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満員電車でスマホゲームに没頭する人々は社会の孤独が生み出した“現代病の風景”なのか

朝夕の満員電車。混雑した車内でスマホに没頭する人々がいる。

公共の場で美少女アイドルゲームに全力を注ぐオジサン。タップするだけの単純明快なパズルゲームを延々とプレイし続ける年配者。LINEとインスタとスマートニュースを指先で高速に切り替えて、「スマホの達人です」と言わんばかりの若い女性もいる。

彼らは皆、違うようでいて本質は同じだ。これらは単なる暇潰しではなく、社会の孤独が生み出した“現代病の風景”なのである。

アイドル育成ゲームに没頭するオジサンの構造的問題

彼がプレイしているのは、アイドル育成ゲーム。画面にはキラキラした美少女たちが踊り、歌い、笑っている。周囲の視線などお構いなし。彼は今、電車の中で“ステージ”に立っているのだ。

アイドル育成ゲーム自体は悪くない。だが問題は、満員電車という公共空間で、画面を全開にしてプレイしてしまうことである。実際には周囲を気にしていないのではなく、気にする余裕がないというのが正しい。彼はただ、現実から一時的に逃げている。スマホの中に避難し、そこに自分の居場所を見出しているのだ。

彼にとって電車は、アイドルたちと繋がれる密室でもある。その姿は他人からすると滑稽に見えるかもしれないが、滑稽さの裏には切実さがある。

現実では上司に指示され、社会では年齢とともに自由と可能性が減っていく。そんな中、画面の中のアイドルたちは彼を否定しない。むしろプロデュースする彼に感謝し、微笑み、成長してくれる。支配と癒やしが同時に手に入る世界は、彼にとって貴重なのだ。

つまり、彼はスマホの中で自分を再構築しているにすぎないのである。

年配者が単純すぎるパズルゲームに没頭する事情

電車内で延々とパズルのブロックをタップし続ける年配者を見かけることがよくある。

画面にはカラフルなブロックが並び、タップすると消え、また現れる。操作は単純。ルールも明快。だが、彼らの表情は真剣そのものだ。まるで国家試験でも受けているかのような集中力で、指先だけが静かに動いている。

これは暇潰しというより、「何かに集中していないと不安になる」という心理である。社会との接点が減り、家族との会話も少なくなり、日常の中で“自分の役割”が薄れていくと、人は小さなルーティンにしがみつくようになる。

単純なパズルゲームは、そのための最適解だ。失敗しても怒られず、成功すれば褒めてくれ、何度でも挑戦でき、自分のペースで進められる。現実では得にくい幸福感が、そこにはある。

だが皮肉なことに、その装置は“何も生み出さない”ことにおいては完璧だ。パズルを解いても、現実は変わらない。だが、本人は救われる。それだけで十分なのだ。孤独を埋めるための儀式として、単純なパズルゲームは機能している。

つまり、彼らは色のついたブロックを消すことで、自分の存在を確かめているのだ。

“スマホの達人アピール”をする若い女性の心理

一方、満員電車の中には、複数のアプリをミリ秒単位で高速に切り替え、通知を軽やかに処理し、まるで“スマホのプロ”のように振る舞う若い女性もいる。

この指先の動きは単なる器用さの誇示ではなく、「私はここにいる」という静かな自己確認でもある。現代の若者は、SNSでの絶え間ないマウンティング合戦はもちろんのこと、インスタでは“映え”を巡った不毛な争いにより自分を見失っており、職場ではグレーな評価基準に苛立ちを覚え、家族や友人関係の希薄化といった劣悪な社会環境に苛まれている。

スマホを巧みに操るその姿は、誰にともなく自分の存在をアピールするためのパフォーマンスでもあり、同時に自分自身の存在を確かめているのだ。

画面を軽やかに滑る指先は、情報を処理しているようでいて、実際には不安を押し戻すための儀式でもある。孤独と焦燥が混ざり合う現代社会で“スマホを使いこなす”という行為は、存在証明のひとつの形になってしまった。

彼女の素早いスマホ操作は、単なる周囲への見せ付けだけではなく、実際には自分の存在を確かめるために必要な儀式なのである。

小さな画面を守るための小さなマナー

満員電車では、他人のスマホ画面が思いがけず視界に入り込むことがある。キラキラしたアイドル、パズルの色彩、LINEの吹き出し。そのどれもが本来は個人的な世界のはず。しかし、他人との物理的な距離が取りにくい満員電車という空間においては、あっけなく他人にも露出してしまう。

だが、これはプライバシーフィルターの装着で防げることでもある。

画面を守ることは、自分を守ることであると同時に、他人への配慮ともなる。スマホの画面には生活の断片が映っているのだから、それを不用意に他人へ押しつけないための小さな工夫が必要になるであろう。

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なぜインスタは居心地が悪いのか? アラフォー男性が息苦しさを覚える“女子会SNS”の文化圏

Instagram(インスタ)を開くたびにアラフォー男性が感じる、あの“場違い感”を知っているだろうか?

アラフォー男性にとってインスタは、まるで女子会のテーブルに突然座らされたような空気が漂う場所である。

価値観もテンションも前提条件も、アラフォー男性のそれとはまるで違う。さらに別の部屋では、TikTokという10代限定の動画投稿SNSが全力で開催されていて、そちらはそもそも入場資格すらない。

これらのSNSは誰でも自由に使えるはずなのに、なぜこんなにも“文化の壁”を感じるのか。その違和感の正体を探っていく。

インスタは若い女性が文化の中心

インスタの利用者は10代〜30代が中心で、特に10代や20代の若い女性の比率が高い。アラフォー男性が皆無というわけではないが、文化の中心にはいない。弁当で言えば漬物みたいなもので、メインとなる存在ではないのだ。

誤解を恐れずに言えば、アラフォー男性なのにインスタで頑張っている人は、けっこう無理をしているのではないかと思う。

つまり、インスタは若い女性を中心とする文化圏であり、アラフォー男性がそこに足を踏み入れると「なんか違う場所に来てしまったな」という空気が漂う。タイムラインに流れる価値観もテンションも、アラフォー男性の生活文脈とは別物だ。

タイムラインが“女子会そのもの”に思える理由

カフェ巡り、美容、自分磨き、今日のコーデ、丁寧な暮らし。

これらは悪くはないが、アラフォー男性にとっては“自分の世界”とは別物だ。インスタ全体が知らない女子会のテーブルに突然同席させられたような空気を帯びている。会話のノリも、盛り上がるポイントも、投稿の文脈も、すべてが違う。その場違い感が居心地の悪さとして昇華していくのである。

特に厄介なのは、インスタのタイムラインが“女子会の空気”をただ反映しているのではなく、それを強化し続ける装置になっている点である。写真が主役で、言葉は添え物。意味よりも雰囲気が優先され、内容よりも“かわいさ”や“映え”が評価される。アラフォー男性がつい探してしまう“情報性”や“文脈”は、そもそもインスタでは重要視されていない。

コメント欄も女子会的。「かわいい!」「素敵!」「最高!」といった肯定の応酬がデフォルトだ。批判やツッコミは空気を壊す行為としてタブーとされる。全員が同じテンションで盛り上がることが前提になっているのだ。

インスタでは“盛られた日常”が延々と続く

インスタでは投稿の前提となる価値観が、若い女性の文化圏に寄っている。

カフェ巡りは一つの趣味として成立し、美容は投資であり、丁寧な暮らしは尊い行為で、自分磨きは人生の必須科目とされる。これらはインスタの文化圏の中では自然だが、アラフォー男性にとっては「そこまで重要なのか?」と感じるテーマでもある。

これらのテーマをベースとして、さらに“盛られた日常”が加わる。加工された顔、整いすぎた部屋、過剰にポジティブな日常、どこかで見たような“丁寧な暮らし”などだ。

女子会では日常を盛って話すことは多いが、アラフォー男性は「そんなに毎日キラキラしてないだろ」と突っ込みたくなるものの、その突っ込み自体が文化の外側からの反応である。

“内輪の盛り上がり”に部外者は入り込めない

インスタはフォロワー同士の“内輪の盛り上がり”が強いSNSだ。

部外者は文脈に入り込めない。女子会の会話が内輪で完結するのと同じで、インスタのタイムラインも“わかる人だけわかればいい”という空気で動いている。

アラフォー男性は、その輪の外側に立たされている感覚を覚え、居心地の悪さが積み重なっていく。こうしてインスタのタイムラインは、アラフォー男性にとって“女子会そのもの”として目に映る。暮らしている文化圏の違いが、そのまま違和感として可視化されるのだ。

ハッシュタグ文化は“女子会の洗礼”

インスタのハッシュタグ文化は、単なる検索機能ではなく、まるで女子会の席で自分の属性を名乗り合う儀式のように機能している。

投稿に添えてずらりと並ぶ、

#カフェ巡り
#丁寧な暮らし
#今日のコーデ
#美容好きさんと繋がりたい
#自分磨き
#推し活記録
#カフェスタグラム
#おしゃれさんと繋がりたい
#暮らしを楽しむ
#大人可愛い
#透明感メイク
#ゆるふわヘア
#カフェ時間
#休日の過ごし方
#日常に癒しを

などのキラキラなハッシュタグたちは、情報というよりは、もはや自己紹介の延長であり、「私はこの属性の人間です」という宣言でもある。

写真だけでは伝わらない“自分の属性”をハッシュタグで表現し、同じ属性の人たちに向けて「ここにいるよ」と手を振る。インスタのタイムラインは、こうした“属性の名乗り合い”によって区画整理されていく。若い女性にとっても、このタグ付け文化は便利であると同時に、どこか息苦しさを伴う。タグをつけることでコミュニティに参加できる一方で、つけないと“文脈の外側”に置かれるような気がする。

さらに、タグは“盛られた日常”を補強する役割も果たす。「#丁寧な暮らし」と書けば、多少散らかった部屋でも丁寧に見える。「#自分磨き」と添えれば、ただの休日の買い物も意識の高い行動に変わる。「#カフェ時間」とつければ、ただの休憩がライフスタイルへと昇格する。タグは現実を美化し、投稿者の理想の自分を演出するための魔法の言葉なのだ。

しかし、その魔法を使い続けることは、魔法を切らした時の自分を見せられなくなるということでもある。タグをつけるたびに、自分の属性を整え、理想の自分を更新し続ける。自由なはずのSNSが、いつの間にか“属性”で人を分類し、そこに収まることを期待させるからだ。

つまり、インスタのハッシュタグとは、女子会の空気を可視化した存在である。

自治体のインスタ投稿コンテストですら女子会のノリ

各地の自治体が地域活性化の一環として、インスタで写真コンテストやショート動画コンテストを開催するケースが増えている。

ところが、その応募作品を眺めていると、驚くほどインスタ的な“女子会の空気”が支配していることに気づく。地域の魅力を伝えるはずの企画なのに、実際に並ぶのは「カフェのラテアート」「夕暮れの川辺で撮った自撮り」「友達と並んで撮った後ろ姿」「丁寧な暮らし風の雑貨写真」といった、インスタのテンプレートをそのまま持ち込んだような作品ばかりだ。

自治体が求めているのは“地域の魅力”のはずなのに、応募者が提出しているのは“自分の映え”であり、そこには地域よりも自己演出が優先されている。つまり、公共の場で行われるコンテストですら、インスタ的な女子会文化に飲み込まれてしまっているのだ。

アラフォー男性がこの光景に違和感を覚えるのは当然で、地域の風景や歴史、生活のリアリティを切り取るはずの場が、なぜか「#かわいい」「#おしゃれ」「#映える」というようなハッシュタグに占領されているのだ。

応募作品の多くは、地域の魅力を伝えるというより、インスタのタイムラインに投稿するための写真をそのまま横流ししたようなもの。自治体側もそれを「若い女性に支持されている」と歓迎してしまうため、結果的にコンテスト全体が女子会のような空気になっていることが多い。

ショート動画部門はさらに女子会化が進む

ショート動画部門になると女子会化の傾向はもっと顕著だ。

地域紹介動画のはずなのに、実際に投稿されるのは「カフェ巡りのついでに撮った動画を繋げたもの」「推し活のついでに撮った風景」「加工フィルターで色味を盛りまくった散歩動画」など、もはや地域紹介なのか趣味紹介なのか判別がつかない。

自治体の公式アカウントが女子会の延長のような動画を“優秀作品”として入賞させている光景は、アラフォー男性にとっては軽い眩暈すら覚える。本来、地域の魅力を伝えるはずの公共コンテストが、インスタ特有の“かわいい至上主義”に完全に飲み込まれてしまっているからだ。

アラフォー男性が感じる違和感は、単なるジェネレーションギャップではなく、公共空間までもが女子会文化に侵食されていることへの危機感でもある。

インスタが“女子会”ならTikTokは“学芸会”

インスタが女子会だとすれば、TikTokは“学芸会”に近いと言える。

インスタはまだ、隣の席に座って空気を読むことさえできれば、ギリギリなんとか参加できる余地がある。しかし、TikTokは体育館のステージで10代が全力で踊り、叫び、はしゃぎ、意味の分からないミームを連発している世界で、アラフォー男性はその体育館の中に入ることはできない。テンションもスピードも言語も違いすぎて、理解しようとすること自体が無理である。

TikTokの動画は、10代にとっては母語のように自然なテンポでも、アラフォー男性にとっては異国語の早口スピーチを聞かされているようなものだ。しかも、その世界では勢いが優先され、完成度よりも“ノリ”が評価される。まさに学芸会の空気そのものだ。

インスタもTikTokも、どちらも部外者には入り込みづらいが、TikTokのほうが圧倒的に敷居が高い。インスタはまだ「場違いだな」と感じながらも眺めていられるが、TikTokは「これはもう自分の文化圏ではない」とはっきり断言することができる。

インスタの女子会的空気に居心地の悪さを覚えるのは自然なことだが、TikTokの学芸会的テンションに圧倒されるのは、もはや避けようのない“文化圏の断絶”だ。インスタやTikTokは、誰でも自由に使えるSNSのはずなのに、実際にはそれぞれがユーザーを限定した個別の文化圏を形成していると言える。

インスタは若者にとっても“最悪のSNS”という現実

イギリスの王立公衆衛生協会(RSPH)が14〜24歳の若者を対象に行った調査では、インスタは若者のメンタルヘルスに最も悪影響を与えるSNSとして評価された。理由は明確で、インスタが提供する“キラキラした世界”が、若者の自己肯定感を容赦なく削っていくからだ。

タイムラインには、加工された顔、整いすぎた部屋、完璧に盛られた日常、意識の高いライフスタイルが延々と流れ続ける。若者はそれを見て「自分は足りていない」と感じ、比較のループに陥る。BBCの記事でも、孤独感や自己評価の低下を引き起こすと指摘されている。

つまり、インスタはアラフォー男性にとっての“女子会のSNS版”というだけでなく、若者にとっても“自己否定の装置”として機能してしまう。SNSは自由なはずなのに、インスタは「理想の自分を演じ続ける義務」を静かに課してくる。若者はその義務に疲れるが、簡単にやめることはできない。インスタは若者にとっても“最悪のSNS”と評価されるだけの理由を持っている。

SNS利用は結局“運営元のビジネスの手先”になること

インスタにしろ、noteにしろ、Yahoo!知恵袋にしろ、そしてLINEに至るまで、ユーザーは「自由に使っているつもり」であっても、実際には運営元のビジネスモデルを支えるための“無償の労働力”として組み込まれている。

インスタはユーザーが投稿すればするほど広告媒体としての価値が上がり、noteは書き手が増えれば増えるほど手数料収入が増え、知恵袋は悩みを吐き出すほど検索流入が増えてYahoo!の利益に貢献することとなる。

LINEも例外ではなく、日常会話やスタンプのやり取り、公式アカウントの通知、友だち追加の導線のすべてがユーザーの行動データを収集し、企業向け広告や販促の最適化に使われている。ユーザーはただ友達と連絡しているだけのつもりでも、その裏側では膨大なデータが抽出され、ビジネスとして消費されていく。

SNSは「誰でも使える自由な場所」の顔をしているが、実態は運営元の利益のために最適化された巨大な装置である。ユーザーはその装置を回す歯車にすぎない。承認欲求や便利さという“報酬”を与えられることで、自分が働かされていることに気づかないまま、今日もせっせと投稿し、反応し、データを提供し続けてしまうのだ。

結論 SNS固有の文化に無理に馴染む必要はない

インスタは女子会、TikTokは学芸会。どちらも部外者には入り込みづらいが、その“入りづらさ”は誰かが悪いわけではなく、ただ文化圏が違うというだけだ。

SNSは誰でも自由に使えるように見えても、実際にはそれぞれが独自の価値観とテンションで閉ざされた世界を作っている。そこに違和感を覚えるのは、あなたが時代遅れだからでも、適応力が足りないからでもない。単に、あなたの感性がその文化圏とは別のリズムであるというだけだ。

そして、そのリズムのズレは悲観すべきものではなく、むしろ希望の証でもある。SNSの外側には、あなたのペースで呼吸できる場所がいくらでもある。誰かの“盛られた日常”に合わせて自分を作り替える必要はないし、無理にアゲアゲのテンションを演出する必要もない。文化圏が違うと気づけたということは、自分の居場所を選び直す自由を手に入れたということだ。

SNSは世界のすべてではない。あなたの世界は、もっと広くて、もっと静かで、あなた自身のリズムというものがある。SNSに馴染めない自分を責める必要はない。それは“自分のを取り戻す”という前向きな選択だからだ。あなたはあなたのままで、ちゃんと生きていける。

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Yahoo!メールは危険? 他社アプリ排除の仕様変更が示す無料サービスの限界と代替サービス候補

Yahoo!メールは長年、無料で使えるメールサービスとして多くのユーザーに親しまれてきた。しかし、最近セキュリティ対策の名目で行われた仕様変更は、ユーザーにとって設定が分かりづらく、利便性を損なう方向へと進んでいる。

他社製メールアプリでの利用を排除

2025年10月8日に公開された「不正ログイン対策に関する設定変更のお願い」は、事実上の他社製メールアプリ(Gmail、Outlook、iPhone標準メール、Thunderbirdなど)での利用を排除するものである。

内容自体はセキュリティ強化を目的としているものの、説明は一般ユーザーには難解であり、どの設定をどう変更すべきか直感的に把握しづらい。しかも、設定を誤ると他社製メールアプリからの送受信が出来なくなり、エラーが続くことでアカウントがロックされる場合もある。

実質的に「公式アプリかWeb版しか使えない」構造

この変更により、Yahoo!メールは事実上、公式アプリかWeb版でしか使えない仕様へと近づいている。

そして、その公式アプリやWeb版には、Yahoo!の広告がメールに紛れて表示される。「無料サービスだから仕方ない」という考え方もできるが、メールの送受信という場面における利便性を犠牲にした設計は、ユーザーの利便性をないがしろにしている。

かろうじて使える「他社製メールアプリ」も実質的には機能不全

Yahoo!メールは、表向きには今もサードパーティー製のメールアプリから利用できると説明している。

だが、これは“理論上は可能”というだけで、実際にはまともに動作しないケースがある。手順どおりにIMAP/POP/SMTPを有効化し、アプリ側で正しいサーバー情報とパスワードを入力しても、「認証エラー」「パスワードが違います」「接続できません」といったエラーが頻発する。

Yahoo!側の仕様変更やセキュリティ対策の影響で、正しい設定をしてもエラーが頻発するようになっているのではと想像する。「サードパーティーのメーラーも使えます」という建前は残っているが、“運が良ければ使える”というのが実態である。Yahoo!メールを使いなれたメールアプリで利用するという選択肢は、すでに過去のものになったと言っていい。

Yahoo!メールは迷惑メールと不正アクセスの温床

Yahoo!メールは迷惑メール業者の標的になりやすい傾向がある。

フィルターはあるものの、完全ではなく、重要なメールが埋もれることも少なくない。筆者は数年使っていたYahoo!メールのアドレスがあったが、毎日何十通と迷惑メールが届くようになり、時には5分おきに迷惑メールが届くこともあった。これでは生活に支障が出るので、結局、メールアドレスを変更するしか方法がなくなった。

過去には不正アクセスの形跡を見かけたこともあり、今回のサードパーティー製メールアプリを切り捨てる設定変更は、Yahoo!メールのサービス継続のためには、止むを得ないものであると考えられる。

Yahoo!メールのサポートはAIの自動返信

困ったときに頼れるはずのサポートも、実際にはAIによる自動返信が中心。「お問い合わせ内容に該当するFAQをご案内します」といった定型文が返ってくるだけで、個別の事情には対応されない。

ユーザーが直面する細かな問題の多くは、FAQでは解決できない。結果として、サポートは“あるようでない”状態になっている。

もう「Yahoo!メール」にこだわる理由はない

Yahoo!は日本でインターネットが一般に普及し出した1995年頃から広く使われている検索サービスであり、長年のブランド力こそあるものの、今回のYahoo!メールの仕様変更はユーザーの利便性よりも、Yahoo!への囲い込みを優先した構造に傾いている。

サードパーティーのメーラーは事実上まともに使えず、公式アプリは広告で埋まり、サポートはAIの自動返信だけ。迷惑メールや不正アクセスのリスクも依然として残る。無料サービスである以上、こうした“代償”がつきまとうのは避けられないのかもしれないが、だからといって不便で不親切なサービスに固執する必要はない。

無料で提供されているメールサービスにも、もっと使いやすい選択肢はいくらでもある。今のYahoo!メールに感じる違和感は、乗り換えを検討する十分なサインだ。

Yahoo!メールから乗り換えるオススメな選択肢

Yahoo!メールの使いにくさやサードパーティー制限に悩んでいるなら、乗り換え先は慎重に選びたい。無料で使えるメールサービスは数多くあるが、信頼性、セキュリティ、使いやすさのバランスを考えると、以下のサービスが現実的な候補になる。

Gmail(Google)

世界で最も利用されている無料メールサービス。迷惑メールフィルタの精度がYahoo!メールとは比較にならないほど高く、スマホアプリも軽快で、他サービスとの連携も強い。Androidのスマホを使っていたり、YouTube視聴などGoogleアカウントを中心に生活している人なら、移行後の利便性は圧倒的に高い。

Outlook.com(Microsoft)

ビジネス用途にも強い無料メールサービス。UIがシンプルで、PCでもスマホでも使いやすい。Microsoft 365との連携がスムーズで、迷惑メール対策も堅実で、Yahoo!メールより安定している。

iCloudメール(Apple)

Apple製品をメインで使っている人にとっては最もストレスの少ない選択肢。iPhoneやMacとスムーズに同期し、設定も簡単。ただし、Appleデバイスを使っていない場合は利便性が下がる。