
自給自足という言葉に惹かれ、生活の一部を自分の手で賄おうと試みてきた。気づけば20年が過ぎ、試行錯誤の積み重ねは、確かに生活の質を変えてきた。
しかし、同時にどうしても越えられない壁があることもはっきりしてきた。それは個人の努力や工夫ではどうにもならない、大きな構造的な問題だ。
目次
現代日本は外部エネルギーを前提にした設計
現代日本の生活は、電気、ガス、水道、インターネットなどの通信環境といった巨大なインフラに依存して成立している。
これらを自前で賄うのは困難だ、個人でどうにかできる範囲を遥かに超える。20年もの間、LEDでリーフレタスを栽培したりと、自給自足に向けて試行錯誤を重ねてきたが、生活の全てを自給自足する道筋が見えてこない。
生活の基本設計そのものが外部から供給されることを前提にしているため、自給自足にシフトするのが困難な状況にある。
主食を生産するためのリソースが大きく不足
葉物やハーブ、ミニトマトのような補助的な食料はベランダなどの家庭菜園でも育つ。
しかし、生命活動を支えるカロリー源となる主食は別物だ。米や小麦、トウモロコシや芋を安定的に育てるには、広い土地と水、そして季節ごとの管理が必要になる。20年の間、小規模なリーフレタス栽培を繰り返しても、主食の自給には一度も届かなかった。
人間が1日に必要とするカロリーはおよそ2,000〜2,500 kcalとされる。じゃがいもは100gあたり約76kcal、米は茶碗一杯で約230kcalだが、栽培、脱穀、精米まで含めると個人で回すには負荷が大きすぎる。
年間で換算すると1人分のカロリーを安定供給するには最低でも数十〜百数十平方メートルの農地が必要で、天候リスク、害獣、保存設備など、自分一人ではコントロールできない要素が多すぎる。必要カロリーを全て自力で何とかするというのは、現代日本では個人の努力では成立しない構造になっている。
LED栽培も夢で終わる理由
LEDでの室内栽培も自給自足になりそうに見える。しかし、LED栽培は電力、初期設備、温度管理、肥料、水の供給など、結局は社会インフラに依存している。
また、LED栽培は主食の生産には向かず、リーフレタスやハーブのような軽い作物は育つが、人間の生命維持に必要な高カロリー作物は効率が悪すぎる。LEDでじゃがいもや米を安定的に大量に育てるのは無理がある。
つまり、LED栽培は自給自足の救世主のように見えて、実際には社会インフラへの依存を浮き彫りにするだけである。
自給自足の技術体系を現代人は持っていない
自給自足は土壌管理、保存食作り、採集、修繕、害虫対策など、複数の技術が組み合わさった生活の総合技術だ。
日本では義務教育はもちろん、高校や大学でも自給自足を前提とした教育を行っていない。つまり、現代の教育や生活環境では、これらの技術を身に着けるのが難しく、技術の欠落は、努力では埋まらない壁として残り続ける。
自給自足は共同体で成立する構造
自給自足という言葉は、しばしば「不便な生活」や「昔ながらの暮らし」を連想させる。
しかし、世界には今も自給自足を続けている人々がいる。たとえばアフリカのハザベ族やサンブル族のような少数民族だ。彼らは水や食料、住まい、道具を自らの手で確保し、自然の中で生活を組み立てている。必要なものを必要な分だけ得て、自然環境との関係を循環として捉える。その暮らしは効率や利便性とは別の軸で成立している。
アフリカなどの少数民族の暮らしは、自然と共に生きるという意味で自給自足生活の見本でもある。しかし、その生活は土地、気候、文化、社会制度のすべてが関係している。現代日本で同じ生活を再現することは難しいというのが現実だ。








