
著名人にしろ一般人にしろ、プロフィールを学歴で花咲かせている人を見ると、どうにも滑稽さを覚える。本人は「信頼性の証」だと思っているのかもしれないが、見せられる側からすれば「知らんがな」で終わる。
幼稚園しか人様に誇れる学歴がない自分からすると、こうした“学歴ありき”なプロフィールは、どうにも疑い深い気持ちになる。
忍者における手裏剣としての学歴
プロフィールに「◯◯大学卒」と書く人々は、まるで忍者における手裏剣のように、学歴を武器として常に携帯している。必要があればすぐに手裏剣を取り出し、「俺は◯◯大学出身だぞ」とマウントを取る。
だが、その手裏剣は実戦ではほとんど役に立たない。むしろ「学歴を振り回すしか能がない人」という印象を残すだけだ。
一般人まで学歴武装する異常な日本
著名人や経営者ならまだしも、アメブロやSNSの一般人までもが「学歴武装」しているのは、もはや社会問題だ。
肩書きが信用の通貨になりすぎて、誰もが「学歴という手裏剣」を携帯していないと不安になる。結果として、日本人のプロフィール欄は「忍者の武器庫」となり、その異様な光景に違和感を覚える。
“学歴自動改札機”だらけの日本社会
日本名物の新卒一括採用では「学歴フィルター」が堂々と機能している。大学のランクで足切りされるのは当たり前だ。
まるで「学歴順に人間を仕分ける自動改札機」である。これでは、出身大学名などの学歴をプロフィールに貼り付けたくなる気持ちもわからなくはない。だが、それは「自分の物語を語る」ことを放棄して、「過去のラベルにすがる」行為に他ならない。
海外と比較すると“学歴忍者社会”は日本特有
海外でも、ハーバード大学やオックスフォード大学などの一流大学卒という肩書は、就職や人脈づくりには役立つ。ただ、日本と決定的に違うのは、その“見せ方”だ。
海外では「どこで学んだか」よりも「何を学んで、どう活かしているか」が重視される。例えば LinkedIn(リンクトイン)という世界的なビジネスSNSでは、プロフィールの主役はスキルや職務経験。
大学名は補足情報として小さく載る程度で、「今の自分」をどう表現するかが大事にされている。ハーバード卒であっても、プロフィールの冒頭に「ハーバード大学卒」と大きく掲げる人はほとんどいない。
プロフィールで堂々と出身大学を掲げる日本人
一方、日本ではプロフィールの冒頭に「東京大学卒」と堂々と書く人が多い。まるで忍者が手裏剣を片手に「俺は信用できるぞ」とアピールしているようだ。しかも、それは著名人や経営者だけでなく、一般人にまで広く観察できる。ここが日本の“異様さ”だ。世界的に見ても、一般人がここまで学歴をプロフィールに貼り付ける文化は珍しい。
つまり、学歴を気にするのは世界共通。でも、日本では学歴を一般人までもがプロフィールの武器として利用する“学歴武装忍者”が多い。過去の学歴を見せびらかすよりも、今現在の活動のほうがずっと説得力があるはずなのに、なぜか日本では「学歴=信用の証明」という幻想が根強く残っている。
過去の栄光に頼るロジック
学歴は“過去”における努力の証と考えることもできる。しかし、それはあくまでも過去の話にすぎない。プロフィールに「一流大学卒」とデカデカと書くことは、現在や未来の活動ではなく、学生時代という過去を重視している人間であることを示してしまう。
それはまるで、「昔はモテたんだ」と延々と語り続ける中年オヤジが寒いのと同じように、聞かされる側は寒さしか感じないことの方が多い。
実体験から考察する“学歴依存症”の姿
かつて私は「東大卒の社長が率いるベンチャー企業」の面接に行ったことがある。
肩書きだけ見れば、いかにも優秀そうで信頼できそうに思える。スーツの生地も、横文字がやたら多い話しぶりも、どちらも立派だった。
だが数年後、その会社は倒産して跡形もなく消えていた。日本最高峰とされる大学ですらこうなのだから、結局のところ、学歴は信頼を示すものではなく、むしろ“詐欺的なブランド利用”に近いケースすらある。
「◯◯大学△△学部卒」ロジックの破綻
意外とよく目にするが、「◯◯大学△△学部卒」と学部まで細かくプロフィールに書く人がいる。だが、それを目にする大多数の人は、その大学のその学部に通ったことがないし、偏差値事情に詳しい人事部の面接官でもない。学部まで細かく聞かされたところで、レベル感やイメージはわかず、「んー、聞いたことないね」という冷めた一言で終わる。
結局、「◯◯大学△△学部卒」という肩書きは、本人の中では輝かしい勲章なのだろうが、他人にとっては「過去の栄光を現在進行系で必死に抱え込む人」という印象しか残らないことが多い。
権威付けは逆効果になることも
心理学的には、人は権威に弱いとされる。
学歴や肩書きは説得力を増すための典型的な“権威付け”の手法だ。しかし、過剰に強調されると逆効果になる。
「この人は学歴に頼っている」と感じ、むしろ信頼を失う。学歴を強調すればするほど、現在の姿が薄っぺらく見えてしまうのだ。
プロフィールの“冷蔵庫ラベル”
プロフィールに「一流大学卒」と書くのは、冷蔵庫に入っている古い食材に「賞味期限:2005年」とラベルを貼って誇らしげに見せるようなものだ。
昔は新鮮だったかもしれないが、今や未来の活動に直結しているとは限らない。見せられる側からすると「いつまでそれを出すのか」とツッコミたくなる。
肩書きよりも“現在の物語”を
学歴武装した忍者社会の違和感は、つまるところ「過去の栄光に頼る不自然さ」に尽きる。学歴などの肩書は背景であり、主役は現在の活動だ。
どんな価値を生み出しているのか、どんな物語を紡いでいるのか。手裏剣を見せびらかすよりも、今の姿を語る方が、遥かに健全なのは明白だ。







