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「沖縄こどもの国」料金2倍に爆値上げ後の初訪問レビュー ~単独の大人には恩恵がない値上げの構造~

沖縄市の「こどもの国」が2024年7月20日から15歳以下の子供は「無料」とする一方で、大人の入園料を500円から1000円に倍増させた。

この不可解な値上げ後に初めて訪れてみたが、そこにあったのは「子どもへの全振り」と「単独の大人には何一つ意味のない空間」だった。角を曲がるごとに新設されたベビールームが目に入り、動物にエサをあげるごとに300円を要求される。個別に金を払って動物と触れ合うという課金システムは、子どもへの過剰な媚びと、大人を財布としか見ていないように感じられた。

値上げの中身は「子ども向け全振り」だけ

料金が2倍になったにもかかわらず、増えたのはベビールームと子ども向けに全振りした展示ばかり。子ども連れではない単独の大人が訪れても、料金2倍の恩恵は得られない。展示の解説も子ども向けに調整された印象で、動物との距離は「餌代300円」の壁で遮られる。

現地での違和感(創作)

来園者(大人)「ベビールームが増えましたね? “赤ちゃん園”になったんですか?」
スタッフ「赤ちゃん連れの方への配慮です」
来園者 「もう“ベビールーム巡り”がメインになってますよ。動物はオプションですか?」
スタッフ 「いえ、動物もメインのはずですが…ベビールームを目立つ配置に」
来園者(心の声)「(方針が迷子なんじゃ…)」

動物との距離すら課金制

餌代300円を払わなければ、動物に近づくことすらできない構造になっている展示もある。

つまり「動物を近くで見る権利」そのものが有料化されたのだ。これは距離を売る商売である。動物との触れ合いを「体験」と言い換えているが、実態は「近づく権利の販売」。課金しなければ檻の遠目から眺めるだけ。

現地での違和感(創作)

来園者(大人)「動物に近づけないんですか?」
スタッフ「餌を買っていただければ近くで見られます」
来園者「課金しないと近づけないんですね」

未だ工事中だらけの園内

値上げ分のリニューアルが完了したのかと思いきや、園内のあちこちが未だに工事中。

立ち入り禁止の看板や作業員の姿ばかりが目につき、さながら工事現場を歩いているかのよう。

現地での違和感(創作)

来園者(大人)「工事中ばかりですね。リニューアルはいつ終わるんですか?」
スタッフ「順次進めています」
来園者(心の声)「(値上げだけが先行したのか…)」

朽ち果てたまま放置の園内マップ

紫外線で色がかすれてしまった園内マップが多い

入園料は倍増したのに、園内マップの看板は朽ち果てたまま。目的の展示にたどり着くのに1時間かかるありさま。

動物園というのは所在地の地形を再現する傾向にあるのか、札幌の円山動物園は札幌の街並みと同じく、園路が碁盤の目のようにシンプルに整備されているが、ここは沖縄の古くからの街並みのような高低差もある迷路構造。そのため、園内マップの視認性は重要である。

現地での違和感(創作)

来園者(大人)「案内板がボロボロで読めません」
スタッフ「改修予定です」
来園者(心の声)「(値上げだけが先行したのか…)」

ヤギ展示=ソウルフード? 方向性の迷走

動物園で動物を「食材」として紹介するのは方向性が迷走している。ソウルフードなのはいいが、展示なのか食材紹介なのか、方向性が曖昧だ。

現地での違和感(創作)

来園者(大人)「ヤギの展示なんですね」
スタッフ「ソウルフードとして展示しています」
来園者「方向性が迷走してますね」

ランチ1800円は入園料倍増に便乗した疑惑

併設のランチバイキングも1800円に値上げ。もっと安かった頃に何度か利用していたが、中身は家庭料理風の素朴なものなのに観光地価格にリニューアル。確かに食材の高騰は要因ではあるだろうが、入園料倍増に便乗した値上げと思えなくもない。

事情を知らない外国人グループは満足

園内にいた観光客は韓国人、台湾人、アメリカ人の3か国の人たち。日本人は彼らより少ない。

地元民や日本人のリピーターとは違い、値上げや子どもに媚びたリニューアルの事情を知らない外国人観光客だけが「沖縄らしさ」を演出された空間に満足しているようだった。

唯一の救いは勝手に歩いているハト

結局、園内で一番癒されたのは、勝手に歩いているハトだった。料金を取らず、媚びもせず、ただ自由に歩いている姿が「こどもの国」の中で唯一、“大人”に寄り添ってくれる存在だった。

ことあるごとに体験料金を取る。こんな金の亡者みたいな施設で「子ども」は汚い大人たちから何を学ぶのか。子どもは入園無料になったとしても、保護者の大人料金が2倍になったうえに、エサやり体験の“都度課金システム”により、施設は以前よりも儲かるビジネスモデルへとチェンジしたのだった。

結論 少数の子育て世代に媚びたつもりの設計

現代日本は少子高齢化社会。子育て世代は少数派。さらに、その子どもの人数も少ない。

だからこそ、その少ない子どもに媚びて全振りする設計は、少子高齢化社会に適応したビジネスモデルだとも言える。結果、子育て中ではない大人には何一つ恩恵が得られない値上げだったというのが個人的な結論だ。以前は子供心があれば大人でも楽しめる施設だっただけに、残念なリニューアルであった。

「こどもの国」は、子どもに優しい空間を作ったつもりかもしれない。だが、その実態は子連れでない大人を冷遇し、「こども向け」に全振りした空間だったのだ。大人が居場所を失う空間で、子どもが健やかに育つことはあるのだろうか。その子どもが大人になったとき、社会は彼らに何を与えるのだろうか?

現地での違和感(創作)

来園者(大人)「ここは本当にこどもの国ですね」
スタッフ「はい、こどもの国です」
来園者「大人は?」
スタッフ「財布を開いてくれるだけで十分です」

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なぜJAL機内誌の成功者マウントと美談テンプレの押し売りは気持ち悪いのか?

JALの機内誌を開くたびに思うことがある。なぜ飛行機に乗っただけなのに、毎回のように高学歴ハイキャリア野郎の人生訓や、「私はJALしか乗りません」という宗教かと思うような忠誠告白を読まされなければならないのか…と。

機内誌では成功者の価値観や美談テンプレ、伝統文化の紹介を“正しい読み物”として乗客に押し付けてくる。この違和感は単なる好みの問題ではなく、科学的に説明できる“構造的な気持ち悪さ”なのだ。

成功者の「JALしか乗りません」は価値観押し付け

JAL機内誌に登場する人物の多くは、高学歴ハイキャリアだ。一流大学卒、院卒、経営者、文化人、各分野の成功者など。内容よりも肩書きで読者を黙らせるラインナップだ。

しかも、彼らは本気でインタビューの中で「私はJALしか乗りません」と語っている。これは広告心理学でいう「同調圧力型アピール」に該当する。読者に「成功者はJALを選ぶ→あなたもJALを選ぶべき」という構造を押し付ける。セールでLCCより安かったからJALに乗っただけの客に、なぜそこまでの同調を求めるのか理解に苦しむ。

成功者の人生訓を“ありがたがれ”という空気が痛い

成功者の語りは“ありがたい話”として誌面に配置されている。「私はこうして成功しました」「私はこういう価値観で生きています」「もちろん飛行機はJALしか乗りません」 というような語り。誌面からは“JALに乗ってるんだから、あなたも一流エリートである我々の仲間”という謎の空気が漂っている。

だが、飛行機は場末の居酒屋ではない。乗客は飛行機に乗ってまでエリートどもの腐れ説教を浴びたいわけではないのだ。ただ座席に座って、目的地に向かいたいだけである。

「地方×伝統×若い女性」の美談テンプレ

成功者の押し付けの次に来るのが、地方の酒蔵とか伝統文化に従事する若い女性の美談である。これは「感動物語のテンプレ化」に該当する。

「地方×伝統×若い女性」という、新日本海フェリーの船内誌と全く同じテンプレで、読者に“感動しろ”という圧力をかけてくる。本当にその人の人生を描きたいのではなく、業界の将来性や実際の労働環境などには触れずに“綺麗ごと”だけを抽出しているのが特徴。

読者が感動しそうな話を編集部が選んでいるのが透けて見える。「地方で伝統的な酒造りに関わる若い女性って素敵でしょ? 感動してね」という押し付けが強すぎて、“いいねボタン“まで誌面から浮き出ている。

成功者の人生訓と美談の押し売りをセットで読まされると、精神的な満腹感を通り越して胸焼けがする。こちらはただ移動しているだけなのに、なぜ編集部が選んだ“正しい感動”を押し付けられなければならないのか。

ハワイ特集は中流階級の精神安定剤

JAL機内誌で定期的に登場する“ハワイ特集”が痛々しいのは、場所の選定が古いからではない。“誰に向けて書かれているか”が、あまりにも昭和バブルのままだからだ。

誌面が想定している読者は、「海外旅行=ハワイ」という価値観をいまだに抱きしめている“中流階級の亡霊”である。かつての日本人が「自分たちは豊かだ」と信じていた時代の甘い記憶を延命させるための特集だ。

「自分たちはまだ中流」と思い込みたい層への精神安定剤として扱われている。その構造が誌面全体に広がる気持ち悪さの正体でもある。

極めつけはマイル哲学(笑)

JAL機内誌の気持ち悪さを決定的にしているのが、この“マイル哲学”だ。成功者が「これが私のマイル哲学です」「私はマイルをこう貯めています」「マイルには人生の価値観が表れます」などと語り出す。

マイルに哲学など存在しない。どこにでもあるポイント制度だ。使わないで放置していると自然消滅する程度のものを、まるで人生論のように語る。気持ち悪さが限界突破する瞬間でもある。どこにでもあるポイント制度の話を人生訓にまで昇華しようとする姿勢は、もはや宗教じみている。

「JALに乗っているからには誰でもマイル哲学を持っているのが当たり前」と言わんばかりなのは鳥肌物だ。

JALの機内誌は読者の価値観に踏み込む

JAL機内誌は、読者は“こういう話が好きだろう”という前提で作られている。成功者の忠誠告白、美談の押し売り、伝統文化のありがたみの強要。どれも読者の価値観を勝手に決めつけてくる。読者の心に土足で踏み込んでくるメディアは気持ちが悪い。

しかも、その踏み込み方が「JALに乗っている時点で、あなたも我々の仲間」という目線で、実際は手が届かない別世界の話なのに、“少し頑張れば手が届くような話”のように寄せてくるから余計にしんどい。

JALカードの宣伝を“成功者の語り”に混ぜ込む

成功者インタビューの中に、さりげなくJALカードの宣伝を混ぜ込んでくる。「私はJALカードでマイルを効率的に貯めています」「JALカードは人生の質を上げてくれます」という文言が、成功者の語りの中に自然なふりをして挿入されている。

これは広告ではなく“洗脳”である。読者に「成功者はJALカードを使う→あなたも使うべき」という構図を押し付けてくる。ブランド忠誠心とカード宣伝を混ぜたこの手法は、読者の価値観に踏み込みすぎていて気持ち悪さしか残らない。

ちなみに、空港の待合席ではJALカードのカウンター付近の席は勧誘がしつこいので避けるべきである。仮にJALカードを作るにしても、大抵のクレジットカードと同じように、ネットで自分で申し込んだ方がキャッシュバックで得をする。空港では初めてカードを作るという情弱な若者や、ネットに疎い高齢者が捕まっている姿をよく見かける。

JALとANAの機内誌を比較する

どちらも気取っているが、両者は気持ち悪さの方向性が全く違う。

JALの機内誌は、高学歴ハイキャリアの成功者を前面に押し出す。「私はJALしか乗りません」という忠誠告白を本人が本気で語っているのが特徴。これは読者に対して“成功者の価値観を共有せよ”という同調圧力である。

一方、ANAはこれとは違い、文化人や作家の“気取った文章”が多い。「風の匂いが旅の記憶を呼び起こす」「光の粒子が街の輪郭をやわらかく包む」など、読者が求めてもいないポエムを投げつけてくる。抽象的で文学的だ。

ANAはJALほどは階級意識を押し付けてこない。しかし“上質な旅をする自分”という自己演出を求めてくる。“ANAに乗るあなたは、落ち着いた余裕のある大人であり、芸術や文化を理解する存在であるべき”という空気である。これはこれで疲れる。

JALは“階級意識”であり、 ANAは“上質な文化” と、両者は機内誌で押し付けてくるものが違う。

ジェットスターは“くだらない観光地情報”だけで逆に健全

JALもANAも、乗客に重い価値観を押し付けてくる。

しかし、ジェットスターの機内誌は違う。“くだらない定番の観光地情報”を堂々と並べるだけで、読者の価値観に踏み込んでこない。テレビを見ない筆者には顔も名前も全く知らない若いタレントが表紙に載る程度で、成功者も文化人もマイル哲学(笑)も出てこない。

ジェットスターの機内誌は「このド定番観光地、まあ行きたいなら行けば?」くらいの温度感で、ただ淡々と観光地情報を並べているだけである。「私はジェットスターしか乗りません」宣言をする成功者も出てこないし、感動ポエムや美談の押し売りもない。

これがどれほど健全なことかは、JALとANAの“異様な機内誌”を読んだ後だとよくわかる。機内誌は移動中の暇潰しとして読むものだから、これくらいの軽い内容が丁度いい。

結論 ジェットスター以外の機内誌は吐き気がする

JALは高学歴ハイキャリアの人生観を押し付け、ANAは感動ポエムを押し付けてくる。どちらも読者の価値観に踏み込み、空の上でまで“うちの客のあるべき姿”を押し付けてくる。

その点、ジェットスターの機内誌はくだらない観光地情報だけで何も押し付けてこない。機内誌というジャンルにおいては、ジェットスター以外は表紙をめくるだけで吐き気がしてくる。

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【船旅】フェリーでの旅は移動自体が旅情あふれる体験になるのが魅力

移動そのものが旅行体験となるのがフェリー

海を渡る船は、ただの乗り物ではない。波は詩のように寄せては返し、風は旅人の記憶を撫でるように流れていく。

甲板に立てば水平線は果てしなく広がり、夕日が海を染める瞬間は時を止める魔法のようだ。夜の海は静寂を抱き、星々は航路を照らす灯火となり、朝焼けは新しい物語の幕を開ける。飛行機が切り捨ててしまう余白、待つこと、眺めること、感じることをフェリーは豊かな旋律へと変えてくれる。

目的地に着く前から旅は始まっている。フェリーはその真実を思い出させ、移動を体験へ、体験を記憶へ、記憶を人生の断章へと昇華させる。

飛行機の速さが奪うもの

飛行機の機内イメージ(JAL)

飛行機は効率重視の象徴だ。

目的地に最短で到着することが最優先にされ、乗客は「移動のための移動」を強いられる。空港に着いた瞬間から、セキュリティチェック、搭乗ゲート、行列、荷物検査といった一連の儀式が始まり、旅の序章は慌ただしさに塗りつぶされる。

機内に入れば、狭い座席に押し込められ、隣人との距離はわずか数センチ。窓から見える景色は一瞬で流れ去り、記憶に残ることは少ない。飛行機は「到着すること」だけを目的化し、旅の過程を切り捨ててしまうのだ。

フェリーが与える自由と快適さ

フェリーの個室イメージ(新日本海フェリー)

飛行機からフェリーに乗り換えると、移動の体験は一変する。

広いデッキに立てば潮風が頬を撫で、水平線の向こうに沈む夕日が旅情を深める。多くの長距離フェリーの船内には、ラウンジやレストラン、大浴場やミニコンサート、映画上映などのエンターテインメントが用意されており、船内での時間をそれぞれが自由に過ごすことができる。

飛行機では不可能な「移動中の体験」がここにはある。個室を選べば、まるでホテルに滞在しているかのようにリラックスできる。夜の海を眺めながら眠りにつき、朝焼けに染まる海を眺めながら目覚める瞬間は、飛行機では決して味わえない贅沢だ。

「時間のゆるみ」が生む旅情

フェリー最大の魅力は、時間がゆっくり流れることにある。

波のリズムに身を委ねると、旅は単なる移動ではなく物語へと変わる。飛行機では到着を待つことは退屈でしかないが、フェリーでは「待つ」ことが旅情を育む。窓辺に腰掛けて海を眺める時間、船内で本を開く時間、デッキで風に吹かれる時間。それらはすべて旅の記憶として積み重なる。

この「ゆるみ」は、現代人が失いかけている感覚でもある。効率やスピードを追い求める社会の中で、フェリーはあえて時間をかけることで旅を豊かにする。目的地に着く前から旅は始まっている。その感覚を与えてくれるのがフェリーなのだ。

フェリーが生む交流と物語

フェリーの旅には、飛行機の旅にはない「人との関わり」が息づいている。広いラウンジやデッキは、乗客同士が自然に交わる舞台となる。居合わせた見知らぬ旅人と海を眺めながら言葉を交わすうちに、旅は個人の体験から共同の物語へと変わっていく。

子どもたちが船内を走り回り、笑い声が響く。老夫婦が水平線を見つめながら昔の旅を語り合う。学生たちが夜更けまで語り合い、人生の一場面を共有する。フェリーは人を運ぶだけでなく、人と人を結びつける「場」を生み出す。そこには偶然の出会いがあり、旅の記憶をより鮮やかに刻む。

フェリーは「物語の舞台」としての力を持つ。船内で出会った人との会話が次の目的地への期待を膨らませ、デッキで見上げた星空が旅の意味を問い直す。飛行機では一瞬で通り過ぎるだけの場所が、フェリーでは物語の断章として積み重なり、旅をより豊かなものにする。フェリーは旅人を運ぶだけでなく、旅人同士の物語を紡ぎ出す舞台なのだ。

人を運ぶ飛行機、心も運ぶフェリー

飛行機は人を運ぶだけだが、フェリーは心も運ぶ。

目的地に着くことだけが旅ではない。道中を楽しむことこそが旅の本質であり、フェリーはその本質を最もよく体現する乗り物だと言える。効率を優先するなら飛行機を選べばいい。しかし「旅を旅として味わいたい」と願うなら、フェリーこそが最良の選択肢だ。