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なぜインスタは居心地が悪いのか? アラフォー男性が息苦しさを覚える“女子会SNS”の文化圏

Instagram(インスタ)を開くたびにアラフォー男性が感じる、あの“場違い感”を知っているだろうか?

アラフォー男性にとってインスタは、まるで女子会のテーブルに突然座らされたような空気が漂う場所である。

価値観もテンションも前提条件も、アラフォー男性のそれとはまるで違う。さらに別の部屋では、TikTokという10代限定の動画投稿SNSが全力で開催されていて、そちらはそもそも入場資格すらない。

これらのSNSは誰でも自由に使えるはずなのに、なぜこんなにも“文化の壁”を感じるのか。その違和感の正体を探っていく。

インスタは若い女性が文化の中心

インスタの利用者は10代〜30代が中心で、特に10代や20代の若い女性の比率が高い。アラフォー男性が皆無というわけではないが、文化の中心にはいない。弁当で言えば漬物みたいなもので、メインとなる存在ではないのだ。

誤解を恐れずに言えば、アラフォー男性なのにインスタで頑張っている人は、けっこう無理をしているのではないかと思う。

つまり、インスタは若い女性を中心とする文化圏であり、アラフォー男性がそこに足を踏み入れると「なんか違う場所に来てしまったな」という空気が漂う。タイムラインに流れる価値観もテンションも、アラフォー男性の生活文脈とは別物だ。

タイムラインが“女子会そのもの”に思える理由

カフェ巡り、美容、自分磨き、今日のコーデ、丁寧な暮らし。

これらは悪くはないが、アラフォー男性にとっては“自分の世界”とは別物だ。インスタ全体が知らない女子会のテーブルに突然同席させられたような空気を帯びている。会話のノリも、盛り上がるポイントも、投稿の文脈も、すべてが違う。その場違い感が居心地の悪さとして昇華していくのである。

特に厄介なのは、インスタのタイムラインが“女子会の空気”をただ反映しているのではなく、それを強化し続ける装置になっている点である。写真が主役で、言葉は添え物。意味よりも雰囲気が優先され、内容よりも“かわいさ”や“映え”が評価される。アラフォー男性がつい探してしまう“情報性”や“文脈”は、そもそもインスタでは重要視されていない。

コメント欄も女子会的。「かわいい!」「素敵!」「最高!」といった肯定の応酬がデフォルトだ。批判やツッコミは空気を壊す行為としてタブーとされる。全員が同じテンションで盛り上がることが前提になっているのだ。

インスタでは“盛られた日常”が延々と続く

インスタでは投稿の前提となる価値観が、若い女性の文化圏に寄っている。

カフェ巡りは一つの趣味として成立し、美容は投資であり、丁寧な暮らしは尊い行為で、自分磨きは人生の必須科目とされる。これらはインスタの文化圏の中では自然だが、アラフォー男性にとっては「そこまで重要なのか?」と感じるテーマでもある。

これらのテーマをベースとして、さらに“盛られた日常”が加わる。加工された顔、整いすぎた部屋、過剰にポジティブな日常、どこかで見たような“丁寧な暮らし”などだ。

女子会では日常を盛って話すことは多いが、アラフォー男性は「そんなに毎日キラキラしてないだろ」と突っ込みたくなるものの、その突っ込み自体が文化の外側からの反応である。

“内輪の盛り上がり”に部外者は入り込めない

インスタはフォロワー同士の“内輪の盛り上がり”が強いSNSだ。

部外者は文脈に入り込めない。女子会の会話が内輪で完結するのと同じで、インスタのタイムラインも“わかる人だけわかればいい”という空気で動いている。

アラフォー男性は、その輪の外側に立たされている感覚を覚え、居心地の悪さが積み重なっていく。こうしてインスタのタイムラインは、アラフォー男性にとって“女子会そのもの”として目に映る。暮らしている文化圏の違いが、そのまま違和感として可視化されるのだ。

ハッシュタグ文化は“女子会の洗礼”

インスタのハッシュタグ文化は、単なる検索機能ではなく、まるで女子会の席で自分の属性を名乗り合う儀式のように機能している。

投稿に添えてずらりと並ぶ、

#カフェ巡り
#丁寧な暮らし
#今日のコーデ
#美容好きさんと繋がりたい
#自分磨き
#推し活記録
#カフェスタグラム
#おしゃれさんと繋がりたい
#暮らしを楽しむ
#大人可愛い
#透明感メイク
#ゆるふわヘア
#カフェ時間
#休日の過ごし方
#日常に癒しを

などのキラキラなハッシュタグたちは、情報というよりは、もはや自己紹介の延長であり、「私はこの属性の人間です」という宣言でもある。

写真だけでは伝わらない“自分の属性”をハッシュタグで表現し、同じ属性の人たちに向けて「ここにいるよ」と手を振る。インスタのタイムラインは、こうした“属性の名乗り合い”によって区画整理されていく。若い女性にとっても、このタグ付け文化は便利であると同時に、どこか息苦しさを伴う。タグをつけることでコミュニティに参加できる一方で、つけないと“文脈の外側”に置かれるような気がする。

さらに、タグは“盛られた日常”を補強する役割も果たす。「#丁寧な暮らし」と書けば、多少散らかった部屋でも丁寧に見える。「#自分磨き」と添えれば、ただの休日の買い物も意識の高い行動に変わる。「#カフェ時間」とつければ、ただの休憩がライフスタイルへと昇格する。タグは現実を美化し、投稿者の理想の自分を演出するための魔法の言葉なのだ。

しかし、その魔法を使い続けることは、魔法を切らした時の自分を見せられなくなるということでもある。タグをつけるたびに、自分の属性を整え、理想の自分を更新し続ける。自由なはずのSNSが、いつの間にか“属性”で人を分類し、そこに収まることを期待させるからだ。

つまり、インスタのハッシュタグとは、女子会の空気を可視化した存在である。

自治体のインスタ投稿コンテストですら女子会のノリ

各地の自治体が地域活性化の一環として、インスタで写真コンテストやショート動画コンテストを開催するケースが増えている。

ところが、その応募作品を眺めていると、驚くほどインスタ的な“女子会の空気”が支配していることに気づく。地域の魅力を伝えるはずの企画なのに、実際に並ぶのは「カフェのラテアート」「夕暮れの川辺で撮った自撮り」「友達と並んで撮った後ろ姿」「丁寧な暮らし風の雑貨写真」といった、インスタのテンプレートをそのまま持ち込んだような作品ばかりだ。

自治体が求めているのは“地域の魅力”のはずなのに、応募者が提出しているのは“自分の映え”であり、そこには地域よりも自己演出が優先されている。つまり、公共の場で行われるコンテストですら、インスタ的な女子会文化に飲み込まれてしまっているのだ。

アラフォー男性がこの光景に違和感を覚えるのは当然で、地域の風景や歴史、生活のリアリティを切り取るはずの場が、なぜか「#かわいい」「#おしゃれ」「#映える」というようなハッシュタグに占領されているのだ。

応募作品の多くは、地域の魅力を伝えるというより、インスタのタイムラインに投稿するための写真をそのまま横流ししたようなもの。自治体側もそれを「若い女性に支持されている」と歓迎してしまうため、結果的にコンテスト全体が女子会のような空気になっていることが多い。

ショート動画部門はさらに女子会化が進む

ショート動画部門になると女子会化の傾向はもっと顕著だ。

地域紹介動画のはずなのに、実際に投稿されるのは「カフェ巡りのついでに撮った動画を繋げたもの」「推し活のついでに撮った風景」「加工フィルターで色味を盛りまくった散歩動画」など、もはや地域紹介なのか趣味紹介なのか判別がつかない。

自治体の公式アカウントが女子会の延長のような動画を“優秀作品”として入賞させている光景は、アラフォー男性にとっては軽い眩暈すら覚える。本来、地域の魅力を伝えるはずの公共コンテストが、インスタ特有の“かわいい至上主義”に完全に飲み込まれてしまっているからだ。

アラフォー男性が感じる違和感は、単なるジェネレーションギャップではなく、公共空間までもが女子会文化に侵食されていることへの危機感でもある。

インスタが“女子会”ならTikTokは“学芸会”

インスタが女子会だとすれば、TikTokは“学芸会”に近いと言える。

インスタはまだ、隣の席に座って空気を読むことさえできれば、ギリギリなんとか参加できる余地がある。しかし、TikTokは体育館のステージで10代が全力で踊り、叫び、はしゃぎ、意味の分からないミームを連発している世界で、アラフォー男性はその体育館の中に入ることはできない。テンションもスピードも言語も違いすぎて、理解しようとすること自体が無理である。

TikTokの動画は、10代にとっては母語のように自然なテンポでも、アラフォー男性にとっては異国語の早口スピーチを聞かされているようなものだ。しかも、その世界では勢いが優先され、完成度よりも“ノリ”が評価される。まさに学芸会の空気そのものだ。

インスタもTikTokも、どちらも部外者には入り込みづらいが、TikTokのほうが圧倒的に敷居が高い。インスタはまだ「場違いだな」と感じながらも眺めていられるが、TikTokは「これはもう自分の文化圏ではない」とはっきり断言することができる。

インスタの女子会的空気に居心地の悪さを覚えるのは自然なことだが、TikTokの学芸会的テンションに圧倒されるのは、もはや避けようのない“文化圏の断絶”だ。インスタやTikTokは、誰でも自由に使えるSNSのはずなのに、実際にはそれぞれがユーザーを限定した個別の文化圏を形成していると言える。

インスタは若者にとっても“最悪のSNS”という現実

イギリスの王立公衆衛生協会(RSPH)が14〜24歳の若者を対象に行った調査では、インスタは若者のメンタルヘルスに最も悪影響を与えるSNSとして評価された。理由は明確で、インスタが提供する“キラキラした世界”が、若者の自己肯定感を容赦なく削っていくからだ。

タイムラインには、加工された顔、整いすぎた部屋、完璧に盛られた日常、意識の高いライフスタイルが延々と流れ続ける。若者はそれを見て「自分は足りていない」と感じ、比較のループに陥る。BBCの記事でも、孤独感や自己評価の低下を引き起こすと指摘されている。

つまり、インスタはアラフォー男性にとっての“女子会のSNS版”というだけでなく、若者にとっても“自己否定の装置”として機能してしまう。SNSは自由なはずなのに、インスタは「理想の自分を演じ続ける義務」を静かに課してくる。若者はその義務に疲れるが、簡単にやめることはできない。インスタは若者にとっても“最悪のSNS”と評価されるだけの理由を持っている。

SNS利用は結局“運営元のビジネスの手先”になること

インスタにしろ、noteにしろ、Yahoo!知恵袋にしろ、そしてLINEに至るまで、ユーザーは「自由に使っているつもり」であっても、実際には運営元のビジネスモデルを支えるための“無償の労働力”として組み込まれている。

インスタはユーザーが投稿すればするほど広告媒体としての価値が上がり、noteは書き手が増えれば増えるほど手数料収入が増え、知恵袋は悩みを吐き出すほど検索流入が増えてYahoo!の利益に貢献することとなる。

LINEも例外ではなく、日常会話やスタンプのやり取り、公式アカウントの通知、友だち追加の導線のすべてがユーザーの行動データを収集し、企業向け広告や販促の最適化に使われている。ユーザーはただ友達と連絡しているだけのつもりでも、その裏側では膨大なデータが抽出され、ビジネスとして消費されていく。

SNSは「誰でも使える自由な場所」の顔をしているが、実態は運営元の利益のために最適化された巨大な装置である。ユーザーはその装置を回す歯車にすぎない。承認欲求や便利さという“報酬”を与えられることで、自分が働かされていることに気づかないまま、今日もせっせと投稿し、反応し、データを提供し続けてしまうのだ。

結論 SNS固有の文化に無理に馴染む必要はない

インスタは女子会、TikTokは学芸会。どちらも部外者には入り込みづらいが、その“入りづらさ”は誰かが悪いわけではなく、ただ文化圏が違うというだけだ。

SNSは誰でも自由に使えるように見えても、実際にはそれぞれが独自の価値観とテンションで閉ざされた世界を作っている。そこに違和感を覚えるのは、あなたが時代遅れだからでも、適応力が足りないからでもない。単に、あなたの感性がその文化圏とは別のリズムであるというだけだ。

そして、そのリズムのズレは悲観すべきものではなく、むしろ希望の証でもある。SNSの外側には、あなたのペースで呼吸できる場所がいくらでもある。誰かの“盛られた日常”に合わせて自分を作り替える必要はないし、無理にアゲアゲのテンションを演出する必要もない。文化圏が違うと気づけたということは、自分の居場所を選び直す自由を手に入れたということだ。

SNSは世界のすべてではない。あなたの世界は、もっと広くて、もっと静かで、あなた自身のリズムというものがある。SNSに馴染めない自分を責める必要はない。それは“自分のを取り戻す”という前向きな選択だからだ。あなたはあなたのままで、ちゃんと生きていける。