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【2025年12月】石北本線が大雪で約1週間も運休して思い出す“雪国”に暮らすという厳しい現実

除雪作業中の北見駅(2025年12月17日撮影)

2025年12月14日、発達した低気圧と大雪により北海道の広い範囲の鉄道が運転見合わせとなった。札幌から網走までを直通する特急オホーツクが走る「JR石北本線」も、上川〜網走間で運転見合わせとなった。

そして低気圧が去っても、線路に降り積もった大雪の除雪作業のため、全列車が1週間近くに渡って運休することとなった。

遠軽〜網走間が18日夕方に普通列車の一部が先行再開、19日夕方に上川〜遠軽間も復旧し、20日からは全列車が動き出したものの、地域の交通を担う鉄道が1週間近く止まるほどの大雪は、他地域の人からすると大規模災害急の異常事態だろう。

しかし、オホーツクの雪国育ちの自分にとっては、どこか懐かしい“冬風景”でもある。今回は北見、遠軽、女満別(大空町)、網走の雪景色を写真とともに紹介しながら、雪国の現実と社会の目線のズレを考えてみたい。

北見 大雪に飲まれる地域最大の中心都市

北見駅前の様子。雪山で遊んだ子供時代の記憶が懐かしい(2025年12月16日撮影)

オホーツクの冬は、雪が降ると街全体が静かになる。もともと静かなのが、さらに静かになるというのが正しい。

国道沿いの歩道の方が除雪は進んでいる

世界が白銀だけになる。子どもの頃はこの静けさが好きだったが、大人になって思うのは「この白銀の静けさは、日本のどこにでもある景色ではなかった」ということだ。

遠軽 鉄道が止まると他地域との公共交通がなくなる

写真左が北見方面、右が旭川・札幌方面への線路(2025年12月20日撮影)

今回の運転見合わせ区間の中心地点とも言える遠軽は、札幌や旭川などの道央地域とオホーツク地域を結ぶ境界のような場所だ。

低気圧が去ると気温がプラスの8度で嘘のように暖かくて春のよう

この地を走る石北本線は12月14日から運休し、全面再開したのは20日。しかし、全国的には大きな話題にならない。代替の公共交通機関も存在せず、マイカーを持たない人には“陸の孤島”となるが、地方の鉄道が止まることは世間の大きな関心事ではないのだろう。雪国の交通インフラは、止まることが前提で設計されているかのようだ。

女満別 空港があっても雪国なのは変わらない

飛行機に付着した雪を除雪する車が故障したらしい(2025年12月21日撮影)

女満別空港はオホーツク地域の空の玄関口だが、空港があるからといって雪が手加減してくれるわけではない。15日は悪天候と除雪が追い付かず、全便が欠航した。

ぎりぎり歩道は歩くことができる

女満別という場所は北海道でありながら、札幌よりも東京の方が近いような気がするという独特の空気がある。

網走 雪の量よりも空気の冷たさが印象に残る

道の駅にあるABASHIRIモニュメント(2025年12月19日撮影)

網走の冬は、雪の量よりも空気の冷たさが印象に残る。流氷が来ると気温がさらに下がるが、空気が張りつめている。

エコーセンター2000から眺める網走川とオホーツク海

雪国では毎年のように大雪で公共交通が止まる。地域の住人も、旅行者も、等しく止まる。

石北本線が2025年12月14日から大雪で1週間近く止まったという事実は、雪国の脆弱さではなく、日本社会の“地方への無関心”でもある。そして、これはこの地域では珍しいことではなく、毎年のように日常的に起きていることでもある。

グルメ

ホットサンドという俺には意味不明なオシャレ料理を考察する

画像はイメージ

ホットサンドはパンに具材を挟み、ホットサンドメーカーで押しつけて焼いた料理だ。

実際には見た目ほど美味しくないし、パンに何かを挟んで焼いただけのものが、なぜここまで気取れるのか不思議で仕方がない。

普通のサンドイッチは庶民的なのに、ホットサンドになるとアウトドア雑誌の表紙に登場し、木製テーブルの上でコーヒーと並び、丁寧な暮らしの象徴のような顔をする。パンを焼いただけで人生が丁寧になるなら、日本中のトースターがもっと評価されていい。

ホットサンドメーカーという“専用機”の存在

ホットサンドを作るための専用の機械が存在する。

世間ではホットサンドメーカーはやたら語られる。「外はカリッと中はふわっと」「キャンプで作ると最高」「具材の自由度が無限大」などと持ち上げられるが、自由度が無限大なのはサンドイッチも同じだし、結局はパンに何かを挟んで焼いただけである。

ホットサンドは“オシャレの雰囲気”で成立

思うに、ホットサンドは味で勝負していない。雰囲気で勝負している。

木のまな板に乗せればオシャレ、十字に切ればオシャレ、断面を見せればオシャレ、写真を撮ればオシャレ。つまり、ホットサンドは“映えるために存在している料理”だ。味は普通で、見た目ほど美味しくない。パンと具材を焼いただけなのだから、当然だ。

ホットサンドは“料理をした気になれる装置”

ホットサンド最大の特徴は「料理をした気分になれる」という点だ。具材を挟んで焼くだけで、なぜか手作り感が出る。料理をしたという達成感が得られる。

これはホットサンドの功績でもあり、罪でもある。実際にはほとんど何もしていないのに、料理をした気分だけはしっかり味わえる。

ホットサンドは嫌いじゃないが持ち上げられすぎ

ホットサンドは別に悪い料理ではない。むしろ、美味しい瞬間もある。

ただ、過剰に持ち上げられすぎている。「ホットサンド=オシャレ」という空気が強すぎて、料理そのものより雰囲気が先に来てしまっている。ホットサンドは料理界のインスタ映えスポットのような存在で、見た目だけが先行し、味は見た目に追いついていない。

ホットサンドは“普通の料理”に戻っていい

ホットサンドはもっと普通の料理でいい。

気取らなくていいし、オシャレぶらなくていい。パンと具材を焼いただけの軽食でいい。それを無理にライフスタイルに昇格させるから、意味不明なオシャレ料理になってしまう。ホットサンドは、もっとありのままでいいはずだ。

WEB制作

Webデザイナーは使い捨て仕事の代表格 -華やかに見えても実態は消耗品扱い-

画像はイメージ

Webデザイナーという職業は、よく知らない人からすると資格や学歴が必須ではなく、世の中の他の仕事に比べれば誰でも簡単に就ける仕事のように見える。

しかも、今はテンプレートがあり、ノーコードがあり、AIがあり、ツールが進化しすぎているせいで、「Webデザイナーってノリで誰でも出来るんじゃないの」という空気が生まれやすい。しかし、実際には情報設計も、心理学も、UI/UXも、ブランド理解も必要で、実際には相当な知識と技術がいる。

それでも“外の世界”から見たときのイメージが強すぎて、Webデザイナーは企業の組織図の中では軽く扱われることが多い。

Webデザイナーは成果が数字で見えにくいから評価が曖昧

営業は売上で評価され、エンジニアは動くコードで評価される。

しかし、Webデザイナーの仕事は成果が数字で見えにくい。「なんか違う」「もっとオシャレに」「若者向けにして」「とりあえず明るく」など、こうした“感覚の言語”で評価されることが多い。

そして、世の中では評価が曖昧な仕事は使い捨てられやすい。曖昧な評価は、曖昧な扱いに繋がり、理由が曖昧なまま切られる。

技術の進化が“価値の低下”として返ってくる皮肉

Webデザイナーは常に新しいツールを学び続けないとならない。

Figma、スマホアプリ、フレームワーク、生成AI、UIトレンド。学習コストは高いのに、ツールが進化するほど「誰でもできる」という誤解が強くなる。努力すればするほど価値が下がるという皮肉がWebデザイナーには常に付きまとう。技術の進化がデザイナーの価値を押し上げるのではなく、逆に“代替可能性”を強調してしまう。

派遣、業務委託、外注・・・雇用と将来が不安定すぎる

Webデザイナーは正社員よりも派遣や業務委託、フリーランス、外注といった不安定な働き方が多い。これらの働き方は「合わなければ切る」「企業の都合が変われば切る」「予算がなくなれば切る」「プロジェクトが終われば切る」という構造が前提となっている。

それにも関わらず、国が税金を使ってWebデザイナーを養成する職業訓練を大量に行ってきたのも、また一つの事実だ。

Webデザイナーが使い捨てられやすいのは個人の能力の問題ではなく、社会の構造そのものが“消耗品扱い”を前提にしているからである。

それでもWebデザイナーが消えない理由

使い捨てられやすいのにWebデザイナーが消えないのは、人間の感性が必要な仕事だからだ。

テンプレートでは作れない世界観があり、AIでは拾えないニュアンスがあり、クライアントの“言語化されていない要望”を形にする力は、結局のところ人間にしかできない。そのため、使い捨てられやすいのに必要とはされ続ける。この矛盾こそが、Webデザイナーという仕事の本質だ。