、靴の宝庫として賑わった歴史を持つ。
『69 sixty nine』の中でも、最も“走る”ことに意味があった場所。意味のある逃走。意味のない疾走。その境界が、ここにはあった。
観潮橋 飛び越えるという選択

ケンとアダマが逃げ場を失い、橋の欄干を越えて川に飛び込む。逃げるか、止まるか。飛ぶか、諦めるか。その一瞬の判断が、風景に刻まれている。
観潮橋は、今も静かに川を跨いでいる。橋の姿は、映画で見た通りだった。スタントマンが演じたとはいえ、この高さが生む緊張感は、嘘ではなかった。
俺は欄干に手をかけてみる。飛び越えるという行為は、反抗ではなく、決意だ。それは、映画の中だけでなく、風景の中にも残っている。観潮橋は、ただの橋ではない。選択の場としての記憶を、今も静かに抱えている。
早岐瀬戸 余白のある風景

ケンとアダマの歩くシーンが撮られた場所。逃げたあと、走ったあと、ようやく歩くことを許された場面だ。風景は静かで、空気に余白があった。
JAの裏手に広がる早岐瀬戸は、観光地でも名所でもない。ただの道のように見える。だが、映画の中ではその“ただの”が効いていた。逃走の余韻を受け止める器になっていた。
この場所は川のように見えるが、大村湾と佐世保湾を繋ぐ瀬戸、つまり海である。
俺はこの場所で、何も起きないことの意味を考える。何も起きない風景が、何かを語ることがある。それは、映画の中でしか成立しないと思っていたが、現地に立つと、風景の沈黙が確かに語りかけてくる。
余白とは、空白ではない。ここには、それがある。
聖地は語らない、語るのは歩いた者の記憶だ
歩き終えたあとに残ったのは、風景の記憶ではなく、あの時代の空気に触れたような感覚だった。
『69 sixty nine』が描いたのは、革命でも反抗でもない。退屈をぶち壊すための、若さの演出だった。その舞台となったこの街も、今では静かに時を重ねている。だが、あの夏の熱は、確かにここにあった。
聖地巡礼とは、風景をなぞることではない。物語の残響を、自分の足で確かめることだ。そして、確かめた先にあるのは、自分の中の“69”──何かを壊したくなる衝動と、何かを始めたくなる予感。
この街は、語らない。だが、語られた物語の余韻は、今も風に混じって漂っている。




















