コネタ

WEB制作

【実践】ブログ記事を生成AIで制作するメリットとデメリット

画像はディスカス

ブログ記事を書く時、ChatGPTなどの生成AIを制作過程に取り入れることは、今や企業でも個人でも広く行われている。

勉強がてら、実際にやってみて感じたメリットとデメリットを書いてみる。

上場企業もブログ記事をAIで書いている時代

先日、とある東証プライム上場企業が運営する某中堅旅行系サイトのオウンドメディアを見ていたら、「飛行機に持ち込めるカメラは一人一台までです」という、オヤツは一人300円までみたいな、かつて聞いたことのない話が書いてあった。

保安上の理由でライター1個までというのはあるけど、カメラの台数なんて聞いたことない。スマホにすらフロントとリアに2台カメラあるし。誰でもアウトじゃん(笑)

他にも、「手荷物検査ではフィルムがX線で露光してしまうので目視確認にして貰いましょう」と、これまた、いつどこの時代の話ですかと思うような解説になっていた。個人的にはフィルムカメラを使っていた時代に海外数カ国を旅したが、手荷物検査ごときのX線で露光したことなどなく、まして今時、普通の一般人でフィルムを使う人は超少数派である。

マトモに旅している旅行系ライターだったら、こんな記事は書かないのだが、これって生成AIで専門外の人が作って内容のチェックを怠ったたんだな、上場企業でも今はこんなふうな運用なんだな、と感慨深かったのである。

実際に生成AIを活用してブログ記事を作成する過程

結論を言うと、良くも悪くも相当時短になる。

人間がマトモに手と頭を使って、細かな記憶を思い出したり、資料を参照したり、構成を練ったり、SEOを考慮に入れたり、そもそもタイピングしたり、誤字脱字の修正などをして、最低8時間はかかるような記事でも、生成AIなら10秒で「下書きレベル」のものをざっくりと作ってくれる。人間ならば、どんな凄腕ライターでも10秒では下書きレベルだろうと書けはしない。

それで人間様は何をするかというと、プロデューサーやディレクター、編集長としての立ち位置で、タイトルやテーマ、こんな感じのことをこんなふうに書きたいんだ~と、部下や外注のライターに指示を出す感じと同様のことをする。

AIはざっくりした下書きっぽいものを出してくれるが、大抵は改行や段落分けがおかしかったり、いらないステレオタイプな内容やら不自然な言い回しや、サイトの体裁に合わない装飾や記号を入れてきたりするから、そういうのはしないでとダメ出しを5往復から10往復くらいする。

人間の部下だったら5回も10回もダメ出ししたらモチベーションが下がり、ブラック上司扱いになって互いの信頼関係を無くしてまうが、AI相手の場合は何度でもダメ出ししてもグレはしない。

ただ、こっちの指示やニュアンスを思ったように伝えるのは難しく、田舎の頑固爺みたいに頭の硬い人間を相手にしている印象。ざっくり修正して貰ったら、そこからは自分で加筆修正したほうが早い。

AIは「ああ言えばこう言う」ムカつく人間の典型

記事を作っていくためには、AIと何度も壁打ちすることになるが、所詮はプログラムだなと思うことがある。AIは世の中の色々な事象をステレオタイプで認識していて、「旅人はこんな感じの貧乏な人種」とか「差別的な表現はNG」とか、記事のテーマのために必要でも拒むことがある。

まあ、そのへんの理屈っぽい人間を5倍くらい理屈っぽくした感じ。細かいダメ出しを続けていくと、屁理屈ばっかりこねてるように思え、しかもAIは人格的なものが複数あって、AIをマトモに相手すると人間側が壊れる。

作れない記事というのもあって、海外で作られているからか、特に特定の国民や人種差別に関係したテーマは「書けない」と拒否されるし、「自殺」というワードが文脈の都合で入っているだけで「命の電話」の案内が出てきて記事作成が出来なくなったりする。記事に必要な内容だとしても性的な話題とかも一線を越えると、応答不能というエラーになってしまう。

AIが得意なのは構成がかっちりした記事

AIに向く記事、向かない記事というのがある。

俺なんかだと自分で記事を書く時は、構成は行き当たりばったりで、それが味だと勝手に思っている。頭から思ったように書き綴っていくだけ。ちゃんとしたプロのライターとか作家とかだと、まず構成を考えるところからスタートするのかもわからんが、俺はそのスタイルを採用することは通常ない。

でも、AIは起承転結などの全体構成を決めてから、中身を書いていくようなので、俺とは違って構成がかっちりしたものに仕上がる。逆に、構成がどうのっていうより、感覚的なエッセイっぽい記事は、どこのステレオタイプを学んだのか、情緒もへったくれもない、語尾だけ砕けただけのボツ原稿を出してくる事が多かった。「くだけた感じで」と指示すれば、それっぽい感じに調整はされるけど、どうにもステレオタイプな、くだけた文章になる。

ビジネスライクな記事や、構成がしっかりとしている固い論文調の記事はAIは得意で、反対に人間の“揺らぎ”や“味わい”が重視されるような、エッセイ風や日記風のは適さないということである。

文書の繋がりがおかしかったり、句読点の使い方がおかしかったするのは、人間でもAIでも起こる。対して、人間では避けられない打ち間違いや変換ミスはAIにはない。

自分がその分野に詳しいことが大前提

それが仕事として対価を貰って一本いくらで書いている記事であったりするならば、AIは構成や下書きをざっくり作る程度に留めた方がいいと思う。

冒頭に例として出した旅行会社のオウンドメディアのように、その分野に詳しい人がチェックして加筆修正しないと、どこの世界のいつ時代の話だよっていうのを真実っぽく書いてくる場合がある。

AIは屁理屈の塊のうえ、自分の知識に絶対の自信があるようなので、上司や監督官として内容のチェックを厳しくやらないとならない。あくまでもキータッチを代行させてるような考え方がよいと思う。

SEOに強い記事がAIで作れるかどうか

SEOに強い記事がAIでなら作れるということをよく言われるけど、テーマや企画を考えるのは人間なので人間次第である。

キーワードを散りばめるとか、その手のことは人間でもそれなりの経験者は自然とやってるし、「SEO担当者」みたいのがいるWeb系企業では数値的に「このキーワードを何回使う」的に対策しているから、AIだからどうのっていうのはないと思う。

まぁ、俺は怪しいSEOコンサルタントの講座を何回か受講したことがあるけど、実際に運営している俺の感覚からすると噓ばっかりだったから、その界隈は信用していないのだけど。

生成AIで記事を作ることはリスクなのか

よく言われるけど生成AIの文章はリスクなのかどうかについて。要は、包丁や車は便利だけど、使い方を間違うと凶器になるのと同じで、人が適切にコントロールする必要はある。

構成の骨格や、人間が売ってもAIに出力させても変わらないような部分を、時短と省エネのために活用するだけである。料理する時に、米を野菜の栽培からやるか、ある程度は出来上がっているものを買ってきて利用するかの違いに似ている。

人間が全部書いた記事が絶対安全なのかというと、そんなことは断じてないから、そこまで単純な話でもない。むしろ人間の方が感情で動いているぶん、AIより振れ幅は広いはず。そのへんはモノを作る側の宿命ではないだろうか。

また、AIはランダム性があるから、例え同じ指示でも同じ文章ができることは通常ないので、既存の文章と全く同じものが出来上がることは確率や理屈で言えば、理論的にないのではと思う。

味のある文章は人間、どうでもいい記事ならAI

企業のSEO用ブログだと味もへったくれもないからAI手抜きの典型だと思う。ただノーチェックだと、その分野に詳しい人にアレって思われて、企業の信頼問題になる。

対して、文章の味にこだわっている人や、固定ファンが多いような媒体、文章そのものを値段を付けて売っているような場合、AIの手抜きは自分の価値を下げることになると思う。

俺がやってるようなサイトは、10年やってても「いつも更新楽しみにしています。頑張って下さい」なんてお便りを貰ったことは、自慢でないけどモノの一度もない(笑)ことから、固定ファンらしい固定ファンなんて存在しないはずなので、記事やテーマによってAI時短するのもアリかなとは思う。何とかと何とかは使いようってやつか。

自分にない語彙や言い回し、トーンなんかを見せつけられると、一人の人間の限界を痛感することもある。時間とエネルギーが無限だったら自分で全部やりたいが、使えるものは活用するアリなんではないかと思うものの、モヤモヤ感はゼロではない。

企業のSEO用ブログなんかでも、AIによる記事作成に取り組んでいる所は多いのは明白だけど、生録音の音楽制作とDTMみたいな既存の録音音声の繋ぎ合わせで作られる音楽の違いに似ているかもしれない。

コネタ

プロフィールを学歴で花咲かせる日本特有の“忍者社会”が持つ違和感

著名人にしろ一般人にしろ、プロフィールを学歴で花咲かせている人を見ると、どうにも滑稽さを覚える。本人は「信頼性の証」だと思っているのかもしれないが、見せられる側からすれば「知らんがな」で終わる。

幼稚園しか人様に誇れる学歴がない自分からすると、こうした“学歴ありき”なプロフィールは、どうにも疑い深い気持ちになる。

忍者における手裏剣としての学歴

プロフィールに「◯◯大学卒」と書く人々は、まるで忍者における手裏剣のように、学歴を武器として常に携帯している。必要があればすぐに手裏剣を取り出し、「俺は◯◯大学出身だぞ」とマウントを取る。

だが、その手裏剣は実戦ではほとんど役に立たない。むしろ「学歴を振り回すしか能がない人」という印象を残すだけだ。

一般人まで学歴武装する異常な日本

著名人や経営者ならまだしも、アメブロやSNSの一般人までもが「学歴武装」しているのは、もはや社会問題だ。

肩書きが信用の通貨になりすぎて、誰もが「学歴という手裏剣」を携帯していないと不安になる。結果として、日本人のプロフィール欄は「忍者の武器庫」となり、その異様な光景に違和感を覚える。

“学歴自動改札機”だらけの日本社会

日本名物の新卒一括採用では「学歴フィルター」が堂々と機能している。大学のランクで足切りされるのは当たり前だ。

まるで「学歴順に人間を仕分ける自動改札機」である。これでは、出身大学名などの学歴をプロフィールに貼り付けたくなる気持ちもわからなくはない。だが、それは「自分の物語を語る」ことを放棄して、「過去のラベルにすがる」行為に他ならない。

海外と比較すると“学歴忍者社会”は日本特有

海外でも、ハーバード大学やオックスフォード大学などの一流大学卒という肩書は、就職や人脈づくりには役立つ。ただ、日本と決定的に違うのは、その“見せ方”だ。

海外では「どこで学んだか」よりも「何を学んで、どう活かしているか」が重視される。例えば LinkedIn(リンクトイン)という世界的なビジネスSNSでは、プロフィールの主役はスキルや職務経験。

大学名は補足情報として小さく載る程度で、「今の自分」をどう表現するかが大事にされている。ハーバード卒であっても、プロフィールの冒頭に「ハーバード大学卒」と大きく掲げる人はほとんどいない。

プロフィールで堂々と出身大学を掲げる日本人

一方、日本ではプロフィールの冒頭に「東京大学卒」と堂々と書く人が多い。まるで忍者が手裏剣を片手に「俺は信用できるぞ」とアピールしているようだ。しかも、それは著名人や経営者だけでなく、一般人にまで広く観察できる。ここが日本の“異様さ”だ。世界的に見ても、一般人がここまで学歴をプロフィールに貼り付ける文化は珍しい。

つまり、学歴を気にするのは世界共通。でも、日本では学歴を一般人までもがプロフィールの武器として利用する“学歴武装忍者”が多い。過去の学歴を見せびらかすよりも、今現在の活動のほうがずっと説得力があるはずなのに、なぜか日本では「学歴=信用の証明」という幻想が根強く残っている。

過去の栄光に頼るロジック

学歴は“過去”における努力の証と考えることもできる。しかし、それはあくまでも過去の話にすぎない。プロフィールに「一流大学卒」とデカデカと書くことは、現在や未来の活動ではなく、学生時代という過去を重視している人間であることを示してしまう。

それはまるで、「昔はモテたんだ」と延々と語り続ける中年オヤジが寒いのと同じように、聞かされる側は寒さしか感じないことの方が多い。

実体験から考察する“学歴依存症”の姿

かつて私は「東大卒の社長が率いるベンチャー企業」の面接に行ったことがある。

肩書きだけ見れば、いかにも優秀そうで信頼できそうに思える。スーツの生地も、横文字がやたら多い話しぶりも、どちらも立派だった。

だが数年後、その会社は倒産して跡形もなく消えていた。日本最高峰とされる大学ですらこうなのだから、結局のところ、学歴は信頼を示すものではなく、むしろ“詐欺的なブランド利用”に近いケースすらある。

「◯◯大学△△学部卒」ロジックの破綻

意外とよく目にするが、「◯◯大学△△学部卒」と学部まで細かくプロフィールに書く人がいる。だが、それを目にする大多数の人は、その大学のその学部に通ったことがないし、偏差値事情に詳しい人事部の面接官でもない。学部まで細かく聞かされたところで、レベル感やイメージはわかず、「んー、聞いたことないね」という冷めた一言で終わる。

結局、「◯◯大学△△学部卒」という肩書きは、本人の中では輝かしい勲章なのだろうが、他人にとっては「過去の栄光を現在進行系で必死に抱え込む人」という印象しか残らないことが多い。

権威付けは逆効果になることも

心理学的には、人は権威に弱いとされる。

学歴や肩書きは説得力を増すための典型的な“権威付け”の手法だ。しかし、過剰に強調されると逆効果になる。

「この人は学歴に頼っている」と感じ、むしろ信頼を失う。学歴を強調すればするほど、現在の姿が薄っぺらく見えてしまうのだ。

プロフィールの“冷蔵庫ラベル”

プロフィールに「一流大学卒」と書くのは、冷蔵庫に入っている古い食材に「賞味期限:2005年」とラベルを貼って誇らしげに見せるようなものだ。

昔は新鮮だったかもしれないが、今や未来の活動に直結しているとは限らない。見せられる側からすると「いつまでそれを出すのか」とツッコミたくなる。

肩書きよりも“現在の物語”を

学歴武装した忍者社会の違和感は、つまるところ「過去の栄光に頼る不自然さ」に尽きる。学歴などの肩書は背景であり、主役は現在の活動だ。

どんな価値を生み出しているのか、どんな物語を紡いでいるのか。手裏剣を見せびらかすよりも、今の姿を語る方が、遥かに健全なのは明白だ。

旅モノ

1週間の旅行は「日曜出発→土曜帰宅」が最適解である理由 -ホテル代を戦略的に削る旅程設計術-

なぜホテル代を削るのか? それは節約派の旅人は“払わなくていい金”を絶対に払わないからである。

旅の満足度は宿泊費では決まらない

3千円台のビジネスホテルでも1万5千円のホテルでも、翌朝の行動範囲は同じである。寝るだけの場所に余計な金を払うのは、節約派の旅人にとってはただの敗北だ。

しかも、ホテル代は旅の中で最も“削りやすい”支出だ。航空券は日程に縛られるが、ホテル代は曜日や予約の仕方で大きく変わる。

節約派の旅人はホテル代をロジカルに削る。浮いた金は食事代に回すもよし、体験に回すもよし。ホテル代を削るのはケチではなく、旅の自由度を最大化するための戦略なのだ。

ホテル価格の谷間を貧乏性は踏みに行く

ホテル価格はランダムではなく、観光需要とビジネス需要の波で動く。

経験とデータから言うと、観光地のホテルは金曜〜土曜が山で日曜が谷、地方都市は火曜〜木曜が山で日曜〜月曜が谷になる。

つまり、週の中には必ず“安い日”がある。節約派の旅人はこの谷を見逃さない。むしろ旅程を組む前に楽天トラベルで1週間の価格を並べて、「どこが最も安いか?」を分析するところから旅が始まる。これは趣味ではなく習性だ。

連泊割引は“谷を掘り下げるスコップ”

一般的にホテルは連泊客を歓迎する。フロントの手間と清掃コストが減り、稼働率が安定するからだ。

そのため、2連泊や3連泊で割引を設定しているホテルは多い。節約派の旅人にとっては、これは最高の仕組みだ。安い曜日に連泊を重ねることで、元々あった谷がさらに深くなる。

つまり、日曜が元々安いなら、日曜+月曜の2連泊割でさらに価格が落ちる。この瞬間、旅人の脳内では「勝った」という音が鳴る。谷×連泊割は、旅程全体の宿泊費を一気に削る“必殺技”だ。

朝食の質をケチってはいけない理由

ホテル代は徹底的にケチるが、削ってはいけない部分もある。

その代表が朝食バイキングだ。安ホテルだからといって、パンとおにぎりとコーヒー程度の“形だけ朝食”を選ぶと、結局は外で追加の朝食を買うことになり、節約どころか逆に高くつく。

しかも、朝の満足度が低いと、その日の旅のテンションまで下がる。そのため、旅慣れた節約派ほど「安いホテル×ちゃんとした朝食バイキング」をセットで探すのが常識だ。

楽天トラベルで検索すると、同じ価格帯でも朝食の質に大きな差があることが分かる。4千円前後のホテルでも、パン数種類、肉料理、魚料理、地元の名物、サラダ、スープ、カレー、デザートまで揃った“ちゃんとした朝食バイキング”のところは普通に存在する。

こういうホテルを選ぶと、朝から満足感が高く、昼食までの持ちも良い。結果として旅全体の食費も抑えられる。ホテル代はケチる。しかし朝の満足度はケチらない。これが節約派の旅人が経験から辿り着く“正しいケチり方”だ。

1週間旅行の最適解は「日曜スタート→土曜帰宅」

節約派の旅人が1週間の国内旅行の旅程を組むと、ほぼ必ずこの形に収束する。

日曜は週で最も安い谷であり、ここに初日を置くことで旅の出費がいきなり軽くなる。

月曜も地方都市では谷になりやすく、日曜+月曜の2連泊割で「これ本当に2泊の値段か?」というレベルまで落ちる。

火曜〜木曜は観光地の価格が落ち着き、混雑も緩むため移動にも滞在にも向いている。

そして、土曜夜は週で最も高い山であり、ここを旅程から外すだけで旅全体の宿泊費が劇的に下がる。節約派の旅人は土曜夜に旅先で泊まるという“敗北ムーブ”を絶対にしない。

実例 “谷×連泊割”は貧乏性の心を震わせる

札幌や旭川など北海道の地方都市でのビジネスホテル相場は、標準価格帯で5千〜7千円台である。ここで日曜+月曜の2連泊割を使うと、1泊あたり4千円台前半まで落とせることがある。

週で最も安い2日間を、さらに安くする。これを見た節約派の旅人は、ほぼ反射的に「ここを軸に旅程を組む」と決める。たまたま安い日を踏むのではなく、踏みに行く。

旅人が実際に行っている“貧乏性の予約戦略”

まず細かな旅程を決める前に、楽天トラベルで1週間の滞在予定エリアにおける、ホテル価格相場の推移をざっと把握する。

じゃらんなど他の予約サイトでもいいが、予約サイトごとに会員ランクが上がる仕組みがあり、会員ランク限定の割引を受けられることがあるため、“主戦場”となる予約サイトは決めておくのがベストだ。個人的には直前割引など、安くなる仕組みが沢山用意されている楽天トラベルがオススメ。

事前チェックでは、日曜夜がどれだけ落ちているか、月曜夜も安いか、2連泊や3連泊割が適用されるホテルがあるか、火曜〜木曜の価格が安定しているか、土曜夜がどれだけ高騰しているかを把握する。

この5つを並べると、自然と「日曜スタート→土曜帰宅」が最適解になるはずだ。旅の始まりを最安の谷に置き、連泊割でさらに谷を深くし、最も高い土曜夜を避ける。

これはケチではなく、旅の自由と節約を両立させるためのロジカルな戦略である。節約は弱点ではない。旅を強くする武器なのだ。

旅の満足度は“お金の配分”で決まる

ここまで読むと「なんだか貧乏性の極みみたいだな」と思うかもしれない。

しかし実際には、この旅程設計は貧乏人の苦肉の策ではなく、むしろ誰もが楽しめる“知的ゲーム”でもある。曜日ごとの価格差を読み、連泊割を重ね、朝食バイキングの質まで見極める。これは節約というより、旅の前哨戦を攻略していく感覚に近い。

なにより面白いのは、こうした工夫を積み重ねると旅の満足度がむしろ上がるという点だ。無駄な支出を避けた分、食事や体験にお金を回せるし、土曜夜の高騰を避ければ旅の終わりに“やられた感”も残らない。節約は我慢ではなく、旅を気持ちよく終えるための設計なのである。

お金に余裕のある旅行者にとっても、このロジックは十分に価値がある。収入に関係なく、誰だって「払わなくていい金は払いたくない」し、「同じ金額なら満足度が高いほうがいい」という当たり前の感覚を旅の設計に落とし込んだのが、この“日曜スタート→土曜帰宅”という戦略なのだ。