
画像はディスカス
日本では個人の連絡も企業の販促キャンペーンも、国や自治体の情報発信も、すべてがLINEという一企業のメッセージアプリに依存している。
企業ではLINE公式アカウントの友達登録キャンペーンが当たり前になり、国税庁までがLINE公式アカウントを運用している。気づけば、もはや国全体が一企業のアプリに寄りかかっている状態だ。
世界を見渡すと、ここまで一つのアプリに依存している国はほとんどない。なぜ日本だけがLINEに支配されているのか。その理由を海外の状況と比べながら考えてみたい。
日本人のLINE依存は異常値に近い
日本のLINE利用者は約1億人に迫り、人口の大部分が使っているとされる。個人の連絡だけでなく、ニュースや決済、行政情報までLINEに集約され、生活のあらゆる領域が一つのアプリに吸い込まれている。
海外ではどうかというと、国ごとに主流のアプリは分散している。アメリカはiMessageやWhatsApp、ヨーロッパはWhatsApp、中国はWeChat、韓国はKakaoTalkといった具合に複数の選択肢が共存している。
日本のように企業も自治体も行政も、同じ一つの民間アプリに依存している国は、ほぼ存在していないと言っていい。
LINEが普及したきっかけは2011年3月の東日本大震災
まず前提として、LINEは韓国のNAVERの日本法人が2011年6月にリリースしたアプリである。
東日本大震災では電話回線が使えなかった経験から、インターネット経由で連絡できる手段として生まれた。つまり、出自は韓国系企業で、誕生のきっかけは日本の災害という背景を持つ。
ガラパゴス文化がそのままLINEに移植された
日本人は「みんなと同じものを使う」ということに安心感を覚える傾向が強い。ガラケー時代の横並びの安心感が、そのままLINEに移行したと言える。
海外で主流のメッセージアプリは日本ではほとんど普及せず、LINEだけが“みんなが使っているから”という理由で固定化された。日本人はアプリの乗り換えが極端に苦手で、新しい選択肢に対して慎重になりすぎる傾向がある。先に普及したLINEが生活の基盤になり、他の選択肢が入り込む余地がなくなった。
企業や自治体がLINEを“インフラ”として扱い始めた
企業はプロモーションのためにLINE公式アカウントを導入し、自治体は住民が多く使っているからという理由でLINEを採用した。
企業が使うから自治体も使い、自治体が使うから住民も使い、住民が使うから自治体がさらに依存するという循環が生まれた。海外では国や自治体が民間アプリに依存することはほぼなく、ここが日本の特殊性を際立たせている。
すぐブロック確定なのに企業は友達登録を強制
日本のLINE文化で特に奇妙なのは、ユーザーが企業アカウントをすぐにブロックするのに、企業は友達登録をキャンペーンで強制し続ける点だ。
割引のために登録し、通知がうるさくてブロックし、また別の店で登録し、またブロックする。この無意味な往復運動が日常化している。企業は友達登録を顧客獲得と勘違いし、ユーザーは割引のためだからと仕方なく一時的に登録する。これは正常なコミュニケーションではなく、双方が思考停止していることを示す。
初対面でLINEを聞くLINE依存人間の狂った距離感
付き合いで初めて飲みに行っただけなのに、当然のようにLINEを聞いてくる人がいる。
まだ相手のことをよく知らないし、次に会うかどうかも決まっていない。それでも「とりあえずLINE交換しよう」と言われる。断ると空気が悪くなり、交換すると面倒が増え、忘れた頃に結局ブロックする。これはLINEがコミュニケーションを深める手段ではなく、惰性の儀式になっている証拠だ。距離があるのに距離がないふりをする。その結果、ブロックする手間だけが増えていく。
日本社会は“変化できない構造”を抱えている
LINEは優れているから使われているのではなく、みんなが使っているからという同調圧力で固定化したと言える。
企業も自治体もLINE以外の選択肢を考える発想がなく、一企業のアプリに国全体が依存するという危うい構造が生まれた。海外では一企業への依存を避ける発想が当たり前だが、日本ではその感覚が弱い。LINE依存はアプリの問題ではなく、日本社会の“変化できなさ”がそのまま可視化された結果だ。
みんなが使っているからという理由だけ
日本の異常なLINE依存は、LINEが特別に優れているからということではなく、みんなが使っているからという思考停止の結果に見える。
個人も企業も国や自治体も、みんなが使っているからという理由で一つのアプリに寄りかかる。その姿は横並びを好み、変化を避ける日本社会の縮図だ。LINEが悪いのではない。LINEしか選べない日本が特殊なのだ。









