2025年

旅モノ

2025年の旅を振り返る ~16,174 kmの軌跡が語る北への回帰と喪失~

2025年の旅を振り返ると、移動距離や泊数ではなく、どの土地に身を置き、何を感じたかで語るべき一年だった。

観光地を巡る旅ではなく、その場所の時の流れや質感といった記憶に触れたことが、今年の旅のテーマだった。そして、旅は移動ではなく、その場所そのものに触れる行為だと改めて実感した。

沖縄 かつて旅の中心地だった南の島

かつての自分は沖縄にと向かっていた。日常から距離を置くため、また別の可能性を探るためであった。しかし今年、沖縄はかつての特別な場所でありながらも、旅の中心ではなくなった。

南へと向かう旅は、静かに役割を終えつつあることを感じさせた。

長崎 街の空気と坂の情景を吸い込む旅

長崎県の佐世保や大村は、どちらも海や山に隣接した街でありながら、街に漂う空気は違う。

佐世保の坂の多い街を歩くと、歴史の重さが足元から立ち上がってくるような感覚がある。映画のロケ地を歩き、街の空気を吸い込み、坂が作り出した歴史を感じさせる旅だった。街そのものに触れる旅。沖縄とは別の方向に心が動いた。

新潟 海と港が旅情を交差させる場所

新潟は旅を整える場所であった。新潟の港の空気は、沖縄とも長崎とも違う。

風は冷たく、北海道へ行き来するフェリーの玄関口として、新潟は旅情を整える場所だった。海を眺めながら、これから向かう場所の気配を静かに受け渡す。新潟は旅の余白を美しくつなぐ土地である。

北海道 原点に帰る旅への重さと軽さ

今年、旅の重心は北海道にあった。地元である北海道は帰省ではなく回帰だった。

身体が覚えている空気の軽さ、風の冷たさ、夜の静けさが旅の中で再び呼び起こされる。沖縄が逃避の旅だったとすれば、北海道は心が回帰する旅だった。場所そのものに身を委ねる旅。観光ではなく、生活に近い旅。北海道は今年の旅の中心であり、旅の答えだった。

距離で見る旅の重心

今年、単純計算での自宅から旅先までの往復での総移動距離は約16,174 km。

そのうち、北海道への旅が約9,708 kmで全体の60%を占めた。沖縄は約3,134 km(19%)、長崎は約1,928 km(12%)、新潟は約1,404 km(9%)。最も遠いのは沖縄だが、旅先の主役は北海道だった。距離ベースで見ても、今年の旅の重力は北海道にあった。これは遠くへ行きたいのではなく、意味のある土地に何度も身を置きたいという旅の成熟を示している。

宿泊数と訪問回数が示す旅の重力

宿泊数と訪問回数という基準で見ても、今年の旅の重心北海道にあった。

沖縄:1回、4泊
九州(長崎):1回、3泊
新潟:3回、8泊(経由地としての訪問は含まず)
北海道:6回、45泊

数字を並べるだけで、旅の重力がどこに落ちていたかは明らかだ。南の旅は短く、単発で完結しているのに対し、北海道だけが何度も、そして長く滞在している。これは単なる嗜好ではなく、その場所に身を置く必然性の差だと感じている。南は1回で旅が完結する場所だったが、北海道は6回でも足りなかったのである。

キャンプ 土地と自然に触れるための最も純度の高い方法

北海道での旅の中心にあったのはキャンプだ。テント越しに聞く風の音や土の匂いは、ホテルでは絶対に触れられないものだった。

キャンプは節約ではなく、土地と自然に触れるための最も確実で贅沢な方法だ。普通の旅行者では一生辿り着けない思想かもしれないが、俺にとってはこれが旅の答えだった。

フェリー・鉄路・新幹線 旅を熟成させた3つの柱

フェリーの個室は旅情を育むための空間だった。海の上で過ごす時間は移動ではなく、思考のための静かな部屋だった。

鉄路は自由を確保するための装置だった。キャンプ場は街から遠く、徒歩だけでは世界が閉じる。自由に動けるという前提が旅の密度を決めた。

新幹線は時間と体力を守る合理的な選択となり、中距離の移動においては飛行機とは違った利便性が光る。

地元ダンスチームの突然の解散

今年は旅先として訪れた地元で大きな出来事があった。長年活動してきた地元のダンスチームが解散したという知らせだ。旅の途中でそのニュースを知ったとき、胸の奥が酷くざわついた。北海道の清らかな風の中にいながら、地元の空気が急に遠く感じられた。

それは単なるダンスチームではなく、街のイベントに必ず姿があり、地域の動きそのものを象徴していた。観光ガイドには載らないが、その土地の呼吸を形づくっていた。旅に出ている間にも地元は静かに姿を変え、かつて当たり前にあったものが消えていく。

当たり前のことではあるが、日常の間でも、旅に出ている間でも、街は常に変わっていくのだと思い知らされた瞬間だった。

今年の旅は思想と回帰の旅だった

沖縄、長崎、新潟、北海道。それぞれの場所が異なる役割を果たし、今年の旅は観光ではなく生き方そのものとして成立していた。普通の旅行者がホテルで安心を買う間に、自分は台地の匂いと冷たさの中で眠り、風の音で目覚めていた。旅は快適さではなく、どこに身を置くかで決まる。

来年もまた旅は続くのだろう。どの場所に身を委ねるかは、まだ決めていない。

コネタ

【2025年】年明けから1か月が過ぎたが新年の抱負を語ってみる

画像は美味しい日本酒のイメージ

あけましておめでとー。

地球で言うと正月から1か月以上経ってしまったが、私の住む惑星は地球より1か月と3日ほど正月が遅いので、今日が正真正銘の元旦なのだということにしておく。

なので、今回はみんなが興味あるという前提で、今年の抱負とか目標について語ってみよう。

ああ、ダリぃ(笑)

基本方針はスリム化と集中

スリム化は体形の話ではない。

体形は前回の健康診断でも理想的で平均的な体形だよと医者に言わせるほどだった。

40年ちょっとばかし生きていると、手を付けたはいいが自分の能力では思ったように成し遂げられなかったような分野が沢山出てくるのだけど、それらの残骸を減らして、精神的にスリムになろうと思う。

バイキングとか行って、とりあえずおいしそうなものを全部皿に持ってきたはいいけれど、食べきれなかったりするようなパターンに近いね。

それらの残骸は、時に足かせになったり、本当に大切なものとかを見失う原因になる。

そして、新しいものを皿に載せられなくなってしまう。だから、捨てる必要がある。

インターステラーでも言ってたと思うが、質量保存の法則だったか、前に進むためには何かを捨てなければいけないのだ。

健康を阻害するものの徹底排除

現代日本社会を生きるものにとって、これは結構難しい。

体に悪い酒や煙草がそこらじゅうで簡単に買える国は日本くらいだろう。

10年ほど前にタイに行った時だが、コンビニやスーパーでも日中は売り場がクローズしていて買うことができなかった。タイはお気楽な国というイメージだったが、国王だかを侮辱すると罪になるし、街を歩いていても鐘の音が何かがなると立ち止まってお祈りしないといけなかった。

とにかく、日中から酒を買い放題な日本とは大違いなのである。

日本人の喫煙率が10%台にまで落ちているから、今どき煙草はそんなに吸う人はいないと思うけれど、これからも煙草を吸わないのは当然として、実は酒も体にかなり悪いと思うから、酒も飲まないことを基本にしようと思う。

言葉に甘さを感じるかもしれないけれど、料理に使う酒もあるから、すべて完全に酒を断つというわけではないという甘さである。

特に旅先での飲酒を辞める

旅先で体調を崩すパターンは酒浸りになったり、日中から酒蔵に試飲に行って酒を飲んでいるパターンが多い。

思うに、人体というのは酒を飲むとウイルスなどの抵抗力がグーンと落ちるのであろう。そこに旅先での疲れが加わると、風邪などのウイルスに対抗できなくなって体調を崩す結果になる。

コロナ禍の初期では飲み会の自粛などがよく言われていたが、会話で唾液などが飛ぶからという理由もあるけれど、そもそもの抵抗力がダウンするからというのも大きいと思う。

日中に酒を飲まなくても、夜に飲んだとしても酒を飲むと中途覚醒したり悪夢を見たり、ぐっすり眠れないことが多い。

飲まなきゃ飲まないでいいものだし、ソフトドリンクやノンアルコール缶酎ハイのもあるし、今年以降は酒は健康に悪いものも認識していこうと思う。

PCやネットに費やす時間を減らす

そもそも仕事関係がそっち関係なので難しいかもしれないが、近年、自身が抱えるテクノストレスが半端ないことになっている。

今もPCを使って売ってるから説得力はないが、この世からPCやスマホがなくなったら、どんなに快適で健康的な世の中になるだろうか。

マウスのクリックやスマホのスクロールとか、あと最近はモニターで文字を読むと目が凄く疲れる。ダークモードとかも全然ダメ。電子書籍も目が疲れて全く読めない。

人間は人生の1/3を寝て過ごすというが、残りの2/3の起きている時間の大半がPCやスマホっていうのでは、人生の意味というものに疑問を持たざるを得ない。

健康を考えるとPCもスマホも辞めてしまうのが一番だろうが、それだと田舎で年金暮らししている寿命いくばくもない老人と同じになってしまうから困るし。

と、こんな感じで2025年は過ごせたらと思う。テーマはなんだっけ、新年の抱負になってるか疑問だけどね。