
断捨離という言葉が流行した頃、多くの人が「物を減らせば人生が整う」と信じていた。
コロナ禍の“おうち時間”では、その空気がさらに加速し、義務のように物を捨てた人も少なくない。しかし、時間が経つほどに浮かび上がるのは爽快感ではなく、静かな後悔だ。捨てた瞬間は軽くなったように見えても、未来の自分が必要とした時にはもう戻らない。
断捨離は本当に正しい行為なのか。改めて見つめ直したい。
「この服はもう着ない気がする」は間違い
“気がする”というほど、当てにならない判断はない。
人は変わる。趣味も、体型も、生活環境も、仕事も、交友関係も変わる。
今の自分が着ないだけで、未来の自分はまた着たくなる可能性が普通にある。流行は戻ってくるし、体型の変化で似合うようになることもある。「今の気分」で捨てるのは、未来の自分への裏切りに近い。
「思い出の品だけど恥ずかしいから捨てよう」は間違い
捨てれば恥ずかしさは消えるが、思い出は戻らない。
若い頃にこっそり買った、決して他人には見せられないようなアイテム。当時の勢いで手に入れた“秘密のグッズ”だ。あの頃は真剣で、少し背伸びをしていた。他人には見せられないような代物でも、時間が経つほど、その恥ずかしさは甘い痛みへと変わっていく。誰にも言えなかった過去や、若さゆえの衝動、その全部がそこに閉じ込められているからだ。
捨ててしまえば、もう二度と触れられない。感じることもできない。思い出は薄れていくとしても、物だけは確かに当時の空気を残してくれる。青春の匂いを運んでくれる品を失った後悔は、長く胸に残る。
「滅多に使わないし保管スペースが勿体ない」は間違い
“今”という時間軸において使っていないというのは、捨てる理由にはならない。時が経てば、人生のどこかで必要になることは普通にある。
生活スタイルや趣味が変われば、出番が突然やってくることもある。捨てた後に必要になった時の絶望感は想像以上のものだ。スペースが少し足りないという理由だけで捨てるのは短絡的すぎる。
断捨離は「快適」ではなく「後悔」を生む
かつて断捨離が流行したのは、SNSのミニマリスト美学、片付け本の大量出版、「物を持たない=意識高い」という空気、そしてコロナ禍の“おうち時間”という追い風があったからだ。
しかし、流行は流行でしかない。あなたの人生はSNSの美学のために存在しているわけではない。物はあなたの歴史であり、未来の可能性であり、選択肢だ。それを勢いで捨てる必要はない。







