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コネタ

【異常】なぜ東京の通勤電車は朝から酒と脱毛サロンの広告ばかり見せつけるのか

画像はイメージ

JR東日本などの首都圏を走る通勤電車に乗ると、否応なく目に飛び込んでくるのは、360度あらゆる方向に掲示された下品な広告たちである。俺が通勤電車を嫌う大きな理由の一つだ。

田舎の地方路線だと鉄道会社自身の広告程度しかないのが普通だが、東京の電車は異常に不快な広告が多い。

酒の広告は公共空間に不要

東京の通勤電車内では朝っぱらから「人生に乾杯」「今夜も飲んでリフレッシュ」「大人の時間を楽しもう」といった酒の広告が堂々と掲げられている。

だが、現実には酒は依存症や健康被害の原因であり、ノルウェーなど国によっては酒の広告が全面禁止されていたり、宗教によっては飲酒自体が禁止されている。にもかかわらず、日本の公共交通機関では朝っぽらから「飲めば幸せ」「一日の終わりに至福の一杯」と、まるで「お前の人生そのものが酒」とでも言いたいかのようなキャッチコピーを刷り込んでくる。

未成年者も乗る電車で酒の広告を出すのは、メーカーや鉄道会社の企業倫理の欠如そのものでもある。

下品な週刊誌広告の氾濫

毎朝目にする週刊誌の吊り広告は、もはや情報ではなく下劣な見世物である。

「不倫」「スキャンダル」「裸に近い写真」など、子供も乗る公共空間で堂々と掲げる神経が理解できない。通勤客にとってはただの視覚的暴力であり、社会の品位を削り取る公害だ。

「知る権利」や「報道の自由」を盾にするが、電車内という逃げ場のない空間で、低俗な見出しを強制的に見せつけるのは拷問に近い。公共交通機関を低俗なゴミで埋め尽くすこの構造は、鉄道会社と広告代理店の利権が結びついた腐敗であり、乗客の快適さなど一切考慮されていない。

脱毛サロン広告の押し付け

頻繁に目にする脱毛サロンの広告は、美の基準を一方的に押し付ける洗脳である。

本来、毛があるかどうかは個人の自由であり、社会的価値とは無関係だ。それを「処理しないと人として劣っている」と煽るのは、企業が不安を利用して金を巻き上げる典型的なビジネスモデルである。通勤電車でこの広告を垂れ流すことは、乗客の平穏な心を削り取る行為にほかならない。

転職フェア広告の不快感

東京の通勤電車でよく目にする転職フェアの広告は、一見すると「働く人を応援する」ように見える。しかし、実際には労働市場の不安定さを前提にしたビジネスモデルである。広告は「もっといい会社へ」「キャリアアップしないと取り残される」といったコピーを掲げ、乗客に常に不安と焦燥感を植え付ける。

この構造は企業が人材を使い捨てにする現実と直結している。転職サイトは「選択肢を広げる」と謳うが、裏側では人材の流動化を加速させ、労働者を常に競争状態に置く仕組みを支えている。通勤電車という逃げ場のない空間で繰り返し見せられることで、働く人は「今の自分では不十分だ」という感覚を強化される。電車に乗っているだけなのに、心の安定を一方的に奪うタイプの広告だ。

英会話スクール、アプリ広告で劣等感を煽る

英会話スクールやアプリの広告は、典型的な劣等感マーケティングである。「英語ができないと出世できない」「今すぐ始めないと遅い」「世界に取り残されるな」といったコピーで、乗客に不安を植え付ける。

だが、現実には英語力だけでキャリアが決まるわけではない。「英語ができないとダメ」という刷り込みは、企業が教材やサービスを売りつけるための方便にすぎない。通勤電車という逃げ場のない空間での心理的暴力である。

問題なのは、こうした広告が「努力していない人間は劣っている」という価値観を公共空間にばらまいている点だ。英語を学ぶこと自体は自由だが、それを「やらないと負け組」と煽るのは洗脳である。

トレインジャック広告というクソ商品の宣伝

東京の通勤電車で繰り返される「トレインジャック広告」は、乗客を企業の宣伝で包囲する洗脳空間である。周囲の広告すべてが同じ「しょうもないサービスや商品」の紹介だらけで、乗客は逃げ場を失い、ゴミ同然の企業メッセージを浴び続けるしかない。

その典型例が、かつて展開された FF15(ファイナルファンタジーXV) のトレインジャック広告だ。車両全体がゲームのビジュアルやキャッチコピーで覆われ、乗客は強制的に「クソゲー」の宣伝空間に閉じ込められた。ゲームの出来は散々な評価で、すぐさまワゴンセールの常連になったにもかかわらず、広告だけは派手に展開された。

FF15のような失敗作を例にすればわかる通り、広告の派手さと商品の実態は乖離しており、乗客にとってはただの不快な押し付けでしかない。トレインジャック広告は、企業が「公共空間を私物化しても構わない」という傲慢さの表れであり、トレインジャック広告を出す企業のイメージは最悪である。

不安を煽るベストセラー本広告という恐怖商法

「日本経済は崩壊する」「老後資金が足りない」「あなたの人生はこのままでは危ない」といった見出しが大きく掲げられた「ベストセラー本」の広告は、知識や教養を広めるどころか、不安を煽る恐怖商法に近い。乗客に恐怖を植え付ける。

本来、書籍は自由に選んで読むものだ。しかし、ベストセラー本広告は「読まなければ取り残される」「知らなければ損をする」と強制的に刷り込む。これは知識の提供ではなく、心理的圧迫だ。

しかも「ベストセラー」という謎の肩書きで権威を演出し、乗客に「みんな読んでいるのに貴方は読んでいない」という劣等感を植え付ける仕組みになっている。結論として、不安を煽るベストセラー本の広告は公共空間に不要である。恐怖による支配に他ならないからだ。

しょうもないYouTubeドラマの広告

朝っぱらの通勤電車でよく目にするYouTubeドラマの広告。大げさなキャッチコピーで「感動の連続」「社会現象」と煽りながら、実態は低予算の茶番劇や使い捨ての恋愛ストーリーばかり。公共空間で「これを見なければ時代に取り残される」と刷り込むのは、乗客の知性を侮辱する行為だ。

中身は薄っぺらいのに、電車内では複数のポスターで「必見」と押し付けられる。乗客は逃げ場のない空間で、しょうもないコンテンツの宣伝を強制的に浴びせられる。それが東京という日本の政治経済すべての中心地を走る電車なだけに、「この国、さすがに終わってないか?」と不安な気持ちになる。

予備校という資本主義の手先養成所の広告

サラリーマンだらけの通勤電車で頻繁に目にする予備校の広告は、「夢を叶える」「志望校合格で未来が変わる」と美辞麗句を並べ立てる。しかし、その実態は資本主義の歯車を効率よく育成するための施設にすぎない。受験戦争を煽り、子どもたちを競争漬けにし、社会に従順な労働力を供給する仕組みを支えている。

広告は「合格すれば人生が輝く」と刷り込むが、現実には合格後も終わりなき競争と搾取が待っている。予備校はその入口を担い、広告はその幻想を公共空間で垂れ流す。通勤電車で「努力しないと落ちこぼれ」というメッセージを浴びせるのは、心理的暴力であり、資本主義の洗脳にほかならない。

元凶はターゲティングを無視した時代遅れの広告担当者

電車内広告が不快に感じられる大きな理由のひとつは、Web広告と違って年齢、性別、趣味嗜好などを一切考慮しない点にある。インターネット上の広告では、ユーザーの属性や関心に合わせて広告が出る仕組みが整っている。ところが電車内では「誰にも届かない広告」をとりあえず貼り出すだけで、乗客の多様性を完全に無視している。

その結果、酒が飲めない人に酒広告、整形に興味のない人に美容整形広告、英語学習に関心のない人に英会話広告が強制的に押し付けられる。これは「広告効果ゼロの押し付け」であり、乗客にとってはただの不快なノイズでしかない。

企業の広告担当者がこうした手法を続けるのは、時代遅れの証拠である。ターゲティングもせず、公共空間を「とりあえずの宣伝」で埋め尽くすのは、乗客を顧客として見ていないことの表れだ。広告代理店と鉄道会社の利権構造に甘え、成果よりも枠の消化を優先する姿勢は、現代の広告戦略としては完全に失格である。

もはや電車内広告は「誰にも届かない宣伝」を垂れ流す時代遅れの仕組みであり、公共空間を汚すだけの存在になっている。

まとめ 鉄道会社と広告代理店の利権構造という腐敗システム

東京の通勤電車を埋め尽くす広告は、単なる宣伝ではなく、鉄道会社と広告代理店の利権構造の産物である。乗客の快適さや公共空間の品位など一切考慮されず、優先されるのは広告収入と代理店の取り分だ。

鉄道会社は「運賃だけでは経営が厳しい」と言い訳し、広告代理店は「企業の宣伝ニーズに応える」と正当化する。しかし実態は、乗客を広告漬けにして金を吸い上げる仕組みだ。

酒、週刊誌、脱毛、繰り返される転職フェア、似たような英会話アプリ、クソゲーのトレインジャック広告など、どんな広告でも金さえ払えば電車内に垂れ流される。公共空間は傲慢企業により私物化され、乗客はその犠牲者だ。

さらに問題なのは、この構造が「広告は必要悪」という幻想を生み出している点だ。鉄道会社は広告収入に依存し、代理店は広告枠を売りさばく。結果として、乗客は毎日「不快な広告の洪水」にさらされる。

結論として、鉄道会社と広告代理店の利権構造は、東京の通勤電車を「広告の牢獄」に変えているのだ。