
画像はイメージ
ホットサンドはパンに具材を挟み、ホットサンドメーカーで押しつけて焼いた料理だ。
実際には見た目ほど美味しくないし、パンに何かを挟んで焼いただけのものが、なぜここまで気取れるのか不思議で仕方がない。
普通のサンドイッチは庶民的なのに、ホットサンドになるとアウトドア雑誌の表紙に登場し、木製テーブルの上でコーヒーと並び、丁寧な暮らしの象徴のような顔をする。パンを焼いただけで人生が丁寧になるなら、日本中のトースターがもっと評価されていい。
ホットサンドメーカーという“専用機”の存在
ホットサンドを作るための専用の機械が存在する。
世間ではホットサンドメーカーはやたら語られる。「外はカリッと中はふわっと」「キャンプで作ると最高」「具材の自由度が無限大」などと持ち上げられるが、自由度が無限大なのはサンドイッチも同じだし、結局はパンに何かを挟んで焼いただけである。
ホットサンドは“オシャレの雰囲気”で成立
思うに、ホットサンドは味で勝負していない。雰囲気で勝負している。
木のまな板に乗せればオシャレ、十字に切ればオシャレ、断面を見せればオシャレ、写真を撮ればオシャレ。つまり、ホットサンドは“映えるために存在している料理”だ。味は普通で、見た目ほど美味しくない。パンと具材を焼いただけなのだから、当然だ。
ホットサンドは“料理をした気になれる装置”
ホットサンド最大の特徴は「料理をした気分になれる」という点だ。具材を挟んで焼くだけで、なぜか手作り感が出る。料理をしたという達成感が得られる。
これはホットサンドの功績でもあり、罪でもある。実際にはほとんど何もしていないのに、料理をした気分だけはしっかり味わえる。
ホットサンドは嫌いじゃないが持ち上げられすぎ
ホットサンドは別に悪い料理ではない。むしろ、美味しい瞬間もある。
ただ、過剰に持ち上げられすぎている。「ホットサンド=オシャレ」という空気が強すぎて、料理そのものより雰囲気が先に来てしまっている。ホットサンドは料理界のインスタ映えスポットのような存在で、見た目だけが先行し、味は見た目に追いついていない。
ホットサンドは“普通の料理”に戻っていい
ホットサンドはもっと普通の料理でいい。
気取らなくていいし、オシャレぶらなくていい。パンと具材を焼いただけの軽食でいい。それを無理にライフスタイルに昇格させるから、意味不明なオシャレ料理になってしまう。ホットサンドは、もっとありのままでいいはずだ。







