沖縄本島

Fourth Stage 沖縄本島編

6日目 大人も楽しい!! 沖縄こども未来ゾーン

今日もちゅらーゆで朝風呂。ちゅらーゆの湯上り休憩ゾーンから見える景色は絶景だ。エメラルドのサンゴの海と、透明がかった青い空。朝風呂は好きだが、今まで入ってきた他の朝風呂が全部カスに思えるくらい、ちゅらーゆの朝風呂は本当に素晴らしい。

今日は太平洋側の沖縄市へ向かう。沖縄市は合併前はコザ市と呼ばれていた所で、沖縄で2番目の人口約13万人の街である。鉄道がない街としては日本一人口が多い。県庁所在地は現在でも那覇市で、沖縄市という名称が決まった時は那覇市から反発にあったという。

沖縄に初めて来る人で、沖縄市が沖縄の中心地だと勘違いしてしまう人も稀にいる。沖縄市への行き方を聞かれて説明したら、実は予約してるホテルの住所が那覇だったとか。

北海道第2の都市、旭川市が北海道市とかっていう名前になったら、札幌の人間どころか、北海道全体を敵に回すことになるだろう。旭川こそが北海道の地理的な中心に近いので、旭川に道庁を移転すべき・・・という旭川市民の呼びかけも昔あったらしいが、最近は全く聞かない。

沖縄本島は北海道と比べると街と街が近い。那覇近辺だとほぼ連続的に隣町があるし、北谷から坂を上り終えたらすぐ沖縄市、というイメージだ。北海道だと峠を一つか二つ頑張って超えないと、隣の都市圏には行けない。100km以上は離れていて、都市圏ごとに空港があるのが北海道。日本の国土の4分の1は北海道。

沖縄市の街並み。

沖縄こども未来ゾーンへの道。

2回目の訪問となる沖縄こども未来ゾーン。元々は1972年に本土復帰記念事業としてスタートしたのが始まり。動物園を中心とした施設である。以前は遊園地もあったが現在は閉館。那覇方面からの直通バスはなく、沖縄市から運行している。観光客が行っても楽しめるが、客層は地元の人が大多数。3泊4日くらいのツアーだったら、まず立ち寄らないだろう。近隣の幼稚園や小学校の遠足で来ている子供をよく見かける。料金は大人500円。

・・・自慢ではないが、沖縄は他県よりリピーター観光客が多いとは言うが、ここに2回も来る自分は、結構コアな部類だと思う。

エミュー。鳩が背中に乗っても気にしないくらい温厚な性格。

オーストラリアの鳥だが、生命力が強く、北海道の過酷な環境でも生きられる。20年くらい前から北海道のいくつかの農場でも飼育されている。エミューは金になるのだ(多分)。

ツシマヤマネコのふくた。福岡→東京→沖縄と、転勤族。どう考えても、福岡出身だから、ふくた。

この動物園の一押しはカバさん。実は親子で、母親がももえ、娘が水美(すいみ)。

カメは数で勝負。

この動物園はワニが充実している。ワニに詳しくないので見ても違いがあまりわからないが、東南アジアなど世界各地の色々な種類のワニがいる。ワニのマニアなら喜ぶだろう。

レストランで食事。レストランは動物園に入場しなくても利用できる。バイキング880円。沖縄の家庭の味。微妙。

食事を終えたら、東海岸経由で那覇方面へ戻ることとする。

沖縄本島は西側に国道58号線、真ん中くらいに国道330号線と高速道路、東側に国道329号線が南北に走っている。一番交通量が多くて観光地などが多いのが58号線だ。329号線は一番東側の国道ではあるが、那覇~沖縄市の区間は海が見えたり見えなかったりするので、生活道路という感じが強い。

一般的に東海岸はアップダウンが激しく、石油基地や工場などが景色に見えることが多い。本島中部地方で同性愛者の出会いの場として有名な某公園や、超ディープな米軍基地の街などもある。

那覇に近づくと混んでくるが、基本的には空いているように思う。

那覇近郊の走りづらさは、なかなかのもの。アップダウンに狭い歩道、狭い路側帯、バス・・・。どこを走ったらいいかわからなくなる。

沖縄では若者を中心に沖縄そば離れが進んでいるらしい。本土のラーメンやうどんが人気あるという。沖縄には以前からはなまるうどんが所々あったが、丸亀製麺も進出していた。

豊見大橋を渡ると那覇市。

那覇市内には一応自転車レーンのようなものが場所によってはある。あまり機能していないが。

空港近くなので頭上に飛行機が飛び交う。

豊崎海浜公園は夕暮れ時を過ごしたりするには素敵な公園。以前はなかったと思うが、スピーカーからラジオが常時流れているのはどうかな?と思った。アラハビーチのように国際色はなく、地元の沖縄人が多い。

Fourth Stage 沖縄本島編

5日目 沖縄温泉物語

沖縄には温泉は数えるほどしかない。本土だったら国道沿いや住宅街などにスーパー銭湯があったりするのだが、沖縄では数えるほどしかない。温暖な土地柄なので、お湯に浸かるという文化が浸透していないからだと思う。リゾートホテルやビジネスホテルではバスタブがあるが、安宿や一部の若者向けホテルではシャワーのみの宿泊施設もある。

北谷にあるTerme VILLA ちゅらーゆは一見高級スパみたいな感じなので、リーズナブルな旅を求める人には近寄りがたい雰囲気がある。しかし、朝方には割引を行っていて、天然温泉付きで500円という料金だ。朝以外だと大人1000円である。

近くのリゾートホテルと提携しているので、朝方はそこの宿泊者が多いようだった。・・・まぁ、どう見ても本土の観光客向けだ。

ちゅらーゆに行った後、今日もジミーへ。ジミーは毎日通ってもメニューが微妙に違うので大丈夫。洋食+沖縄料理といった感じで、沖縄風のアメリカ料理。大抵の沖縄料理は好きだが、てびちはあまり好きじゃない。

膝のダメージで満足に自転車に乗れないので、押して歩く。米軍基地を横切り、北中城村のあたりに向かう。

今まで気にしなかったが、よくみると海兵隊施設だった。海兵隊はアメリカ軍の中でも少数精鋭のエリート(多分)とされていて、戦争映画などでもよく出てくる。夜に北谷とかでアメ車に乗って騒いでる外人グループを見て、アホだなコイツらといつも横目で思っていたが、実は海兵隊のエリートだったのか・・・としみじみ思う。

北中城村。「村」と言っても日本一人口密度が高い「村」なので、田舎という感じは全くない。東京都千代田区とほぼ同じ面積で、人口約1万6千人。

沖縄の場合、読谷村は人口4万人近いし、規模の大きい村が多い。逆に北海道の場合、人口2万人くらいの「市」が結構ある。歌志内市に至っては人口4千人だが「市」だ。

歌志内市や夕張市のように石炭産業が栄えた時代に発展した街は、石炭の衰退と共に人口が激減したというケースが多い。北海道の街は日本国の都合によって、人口が激増したり激減したりしてきた。だが、人口が激減しからと言って、市が町や村に降格になるという決まりはないため、歌志内や夕張は今でも市のままなのだと思う。

同様に、人口が増えたからと言って、村が町や市に移行しないとならないという決まりもない。

あやかりの杜には行きつけの図書館がある。公共図書館としては珍しく、カフェのようにBGMが流れている。図書館以外にもカルチャーセンター的な施設や、キャンプ施設などがある。

沖縄の図書館だから当たり前かもしれないが、沖縄関係の書籍が充実している。歴史、釣りスポット、グルメ、観光、戦争、新聞記事、沖縄サイクリングの本・・・本土では取り寄せないと手に入らない本も多い。

高台にあるので景色がいい。ちょうど沖縄の背骨に当たるような場所だ。

米軍基地の夜景。

沖縄のほっともっとは24時間営業の店が多い。24時間営業のほっともっとは、埼玉県には1店舗だけあるが、東京には1店舗もない。沖縄では釣り人が早朝に弁当を買いに行ったりするので、需要があるのだろう。

Fourth Stage 沖縄本島編

4日目 残念なお知らせ

目覚めるとネットカフェの横になれるブースにいた。夜中の3時頃だ。右足が非常に重く、動かそうとしても全く動かない。まるで、他人の足が乗っかっているようだった。両手を使って持ち上げてみる。10Kgの米袋2つ分、つまり20Kgくらいあるように感じる。足って、こんなに重たいのか・・・。両手で持ち上げようとしても、満足に持ちあがらなかった。私の右足は、一体どうしてしまったのだろう。

冷静に考えてみる。何があったのか。昨日、右膝が痛いのを知りながら、サイクリングをしてイルカを見に行ったりした。そして、サロンパスで応急処置をした。だから、サロンパスが右膝を一周するように貼られているのだ。

人生振り返れば後悔することは沢山あるが、特に昨日1日の行動について後悔する。そうこうしているうちに、足に血が戻ってきたような感覚があった。動かそうとすると、多少は動くものの、痛みが激しい。虫歯で歯がしみる時みたいな、脳神経に直接信号が伝わってくるタイプの痛みだ。少しずつ動かすと、段々痛みが感じなくなってくる。麻痺してるのかもしれない。30分くらいかけて、少しずつ訓練すると、ある程度普通に動かせるようになった。生まれたばかりの仔馬が立ち上げる時のようだった。

横になったまま、これからの旅程を考えてみる。

沖縄本島一周も考えてはいたが、この足の状態ではどう考えても無理だ。沖縄は良いところだから、ずっと居たい気もするが、それも現状では難しいので、近い将来は本土に帰らないといけない。本土に帰るための飛行機に乗るには那覇まで戻らないといけない。靭帯を損傷すると、数日で完治することは有り得ないので、旅行もそこそこに引き上げることも考えないとならない。

とりあえず、なんとか歩いたり、足を動かすのは問題なさそうなので、嘉手納か北谷くらいまで戻ろうと思った。午前5時頃、まだ暗い中、名護から南下する。北谷くらいまでは下り基調だから、漕がなくても良い区間も多いはずだ。

午前6時半頃、恩納村くらいまで来る。まだ空は暗い。

今思えば、初日が悪かったような気がする。夜に成田空港まで向かった時だ。下半身が寒い状態で自転車を漕ぐというのが、膝に相当なダメージを与える気がする。以前、靭帯を損傷した時も寒い日だった。

恩納村~読谷村くらいまでは下りが多いので、ほとんど漕がなくても進む。ほとんど漕ぐことができないので、自転車はもはや、ただ転がるだけの乗り物だ。

嘉手納町に入る。午前8時半くらい。通勤通学の人や車が増える。

下りが多かったおかげで、無事に予定していた北谷まで戻ってこれた。しばし、安静に過ごす。

ユニオンで買った、ぼろぼろジューシー。ちなみに、ジューシーは炊き込みご飯、ぼろぼろジューシーは雑炊みたいなものだと思っている。ぼろぼろジューシーはスーパーではユニオンでしか扱っているのを見たことがない。

ぼろぼろジューシーだけでは物足りなかったので、せっかくだから近所のジミーのランチバイキングへ。もの凄い豪華に見える(味も豪華)が、1160円。奥の方に見えるケーキを3つ食べただけで元が取れる不思議。

ジミーは県内各所のスーパーなどのテナントとしてケーキやお菓子を売っている他、レストラン型の店舗ではバイキングを実施している。沖縄ではバイキングのことは、バフェと言う。バフェは本土で言うところのビュッフェをより英語っぽく言ったら、バフェになるので。Hotはホットじゃなくて、ハット。

ランチを終えたら、高台の某公園で夕方まで休憩。こんな所に住みたい。・・・が、公園内で「変質者出没注意!!」という張り紙を見つける。

夕暮れのアラハビーチ。こんな所に住みたい。思いにふける。

私たちは追いつくために競争している。

彼らはどこに行きましたか。
私たちはどこに行きましたか。

沖縄の人で海沿いに住みたいという人は滅多にいないらしく、海沿いに住みたいと言い出すのは決まって内地からの移住者らしい。

白状してしまうと、私は北海道の内陸の街で生まれ育って、何度か引っ越しもしているが、一度も海の見える街に住んだことがない。というか・・・埼玉には海がない。

上京する時に海沿いの街を希望したのだが、千葉県や神奈川県でも東京に近い所の海沿いは工場や倉庫街みたいになってたり、たまに住宅があっても高級住宅ばかりで、安アパートというものがほとんどなかった。まぁ、東日本大震災で海沿いの街が液状化とか酷いことになってるのを見ると、海沿いになんか住まなくて良かったと思うけども、海の見える街への憧れが完全になくなったわけではない。

沖縄で初めて自販機グルメを発見する。カップヌードルの自販機だ。

夕焼けが見れると翌日晴れると言われているのは、地球は大ざっぱに言うと西から東に風が吹いているから。西の空に雲がないと、翌日は晴れの可能性が高い。この場所で、こういう黄昏を20~30回は見た気がする。