サイクリング

Fourth Stage 沖縄本島編

5日目 沖縄温泉物語

沖縄には温泉は数えるほどしかない。本土だったら国道沿いや住宅街などにスーパー銭湯があったりするのだが、沖縄では数えるほどしかない。温暖な土地柄なので、お湯に浸かるという文化が浸透していないからだと思う。リゾートホテルやビジネスホテルではバスタブがあるが、安宿や一部の若者向けホテルではシャワーのみの宿泊施設もある。

北谷にあるTerme VILLA ちゅらーゆは一見高級スパみたいな感じなので、リーズナブルな旅を求める人には近寄りがたい雰囲気がある。しかし、朝方には割引を行っていて、天然温泉付きで500円という料金だ。朝以外だと大人1000円である。

近くのリゾートホテルと提携しているので、朝方はそこの宿泊者が多いようだった。・・・まぁ、どう見ても本土の観光客向けだ。

ちゅらーゆに行った後、今日もジミーへ。ジミーは毎日通ってもメニューが微妙に違うので大丈夫。洋食+沖縄料理といった感じで、沖縄風のアメリカ料理。大抵の沖縄料理は好きだが、てびちはあまり好きじゃない。

膝のダメージで満足に自転車に乗れないので、押して歩く。米軍基地を横切り、北中城村のあたりに向かう。

今まで気にしなかったが、よくみると海兵隊施設だった。海兵隊はアメリカ軍の中でも少数精鋭のエリート(多分)とされていて、戦争映画などでもよく出てくる。夜に北谷とかでアメ車に乗って騒いでる外人グループを見て、アホだなコイツらといつも横目で思っていたが、実は海兵隊のエリートだったのか・・・としみじみ思う。

北中城村。「村」と言っても日本一人口密度が高い「村」なので、田舎という感じは全くない。東京都千代田区とほぼ同じ面積で、人口約1万6千人。

沖縄の場合、読谷村は人口4万人近いし、規模の大きい村が多い。逆に北海道の場合、人口2万人くらいの「市」が結構ある。歌志内市に至っては人口4千人だが「市」だ。

歌志内市や夕張市のように石炭産業が栄えた時代に発展した街は、石炭の衰退と共に人口が激減したというケースが多い。北海道の街は日本国の都合によって、人口が激増したり激減したりしてきた。だが、人口が激減しからと言って、市が町や村に降格になるという決まりはないため、歌志内や夕張は今でも市のままなのだと思う。

同様に、人口が増えたからと言って、村が町や市に移行しないとならないという決まりもない。

あやかりの杜には行きつけの図書館がある。公共図書館としては珍しく、カフェのようにBGMが流れている。図書館以外にもカルチャーセンター的な施設や、キャンプ施設などがある。

沖縄の図書館だから当たり前かもしれないが、沖縄関係の書籍が充実している。歴史、釣りスポット、グルメ、観光、戦争、新聞記事、沖縄サイクリングの本・・・本土では取り寄せないと手に入らない本も多い。

高台にあるので景色がいい。ちょうど沖縄の背骨に当たるような場所だ。

米軍基地の夜景。

沖縄のほっともっとは24時間営業の店が多い。24時間営業のほっともっとは、埼玉県には1店舗だけあるが、東京には1店舗もない。沖縄では釣り人が早朝に弁当を買いに行ったりするので、需要があるのだろう。

Fourth Stage 沖縄本島編

4日目 残念なお知らせ

目覚めるとネットカフェの横になれるブースにいた。夜中の3時頃だ。右足が非常に重く、動かそうとしても全く動かない。まるで、他人の足が乗っかっているようだった。両手を使って持ち上げてみる。10Kgの米袋2つ分、つまり20Kgくらいあるように感じる。足って、こんなに重たいのか・・・。両手で持ち上げようとしても、満足に持ちあがらなかった。私の右足は、一体どうしてしまったのだろう。

冷静に考えてみる。何があったのか。昨日、右膝が痛いのを知りながら、サイクリングをしてイルカを見に行ったりした。そして、サロンパスで応急処置をした。だから、サロンパスが右膝を一周するように貼られているのだ。

人生振り返れば後悔することは沢山あるが、特に昨日1日の行動について後悔する。そうこうしているうちに、足に血が戻ってきたような感覚があった。動かそうとすると、多少は動くものの、痛みが激しい。虫歯で歯がしみる時みたいな、脳神経に直接信号が伝わってくるタイプの痛みだ。少しずつ動かすと、段々痛みが感じなくなってくる。麻痺してるのかもしれない。30分くらいかけて、少しずつ訓練すると、ある程度普通に動かせるようになった。生まれたばかりの仔馬が立ち上げる時のようだった。

横になったまま、これからの旅程を考えてみる。

沖縄本島一周も考えてはいたが、この足の状態ではどう考えても無理だ。沖縄は良いところだから、ずっと居たい気もするが、それも現状では難しいので、近い将来は本土に帰らないといけない。本土に帰るための飛行機に乗るには那覇まで戻らないといけない。靭帯を損傷すると、数日で完治することは有り得ないので、旅行もそこそこに引き上げることも考えないとならない。

とりあえず、なんとか歩いたり、足を動かすのは問題なさそうなので、嘉手納か北谷くらいまで戻ろうと思った。午前5時頃、まだ暗い中、名護から南下する。北谷くらいまでは下り基調だから、漕がなくても良い区間も多いはずだ。

午前6時半頃、恩納村くらいまで来る。まだ空は暗い。

今思えば、初日が悪かったような気がする。夜に成田空港まで向かった時だ。下半身が寒い状態で自転車を漕ぐというのが、膝に相当なダメージを与える気がする。以前、靭帯を損傷した時も寒い日だった。

恩納村~読谷村くらいまでは下りが多いので、ほとんど漕がなくても進む。ほとんど漕ぐことができないので、自転車はもはや、ただ転がるだけの乗り物だ。

嘉手納町に入る。午前8時半くらい。通勤通学の人や車が増える。

下りが多かったおかげで、無事に予定していた北谷まで戻ってこれた。しばし、安静に過ごす。

ユニオンで買った、ぼろぼろジューシー。ちなみに、ジューシーは炊き込みご飯、ぼろぼろジューシーは雑炊みたいなものだと思っている。ぼろぼろジューシーはスーパーではユニオンでしか扱っているのを見たことがない。

ぼろぼろジューシーだけでは物足りなかったので、せっかくだから近所のジミーのランチバイキングへ。もの凄い豪華に見える(味も豪華)が、1160円。奥の方に見えるケーキを3つ食べただけで元が取れる不思議。

ジミーは県内各所のスーパーなどのテナントとしてケーキやお菓子を売っている他、レストラン型の店舗ではバイキングを実施している。沖縄ではバイキングのことは、バフェと言う。バフェは本土で言うところのビュッフェをより英語っぽく言ったら、バフェになるので。Hotはホットじゃなくて、ハット。

ランチを終えたら、高台の某公園で夕方まで休憩。こんな所に住みたい。・・・が、公園内で「変質者出没注意!!」という張り紙を見つける。

夕暮れのアラハビーチ。こんな所に住みたい。思いにふける。

私たちは追いつくために競争している。

彼らはどこに行きましたか。
私たちはどこに行きましたか。

沖縄の人で海沿いに住みたいという人は滅多にいないらしく、海沿いに住みたいと言い出すのは決まって内地からの移住者らしい。

白状してしまうと、私は北海道の内陸の街で生まれ育って、何度か引っ越しもしているが、一度も海の見える街に住んだことがない。というか・・・埼玉には海がない。

上京する時に海沿いの街を希望したのだが、千葉県や神奈川県でも東京に近い所の海沿いは工場や倉庫街みたいになってたり、たまに住宅があっても高級住宅ばかりで、安アパートというものがほとんどなかった。まぁ、東日本大震災で海沿いの街が液状化とか酷いことになってるのを見ると、海沿いになんか住まなくて良かったと思うけども、海の見える街への憧れが完全になくなったわけではない。

沖縄で初めて自販機グルメを発見する。カップヌードルの自販機だ。

夕焼けが見れると翌日晴れると言われているのは、地球は大ざっぱに言うと西から東に風が吹いているから。西の空に雲がないと、翌日は晴れの可能性が高い。この場所で、こういう黄昏を20~30回は見た気がする。

Fourth Stage 沖縄本島編

3日目 もしもし海洋博公園

目覚めるとホテルだった。ホテルに泊まったのだから、当たり前と言えば当たり前だ。久しぶりにきちんと眠ったからか、頭がスッキリとしていた。人間、休息が大事だ。

窓の外を見ると、普段見慣れない景色だった。ここはみどり街という名護の昔ながらの飲み屋街で、小さいスナックや飲食店などが沢山ある。個人的には、宮古島の繁華街を彷彿とさせる。

天気が良いと海の色が冴えて見える。真冬の海でも、こんなに青い。日中は25度近い。日差しが当たると、体感気温30度。

ある意味、人を惑わす作りの看板。どっちからでも行けるという意味ではあるけど、優柔不断の人は選べないよー。

左折して国道449号線に進む。歩道も車道も自転車には優しくはない。美ら海水族館行きのレンタカーが多い。

しばらくしてバイパスと合流すると、立派な観光地っぽい道路になる。

せっかくなので、瀬底島(せそこじま)に寄り道する。元々は離島苦に悩まされる島だったが、瀬底大橋ができてからは簡単に行き来できるようになった。夏は観光客が多いらしい。

瀬底島から沖縄本島を眺める。

沖縄本島に戻り、イオン系列のスーパー「ザ・ビッグ」で昼食を買って軽く食事。天ぷらとアルフォートなどのお菓子、ルートビア。沖縄の天ぷらは本土の物より衣が分厚くて『おやつ』扱い。具は魚とかウズラの卵とか。

近所に住む猫が器用にテトラポットの上にやってきた。沖縄の野良ネコには子猫も多い。やんばるまで那覇からペットを捨てに来る人が多いという。

海洋博公園へと続く道。日本そば屋の看板。沖縄で「そば」って言ったら「沖縄そば」なので、日本そば屋は珍しい。ここと空港くらいでしか見たことがない。

海洋博公園に到着。沖縄観光で有名な美ら海水族館、蝶々園などのいくつかの施設がある。海洋博公園自体は無料で出入り自由。

美ら海水族館。昔、一度だけ入ったことがある。沖縄に初めて来るパックツアーの人や、台湾人や韓国人の観光客は大体の人が行くと思う。年間パスポートは2回来たら元が取れる良心価格。だが、近所に住んでなかったら、ここまで来るのが結構大変。

初めて美ら海水族館に行った時、すごくがっかりしたのが、実は出入り自由の海洋博公園内にウミガメなどが観察できる見学無料の大型水槽があるということ。個人的には沖縄3大がっかりの一つ。

無料でウミガメが観察できるのは、日本広しと言えど沖縄くらいだと思う。埼玉の某公園はフラミンゴが無料。北海道はエゾシカとかキタキツネが、そのへんにいて無料。

ウミガメだけでなく、イルカショーも無料で見れる。もう一度整理すると、美ら海水族館に入場してもしなくても、これらの施設が誰でも出入り自由の無料エリアにある。

イルカも見れたし、そろそろ帰ろうかな~とルンルン気分で駐輪場へ戻ると、なぜだか自転車がいっぱい。繁殖しとる。沖縄サイクリストの定番立ち寄り場なのかもしれない。埼玉で言えば、榎本牧場みたいなものだろうか。

いよいよ右ひざの痛みが尋常じゃなくなってきた。このまま来た道を戻れば最短距離で名護まで帰れる。でも、せっかくだから時間をかけてでも今帰仁村経由で名護まで戻ってみようと思った。自転車を押して歩いてみる。なんとか行けそうだ・・・。行けるのかな?

なきじんの観光名所、ダチョウらんど。通りかかっただけだが、ダチョウ卵の目玉焼きは7000円らしい。正直、こういう所で暮らしてみたい。

足が痛むので今帰仁村のAコープにて、しばし食事休憩。太陽が熱い。夏だ。子供のころの、夏休みの一番暑かった日の午後を想像してほしい。ちんすこうアイスと、ノンアルコールビールで乾杯。

北海道のAコープもお勧めだが、沖縄のAコープも素晴らしい。なんてったって、惣菜が素晴らしい。ここで700円くらい、惣菜などでお金を使った。

やんばるで、名護より北で、市町村で言うところの村だから、もっと田舎っぽい風景を想像していた。しかし、普通に政令指定都市の住宅街くらいの感じの風景が続く。北海道の村だったら、もっともっと何もないよー。保証する。

再び海が見える風景となる。羽地内海(はねじないかい)、沖縄の瀬戸内海などと言われる海だ。

補給食のアルフォート。カロリーメイトはあまり好きじゃないので。アルフォートの値段は首都圏も沖縄もそんなに変わらない。企業努力だな。

名護へと戻るルート。日差しもキツいが、それ以上に膝がキツい。

名護市街地に何とか帰って来た。今日は無理してしまったかもしれない。

ここは名護十字街という場所だ。バイパスが出来るまでは国道扱いだったので、今よりもっと賑わっていたらしい。那覇なんかメじゃなかったという。新潟とか本州の雪国によくある片屋根式アーケードがある。

みどり街の飲み屋街。明るい時間にこうして見ると、妙にカラフルな色使いだと思う。日本の街並みっぽくなくて良い。それとスナック『ニューパンティー』という店名は、那覇の『きまぐれポニーテール』に匹敵するネーミングセンスだ。

昨日宿泊した名護キャッスルホテル。明るい時間に見ると、より古城っぽさがある。沖縄的に言えば、グスクという感じだ。誤解がないように言うと、リクルート社が運営する予約サイトに掲載されているくらいなので、きちんとしたホテルだ。ネットで予約できる名護のホテルとしては、おそらく一番リーズナブル。

ここ以外でやんばるで安い宿というと、民宿とネットカフェ(宿ではないが)しかないので、名護で安ホテルを探している人にはお勧め。

名護市営市場。飲食店や菓子屋などが入っている。しかし、空きテナントもあり、結構厳しいようだ。2011年にリニューアルしたが、元になった市場は明治時代からある。都会らしさと沖縄らしさが融合したジョートーな建物だと思うが、地元での評価はイマイチ。

沖縄の各所では自治体ベースでの再開発建築物が増えているが、大体評価が良くない。建物によっては、テナントが全然入らなくて、これ維持するのに税金いくら払ってるのー、と建物を見るたびに怒り出す人もいるという。北海道の田舎だと、先立つお金がないからか再開発自体がされないけども。

近所のサンエーで買った握り寿司。わさび抜きじゃない方が良かったが、半額だったし、あとで付ければいいと思った。

元々、沖縄に握り寿司ってあったのだろうか。見た感じ本土と同じだから、沖縄文化では多分ないだろうと思う。サンマを唐揚げにして食べる土地だ。沖縄では寿司はあまり人気がないのだという。北海道だと寿司が半額になったら2秒で売り切れるが、沖縄では道理で売れ残っていたわけだ。でも人気がない割には、沢山製造はされている。供給過多?

付いてきた練りワサビは北海道網走市、醤油は群馬県の会社のものだった。網走は生まれ故郷の近所だし、群馬は今住んでいる所の近所。なんというか、自転車で回っておいてなんだが、日本は狭い・・・ような気がしないでもない。

この日は名護市内の某ネットカフェを利用する。右膝はさっきのスーパーで買っておいたサロンパスで応急処置。サロンパスって靭帯損傷にも効くんだろうか・・・。今日は半分くらいは自転車を押して歩いた。あぁ、那覇、いや埼玉までこんな足で無事に帰れるだろうか・・・。無理じゃないの。