自転車

Fifth Stage ひがし北海道 ホタテフライ夢ロード編

15日目 再会

この日は早朝に旭川を発った。旭川には無料のキャンプ場がいくつかあるが、札幌方面へと戻ることにした。旭川の街に用はなかった。

特に大急ぎで戻る必要はなかったので、途中の街にも立ち寄ることにした。この区間は特急列車や高速バスでかっ飛ばしてしまう旅行者やビジネスマンが大半だが、そこそこ魅力ある街も存在するはずだ。

滝川の道の駅。野菜などが売っていた。

岩見沢の縁日。

ジェイアール生鮮市場はJR北海道の100%子会社。札幌周辺の各地にある。ディスカウントスーパー的で埼玉で言うとロヂャースに近いような。

この頃はドリンクバー的に色々な飲み物が飲みたかった。

江別の街へと帰ってきた。このまま札幌市内へと進むか迷ったが、あと2日間くらいの間は天候が安定しているようなので、最初に泊まった野幌のキャンプ場へ行くことにした。というより、本当はホテルに泊まりたかったが、連休で安ホテルは満室、1泊2万円の高級ホテルしか空き室がなかった。

キャンプ場に到着。受付を済ませる。もう9月も中旬に差し掛かり、朝夕はだいぶ寒いのだが、連休前だから家族連れのテントがとても多かった。20~30組くらいはいるだろう。そして、入り口付近には見たことのあるおじさんがプラスチックのベンチに腰掛けて、缶第3のビールをゆっくりと飲んでいた。九州から来たランドナーのおじさんだ。

「こんにちは・・・前にお会いしましたよね」

おじさんは旭川方面まで一度行ったものの、天候悪化で山には入らず、ここに戻って来たのだという。北見峠を越えて遠軽や湧別、紋別に行ったこと、網走での迷惑な茨城ライダーのこと、トホダーに出会ったこと、摩周温泉、釧路に行ったこと、長野の軟弱ライダー、ホタテフライを食べに湧別に戻ったこと、貸切だった遠軽のキャンプ場・・・旅の出来事をダイジェスト的におじさんに話した。

おじさんは30歳くらいの時に会社を辞めて、それ以降の18年間は臨時のアルバイトをしたりする時期もあるそうだが『遊んで暮らしている』のだそうだ。熊本の実家にも少量の荷物はあるが、ほとんどの持ち物をランドナーに積んで旅をしている。山登りは虫が少なくなるこれからが本番らしいが、九州に帰ろうと計画している。

旅の最初と最後のキャンプ場でこの人に会うのは何かの縁だと思ったので連絡先を渡したが、おじさんは連絡手段を持っていないという。それでも構わないと思った。

明日も私はここに泊まるので、時間が合えば晩酌でもと話した。

Fifth Stage ひがし北海道 ホタテフライ夢ロード編

14日目 北見峠ふたたび

夜明けの遠軽の太陽の丘キャンプ場。夜明けまで月が眩しかった。この日は夜間寒くて、ついにホッカイロをセイコーマートで急遽買ってきて使った。ホッカイロって普段使わないが、こういう時に使うんだと思った。

調理場でダブルラーメンを作る。北海道ご当地の袋ラーメンで、期待させると悪いからはっきり言うけど別に美味しくはない。何度かの試行錯誤により、固形燃料1つでラーメンを作れるようになった。火元からの距離が近すぎても遠すぎても駄目なのだ。どちらかというと、火元から鍋底までは近いほうが良い。

丸瀬布方面へ向かう途中、跨線橋から列車を撮影しているプロともアマチュア鉄道マニアとも判別しがたい人達がいた。このへんは1日1往復しか列車が停まらないとかの秘境駅が多いので、最近、全国放送のテレビ番組で紹介されたりしているらしい。

例のセイコーマートで鮭のり弁当とCCレモンを買い、丸瀬布の道の駅のベンチで食べる。

というか、この道の駅に限らないが、最近は『ゴミはお持ち帰りください』と書かれてゴミ箱がない道の駅が多い。偉い人の考えることは私はわからないが、この丸瀬布の道の駅を過ぎるとこの先、峠を越えて何十キロも先までマトモにゴミを捨てれる所がない。ゴミを捨てにセイコーマートまで戻るのも嫌だったので、私は律儀にも50キロ先の上川のセイコーマートまで、この弁当の容器のゴミを持っていったのだ。普通の神経の人なら、そのへんの山中に捨ててしまうだろう。

弁当を食べ終えて出発しようかなと思ったところ、ベンチを取り替える工事業者のおじさんに話しかけられる。

私は、そうやって自転車旅の人を珍しがって話しかける人を嫌っていた。

「どこから来たんですか?」

はっきり言おう、私がどこから来て、どこに行こうが貴方には関係ない。そう言うのもなんなので、

「遠軽方面からです」
と、事実を話した。私は今日、遠軽から来たのだ。間違っていない。

「あ・・・遠軽から・・・」
おじさんは、それ以上なにも言えなかった。

2週間くらい前に埼玉から飛行機で新千歳空港に来て、釧路に行って、また札幌方面に戻るところだとか、クソ面倒な話はしたくなかったし、そうやって聞かれることがダルかった。きっと、しょっちゅうナンパされるような美人な女性も同じような気持ちなんだろう・・・。

とかなんとか、色々なことを考えながら北見峠への道を進んでいく。

あとで考えると、自転車旅行は初期段階はまさにストレスフリーで、心に開放感を感じるのだが、ある程度の期間が経つとストレスが溜まってきて心が荒んでくる。

下り列車は午前7時台に一日一本しかない旧白滝駅で記念撮影。山手線なら3分も待てば次の列車が来るが、旧白滝駅では乗り遅れたら次の日まで待たないと列車は来ない。

駅ノートが置かれていて、東京や大阪などの酔狂な鉄道マニアが時々訪れるようだ。

どんなことが書かれているか少し抜粋すると、

「今朝、クソ暑い東京から来ました。
~中略~
こういうふうにずっと変わらない場所があるのはいいことですね。北大鉄道研究会OB なんとかさん」

おいおい・・・。

この場所は昔はかなり人が住んでいたはずだ。だが「変わって」しまって現在誰もいないだけ。いくらアホ国鉄でも誰もいないところに駅は作らないだろう。北海道最強のエリート大学出身の人間の認識って、そんな程度なんでしょうか? と疑問に思った。それとも、クソ暑い東京に住むと、エリートでも頭がイカれてしまうのだろうか。北海道最強のエリート大学のレベルがこんなんだったら、北海道に明るい未来なんて絶対にない。

なんでだかわからないが、この周辺の道路の路肩にはホタテの貝殻が沢山落ちている。沖縄のヤドカリと違って、ホタテは歩いてここに来るわけじゃないし。

峠へと至る上り坂の途中、疲れたのでパーキングエリアっぽいところで小休止をする。小休止をしている私の目の前に失礼にも車が停まった。またあれだろう。白滝とか丸瀬布の連中は嫌がらせをするのが得意なので、どうせまた嫌がらせだな、と直感で思った。

「こんにちは」

50歳くらいのオジサンが車の運転席から慣れ慣れしく話しかけてくる。

もうはっきり言うけど、どいつもこいつも、馴れ馴れしいわ。私は自分の人生や北海道の現実を見つめ直すために、真剣な気持ちで旅をしている。今まで色々な人に出会って、その人達は、この旅に出ないと絶対に出会わないような人達ばかりで、自分や世の中を考えるヒントがいくつも見つかった。自分がこれからの人生で何を大切にしないとならないのか・・・そういうものがわかった。だから、もうあんたみたいな小汚いオジサンは相手にするつもりはない。さっさと消えてくれ。

なんだこのやろう、と言いかけた瞬間、このオジサンはパトロール中のポリ公殿であることが判明。まさか、こんな山の中で職務質問されるとは思わなかった。

「あんた旅行中かい?」
「はい。自転車旅をしてまして、疲れたので休憩してました」
「どこに行くの?」
「旭川方面に行きます」
「どこに泊まってるの?」
「キャンプ場です。昨日は遠軽のキャンプ場に泊まりました」
「ふーん。あんたどこの人さ?」
「ダ埼玉から来ました」
「内地か」

こういう時は淡々とシンプルに答えるのが最良だ。私は以前、鉄道旅行をしていた時に0時近くに秋田駅に着いて5時台の始発で出発するという状況だったため、ホテルに泊まるのが勿体無かった。

行くあてもなく、24時間開放されている駅コンコースで時間を潰そうとしていたのだが、私服警官に職務質問されたことがあった。その経験から、職務質問には淡々と答えるべきであることを知っていた。ポリ公殿は状況により荷物検査したり、身元照会する場合もある。特にやましいことがなくとも、大変面倒なので避けたい。私は『遥かなる北の大地・北海道に憧れてやってきた内地のアホチャリダー』のように振舞うことにした。

「旭川方面ってまだ雨降ってますかね? テレビで大雨だと聞いたんですが・・・」
「それ昨日でしょ。今日は晴れてるっしょ。まぁ、気をつけて行きんしゃい」
「どうもありがとうございます!」

ポリ公殿に一応お礼を言う。この方はこの地域の管轄だろうから、もし事故を起こしたり巻き込まれた時はお世話になるわけだ。こうして、車の一台も通らないような寂れた北見峠を何往復も行ったり来たりしてパトロールしてくれているなら、この先も安心だろう。

ポリ公殿の『旭川方面は晴れている』という情報を信じた私は、峠をどんどん進んでいった。しかし、すごい雲が発生している。登山の世界には観天望気といって、雲の様子などから天気を予測する技術がある。おそらく、この雲はとんでもない大雨の兆しだろう。

ほどなくして、とんでもない大雨となった。上川の街まではまだ10キロ以上ある地点なので、雨宿りする必要があった。

5分くらい走ったら旭川紋別自動車道を屋根代わりとして雨宿りできる場所に到達できた。雨はどんどん強くなった。他人を信じてはいけない。たっぷり1時間以上雨宿りをした。大雨の山の中では特にやることもなく、こういう時こそ職務質問されたいと思ったくらいだ。

1時間半くらいしたら雨が止んだ。上川の街へと向かう。

往路でも利用した、あのベンチのある場所で食事をする。スーパーいろはの惣菜はユニークだ。目玉焼き入りのカツカレーが298円。東京のカレー屋で食べたら1000円くらいするだろう。鶏肉だと思って買ったら、白子の唐揚げだった。ちゃんと白子って書いてあるのに、なぜかわからなかった。

この場所は高質空間形成施設「森のテラス」と言うらしい。

途中の愛別から旭川まではサイクリングロードを通った。

というか、この誰もいなくて超快適なサイクリングロードを30Km走っていくだけで、旭川都心の常盤公園まで行ける。自転車人口全国1位で、サイクリングロード整備に熱心なダ埼玉ですら顔負けだ。国道も十分走りやすいんだけど、さすが北海道。税金の使い方が間違っている!

色々なものが吹っ切れたせいか、時速30キロくらいでぶっ飛ばす。途中、散歩中の犬に追いかけられたが、本気で走っている犬もぶっちぎった。

真っ暗になる前に旭川の街に着いたのは良かったが、へとへとに疲れてしまった。体が痛いとかではなくて、どっちかというと、眠くて眠くて仕方がない。以前行ったことがあるスーパー銭湯に少し道に迷いながら行く。風呂でも眠くて眠くて仕方なかったが、なんとか知っているネットカフェに辿りついて寝る。その間の細かいことは、眠くて眠くて、あまり覚えていない。

Fifth Stage ひがし北海道 ホタテフライ夢ロード編

13日目 北きつね牧場

せっかく温根湯に戻ってきたんだから、北きつね牧場にも行きたいと思った。あとで調べたら北きつね牧場は8時から営業しているらしかったが、実際に現場に行くと8時ではやっているのかどうかよくわからなかった。近くの道の駅の施設が大抵8時30分に開くので、北きつねも同じなのかなと、道の駅で時間を潰していた。

8時30分に道の駅の施設内で北きつね牧場の割引券を発見。やはり、8時から開いていたらしい。だが、割引券を入手できたので待った甲斐はあるだろう。

北きつね牧場では、きつねは放し飼いにされている。本来はきつねは集団生活は送っていないそうだから、きつねにとってはあまり良い環境ではないだろう。

きつねも見れたし、再び遠軽方面を目指す。

日中でも15度と、北海道はかなり寒くなってきている。もう夏のキャンプシーズンはとっくに終わっていて、私の使っている薄手の寝袋では寒さを凌ぐことが難しくなるだろう。

遠軽に着いたら一平でカレーを食べる。実に15年ぶりくらいだろう。それから湧別のチューリップの湯に向かう。あと3キロくらいの地点で雨が降ってくる。雨具を着るか、濡れる前に辿り着けるかの賭けだったが、天気には負けて、それなりに濡れてしまった。

東京の紳士服の青山で1000円で買ったウインドブレーカーっぽいジャンパーを着ているが、これは一見、雨を弾くように見える。しかし、実際は吸水性抜群で、キッチンペーパーの如く雨をどんどん染み込む、クソジャンパーであることが判明。ウインドブレーカーっぽいジャンパーでなくて、やっぱレインウェアとかを用意した方が良かったと思う。本当にどんどん雨を染み込むので、少しくらい雨を弾けよ、と思った。

風呂に入ってから食堂で念願のホタテフライ定食を頼む。うん、やっぱなまら旨いよ、ここのホタテフライは。地元のおじさんもホタテフライを頼んでいたし、ここはホタテの本場に違いない。

テレビを見ると、道央方面をはじめとして、北海道の各地に大雨警報が出ていた。大変な事態らしい。

私はホタテフライを食べ終えてから、このホタテが育ったであろうサロマ湖を見たくなった。サロマ湖というけども、この湧別町もサロマ湖が面している。

うまい具合に雨も上がって、サロマ湖に導かれているようだった。

夕暮れのサロマ湖だ。

ここは三里浜キャンプ場に続く道で、住所だと湧別町登栄床という所だ。オホーツク海とサロマ湖に挟まれた所だが、住宅など街があった。おそらく漁業関係者の人が住んでいるのだろう。

幻想的にさえ思える景色。

「すげえ景色だな」
「全くだな」

と、自分と自分が脳内で会話していた。

この道路の突き当たりにある展望台。右側がオホーツク海で、左側がサロマ湖だ。キャンプ場の入り口にライダーが3人いたが、キャンプ場は管理人もいなくて閉鎖されているふうだった。ただ、遮るものが何もない環境なので、風が強く、とてもテントを張れるとは思えなかった。ライダーはしばらくしたら皆帰っていった。

日没後、サロマ湖を後にして、この日は遠軽のキャンプ場まで戻った。