佐世保

グルメ

ご当地グルメの演出と虚構 ~長崎・佐世保で“名物料理”を食べ歩いて感じた演出の限界~

観光地の“ご当地”グルメは、語られすぎている。パンフレットには「地元の味」「伝統の逸品」と書かれているが、実際に口に運んでみると、語るべきものが何もない料理が並んでいた。

長崎・佐世保の街に降り立ち、名物とされるグルメを食べ、観察して歩いた。レモンステーキ、佐世保バーガー、トルコライス、甘い刺身醤油──どれも“名物”の皮をかぶっていたが、中身は演出の残骸だった。

地元民が食べない名物。語らない料理。そして、観光客のスマホに収まるためだけに存在する味。

この旅は、味覚の記録ではない。“名物”という言葉の限界を確かめるための批評的巡礼だった。そして見えたのは、語られすぎたグルメと、語られない街の静けさだった。

名物グルメが創り出す演出の構造と罠

観光地に降り立つと、まず目に入るのは“名物”の看板だ。“ここでしか食べられない”と謳われる料理たち。だが、それらは本当に“語る”料理なのか。あるいは、ただ“演じている”だけなのか。

名物とは、風景の代用品だ。食べることで土地に触れた気になれる。だが、その構造は、しばしば空虚だ。味よりも見た目の華やかさ、素材よりも物語、調理は演出。皿の上にあったのは、食文化ではなく、観光演出の成れの果てだった。

“ここでしか食べられない”という言葉は、しばしば“ここでしか通用しない”という意味にすり替わる。演出料理は、土地の文化を語るフリをして、土地の消費を促す。それは、料理の皮をかぶった広告であり、味覚のフリをした記号だ。

俺はその皿を前にして、食べることを躊躇した。食べるとは、受け入れることだ。“誰に向けて”が曖昧な料理は、ただの演出装置であり、味覚の空白だ。

名物グルメの虚構は、観光地の演出装置の一部である。その構造を解剖することで、“食べる”という行為の意味を問い直すことができる。皿の上にあるのは、味ではなく、物語の不在だった。

トルコライス 構造過多の皿、物語不在の終末

長崎名物「トルコライス」は二度と食べたくない料理

営業中の札は出ていた。俺はそれを確認して入店した。営業時間もGoogleマップで確認していた。だが、誰にも気づかれなかった。カウンターの向こうでは、店主がパソコンに向かっていた。背中だけが見える。こちらを振り向く気配もない。挨拶もない。“営業中”とは、誰に向けた言葉だったのか。

しばらくして常連客が入ってきた。店主は笑顔で迎え、世間話を始めた。「○○さん、いつものでいいですか?」「この前の旅行どうでした?」声のトーンが違う。空気が違う。その横で、初見の客は放置される。視線も言葉も寄越されない。一見客に対しては“営業中”ではない。

そして出てきたのが、トルコライス。カツ、ピラフ、スパゲティ。三つの主役が一皿に同居する構造過多の料理。それぞれが自己主張し、互いに譲らず、物語は始まらない。

“異国情緒”という言葉で包まれた混沌。だがその混沌は、文化の交差ではなく、ただの盛り合わせだ。ピラフはピラフとして、スパゲティはスパゲティとして、カツはカツとして存在している。共演ではなく、同居だ。

この料理は、観光地の演出装置としては優秀だ。写真映えする。ボリュームがある。話題になる。だが、語るべき物語がない。そして俺は、無言で提供されたその皿を前にして、食べることを躊躇した。

料理を出すときも、常連には「お待たせしました〜」と柔らかく、こっちには皿を置くだけ。接客の温度差が露骨すぎて、食欲が失せる。

常連を大事にするのはいい。だが、初見客を雑に扱っていい理由にはならない。「うちは常連さんが多いんで〜」という言い訳は、ただの排他性の正当化だ。それは“アットホーム”じゃない。最初から“常連専用”と看板に書いておけ。

飲食店は、料理を出す場所である前に、客を迎える場所であるべきだ。「接客が丁寧」とか「笑顔が素敵」とか、そんな理想論は要らない。最低限の礼儀を守れ。客が来たら、まず気づけ。まず迎えろ。

だから、外食が嫌いだ。料理が美味しくても、接客が腐っていれば全てが台無しになる。食事は味だけじゃない。空間と人間が、味を殺す。無礼な接客に金を払うくらいなら、コンビニ飯の方がよほど誠実だ。

トルコライスとエスカロップ “似ている”という暴力

毎日でも食べたい似て非なる根室名物のエスカロップ

ド素人でも誰でも専門家気取りで編集可能なフリー百科事典のWikipediaには「トルコライスはエスカロップによく似ている」と書かれている。

だが、それはあまりに乱暴なまとめ方だ。似ているのは“盛り方”だけで、思想も文脈もまるで違う。エスカロップは、北海道・根室の洋食文化の中で生まれた料理だ。豚カツやエビフライとバターライスという構成は、明確な主従関係を持ち、皿の上に秩序がある。エスカロップは“整っている”。

一方、トルコライスはどうだ。カツ、ピラフ、スパゲティ。三者が同時に主張し、譲らず、皿の上で衝突している。構造過多。文脈不在。演出優先。それは“異国情緒”という曖昧な言葉で包まれた、観光地のための記号的料理であり、文化の交差ではなく、ただの盛り合わせだ。

“似ている”という言葉は、時に暴力になる。皿の上の構造を見ただけで、料理の思想を述べるのは無理がある。エスカロップとトルコライスは、全く似ていない。

レモンステーキ牛丼 名物の名を借りた廉価版

その名を聞いた瞬間、俺は警戒した。名物と大衆食の合成。それは、文化の交差ではなく、価格帯の妥協だ。

出てきたのは、牛丼の器に盛られた薄切り肉。スーパーの精肉コーナーで見かけるような薄切り肉だ。器にレモンが添えられている。爽やかさの演出。だが、それは肉の貧しさを覆い隠すための演技にすぎない。

その暴力的な構造の中で、レモンステーキは名物の名を借りたまま、語ることをやめた。

本来、レモンステーキは鉄皿の上で音を立てる料理だった。だが、牛丼の器に収まった瞬間、音も熱も失われた。残ったのは、名物の皮だけ。中身は、“とりあえず名物っぽい”という発想の残骸。

俺は食べた。だが、味は残らなかった。残ったのは、“名物”という言葉が、ここまで安く使われていいのかという疑問だけだった。

佐世保バーガー 王の座に君臨した虚構の産物

観光パンフレットでは、レモンステーキと並んで“佐世保ご当地グルメの王”として君臨しているのが佐世保バーガー。1950年代に米海軍基地からレシピが伝わったのが始まりらしい。

だが、地元民が食べている様子はそれほど感じられない。理由は単純だ。高すぎる。昼飯に千円以上払うほどの物語が、そこにはない。

「アメリカでも出店してくれ」と米兵が言うほどの味らしいが、それは母国のジャンクフードよりマシという意味であって、地元民や観光客にとっての“名物”とは別物だろう。

アーケード街で見かけた範囲では、食事時でも客が1人か2人程度しかいない店が多かった。名物のはずなのに、名物を食べる人がいない。隣のマクドナルドに、地元の高校生や家族連れが吸い込まれていく。彼らは“名物”ではなく、“現実”を食べている。

地元民の胃袋に収まるのではなく、観光客のスマホに収まる。食べられるより、撮られるために存在しているのではないか。

長崎皿うどん 語らない麺、語りすぎた名物の空転

皿うどんを食べた。いや、正確には、ベビースターラーメンに似た何かにあんかけがかかっていたものを、半端なビジネスホテルの朝食で出されたから仕方なく食べた。

長崎で最も意味不明な料理が皿うどんだ。それは“料理”ではなく、構造のない演出だった。麺は語らない。パリパリという音だけが先行し、味覚は置いてけぼりになる。あんかけは何かを包み込むはずのものだが、ここでは何も包んでいない。具材の意味も、出汁の設計も、すべてが曖昧だった。

皿うどんは“長崎名物”とされる。だが、名物という言葉が先に立ちすぎると、料理は演技になる。この皿うどんもそうだった。“地元らしさ”のふりをした、味覚の空白だ。食文化とは、土地の記憶を翻訳する行為だが、この料理は翻訳に失敗していた。麺は語らず、あんは濁り、皿の上には“意味のない演出”だけが残った。

それは、朝食という名の儀式の中で、食べる理由を見失った料理だった。名物のふりをしたまま、語らずに消えていく。そんな皿が、今日もホテルのバイキングに並んでいる。

佐世保の刺身 レモンと水飴が創造した味覚のディストピア

エレナ(佐世保ではイオンよりも幅を利かせている地場スーパー)で刺身を買ったら、当たり前のようにレモンが添えてあった。

レモンステーキに毒されたのか、この土地の刺身にはレモンが添えられているのが普通。意味がわからなかった。それは“爽やかさ”という演出のつもりかもしれないが、刺身に必要なのは爽やかさではなく、静けさだ。レモンを添えるだけで、味覚の文脈が崩壊する。

そして、醤油。甘い。水飴と砂糖が入っている。刺身にとろみと甘さを足すという発想が、すでに裏切りだ。醤油は、刺身の輪郭を際立たせるための道具であるべきだ。シャープで、すっきりしていて、余計な感情を持ち込まない。だが、この醤油は違った。刺身に語らせない。

長崎の地形は複雑だ。海と山が交差する。風景にはシャープさがある。なのに、醤油にはそれがない。土地の輪郭と、醤油のシャープさが一致していない。

刺身は語る料理だ。だが語るためには、語らせる環境が必要だ。レモンと水飴が、その環境を破壊する。

長崎、佐世保の日本酒 着地点を見失った残像

長崎県内や佐世保で造られている日本酒を飲んだ。だが、口に含んだ瞬間、味が滲んだ。輪郭がない。キレがない。どこにも着地しない。

日本酒とは、米と水と発酵の緊張感でできているはずだ。だが、この土地の日本酒にはその緊張感がない。緩い。曖昧。語らない。それは“飲みやすさ”ではなく、“語らなさ”だ。語るべきことを、酒が拒んでいる。

思い出すべきは、九州が焼酎の本場であるという事実だ。気温が高く、日本酒造りには向かない。この土地で無理に日本酒を造ることは、気候と文化の翻訳に失敗するリスクを孕んでいる。

それは、“地元らしさ”という演出のために造られた液体だった。俺は飲んだ。何度か、銘柄を変えてみた。だが、どれも着地点が見当たらない。違いはあるが、違いの意味がなかった。

日本酒は語る酒だ。語るためには、切れ味が必要だ。佐世保の日本酒は、語らない。ただ、口の中に居座る。

イオンのレンチンもつ鍋 食べる前から終わっている料理

冷蔵棚の隅に、もつ鍋があった。値引きシールが貼られていた。赤いシールは、救済ではなく演出だった。“お得”という言葉で、食べる理由を補強しようとしていた。

レンチンした。湯気は立った。見た目は整っていた。だが、口に運んだ瞬間、すべてが崩れた。脂が重い。出汁が濁っている。もつは語らない。それは“こってり”ではなく、“処理されていない”という感覚だった。味覚が拒否する。箸が止まる。

この鍋は、食べる前から終わっていた。語るべきものがない料理は、ただの演技だ。値引きされていたから買った。だが、値引きされていたのは、味覚の尊厳だった。

俺は食べた。だが途中でやめた。それは、“食べられない名物”のさらに下にある、“食べる理由のない食品”だったからだ。

パンフレットの中で完結する料理たちの矛盾

皿の上にあったのは、土地の記憶ではなかった。それは、“名物”という言葉に寄りかかった演出の残骸だった。語らない料理。語られすぎたパンフレット。そして、食べることが“体験”にすり替えられた風景の中で、味覚は置き去りにされていた。

観光地グルメは、もはや“食”ではない。それは、撮られるために整えられた舞台装置であり、地元の声を失った演技だ。だが、演技には限界がある。語るべきものを持たない料理は、いずれ沈黙する。

食べ歩いた先に残ったのは、満腹感ではなかった。“名物”という言葉が空転する音と、語られなかった土地の静けさだった。

旅モノ

映画『69 sixty nine』聖地巡礼 ~佐世保のロケ地を歩いて見えた“語らない風景”たち~

午前1時。目覚ましが鳴る前に目が覚めた。

俺は今日、長崎県の佐世保に行く。目的は、はっきりしている。村上龍の小説および映画『69 sixty nine』の舞台を歩くためだ。

午前3時、俺は佐世保に向かった

長崎空港行きのジェットスター早朝便に乗るため、俺は午前3時に家を出て、成田空港へと向かった。

眠気はなかった。むしろ、あの街“佐世保”に残っているかもしれない“熱”を拾いに行くという使命感が、俺を起こした。目的は観光じゃない。グルメでもない。

『69 sixty nine』──あの映画に漂っていたロックと反抗とくだらなさと熱量を、現地で嗅ぎ取るための旅だ。

俺は、そういう空気を嗅ぎ分ける嗅覚を持っている。そしてそれを、写真と文章で記録する。この旅は“映え”のためじゃない。

時間通りにジェットスターに乗る。成田空港の第3ターミナルの早朝は騒がしい。安いLCCの中でも、最も安い早朝時間帯の便に乗るために、安さこそが全てだと考える愚かな乗客たちが集まる。俺もそんな一人だが、ド平日の早朝にも関わらず、ゴミのように殺到するのだ。

だが、俺は知っている。この旅は、観光じゃない。記録だ。佐世保には、映画『69 sixty nine』の中で燃えていた熱が、まだどこかに残っているはずだ。俺はその残火を拾い、写真に焼き付ける。

聖地巡礼『69 sixty nine』の残火を拾う

日本最西端のJR駅である佐世保駅

佐世保駅に降り立った瞬間、俺は軽く絶望した。

駅のコンコースは整っていて、清潔だった。ロータリーは無駄に広く、観光案内所は親切すぎるほど親切で、ベンチは新品のようにピカピカだった。だが、その整い方が、あの映画にあった“熱”を完璧に殺していた。

『69 sixty nine』の中で描かれていた佐世保は、もっと雑だった。もっと無秩序で、もっとくだらなくて、もっと生々しかった。あの映画の空気は、整備された都市空間ではなく、壊れかけの校舎や、意味もなく集まる若者たちの中にあった。

俺は、観光案内所の地図を無視して歩き出す。目的地は、映画のロケ地。俺にとって“聖地巡礼”という言葉が指すのは、地図をなぞることじゃない。かつて燃えていた熱の残骸を、風景の隙間から拾い集める行為だ。

校舎 熱の発火点

最初に向かったのは『69 sixty nine』という物語の中心的な舞台となった校舎。

ここはケンたちがバリ封計画を立て、実行し、爆発させた場所だ。

反抗と創造が同居していた空間。かすかにその“熱”の残像があった。俺はその空気を、写真に焼き付けた。

峰坂 松永先生がケンの家へ向かった坂

この坂を、松永先生が歩いた。岸部一徳が演じた、あの不器用で誠実な担任が、ケンの家へ向かうシーン。

峰坂は、ただの坂ではない。かつて平戸藩の殿様が往来したという往還道。歴史と映画が、ここで静かに交差している。

構造は独特だ。両脇に緩やかなスロープ、中央に石段。歩く者の選択を試すような造りだ。俺は石段を選んだ。坂の途中で立ち止まり、振り返る。 住宅街の静けさと、石の段差のリズム。ここには、映画の残像と、土地の記憶が折り重なっている。

SSKバイパス 逃走の残響

爆竹の音が鳴り響いたあと、ケンたちはこの道を走った。映画『69 sixty nine』の中でも、最も“疾走”が似合う場所だ。

車道には車が絶え間なく行き交う。逃げるという行為の残響は、まだこの道の下に眠っている。歩道の幅、風の抜け方。それらは逃走の緊張感を正確に記憶している。舗装は新しくなっても、風景の骨格は変わらない。

俺はこの道を走らない。かつて誰かが全力で走り抜けた場所を、静かに踏みしめる。それは、反抗の痕跡を拾う行為だ。疾走の記憶を、写真に焼き付ける。

立神音楽堂 残された壁画と空間の記憶

自衛隊敷地内のため、それっぽい建物を公道から撮影

このレンガ造りの建物は、普段は地元ミュージシャンたちの練習場所として利用されているという。

『69 sixty nine』では、反抗と演出が交差する空間として登場した。

セットの完成度に、地元のミュージシャンたちは驚いたという。どうかこのまま残してほしい──そんな声が上がり、ステージの壁画部分だけが今もそのまま残されている。映画の残像が、空間の一部として定着した稀有な例だ。

シューズセンター通り 疾走の記憶

ケンが走り抜けるシーンが撮られたのが、このシューズセンター通りだ。映画では1969年の空気が再現されていた。

日本一長いアーケード街の裏手にあるこの路地は、戦後、シューズ店が次々と出店し、靴の宝庫として賑わった歴史を持つ。

『69 sixty nine』の中でも、最も“走る”ことに意味があった場所。意味のある逃走。意味のない疾走。その境界が、ここにはあった。

観潮橋 飛び越えるという選択

ケンとアダマが逃げ場を失い、橋の欄干を越えて川に飛び込む。逃げるか、止まるか。飛ぶか、諦めるか。その一瞬の判断が、風景に刻まれている。

観潮橋は、今も静かに川を跨いでいる。橋の姿は、映画で見た通りだった。スタントマンが演じたとはいえ、この高さが生む緊張感は、嘘ではなかった。

俺は欄干に手をかけてみる。飛び越えるという行為は、反抗ではなく、決意だ。それは、映画の中だけでなく、風景の中にも残っている。観潮橋は、ただの橋ではない。選択の場としての記憶を、今も静かに抱えている。

早岐瀬戸 余白のある風景

ケンとアダマの歩くシーンが撮られた場所。逃げたあと、走ったあと、ようやく歩くことを許された場面だ。風景は静かで、空気に余白があった。

JAの裏手に広がる早岐瀬戸は、観光地でも名所でもない。ただの道のように見える。だが、映画の中ではその“ただの”が効いていた。逃走の余韻を受け止める器になっていた。

この場所は川のように見えるが、大村湾と佐世保湾を繋ぐ瀬戸、つまり海である。

俺はこの場所で、何も起きないことの意味を考える。何も起きない風景が、何かを語ることがある。それは、映画の中でしか成立しないと思っていたが、現地に立つと、風景の沈黙が確かに語りかけてくる。

余白とは、空白ではない。ここには、それがある。

聖地は語らない、語るのは歩いた者の記憶だ

歩き終えたあとに残ったのは、風景の記憶ではなく、あの時代の空気に触れたような感覚だった。

『69 sixty nine』が描いたのは、革命でも反抗でもない。退屈をぶち壊すための、若さの演出だった。その舞台となったこの街も、今では静かに時を重ねている。だが、あの夏の熱は、確かにここにあった。

聖地巡礼とは、風景をなぞることではない。物語の残響を、自分の足で確かめることだ。そして、確かめた先にあるのは、自分の中の“69”──何かを壊したくなる衝動と、何かを始めたくなる予感。

この街は、語らない。だが、語られた物語の余韻は、今も風に混じって漂っている。