自転車旅行

Sixth Stage 沖縄やんばる Special Touring Style

プロローグ ヒトは夢を持ってはいけませんか?


孤独を感じたり自分を見失った時、よく夜空の星を見上げる。

地球に巨大隕石が衝突したり、核ミサイルが発射されたり、日本列島に巨大地震が連鎖発生したりしなくても、ちょっとしたことで人間はあっけなく死んでしまうものだ。

死ぬ前にどうしてもやりたいことの一つ。それが沖縄本島一周サイクリングだ。遡ること約半年前、沖縄本島一周を目指して旅立ったものの、膝の故障でとてもそれどころではなくなってしまい、一周を諦めて半泣きで帰ってきた過去がある。

しかし、サイクリスト&元沖縄中毒患者としては、なんとしてもリベンジを果たしたい。一周約430Kmとサイクリストにとってはそれほどの距離ではないが、やんばると呼ばれる本島北部はジャングルで未開の地。地図の上では沖縄に峠は存在しないことになっているが・・・。

ジェットスターの特売で往復分の復路が1980円でチケットが取れた(実際には支払い手数料、預け荷物料金が別途かかる)ので、急遽、この旅行に旅立つことにした。

以下に今作の舞台となる沖縄本島周辺の地図を示す。

※この旅行記には沖縄本島や周辺の島々の地名が数多く登場します。位置関係を把握してからお読みになると臨場感が増しますので、まず位置関係を頭に焼き付けることをお勧めします。

Fifth Stage ひがし北海道 ホタテフライ夢ロード編

16~20日目 エピローグ

16日目~20日目までは札幌市内で過ごした。

16日目。午前4時過ぎ、30組くらいのテントが寝静まっている頃、私は札幌市内へ向かった。江別からは2時間くらいかかった。ある人に会ったが、ある人は私のことをあまり覚えていなかった。なんでそう思うのか自分でもわからないが、人に忘れられるというのは心地よい。

法華クラブの朝食バイキングでは、久しぶりに食べたまともな食事だっただけに、美味しすぎて食べ過ぎてしまい、しばらく動けないくらいだった。色白で可愛い女性店員がいた。

夜はキャンプ場のおじさんと晩酌できればと思っていたが、帰りが遅くなってしまい、キャンプ場に着いた時はおじさんのテントは消灯していた。家族連れはさらに増加していて、そこらじゅうでバーベキューをしている。おじさんはこんな家族連ればかりのキャンプ場に一人で泊まって嫌ではないのだろうか。ふてくされて、酒飲んで寝てしまったのかもしれない。私も酒を飲んでから寝た。

17日目。早朝にテントを畳んで出発する。もうここに戻ることはない。おじさんはテントの中でコーヒーを沸かしているようだったので、別れの挨拶をする。今度、九州にも来て下さい、と言われる。九州の峠は北海道と違って1本道ではなく色々な道があるという。ただ道路は走りにくいのだとか。

それから、帰りの飛行機がある3日後までは札幌市内のホテルやネットカフェに宿泊した。9月も中旬にもなると、本格的な防寒具がないとキャンプするのは難しい。自転車に大きなトラブルはなかったが、左のペダルがカチカチ変な音がするようになっていた。ペダルが駄目になったのだろうと思って、新しいペダルを買った。しかし、古いペダルをはずそうとしてもネジ山がおかしくなっていて、簡単には外れなかった。

旅の最初の頃、旭川に向かうときに走行中にペダルが緩み、閉め直したことを思い出す。後で調べると、自転車のペダルは基本的には走行中に緩まない構造になっているが、古くなってくると『緩まない構造』が正常に働かず、緩んでくるのだという。緩んだ状態で走行すると、ねじ山に支障をきたすことがある。

強引にレンチで付け替えることはできたので、とりあえず走行はできるだろう。網走でこの自転車も総距離が1万キロになった。ペダル周りはママチャリと同じパーツのようなので、もし駄目になっても変わりの部品はおそらく手に入るだろう。

もし自転車ごと買い換えることになったら・・・今度は安いロードバイクが欲しいかもしれない。

これで、20日間に渡る一夏のロングストーリーは終わり。

最後に言いたこと。

自転車旅をする理由は、面白くて、そして美味しいからだ。たぶん、それ以上の理由はない。

札幌の豊平川河川敷にて。

END

Fifth Stage ひがし北海道 ホタテフライ夢ロード編

15日目 再会

この日は早朝に旭川を発った。旭川には無料のキャンプ場がいくつかあるが、札幌方面へと戻ることにした。旭川の街に用はなかった。

特に大急ぎで戻る必要はなかったので、途中の街にも立ち寄ることにした。この区間は特急列車や高速バスでかっ飛ばしてしまう旅行者やビジネスマンが大半だが、そこそこ魅力ある街も存在するはずだ。

滝川の道の駅。野菜などが売っていた。

岩見沢の縁日。

ジェイアール生鮮市場はJR北海道の100%子会社。札幌周辺の各地にある。ディスカウントスーパー的で埼玉で言うとロヂャースに近いような。

この頃はドリンクバー的に色々な飲み物が飲みたかった。

江別の街へと帰ってきた。このまま札幌市内へと進むか迷ったが、あと2日間くらいの間は天候が安定しているようなので、最初に泊まった野幌のキャンプ場へ行くことにした。というより、本当はホテルに泊まりたかったが、連休で安ホテルは満室、1泊2万円の高級ホテルしか空き室がなかった。

キャンプ場に到着。受付を済ませる。もう9月も中旬に差し掛かり、朝夕はだいぶ寒いのだが、連休前だから家族連れのテントがとても多かった。20~30組くらいはいるだろう。そして、入り口付近には見たことのあるおじさんがプラスチックのベンチに腰掛けて、缶第3のビールをゆっくりと飲んでいた。九州から来たランドナーのおじさんだ。

「こんにちは・・・前にお会いしましたよね」

おじさんは旭川方面まで一度行ったものの、天候悪化で山には入らず、ここに戻って来たのだという。北見峠を越えて遠軽や湧別、紋別に行ったこと、網走での迷惑な茨城ライダーのこと、トホダーに出会ったこと、摩周温泉、釧路に行ったこと、長野の軟弱ライダー、ホタテフライを食べに湧別に戻ったこと、貸切だった遠軽のキャンプ場・・・旅の出来事をダイジェスト的におじさんに話した。

おじさんは30歳くらいの時に会社を辞めて、それ以降の18年間は臨時のアルバイトをしたりする時期もあるそうだが『遊んで暮らしている』のだそうだ。熊本の実家にも少量の荷物はあるが、ほとんどの持ち物をランドナーに積んで旅をしている。山登りは虫が少なくなるこれからが本番らしいが、九州に帰ろうと計画している。

旅の最初と最後のキャンプ場でこの人に会うのは何かの縁だと思ったので連絡先を渡したが、おじさんは連絡手段を持っていないという。それでも構わないと思った。

明日も私はここに泊まるので、時間が合えば晩酌でもと話した。