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2025真冬のオホーツク大逃避行 ~夏の夢の終わりは白銀の真冬に突如として訪れた~

大雪に翻弄される白銀のオホーツク世界へようこそ(女満別空港)

2025年12月中旬。行き先はオホーツク。

この旅は、真冬と題しながらも、夏から秋にかけて行った「真夏のオホーツク大逃避行」シリーズの最終章である。

あわせて読みたい関連シリーズはこちら。

大地震も大雪も両方怖い

俺の本当の意味の夏は、真冬に突然訪れた。

わくわくドキドキな旅の1週間前、青森県を震源とする大地震が発生。北海道の各地にも被害があり、今後1週間程度は後発地震に警戒するよう、気象庁から呼びかけられていた。

首都圏直下型地震や東海地震などは警戒するよう話題になることが多いけども、本州の都市部に比べると相対的に人口も少ないし、経済規模も小さいからか、本当は北海道も大地震の危機に常に晒されているものの、マスコスなどで話題になることは少ないのだとも言う。

俺に関して言えば、北海道は低気圧による記録的な大雪災害。そっちの方が気がかりだった。12月15日は羽田から女満別など、北海道各地に飛ぶ飛行機が軒並み欠航。ちょっとやそっとじやなくて、全便欠航というパターンが多く、羽田から女満別のJALは1日3便だが全便欠航していた。大雪で滑走路が使えないとなると、JALもLCCも関係なく欠航するというのを思い知った。

俺は翌日のJALをセール価格の8千円台というLCC顔負けの料金で2か月前に予約していた。天候不良の欠航なら無料で振り替えできるが、予定が狂ってしまうのは困るから気がかりであった。2時間おきに欠航情報が出ないかをJALのサイトをチェックしていた。

オホーツクは雪が少ないは大嘘

世の中には嘘が真実のように語られることは多いが、「オホーツクは雪が少ない」は大嘘である。

本州日本海側や北海道の日本海側に比べると少ないらしいが、毎年のようにオホーツク地方を走る石北本線が大雪のために1週間近く運休したり、この雪景色を見れば、とりあえず嘘だとわかる。

子供の頃も、一冬で3回くらいは1m級のドカ雪が降ることはあった気がするし、現実はオホーツクは大雪なのである。

飛行機は何とか飛んだものの

俺は空港から街、あるいは空港から最寄り駅までは歩くのが絶対的なルール。だから当然、この日も女満別空港から女満別駅までは歩く予定だった。

しかし、飛行機は予定通り飛んだものの、石北本線は大雪で2日ほど前から全便運休している。除雪の状況次第で復活するかも・・・と淡い期待をしつつも、JR北海道のサイトを見ると本日も明日も全便運休が決定している。

羽田空港ではJALが前日に全便欠航だったことや、搭乗口が変更になったのにアナウンスが一切なかったぞ、と怒っている出張族らしいオジサンがいた。

今時はLCCでも大手でも紙チケットはオプション扱いで、スマホのチケットがメイン。スマホには搭乗口変更の通知が来るが、紙チケット派なは通知されない。JALが悪いかオジサンが悪いかで言うと、飛行機に10年ぶりに乗るならまだしも、全国を飛び回る出張族であるなら事情を学ばないオジサンが悪い。

敗北を感じながら1,600円払って北見行きのバスに乗る

バスで真冬に北見に来ると実際以上に小さな街に思える

空港と街を結ぶリムジンバスというのは、つまらない上に料金は高い。最寄りの主要都市である北見まで40分ほど。料金は1,600円だ。

飛行機は200人くらい乗っていたはずなのに、バスには20人くらいしか乗っていない。となると、他の180人は自家用車やレンタカーってことなのか。実感がわかなかった。

本来なら女満別駅まで歩いて石北本線で北見に向かいたかったが、何度JR北海道のサイトでチェックしても終日運休。夏場なら女満別駅から網走駅まで歩いたことがあるが、冬なうえに大雪だし、北見まで歩くのは不可能。

負けた感じがするが、実際に負けているのだから仕方ない。

女満別空港ではバスのチケットは券売機でクレジットカードや主要な電子マネーでの決済ができる。俺の楽天カードには使わないのに雰囲気で付けてしまったedyという、少なくとも俺の中ではマイナーな電子マネーのせいで、クレカ決済しようとすると残高ゼロのedyのエラーでうまく使えず。

なにか設定すれば出来るのかもしれんけど、面倒なので現金払いした。使わないedy機能なんて付けるべきじゃなかった。更新時以外に機能外すのは再発行になるらしいし、クソ機能。

北見の街は雪山だらけの冷凍庫

北見駅前の様子。雪山で遊んだ子供時代の記憶が懐かしい

リムジンバスなので特に面白いことも何もなく、難なく北見駅に到着。ひとまず、オホーツクに来れたことは良しとしよう。駅前の予約しているホテルにチェックインして荷物を軽くして出発。

俺の感覚では雪が降ると暖かくなるはずだが、この日も氷点下10度くらいと寒いし、次の日やその次の日は、最低気温が氷点下18度まで下がるという本州の生温い冬に慣れた俺にとっては、それは冷凍人間になれという話であった。実際、そこらの家庭の冷凍庫より寒い気がする。

前日は飛行機が全便欠航するし、JRは未だに全便運休するレベルの大雪なので、歩道は場所によっては雪で歩けず。かろうじて歩けるアトラクションみたいな雪道をよじ登ってイオンに向かった。

イオンへの道のりは楽ではなかった(赤線部分が獣道)

北見の駅前はビジネスホテルと居酒屋は大量にあるものの、それ以外には何もないので、結構離れた場所にあるイオンに行かないとロクな食べ物が買えない。

この雪の調子では、石北本線も釧網本線もいつ復活するかわからない。釧路に行きたい気分だったら釧路に行って、「この豚丼」を食べようと思っていたが、この大雪を見る限りは無理。

北見「秋乃家」の豚丼

豚丼はタレで決まる部分が大きい

前回、秋に来た時にはフードコートの「秋乃家」でナポリタンを食べたが、あれから色々調べると国道沿いにある「秋乃家」の本店は北見市民に広く愛されている店だと知った。

豚丼も名物のようなので、雪でここにたどり着いた縁だと思って頼んでみた。「この豚丼」くらいしか比較対象はないが、肉の感じは大体同じ。違うのはタレ。こっちのが味が濃くて、これが北見の豚丼なんだなぁ、としみじみ思う。

数年前に札幌駅直結のステラプレイスという商業施設に入っている何とかという観光客が行列を作るような豚丼屋にノリで行ったが、「秋乃家」とも「この豚丼」とも違う印象に残らない味だったので、「秋乃家」と「この豚丼」はタレ以外は近い系統なのかも知れない。

大雪ではJALもJRもどうにもならないし、俺にしてもどうにもならなかった。旅は現地に行ってみないと分からない。

大雪に加えて体調不良が重くのしかかる

大雪のせいではなく、それとは独立して旅に出る当日朝から体調が悪い。頭痛と寒気がする。

薬飲んでおけば良くなるだろうと思うが、圧倒的な氷点下の世界で免疫力は低下。よくなるはずがなかったのである。

翌日、無料サービスの「なんちゃって朝食バイキング」を済ませ、満足度ゼロでこのホテルは後にした。

歩いて10分の同じようなエリアにある別の馴染みの安ホテルへ移動。9時50分に古いホテルはチェックアウトして、10時過ぎに新たなホテルに荷物だけ預ける。引き換え用に番号札みたいのをくれる安ホテルが多いけど、そういうのがないから不安になったものの、荷物は顔と名前で管理しているようでチェックイン時に何も言わずに用意してくれた。

大雪でオホーツクの街は陸の孤島に

散策に不要な荷物を預けて身軽にはなったが、オホーツクに降り立って2日目にしても石北本線は全便運休。小中学校とかは休みらしいけど、列車通勤してる社会人はどうなるんだろう。

この地にそんな人はいない、いても少数派だから考慮しない、自分でどうにかしろという前提だろうけど、北見から遠軽まで昔は路線バスがあったけど、今は石北本線しか公共交通機関はないし、タクシーで移動なんかしたら、たぶん万単位だよね。

上川~遠軽間は代行バスの計画があったものの、道路も除雪が間に合わず、計画は実行されなかったようだ。遠軽~北見~網走間は代行バスの話は、少なくとも情弱な俺のレベルにまでは降りてこない。

ネットでそれっぽいキーワードで探すと、過去の大雪の時は石北本線が復活するのに1週間かかったらしいし、最悪、北見から一歩も出ずに女満別空港から帰りのJALに乗ることになるのでは、それは我ながら浮かばれないなと不安になった。まあ、運を使い果たした俺だったら十分にあり得る話。

国道沿いの歩道の方が除雪は進んでいる

2つ目のホテルのチェックイン時間までは、駅前では時間潰しすら難しいので、ショッピングセンターなどが多い三輪の方まで歩いて行ってみた。北見に居ても俺はイオンと三輪くらいしか、大雪でも大雪じゃなくても行ける場所がないのである。

国道の歩道の方が除雪がある程度されていて、住宅街の真ん中のような場所にあるイオンへの道のりよりは歩きやすかった。トラックの運転手が「なんでこんなに雪積もるんだよ!」と誰とも構わず、窓から叫んでいた。大体の人がそうだと思うが、この人も足止めを食らったり、予定が狂ったりしたのだろう。

JRは連日の運休を告げる際に「大雪災害」という言葉を独自に使い出したが、どこまでが日常でどこからが災害なのかの境界が曖昧だ。

お得なミニカレーセットもあることに途中から気づいた

三輪ではブックオフ、DCM、コープあたりを見て回る。昼食はここぞとばかりに「さんぱち」に行った。北見のさんぱちに行くのは何気に初めてだが、味は安定のさんぱちという感じ。さんぱちは間違いがない。そして、冬に食べる熱いラーメンこそ、北海道ラーメンの真価である。

ラーメンで一時復活したものの、ホテルに戻ってきたら、風邪と寒さによるエネルギー切れでダウン。3連泊だが、次の日は値段の割にまぁまぁな朝食バイキングを食べたら、石北本線は引き続き全便運休だし、体調悪化で出歩くことは出来なかった。

北見駅での連日の運休を告げる張り紙

小出しで再開情報も掲載されるけど、網走や遠軽に出かけて、やっぱり運休しますとなって、北見に戻れず取り残されたら困る。最近、冬に北海道に来る時に大雪を気にしたことはなかったが、大雪に悩まされる。

日中の-2.8度は暖かい方で最低気温は-18度だとか

旅行に来てホテルの部屋に終日引きこもるものの、外が氷点下10度くらいというのもあるが、エアコンの暖房を全開にしても寒い。北海道の建物は断熱材がしっかりしているはずだが、どこからともなく外の寒さが伝わってくるらしい。北海道のホテルや住宅の断熱性能は、かつて国を挙げて研究された成果もあって、全国の中で最もその性能が高いと思うが、それでも外の寒さでエアコン程度の温風ではかき消されてしまうこともある。

半信半疑で網走と美幌にお出かけ

鉄道旅行に来て4日目にして鉄道に乗車

19日になり、JR北海道の運行情報を眺めると、ようやく遠軽〜網走の普通列車は再開してくれた。上川〜遠軽はまだ除雪中で、快速や特別快速、特急は運休だった。網走から先の釧網本線は全便運休。

正確には前日の夕方から復旧しているらしいが、5日ぶりくらいの始発からの運行だから混み合うかというと全く普通で、乗客はまばら。車社会の地域であることを思い出させるのであった。

電線や線路側に倒れ込んでいる木々が多数

北見から網走方面に向かう車窓からは、防風林や防雪林的に線路脇に生えている樹木が、何本も倒れて電線をびろ〜んとさせていた。

素人感覚だと、電線によしかかっていて大丈夫なのか不安になるが、1本2本の話じゃないので、線路上にまで倒れている樹木は切るなどして撤去したが、それ以外の直接的に運行に影響しないものは一旦放置しているのだろう。全部解決させるには、さらに何日もかかりそう。

網走の街も凍えるほど寒かった

道の駅に出来ていたABASHIRIモニュメント

暖かい格好はして来たが、厚手の長袖シャツの下に来ているフリースの中に、もう一枚、薄手の長袖を持ってきたら良かったかと後悔した。だが、北海道あるあるで、少し歩くと逆に暑くなって汗ばんだりするから、温度調節は難しい。とりあえず、着替え用の半袖Tシャツを2枚重ねて着た。旅先では有り物で何とかするのが良い。

12月の北海道に旅行に来ることは多いが、ここまで雪が多かったのは数年ぶりではないだろうか。2年前に同じ時期に北海道に来た時は、1センチほど薄っすらと雪化粧している程度で、その後に立ち寄った青森や新潟の方が大雪だった。12月の北海道は冬本番という感じじゃないし、本当の本番は1月や2月というイメージである。

網走では駒場の方に歩いて行けたらと思ったが、雪と氷の世界で歩いて行くのがしんどいため、オホーツク海を見て、道の駅に行ったら、3時間ほどの滞在で北見方面の列車に乗り美幌に向かった。釧網本線が不通なので、いつもよりも網走駅は静かなものだった。

美幌の街も雪と氷の世界

美幌駅近くのスーパー「アークス」付近

今年の夏シーズンから祭巡りとキャンプ場視察で、新たに立ち寄る場所の一つとなった美幌町。北見と網走の中間にあり、駅前にはスーパーのアークスとツルハドラッグがある。街中まで歩くと、シティやコープ、サンキ、DCMなどショッピングセンターもある。

街中まで行けたらと思ったが、やはり雪と氷の世界で除雪も主な道しかされていないため、駅前の散策のみで北見に戻ることにした。駅直結の土産物売り場のようなところで、地元のキャラクターグッズなどが売られているが、いつも記念に買おうか買わないか迷った末に買わないという結果になる。

ほとんどどこに行けずに、今夜は3連泊した北見のホテルの最終日。明日はこの旅のハイライトとなるイベントのために、遠軽に向って遠軽のホテルに宿泊する。とりあえず鉄道が回復してよかった。

5日目にして本命の遠軽へ

気温がプラスの8度で嘘のように暖かくて春のよう

遠軽方面の列車が再開するかドギマギしていたが、遠軽に移動する日には順調に回復してくれた。ただ、体調は依然として悪く、頭痛と寒気で耳鳴りがするし、景色を見ているようでも意識がぼ~っとしてくる。

コロナ禍以来の習性で大量の常備薬とビタミンCなどのサプリメントを携帯しているので助けられたが、常備薬が旅の終わりまで持つか不安になってきた。買えばいい話だけど、リムジンバスに引き続いて、さらに敗北が増える感じがする。そもそも、風邪に対する薬というのは対処療法でしかないから、回復には7日~10日程度かかるわけでもある。

遠軽の街も大雪は大雪であったが、俺には懐かしい光景でもあるものの、中心部の歩道はロードヒーティングが入っていて、路面も見えているし、北見や網走よりずっと歩きやすいのである。比較しないとわからないが、遠軽の中心部は冬でも歩きやすいのである。

雪で覆われたコスモス園

太陽の丘の方に行くと、どこも雪で覆われているわけだが、雪原をクロスカントリースキーで移動している人が何人かいた。この地で行われる国内最長距離だというクロスカントリーの退会の練習だろうが、除雪されていない雪原を移動する手段としても実用的なものであると思った。

夏場は太陽の丘は大きなイベントが行われるが、冬の間は施設のほとんど全部がクローズ。冬場に行われる近年新しく出来たイベントは、メトロプラザや街中の広場などが会場になるようだ。

まさかのBunny’s解散の告知

Waku Waku Bunny’s Festival 2025 の会場入り口(メトロプラザ)

今回の旅行には珍しくテーマがあって、それは「Waku Waku Bunny’s Festival 2025」という地元で結成8年になる実力派のチアダンスチーム「Bunny’s」のイベントに参加するためである。イベントに合わせて2か月前から日程を調整していた。むしろ、2か月前から人生の目的が「Waku Waku Bunny’s Festival 2025」になっていた。

地元に住んでいなくて相対的に情弱な立場にある俺は、唯一の情報源であるインスタからイベントの最新情報をチェックしていた。大雪などの影響で開催日時が変更になったりしていないかなどを現地でもチェックしていたのである。

ところが、開催の3日前頃に今回の「Waku Waku Bunny’s Festival 2025」をもってBunny’sが解散するという、頭をかち割られたような衝撃的な告知がされたのである。何かの冗談か、投稿間違い、今日はエイプリルフールなのかと情報が頭の中で混乱した。

8年活動していて近年は地元イベントでの常連であるとは言っても、俺がBunny’sを知ったのは今年9月の「物産まつり」からである。生まれ育った街だけに「へぇ、こんなド田舎に今はチアダンスチームなんてあるんだ」というのが率直な感想で、実際には地元アイドルユニット「E-cute」目当てだったこともあり、いくつかあるダンスチームの一つというのが最初の印象だった。

その後もコスモスフェスタなどでオホーツク地方のダンスチームを数多く見たが、Bunny’sは数あるダンスチームの中でも実力派のチームだというのはすぐにわかった。実際、順位を競うイベントでは1位になったこともあり、他のダンスチームとはレベルが違うというのを感じていた。

また、ダンスイベントというものに初めて興味を持つきっかけを与えてくれたというのもある。首都圏や九州など、様々な地域のイベントで披露される各地域のダンスチームのダンスを見に行ったりもしたが、Bunny’sのダンスは都市部のチームに引けを取らないどころか、技術や演出が上回っているようにも感じた。

さらに、「チア」というものに初めて興味を持つきっかけにもなったというのもある。近所で開催された地域イベントで、地元の女子高生によるチアリーディングというものを見に行ったりもした。チアダンスとチアリーディングは名前は似ているようで、かなり別物だったのだけど、チアという知らない世界を教えてくれたのがBunny’sだったのである。

地元を捨てた時間そのものを思い知らされる

8年も活動していたチームなのに知ったのが3か月前というのには理由がある。それは実際問題として、道外に在住している限り、9月や10月などの土曜日や日曜日、平日の夜にピンポイントで開催される地元イベントにピンポイントで訪れるというのが困難だからである。

今年は多額な飛行機代やホテル代などの費用面を別にすれば、たまたま日程調整が付きやすい状況にあったというだけで、誰であっても道外で会社勤めなどをしている普通の社会人が連休などではない何でもない土日に、この地のイベントにふらっと顔を出すのは困難なはずである。札幌市内だったら飛行機の便数も多いし、LCCも数多く飛んでいるからまだしも、女満別なしてもJALとANAしか選択肢がない。

この問題は、今まで目を背けてきた「地元を捨てる」という行為は、地元での時間や出来事を全て葬り去るということと同じであると俺に再認識させた。

俺はこの8年間だけにしても、どれだけ下らないあらゆることに時間を費やしてきたのだろうと思った。そして、この問題はこれからもずっと続いていくことになり、俺は葛藤し続けることになるはずだ。

涙溢れるBunny’s解散イベント

Bunny’sの解散は俺自身における8年間という失われた時間や「虚無」というものを連想的に思い知らされることとなった。

俺はインスタしか情報源がない情弱だから、3日前まで何も知らなかったというのも有り得る。地元界隈では事前に知られていたことだったのかもしれないが、少なくとも、2か月前のハロウィーンイベントではそんな言及はされていなかったと思う。本番当日までメトロプラザの掲示板にはメンバー募集の張り紙があったから、本当に直前に何らかの事情で決まったのかもしれない。

そういえば、俺はこの時までBunny’sというものをよく知らなかった。イベントでの代表の方の言葉によると、子供の頃から地元の老舗ダンスチーム「ライベリーキッズ」でダンスをしていて、当初は北海道の某プロ野球チームのチアダンスチーム入りを志していたが夢叶わず、地元でチアダンスチームを立ち上げたのだという。

俺はプロ野球というものに全く興味がないから、プロのチアダンスチームというものが日本に普通に存在しているのも知らなかった。調べると、AKBとかそこらのアイドルユニットみたいに、メンバーの名前やプロフィール画像が大きく載っていたりする。

都市部なら今や全国各地にダンスチームやダンス教室は溢れかえっているが、地元という制約の中で新たに立ち上げられたチームだという思うと余計に凄さが際立ってくる。そんなチームなのに解散という決断に至ったのは、勝手な想像でしかないが、やむを得ない「大人の事情」があったのだろう。パフォーマーとしての“外側に見せる部分”とは別に、運営コストや家庭や地域の事情など、いくらでも解散しないとならなくなる事情なんてあるのだろう。大人のインストラクターや運営関係者が何人かいるように思うけれど、体制を変えて引継ぐなどではなく、あくまで解散という選択である。

「来年以降はどうやってBunny’sのイベントに来れるように調整しようか」などと、永久に存在する前提で悠長なことを思っていたけれど、どう調整しても永久に叶わないことになってしまった。個人的には「新Bunny’s」のようなものが立ち上がったら、ぜひ応援したいと思うし、なんとか調整して見に来られたらいいなと思っている。

この日、安定の山岡家で味噌ラーメンを食べてから、冬は大雪などの交通懸念もあることから、予約していた遠軽駅前のホテル「タカハシイン」に泊まった。

やっぱり凄いぞスーパーホテルのウェルカムバー

この旅行では遠軽に1泊、北見に3つのホテルで1泊、3泊、1泊としたが、最後に宿泊したのは北見のスーパーホテル。

ここのホテルは出張ビジネスマンが多いからか、日曜宿泊は価格が安くなることが多いらしく、楽天のセールも使ったら10年近く前に泊まった時と同じくらいの価格で泊まることができた。その価格、朝食バイキング付きで3千円台である。

ちなみに、北海道は2026年4月から宿泊税というものが北海道全域で宿泊代に応じて100円~、主要都市では200円~がさらに課されるようになるらしい。これ、外人とか金持ち観光客から金取るのは全然いいんだけど、北海道に本籍があるような帰省客は対象外にして貰えないかしらん(苦笑)。高級リゾート扱いされても困るんだけど。


気を取り直してスーパーホテルの凄い所を紹介すると、心地のいいマニュアル接客は気を使わなくてラクチンだし、なんと言ってもウェルカムバー。

酒好きなら2千円分くらいは浮かせられる(?)


ウイスキーなどの洋酒はもちろん、地元の日本酒も取り揃えている。旭川の「男山」と根室の「北の勝」だけでも泊まって正解だと言い切れる。そんなに美味しくなかったが、北見の玉ねぎ焼酎なる珍しい酒もあった。

部屋の中も何と言ってもスーパーなだけあって、北海道で今回ホテルで唯一、暖房がきちんと機能していた。暖房は普通にエアコンタイプだったが断熱性能が違うのだろうか。


朝食バイキングも今回泊まった中では抜群に充実している。夏場だとそうは行かないと思うが、これで3千円台なのだから文句なしでスーパーなホテルだ。

女満別駅から女満別空港への徒歩旅

帰りは予定通り、空港まで女満別駅から歩くことにした。

夏場に1か月近くを過ごした場所

今年の夏に1か月近くを過ごした湖畔のキャンプ場は雪に覆われていた。夏場はゴミゴミした都会にいるよりずっと快適で、食費や風呂代はともかく、水道光熱費はかからないし、ぜひとも一生ここで過ごせたらと思ったが、雪が降り積もる土地であるだけに、一生どころか冬を越すことすら難しそうだ。

厳密には特に季節でクローズするということもないから、これはこれでキャンプ場だけど、南極観測隊くらいの装備がないと一生ここで快適に過ごすのは難しそうであった。雪が解けて夏になったらキャンプ生活にカムバックしたいが、できるのかな・・・。

ギリギリで歩道は歩くことができる

冬場に女満別駅から女満別空港に歩くのは初めてだったが、空港通りという立派な名前が付けられた通りからアクセスすると、歩道は1日~2日前くらいに除雪された感じで、普通の靴でもギリギリ歩ける部分が多かった。

飛行機に付着した雪を除雪する車が故障したらしい

女満別空港に着いて搭乗を待っていると、何やら飛行機に付着した雪を除雪するための作業車が故障したらしく、近くの別の空港から代わりの車を取り寄せているから出発が遅れるとのアナウンスが流れた。

近くの別の空港って? という感じだったけど、帯広空港という近くとは思えない空港から取り寄せていたが、1時間遅れ程度で出発できた。ビジネスマンの人とかは帰れないと困る、ふざけんなとヤキモキしていたが、俺に至っては、今回は色々と心が揺れたせいで、帰れても帰れなくても、そんな些細なことはどっちでもいいと思った。

ただ、また雪道を歩いて女満別駅まで戻るのは嫌だなぁ、と思った。でも、JALだし帰れなくなったらホテル代とか、なんなら北見までのリムジンバス代も出してくれるだろうから、帰れなくてもいいかなと思ったくらい。

来年からのビジョンは真っ白な雪原のように、真っ白に塗り替えられた旅であった。

旅モノ

北海道&東日本パスの鉄道旅で「遠軽駅」を素通りするのは勿体ない!! 鉄道と共に歩んだ街の歴史と風景

遠軽駅を「ただの乗換駅」として通過するのは非常に勿体ない

「北海道&東日本パス」で北海道を旅をしているとき、遠軽駅は多くの旅人にとっては「ただの乗換駅」として扱われがちだ。

旭川から北見や網走方面へ、あるいは網走や北見から旭川方面へ行くとき、遠軽駅では改札から一歩も出ることもなく、隣のホームで列車に乗り継ぐだけ。そんな経験をしたことのある旅人も多いだろう。

だが、それは“鉄道ファン”の旅の仕方としては、あまりにも味気ない。遠軽という街は、北海道の鉄道の歴史そのものと言ってよいほどに、鉄道とは切り離せない濃厚な歴史を持つ場所なのである。

かつて激しい誘致合戦が繰り広げられた遠軽駅

最盛期は279人もの職員を抱えていたほどの遠軽駅

遠軽駅が開業したのは大正4年。平成27年には開駅100周年を迎えた。

鉄道の到来は、遠軽という街の発展を決定づけた大きな転機だった。北見から湧別へ伸びた湧別線が最初に開通し、続いて昭和2年には旭川から伸びる現在の石北本線が到達したことで、遠軽は複数の路線が交わる分岐駅となった。これが遠軽の街が交通の要衝として栄えるきっかけとなる。

分岐駅の座を巡っては、遠軽駅と安国駅の間で激しい誘致合戦が繰り広げられた。地元の開拓者たちは、自らの土地を鉄道用地として差し出し、私財を投げ打ってまで鉄道を呼び込もうとした。彼らの執念が遠軽駅を分岐駅へと押し上げたのである。

開拓期から交通の中心として街を支えてきた遠軽駅は、現在も石北本線の主要駅として網走駅、北見駅に次ぐ乗客数を誇り、地域の生活を支え続けている。このことから、遠軽という街は鉄道の歴史そのものとも言えるのだ。

遠軽駅は複数路線が交差するターミナル

遠軽駅に停車するJR北海道H100形気動車

普通の途中駅であれば、線路が一直線に貫き、構内もコンパクトにまとまる。しかし、遠軽駅の風格は趣が異なる。

構内は広く、線路は曲がり、分岐が多く、どこか“整理役”を任されていたような雰囲気が漂う。これは遠軽駅が複数の路線をまとめる機能を担ってきた歴史を物語っている。

かつて、遠軽駅は「旭川方面」「北見・網走方面」「湧別(オホーツク沿岸)方面」という、目的も性格も、線路の規格すらも違う、異なる三方向の鉄道路線が集まっていた。これらは同じ一つの計画のもとに建設されたわけではない。地形、予算、政治、地域事情といった複数の要因の中で、結果として遠軽に路線が集まったのである。

遠軽駅名物の平地スイッチバックは名寄本線の名残

遠軽駅でスイッチバックする石北本線の線路(2016年撮影)

遠軽駅と言えば、スイッチバックを思い浮かべる人も多いだろう。鉄道に詳しくない人からすると「なんで方向転換するの?」と不思議に思える構造だ。遠軽駅では列車が一度駅に入り、進行方向を逆にして次の駅へと走り出す。

スイッチバックは急勾配を上るために山岳地帯の鉄道に採用されることが多い仕組み。しかし、遠軽駅のスイッチバックは地形の問題で生まれたわけではなく、全国でも珍しい「平地スイッチバック」となっている。それは、かつて遠軽駅が「名寄本線」という別ルートの起点だったことを理由とする。

名寄本線は1989年に廃止されたが、2025年現在としては「本線」を名乗るJR線で唯一全線が廃止となった路線でもある。名寄本線は名寄からオホーツク沿岸を経て遠軽へと至る路線で、石北本線が開通する前は、旭川から遠軽や北見、網走方面へと向かう主要ルートであった。

平地にも関わらずスイッチバックが採用されたのは、後から作られた石北本線を無理なく接続するためである。名寄本線が廃止された今も、遠軽駅の線路配置はその記憶を静かに伝えてくれる。

遠軽という街が見せる静かな旅の風景

近隣のオホーツク海やサロマ湖が育んだ新鮮な海産物を食べられるのも魅力

遠軽を鉄道で素通りする旅人の多くは、次の列車の時刻だけを気にしてホームに佇む。

だけど、ほんの少し勇気を出して改札を抜ければ、この街は思っていたよりも深く、静かで、豊かな表情を見せてくれる。鉄道がつくった街の骨格の上に、地形と季節がゆっくりと風景を重ねてきた。

せっかく長い旅路を経てここまで来たのなら、街を散策したり、一泊して夜の静けさに身を置いてみてほしい。ホームに立つだけでは気づけない、この土地ならではの深い魅力が姿を現してくれる。

瞰望岩が語る街の原点

頂上は無料の展望台として(夏場は)気軽に訪れることができる

遠軽の中心にそびえる瞰望岩(がんぼういわ)は、この街の象徴であり、鉄道で遠軽に近づく旅人が最初に出会う“街の顔”でもある。

地上約78メートルの岩壁は、鉄道が来る前からここに立ち続け、遠軽という土地を体現してきた存在だ。岩の上から見下ろす街並みには、地形が先にあり、そこへ人が寄り添い、やがて鉄道が線を引いたという、この土地の歴史の順序がそのまま刻まれている。

丘に咲くコスモスと現在進行形の物語

コスモス園は街の大きなイベントが開かれる文化の発信地でもある

太陽の丘えんがる公園のコスモス園は、遠軽が自然とともに生きる街であることを静かに示している。10ヘクタールの斜面に広がる1,000万本のコスモスは、風に揺れるたびに丘全体を色彩の波に変える。鉄道が街をつくり、街が人を呼び、そして人が花を植え、また新しい風景が生まれていく。

道の駅がつなぐ遠軽の“今”

新しい観光名所として取り上げられることが多い道の駅

道の駅「森のオホーツク」は、鉄道とは別のリズムで旅人を迎える。車で訪れた人々がエンジンを止めると、スキー場から吹き下ろす風が静かに流れ込み、遠軽の“今”の空気を運んでくる。オホーツクの自然と人の暮らしが混ざり合い、鉄道とは違う角度からこの街の輪郭を見せてくれる。

木材が語る遠軽の文化と記憶

ちゃちゃワールドは遠軽駅から20分ほどの生田原駅の近くにある

遠軽の観光は「木」という素材を通しても語られる。木楽館では木工品が展示され、ちゃちゃワールドには世界各地の木のおもちゃが並ぶ。木材加工はこの土地の産業であり、文化であり、記憶でもある。木に触れることは、遠軽の時間に触れることでもあり、開拓の時代から続く“森との共生”を静かに思い起こさせる。

“鉄道ファン”に寄り添う遠軽町のお勧めホテル

鉄道の歴史と共に歩んできた街だけあって、駅の周辺に地元のホテルが点在している。

客室にもよるが窓から鉄道のある風景を眺めることができたり、きっと“撮り鉄”の鉄道ファンに寄り添ってくれることであろう。

遠軽駅すぐの「タカハシイン」

駅を出て最初の大きい通り「岩見通り」を左に曲がってすぐの所にある。遠軽中心部では大きいホテルで、都市部のビジネスホテルと同じような感覚で利用できるのは、初めてこの地に宿泊する人には安心ポイントとなるだろう。

生田原駅すぐの「ノースキング」

同じ遠軽町内で遠軽駅から普通列車や快速列車で約20分のところにあるのが生田原駅。宿泊者は無料で利用できる温泉もあり、レストランや休憩コーナーなども充実しているホテル。日帰り入浴も利用できる。

一本の列車を見送るだけで始まる“本当の旅”

遠軽駅は「ただの乗換駅」として通過するのは勿体ない駅である

遠軽は“通過する街”ではなく、“降りて歩くべき街”だ。

次の列車を一本見送るだけで、旅の速度はゆっくりと変わり、街の時間があなたの旅に溶け込んでいく。瞰望岩の影、コスモスの丘、森の静寂。どれも急ぎ足では見えない風景だ。遠軽は、旅人が立ち止まることで初めて本当の姿を現すだろう。

旅モノ

【日本酒】北海道旭川市の男山に見学のついでに旨すぎる日本酒を試飲をしてきたぞ

北海道旭川市にある男山に日本酒の試飲と見学しに行ってきたぞ。

「男山」と言っても色々な男山がありそうでで伝わるのか不安だったけど、インターネットでは男山と言ったら旭川の日本酒の男山がGoogle検索で最上位に来るから、おそらく大丈夫みたいだぞ。

小学生の時にも見学したことがある施設

30年以上前の小6の時に、こんなちょっとした博物館ほどの資料館があったかは定かではないが、工場内を見学したような気がする。

受付とかもなく、施設内を自由に歩けるようになっていて、説明のビデオがあったり、展示物で日本酒造りや男山のことを学ぶことができる。

新潟の何とか酒造を見学した時は係員同伴での見学ツアーみたいな形式だったけど、小樽の何とか酒造もそうだったし、北海道は「勝手に見てくれ」方式が多いのかな。サンプルが少ないので断言はできず。

ちなみに、小学生の時に見学に来た時は、旭川への1日がかりのバス見学旅行かなんかだったと思うけれど、自由時間に今はなき駅前の買物公園の西武デパートの喫茶店的な店でフライドポテトを食べたのをよく覚えている。

男山は各地にあるが旭川のが正統らしい

屋外の蛇口から酒造りに使ってるのと同じ水が出てくる

俺の理解の範囲で言うと、男山は元々は兵庫県にあった酒蔵。

現在、男山を名乗る酒蔵は日本各地に存在するものの、この旭川のが正統な後継なのだという。

1899年からこの場所で酒造りをしているそうで、1899年と言ったら、俺も含めて現在生存している人間のほとんどは生まれてもいなかったし、北海道も全然開発されていなかった頃からだから、特に北海道においてはどれだけ歴史が長いんだというレベルだと思う。

と思って調べたら、札幌で幅を利かせている千歳鶴は1872年から酒造りしているそうだから、あっちの方が長かった。

試飲は3種類、15mlずつ無料

悪魔か、いや天使のような試飲マシーン

ここの試飲は太っ腹で、見学する場所とは別の売店的な場所に試飲マシーンがある。

係の人に「試飲したい」と言うと、専用コインを3枚渡されて、6種類の中から自由に3つ試飲できる。

適当に試飲し始めたのだけど、SweetとかVery Sweetとか書かれた酒が、あほみたいに「うんめぇ~~っ! なんじゃこりゃ!」と思うほどの旨さだった。

いや、男山の回し者じゃない(笑)けど、酒とかあらゆる飲み物の中で、世の中にこんなに旨い飲み物があるのかと思わせるくらい旨かったのである。

今までの日本酒人生はなんだったのか!? と思った。

ま、そりゃ普段は2Lで650円の「くらのすけ」や、2Lで630円の「風雪 男山」という、いずれも埼玉の蔵元の安酒を中心に飲んでいるから、720mlで1925円もする高級酒が「うんめぇ~~っ!」になるのは当然かもしれんけども、それにしても旨かった・・・。

日本酒の試飲なんかで人生観を変えさせられると思わなかったが、男山の実力を思い知らされたわ。

銘柄を調べたら「復古酒」というやつがそれらしい。

安酒ばかり飲んでいる俺に「うんめぇ~~っ! なんじゃこりゃ!」と思わせた異次元の旨さを体験したい成人はお試しあれ。

旭山動物園に行きたくない人にオススメ

遊具もあって公園みたいになっている

旭川と言えば近年は旭山動物園みたいになっているけれど、いかんせんアクセスが悪い。

ここは旭川駅から片道6Kmくらいだから歩いて来れる距離だけど、旭山動物園はちょっと俺には遠い。

バス代と入園料で2千円もかかるのは勿体ないしね。

酒の試飲もできるし、捻くれた人も捻くれていない人にもオススメできる施設だと思う。

平日でも中国人っぽい団体で結構混んでいる場合もあるから、そこは注意かもしれない。