目覚めるとネットカフェの横になれるブースにいた。夜中の3時頃だ。右足が非常に重く、動かそうとしても全く動かない。まるで、他人の足が乗っかっているようだった。両手を使って持ち上げてみる。10Kgの米袋2つ分、つまり20Kgくらいあるように感じる。足って、こんなに重たいのか・・・。両手で持ち上げようとしても、満足に持ちあがらなかった。私の右足は、一体どうしてしまったのだろう。
冷静に考えてみる。何があったのか。昨日、右膝が痛いのを知りながら、サイクリングをしてイルカを見に行ったりした。そして、サロンパスで応急処置をした。だから、サロンパスが右膝を一周するように貼られているのだ。
人生振り返れば後悔することは沢山あるが、特に昨日1日の行動について後悔する。そうこうしているうちに、足に血が戻ってきたような感覚があった。動かそうとすると、多少は動くものの、痛みが激しい。虫歯で歯がしみる時みたいな、脳神経に直接信号が伝わってくるタイプの痛みだ。少しずつ動かすと、段々痛みが感じなくなってくる。麻痺してるのかもしれない。30分くらいかけて、少しずつ訓練すると、ある程度普通に動かせるようになった。生まれたばかりの仔馬が立ち上げる時のようだった。
横になったまま、これからの旅程を考えてみる。
沖縄本島一周も考えてはいたが、この足の状態ではどう考えても無理だ。沖縄は良いところだから、ずっと居たい気もするが、それも現状では難しいので、近い将来は本土に帰らないといけない。本土に帰るための飛行機に乗るには那覇まで戻らないといけない。靭帯を損傷すると、数日で完治することは有り得ないので、旅行もそこそこに引き上げることも考えないとならない。
とりあえず、なんとか歩いたり、足を動かすのは問題なさそうなので、嘉手納か北谷くらいまで戻ろうと思った。午前5時頃、まだ暗い中、名護から南下する。北谷くらいまでは下り基調だから、漕がなくても良い区間も多いはずだ。
午前6時半頃、恩納村くらいまで来る。まだ空は暗い。
今思えば、初日が悪かったような気がする。夜に成田空港まで向かった時だ。下半身が寒い状態で自転車を漕ぐというのが、膝に相当なダメージを与える気がする。以前、靭帯を損傷した時も寒い日だった。
恩納村~読谷村くらいまでは下りが多いので、ほとんど漕がなくても進む。ほとんど漕ぐことができないので、自転車はもはや、ただ転がるだけの乗り物だ。
嘉手納町に入る。午前8時半くらい。通勤通学の人や車が増える。
下りが多かったおかげで、無事に予定していた北谷まで戻ってこれた。しばし、安静に過ごす。
ユニオンで買った、ぼろぼろジューシー。ちなみに、ジューシーは炊き込みご飯、ぼろぼろジューシーは雑炊みたいなものだと思っている。ぼろぼろジューシーはスーパーではユニオンでしか扱っているのを見たことがない。
ぼろぼろジューシーだけでは物足りなかったので、せっかくだから近所のジミーのランチバイキングへ。もの凄い豪華に見える(味も豪華)が、1160円。奥の方に見えるケーキを3つ食べただけで元が取れる不思議。
ジミーは県内各所のスーパーなどのテナントとしてケーキやお菓子を売っている他、レストラン型の店舗ではバイキングを実施している。沖縄ではバイキングのことは、バフェと言う。バフェは本土で言うところのビュッフェをより英語っぽく言ったら、バフェになるので。Hotはホットじゃなくて、ハット。
ランチを終えたら、高台の某公園で夕方まで休憩。こんな所に住みたい。・・・が、公園内で「変質者出没注意!!」という張り紙を見つける。
夕暮れのアラハビーチ。こんな所に住みたい。思いにふける。
私たちは追いつくために競争している。
彼らはどこに行きましたか。
私たちはどこに行きましたか。
沖縄の人で海沿いに住みたいという人は滅多にいないらしく、海沿いに住みたいと言い出すのは決まって内地からの移住者らしい。
白状してしまうと、私は北海道の内陸の街で生まれ育って、何度か引っ越しもしているが、一度も海の見える街に住んだことがない。というか・・・埼玉には海がない。
上京する時に海沿いの街を希望したのだが、千葉県や神奈川県でも東京に近い所の海沿いは工場や倉庫街みたいになってたり、たまに住宅があっても高級住宅ばかりで、安アパートというものがほとんどなかった。まぁ、東日本大震災で海沿いの街が液状化とか酷いことになってるのを見ると、海沿いになんか住まなくて良かったと思うけども、海の見える街への憧れが完全になくなったわけではない。
沖縄で初めて自販機グルメを発見する。カップヌードルの自販機だ。
夕焼けが見れると翌日晴れると言われているのは、地球は大ざっぱに言うと西から東に風が吹いているから。西の空に雲がないと、翌日は晴れの可能性が高い。この場所で、こういう黄昏を20~30回は見た気がする。