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イオンという巨大資本に滅ぼされた地域の店と街の未来

またひとつ、地域に根ざしたショッピングセンターがイオンに滅ぼされた。地域の店が巨大な資本力に排除されたのだ。

長年地元の人々に愛され、安くて良い商品を揃え、生活の一部として機能してきた店だ。しかし、真正面にイオンが建った瞬間、その店の未来は決まってしまった。これは競争ではない。巨大資本が弱者を押し潰す構図であり、「時代の流れ」という一言で片付けることは、現実から目を逸らす言い訳にすぎない。

地域に愛された店が消えてしまった理由

埼玉県のスーパーバリュー上尾愛宕店は、地域の生活を支えてきたショッピングセンターだった。生鮮食品の安さ、地元密着の品揃え、日常の買い物にちょうど良い規模感。ネット上でも閉店を惜しむ声が多く、「ショックだ」「本当に困る」という反応が相次いだ。

この店が閉店に追い込まれたのは、道路を挟んで真向かいにイオンモール上尾が開業したためと言わざるを得ない。巨大資本の圧倒的な集客力と規模の差は、地域の店がどれほど努力しても覆しにくい。

この店以外にも上尾市ではイオンモール開業後、街の商業施設が次々と業態変更や閉店に追い込まれている状況が報じられている。

地域の店は“弱かった”のではない

今回閉店したショッピングセンターは、安くて魅力的な商品を揃え、地域の人々に支持されていた。

それでも消えてしまった理由は単純で、イオンが真正面に建ったからだ。巨大資本が強すぎたのである。努力や工夫ではどうにもならない“力の差”が、地域の店を市場から押し出していく。巨大資本の圧倒的な影響力の前に、地域の店は立ち尽くす他なかったのである。

全国どこでも同じ“イオンの顔”が街を均質化する

イオンは北海道から沖縄まで全国に存在するが、違うのは売られている豆腐の種類くらい。

棚には大して安くもないトップバリュのPB商品が並び、どの店舗も同じ空気をまとっている。これは便利さではなく、地域文化の均質化である。

イオンが増えるほど街は画一化し、個性が薄れ、生活は巨大資本の都合で塗り潰されていく。「日本のどこへ行っても同じ景色」こそが、イオンがもたらす最大の損失だ。

消費者の無自覚が地域の個性を失くす

イオンの「お買い物アプリ」が便利なのは事実だ。たまにクーポンが適用されなくてイラつくが、イオンのアプリはスーパーのアプリの中では、群を抜いてよく出来ている。

しかし、その便利さの裏で地域の店が静かに姿を消し、街の個性が薄れ、選択肢が減っていく。

それでもイオンに客が流れ続ける限り、地域は単調化し続ける。巨大資本は消費者の無自覚を最も好む。気づかないふりを続けることが、地域の個性を失くす最大の要因になっている。

イオンを拒んだ釧路市が直面した“もう一つの衰退”

北海道釧路市はイオンの中心市街地への進出を拒んだ街だ。

地元商店街を守るための判断だったが、その後の釧路市は人口減少と購買力の低下が重なり、中心市街地の空洞化が加速した。イオンを受け入れた街とは違う形で、釧路市は巨大資本の商圏から外れ、消費者が郊外へ流れる構造になったのである。

この事例は、“イオンが来ても来なくても衰退する”という、日本の地方が抱える現実を象徴している。

巨大資本に奪われた街の未来

イオンが全国に広がっても、人間の幸福度が増えるわけではない。

むしろ、地域の個性や生活の豊かさが削られていく。巨大資本に従う必要はどこにもない。消費者が「地域の店を守りたい」と選び取ること。それこそが静かに圧迫されつつある街の未来を守る唯一の抵抗になる。「お買い物アプリ」の便利さの影で失われるものに目を向けることから、地域の再生は始まることだろう。

PC & モバイル

満員電車でスマホゲームに没頭する人々は社会の孤独が生み出した“現代病の風景”なのか

朝夕の満員電車。混雑した車内でスマホに没頭する人々がいる。

公共の場で美少女アイドルゲームに全力を注ぐオジサン。タップするだけの単純明快なパズルゲームを延々とプレイし続ける年配者。LINEとインスタとスマートニュースを指先で高速に切り替えて、「スマホの達人です」と言わんばかりの若い女性もいる。

彼らは皆、違うようでいて本質は同じだ。これらは単なる暇潰しではなく、社会の孤独が生み出した“現代病の風景”なのである。

アイドル育成ゲームに没頭するオジサンの構造的問題

彼がプレイしているのは、アイドル育成ゲーム。画面にはキラキラした美少女たちが踊り、歌い、笑っている。周囲の視線などお構いなし。彼は今、電車の中で“ステージ”に立っているのだ。

アイドル育成ゲーム自体は悪くない。だが問題は、満員電車という公共空間で、画面を全開にしてプレイしてしまうことである。実際には周囲を気にしていないのではなく、気にする余裕がないというのが正しい。彼はただ、現実から一時的に逃げている。スマホの中に避難し、そこに自分の居場所を見出しているのだ。

彼にとって電車は、アイドルたちと繋がれる密室でもある。その姿は他人からすると滑稽に見えるかもしれないが、滑稽さの裏には切実さがある。

現実では上司に指示され、社会では年齢とともに自由と可能性が減っていく。そんな中、画面の中のアイドルたちは彼を否定しない。むしろプロデュースする彼に感謝し、微笑み、成長してくれる。支配と癒やしが同時に手に入る世界は、彼にとって貴重なのだ。

つまり、彼はスマホの中で自分を再構築しているにすぎないのである。

年配者が単純すぎるパズルゲームに没頭する事情

電車内で延々とパズルのブロックをタップし続ける年配者を見かけることがよくある。

画面にはカラフルなブロックが並び、タップすると消え、また現れる。操作は単純。ルールも明快。だが、彼らの表情は真剣そのものだ。まるで国家試験でも受けているかのような集中力で、指先だけが静かに動いている。

これは暇潰しというより、「何かに集中していないと不安になる」という心理である。社会との接点が減り、家族との会話も少なくなり、日常の中で“自分の役割”が薄れていくと、人は小さなルーティンにしがみつくようになる。

単純なパズルゲームは、そのための最適解だ。失敗しても怒られず、成功すれば褒めてくれ、何度でも挑戦でき、自分のペースで進められる。現実では得にくい幸福感が、そこにはある。

だが皮肉なことに、その装置は“何も生み出さない”ことにおいては完璧だ。パズルを解いても、現実は変わらない。だが、本人は救われる。それだけで十分なのだ。孤独を埋めるための儀式として、単純なパズルゲームは機能している。

つまり、彼らは色のついたブロックを消すことで、自分の存在を確かめているのだ。

“スマホの達人アピール”をする若い女性の心理

一方、満員電車の中には、複数のアプリをミリ秒単位で高速に切り替え、通知を軽やかに処理し、まるで“スマホのプロ”のように振る舞う若い女性もいる。

この指先の動きは単なる器用さの誇示ではなく、「私はここにいる」という静かな自己確認でもある。現代の若者は、SNSでの絶え間ないマウンティング合戦はもちろんのこと、インスタでは“映え”を巡った不毛な争いにより自分を見失っており、職場ではグレーな評価基準に苛立ちを覚え、家族や友人関係の希薄化といった劣悪な社会環境に苛まれている。

スマホを巧みに操るその姿は、誰にともなく自分の存在をアピールするためのパフォーマンスでもあり、同時に自分自身の存在を確かめているのだ。

画面を軽やかに滑る指先は、情報を処理しているようでいて、実際には不安を押し戻すための儀式でもある。孤独と焦燥が混ざり合う現代社会で“スマホを使いこなす”という行為は、存在証明のひとつの形になってしまった。

彼女の素早いスマホ操作は、単なる周囲への見せ付けだけではなく、実際には自分の存在を確かめるために必要な儀式なのである。

小さな画面を守るための小さなマナー

満員電車では、他人のスマホ画面が思いがけず視界に入り込むことがある。キラキラしたアイドル、パズルの色彩、LINEの吹き出し。そのどれもが本来は個人的な世界のはず。しかし、他人との物理的な距離が取りにくい満員電車という空間においては、あっけなく他人にも露出してしまう。

だが、これはプライバシーフィルターの装着で防げることでもある。

画面を守ることは、自分を守ることであると同時に、他人への配慮ともなる。スマホの画面には生活の断片が映っているのだから、それを不用意に他人へ押しつけないための小さな工夫が必要になるであろう。

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ベンツで歯医者に来る奴の「金持ちっぽさ」にムカつく理由を心理学的に考察する

画像はイメージ(記事と関係ありません)

ある日、しょうもない住宅街の歯医者に停まるベンツから、高そうなスーツを着た推定年収1,200万円の男が降りてきた。

その瞬間、なぜかムカついた。

一方で別のある日、那覇空港でJALに乗るために手荷物検査を通過したときだったが、隣に居合わせたジェットスターの乗客である若者は、幾ばくか自分より貧乏そうだった。服装も持ち物も、若い頃の自分を思わせる貧乏旅行者の雰囲気が漂っていた。

言葉を交わしたわけではないが、なぜかイラついた。

この2つの体験はまったく違う場面なのに、どこか同じ種類の違和感を生んでいる。その理由を心理学的に掘り下げてみよう。

認知的不協和:文脈が壊れた時に人はムカつく

心理学者レオン・フェスティンガーが提唱した認知的不協和とは、“期待と現実のズレ”が生む不快感のことを指す。

実例:住宅街の歯医者にベンツ

住宅街の歯医者には「庶民的な空間」という期待がある。

そこにベンツと高級スーツという“場違いな豪華さ”が現れると、脳は「文脈が破壊された」と判断し、不協和が生じる。この不協和がムカつきの原因となる。

社会的比較理論:自分の階層が揺らぐ時に人はイラつく

社会的比較理論によれば、人間は常に他者と自分を比較し、階層的な位置付けを確認している。

実例:JALとジェットスターの混在

那覇空港の手荷物検査場は、JALとジェットスターが同じレーンを共用している。本来なら価格帯によって分かれているはずの“階層”が混ざり合う空間だ。

しかし、同じレーンに並ぶという事実が、その優位性を揺らがせる。比較の基準が崩れると、脳は不安を覚え、イラつきが生まれる。

シグナリング理論で説明できるムカつきの正体

シグナリング理論では、人間は他者の「見た目」「持ち物」「振る舞い」などを、社会的階層を判断するための“信号”として読み取る。つまり、相手がどの階層に属しているかを非言語的なサインから推測している。

住宅街の歯医者の前にベンツが停まっているという状況は、この信号が極端に強く出ている例だ。ベンツという車は、それ自体が「富裕層」「成功者」「高い社会的地位」といった強烈なシグナルを発している。

しかし、そのシグナルが置かれている文脈は、ただの住宅街にある普通の歯医者だ。この“豪華な信号”と“庶民的な空間”の組み合わせが、脳の階層判断を混乱させる。

人間の脳は空間ごとに階層をカテゴリー化している。住宅街の歯医者は「生活圏」「庶民的」「日常」というカテゴリーに分類される。そこに突然、ベンツという“高階層の信号”が差し込まれると、カテゴリーが崩れ、脳が混乱する。

さらに、ベンツから降りてきた男が高級スーツを着ていると、シグナルは二重化する。高級車と高級スーツという2つの強い階層シグナルが、空間の文脈とまったく噛み合っていない。脳は「ここは庶民的な空間のはずなのに、なぜこんな強い富裕層シグナルが出ているんだ」と処理に困る。

この“信号と文脈のズレ”が、歯医者のベンツに対するムカつきの正体だ。

優越感と劣等感の同時発火がイラつきの正体

階層が揺らぐ瞬間、人間は「上にも下にも」反応してしまう。

JALとジェットスターの客が同じレーンに並ぶ状況は、本来は分かれているはずの階層が混ざり合う空間だ。自分はJALで、周りは節約旅行のジェットスター。この時点では脳は「自分の方が上だ」という優越感を発火させる。

しかし、同じレーンに並んでいるという事実が、その優越感を同時に揺らがせる。階層の境界が曖昧になり、「自分の階層は偽りであった」という劣等感が発火される。優越感と劣等感が同時に発火すると、脳は処理しきれず、強い不協和が生まれる。

これが那覇空港の手荷物検査場で感じたイラつきの正体だ。

異種混泳が生む不安:ギンブナとオイカワの例

魚類の行動研究でも、カテゴリーの揺らぎは不安を生むことが知られている。

ギンブナの水槽にオイカワを入れた時の落ち着きのなさ

ギンブナは本来、同種の群れで行動することで安心感を得る魚だ。

しかし、同じ水槽にオイカワのような形態も動きも違う魚が入ると、ギンブナは急に落ち着きを失う。泳ぎ方が変わり、群れのまとまりが崩れ、警戒行動が増える。これはギンブナの脳が「同種=安全」「異種=不確実」というカテゴリーで世界を処理しているためだ。そこに異質な存在が混ざると、カテゴリーが曖昧になり、行動が乱れる。

この反応は、住宅街の歯医者に突然ベンツが現れたときの違和感や、JALとジェットスターが同じレーンに並ぶときのモヤモヤと同じ構造を持っている。ギンブナはオイカワにムカついているわけではなく、「空間に異質な存在が混ざる」というカテゴリーの破壊に反応しているだけだ。

人間のムカつきも、これとほとんど同じ仕組みで起きている。

文化的異種混泳:外国人と日本人コミュニティ

人間社会でも異質な存在が混ざることで“カテゴリーの揺らぎ”が起きる。

ギンブナの水槽にオイカワが入った時のように

ギンブナは同種の群れで安心する魚だが、オイカワのような異種が入ると、泳ぎ方が変わり、群れのまとまりが崩れ、警戒行動が増える。これは「同種=安全」「異種=不確実」というカテゴリー処理が崩れた結果だ。

同じように、日本人だけで構成されていたコミュニティに外国人が入り込んで暮らすようになると、日本人側に違和感が生まれることは少なくない。それは差別意識ではなく、空間の文脈に対する脳の予測が外れたことによる不協和だ。

外見や言語はの違いはもちろん、生活習慣の違いなど、日常の様々な点においてズレを感じる。このズレがギンブナの水槽にオイカワが入ったときのような“落ち着きのなさ”を生む。この現象は、ベンツの歯医者、ジェットスターの若者、そしてギンブナの水槽と、すべて同じ構造を持っている。

階層の揺らぎがムカつきの正体

結局のところ、ムカつきは“金持ちそのもの”への反応ではない。脳が勝手に描いた階層の地図が、現実のノイズで崩れたときに起きるバグみたいなものだ。

「階層を読みたがる脳の仕組み」がバグった時に、勝手にムカついたりイラついたりしてくる。このバグを遠目から眺められるようになれば、世界は少しだけ軽く見えるし、金持ちも貧乏人も、ただのどうでもいい背景になることだろう。