昔、どこだかで「北海道には歴史がない」などというトンチンカンなことを言っている人がいたのだけれど、正しくはそのトンチンカンが無知なだけなのである。
でも、義務教育や高校で習うレベルの日本史には確かに北海道の歴史は1ページくらいでしか書かれていなかった気がする。
だから、疑うことなく真面目に学校だけで勉強した人ほど、「北海道には歴史がない」と思い込んでいる日本人は意外と多いのかもしれない。
北海道の義務教育では『北海道の歴史』とか『アイヌの歴史』みたいな補助本で習ったりするけども、改めて考えてみるとよくわかっていない部分もあるので自分用にサクッと整理してみようと思う。
13世紀~14世紀頃 和人が徐々に北海道に進出
その後に明治政府が命名した北海道は元々は先住民族のアイヌが暮らしていた場所で、北海道のことはヤウンモシリと呼ばれていた。
このころは元(モンゴル帝国)とアイヌの間で勢力争いによってたびたび戦闘が起こっていた。
13世紀に本州最北端の津軽半島に和人が進出して港を整備。
14世紀になるとヤウンモシリの南部、今でいう函館近辺に和人とアイヌの交易の拠点となる12の「館(たて)」を築き、これを道南十二館という。
17世紀~18世紀頃 和人に自由を奪われていくアイヌ
1604年に誕生した松前藩はアイヌとの独占的な交易を許されていた。
しかし、しだいにアイヌから交易の自由を奪い支配するようになっていく。当時は寒さで米が収穫できない土地だが、鮭を大量に要求したり、不公平な取引をするようになっていく。
17世紀の半ばはサケの漁業権を巡ってアイヌのグループ同士の対立も激化。
英雄シャクシャインは、対立の原因を松前藩の横暴であるとして、アイヌ全体に松前藩との闘いを呼びかける。
そして、2千人以上のアイヌが祀前に進軍して和人を倒す。
しかし、松前藩は幕府に応援を頼んで和解に持ち込むものの、和解の席でシャクシャインは裏切られて殺されてしまう。
シャクシャインの死によって、アイヌは和人に敗れてしまう。
18世紀~19世紀 ロシア接近で幕府がヤウンモシリを直轄領に
外国船が日本各地で開国を要求していた時代、ヤウンモシリにもロシアが迫っていた。
ロシアがヤウンモシリに進出する機会を伺っているという情報により、1799年には松前藩に任せるのではなく、幕府が直接支配する直轄領としていくことに。
アイヌは和人と同じような服装や髪形を要求され、名前も和人風に変えさせられた。
1954年には日米和親条約が結ばれたことによって箱館港が開港。
19世紀~20世紀 ヤウンモシリが日本に統合されて北海道に
1868年に成立した明治政府によってーは植民地政策を推し進め、琉球、台湾、朝鮮などの民族を日本に組み込み、日本は多民族国家となった。
1869年にはヤウンモシリが「北海道」という名前に変えて直接支配することに。
本州から北海道に移住する和人が増えて、1903年にはアイヌが約1万8千人に対して、和人が約108万人という人口構成になった。
※ここまでの主な参考文献
ここからは個人の所感であるが、この道外から移り住んだ和人が大半という人口比は現在にも通じるもので、現在の生粋の北海道在住者も当時移り住んだ和人の2世や3世や4世であることが多いと言える。
北海道の人は一般に地元愛が強いというが実際には「外来者」とも言えるものの、このあたりの歴史はナイーブなので深く語られることは少なかったりする。
実は東北地方にもアイヌ語地名は多い
北海道の地名は多くがアイヌ語由来なのは良く知られていることだと思う。
しかし、拙者も最近まで知らなかったが、本州の東北地方の北部、すなわち青森県、岩手県、秋田県、宮城県の北部にもアイヌ語地名が多いのだという。
これはアイヌは北海道や北海道以北だけでなく、東北地方にも古くから暮らしていたことを意味する。