
画像はディスカス
ボランティアは「善意」「奉仕」と美しい言葉で飾られるが、実態は承認欲求の発散と搾取の仕組みだ。
企業は宣伝のために利用し、地域は子どもを舞台に立たせ、大人は「いい人に見られたい」という承認欲求を満たすために動員される。
そのうえ、学校や職場では「やらないと冷たい人間だ」という空気で強制される。そこにあるのは善意ではなく自己満足、協調性ではなく奴隷的従属だ。ボランティアを嫌う理由は単純だ。美しい言葉で包んだ腐った構造を直視すれば、嫌悪しか残らない。
目次
無償労働を美徳にすり替える欺瞞
ボランティアは「社会貢献」と言いながら、実際には無償労働の押し付けだ。働いた分の対価はゼロ。
それでも「感謝の気持ち」「経験になる」といった空虚な言葉でごまかされる。だが本音は違う。参加者は「いい人に見られたい」「褒められたい」という承認欲求を満たすために動いている。つまり労働の対価は金ではなく「承認」だ。これは美徳ではなく欺瞞だ。
子どもを利用する大人の承認欲求
地域イベントや学校行事で「子どもたちの笑顔のために」と言いながら、実際には子どもを労働力として利用する。踊らせ、歌わせ、出店やキッチンカーの売り上げに貢献させる。
そして大人は「子どもを支えている自分」を演出し、承認欲求を満たす。これは教育でも地域貢献でもない。
企業は経費削減にボランティアを利用する
俺の前の職場にも、休日に従業員が参加するイベントをボランティアで撮影するカメラマンがいたが、彼の存在はまさにこの構造の象徴だった。
イベントのたびに現れ、無償で写真を撮り続ける。周囲は「ありがたい人だ」「奉仕の精神だ」と持ち上げる。だが実態は承認欲求の塊だ。自分が必要とされていると感じたい、自分の写真が評価されたい、その欲望を満たすために無償労働を続けている。組織にとっては人件費を浮かせる便利な存在であり、本人にとっては承認欲求を満たす舞台。これは善意ではなく搾取と自己演出の共犯関係だ。
彼が無償で撮った写真は、その企業が運営するくだらないSNSやニュースリリースで株主や顧客に見せる。企業は宣伝効果を得るが、労働は無償。成果は企業のイメージアップ。これは社会貢献ではなく、単なる広告費の節約だ。
一言で言えば、企業にとって彼は人件費削減の道具でしかなかった。
社会人ボランティアは「余裕あります」マウント
学生や年金生活者がボランティアをするのはまだ理解できる。学生は経験を積みたいだろうし、年金生活者は社会との接点を保ちたい気持ちもあることだろう。
だが、現役の社会人が「休日はボランティアです」とか言ってるのを見ると、正気か? と思う。平日は会社で働き、休日は無償で奉仕。誰の人生を生きてるんだろうか。結局は「すごいですね」「えらいですね」と言われたいだけではないか。
日々の生活に追われているはずの社会人が、無償労働に時間を割くのは「余裕がある自分」を見せつけたいからだ。「仕事も家庭も順調で、こんな奉仕活動にまで時間を割ける自分」を演出する。つまり社会人ボランティアは、生活に余裕があることを誇示するための舞台装置でしかない。
ボランティアは失敗しても責任を問われない
ボランティア最大の特徴は、クオリティを問われず、失敗しても責任を問われないことだ。プロや業者だったら「金を返せ」となるが、そもそも金を払っていないのだから「仕方ない」と片付けられる。
これは無責任の温床だ。例えば、地域イベントで撮影や運営が失敗しても、誰も強く批判できない。「無償労働だから仕方ない」と免罪符が与えられる。
結果、本人は承認欲求を満たし、主催者は人件費を浮かせ、失敗のツケは誰か別の人間が背負う。責任はゼロ、承認要求は満タン。これがボランティアの構造だ。
Yahoo!知恵袋の回答者も承認欲求ボランティアの一員
Yahoo!知恵袋の回答者は、表向き「困っている人を助けたい」と言うが、実態は承認欲求のボランティアだ。回答しても報酬はゼロ。だが「ありがとう」「ベストアンサー」という言葉で承認欲求を満たすために動いている。つまり彼らの労働の対価は金ではなく「承認」だ。
さらに悪質なのは、その回答の多くが古くて役に立たないノイズだということだ。AI回答も含め、情報は更新されず、現実には使えない。だが回答者は「自分が知識を持っている」「人を助けている」という自己演出に酔っている。これは善意ではなく自己満足だ。
結論、ボランティアは承認欲求と偽善の見本市
ボランティアは美しい言葉で飾られた搾取の仕組みだ。
無償労働を美徳にすり替え、子どもを利用し、企業の宣伝に使い、善意を強制する。そしてその根底にあるのは「承認欲求」だ。褒められたい、認められたい、いい人に見られたい。その欲望を満たすために他人を巻き込み、搾取を正当化する。
前の職場のボランティアカメラマンはその象徴だった。これを「社会貢献」と呼ぶのは欺瞞だ。ボランティアは偽善の温床であり、承認欲求の見本市だ。そこにあるのは善意ではなく自己満足と搾取だからだ。








